049 大聖女アリス


 TIPS:大聖女アリス

 最古の聖女。この世界の知性ある生き物の中で、はじめて廃女神シズラスガトムを観測した元人間にして聖女。


 大聖女アリスが生まれたのは、人類にとってダンジョンが絶対不可侵の絶殺領域であり、『荒野』は足を踏み入れることすら困難な致死領域だった時代である。

 彼女は生まれ故郷たる名もなき小さな農村で名もなき神を祀る巫女の一人だった。

 名も知らぬ神に祈り、故郷たる村に結界を張り、畑の豊穣を祈願し、周囲のモンスターを倒す。

 そんな何気ない日常を送る、なんでもない民の一人だった。

 司祭であった父、巫女である母や姉、師である祖母。

 家族と共に神に仕え、民に神の恩寵を施す幸福な日々を過ごしていた。


 ――だが、その日常は突如崩れ去る。


 村の傍にあったモンスター素材を得るだけの危険ではない『荒野』より最下級たる都市壊滅級のレイドボスが発生したのだ。

 村の結界を破壊し、村を蹂躙するレイドボス。当然アリスは戦った。師たる祖母、姉弟子でもある実姉とともに。父や村の戦士たちも連れ、しかしあっけなく、なんの抵抗もできずに敗れた。

 レイドボスの一撃でHPのほとんどをなくし、腹に穴があいたまま燃える村を眺めるしかできなかったアリス。

 周囲には、戦士たちの屍体が転がっている。中には姉の姿もあった。死んだのだ。殺されたのだ。

 アリスもまた死にかけていた。また、命数も残っていなかった。今死ねば、本当の死が訪れる。その予感があった。

 死の間際に思ったのは嘆きだった。

 嗚呼、どうして。どうしてこんなことに。

 幸福な日々が思い起こされた。姉は結婚したばかりだった。そして自分にも婚約者がいる。愛する人がいるのだ。

 助けて、と彼女は死にかけながら名も知らぬ神に願った。

 どうか、どうか家族を助けてください。どうか、どうか愛する人を助けてください。どうか、どうかあの化け物を打ち倒す戦士を遣わしてください。

 魔法刻印『巫女』。その権能は神託と結界、信徒への強力なバフ――あるいは、奇跡・・

 巫女たるアリスが取得した第三スキル『奇跡』が、少女の祈りが神へと届く。

 すでに死した家族を助けるための、蘇生魔法が使える魔法刻印。

 半死半生、腕や足を失った愛する人を助けられる大治癒魔法が使える魔法刻印。

 そして、レイドボスさえも打ち倒せる可能性のある強力な攻撃魔法が使える魔法刻印。


 ――与えられたのは、それら全ての機能を内包した大聖女の魔法刻印。


 アリスの背に強大な力を内包した魔法刻印が刻印された。

 すでにあった巫女の魔法刻印を塗りつぶし、神による覚醒によって一気に刻印深度が深まった状態で。

 大聖女アリスはそうして、滅びゆく村の、瓦礫の中で生まれたのだ。

 無限の寿命を持ち、蘇生の奇跡を振るい、強力な神聖で敵対者を殺し、あらゆる虚偽を看破する目を持った神の奇跡の体現たる聖なる女として。

 立ち上がった彼女は戦った。

 全力をもってしてレイドボスと戦い、十日をかけて打倒した大聖女アリス。

 村を救った彼女は放浪ののちに統一神聖教会の前身たる教会を作ることになる。

 大聖女の誕生――世界救済のために神が人間に授けた七大奇跡の一つ。

 神の奇跡に相応しい強大な力。しかしてそれには代償も存在する。

 敵の欺瞞から身を守るために与えられた虚偽感知。その恐るべきデメリット。


 種族聖女となった彼女がレイドボスに勝利し、村び戻ったそのときに彼女はそれを理解した。

 彼女には人間が動く石像に見えていた。

 また後にわかることだが、女神の手ずから、最も古く、最も強力な魔法刻印を与えられた彼女には、同族の聖女たちですら精巧な人形にしか見えなかった。

 不幸だった。しかし幸福でもあった。

 滅びるはずの村を救ったのだ。死んだ人間を生き返らせて、手足を失った同胞を治療して――しかし彼女には絶望しか訪れなかった。

 奇跡の代償がこんなものだとは、思っていなかったのだ。

 知っていたなら、きっと願わなかった。

 蘇った家族は動く石像だった。

 彼らに触れた。石の感触がした。

 人の暖かさなどどこにもなかった。

 自分に感謝を述べる家族の言葉は、石の擦れ合う不快なものだった。

 柔らかな人の声などどこにもなかった。

 嗚呼、嗚呼、なんで、なんでこんなことに。どうして私が、私だけが。

 虚偽感知。その力だということは即座に理解できた。石に触れれば、石を見れば、そこに嘘が込められていた。どんな嘘をついたかなどすぐにわかった。

 家族も、婚約者も、村の人々は誰も彼も小さな嘘を日々積み重ねていた。

 人間だった彼女にはわかっている。

 もちろん悪意ある嘘はある。

 だが嘘といっても悪意がある嘘だけじゃないことも。

 家族を心配させないために、病や怪我のときに大丈夫だと、虚勢を張る人間がいる。

 憎しみを持ちながらも、それを悟らせないために、尾を引かせないために周囲に恨んでないと宣言する人間がいる。

 病気の家族のために一枚の金貨を盗むような人間もいれば、数少ない食料を弟にわけて、自分は食べたからいいと笑って空腹をごまかす兄だっている。

 盗みを見て、しかしそれが赤子のためだとわかって、なんでもないと見なかったことにした村長だっている。

 だけれど虚偽感知とはそういう嘘さえも許さない。

 人類絶滅を防ぐための――昨日まで仲間だったものが洗脳や魅了によって敵対したときに、不意打ちを事前に防ぐための権能。

 あるいはハニートラップや偽情報による情報工作を防ぐための権能。

 神にただの人間では抗うことすらできないレイドボスを倒す奇跡を願った彼女の代償がそれだった。

 そして、戦う力であるがゆえに、その力が停止することはない。

 絶望から故郷を離れ、彼女は四千年以上を石像と人形に囲まれて生きることになる。

 人の温もりを失った四千年。

 長い年月だった。人に触れる暖かさなど記憶の底に沈み込み、石がひび割れたような声を彼女は聞かされて生きてきた。

 しかし女神に祈ったその通りに、彼女はレイドボスや邪神の尖兵を打ち倒してきた。それが自分の役目だと思ったからだ。

 心はすでに摩耗して何も残ってはいない。大聖女という機能が戦っている。それが大聖女アリスだった。

 今の彼女の願いなど些細なものだ。

 人。人に会いたい。人に触れたい。人の暖かさを知りたい。人の声で、石がこすり合わされるような声ではなく、人の声で、頑張ったねと言ってほしい。抱きしめて、よくやったねと言ってほしい。

 ただそれだけが、大聖女として生きてきた女の願い。



 大聖女アリス。

 メインストーリー第三部第一章『天界より来る尖兵』における助っ人NPCにしてナビゲーターにして相棒キャラクター。

 自分をかばって次々と死亡する仲間たち、燃え盛る首都東京。カオスオーダー本部さえも陥落し、ただ一人、逃げ延びた主人公プレイヤーを助けてくれる強力なお助けキャラクター。

 十五周年記念イベントでプレイアブル化はしたものの彼女はガチャからは出現しない。

 専用の高難易度ミッションで素材アイテムを集め、専用の召喚アイテムを生成するといった形での召喚となるからである。

 レアリティはユニークレア。基本的にはURはパーティー編成時には一人しか編成できない仕様のため一つしかない席の取り合いになるが、大聖女アリスは聖女アレクサンドラと組み合わせることで、バフの相乗効果が発生し、神聖ダメージが跳ね上がるためか、対邪神、対魔族など神聖ステータスが特攻のコンテンツにおける採用率は一位だった。

 実装時にSNSのトレンド一位を2日ほど占拠し、また実装前から薄い本が大量に出回り、実装を願うユーザーの声が公式生放送のコメント欄を埋め尽くした実績を持つ。


                ◇◆◇◆◇


 涙が、ぽとりと大聖女の足元に落ちていた。

 彼女の視線の先では人がいた。

 四千年以上のときを経て、はじめて見た人間だった。

 柔らかい肉の体を持つ人間。黒いコートを着ている。人の声で喋っている。

 少年はけして石の体でも、石の服を着ているわけでも、石のこすれる音で意思疎通を図っている者でもなかった。


 ――人間なのだ。彼は。彼こそは。彼だけが。


「う……ぁ……ぁ」

 声が出なかった。足元に崩れ落ちていた。大聖女アリスは動けなかった。奇跡を見た。自分があのとき願った代償。全ての人類が石に見えてしまうそれの。過分の願いの応報がようやく報われた気がした。自分の魂は救われたのだ。

 もちろん赤子であればアリスでも人間として見ることができた。ただそれもまともに頭が動くようになれば、いずれ石に変わる。

 大聖女アリスは最初の千年ほどは子供たちに期待していたが、無駄だった。

 アリスは期待していた子供に尽く裏切られたのだ。

 彼らは皆、石像になった。

 教育だってした。絶対に嘘を言うなと言った。命令もした。契約で縛った。嘘が言えないように舌を切り取ってもみた。

 だが、だめだった。だめだったのだ。

 人はどうやっても嘘をつく。知恵を得れば嘘を自然とついてしまうのだ。

 だけれどあの少年は違っていた。言葉の使い方でわかった。体の動かし方でわかった。聖女をテイムしていながらステータスになんの偽装も施していない時点でわかった。

 虚偽感知を理解して、それに引っかからないように立ち回っていた。立ち回れていた。

 立ち回れるだけの知能を得てなお、嘘をつかないことを選択できる人間だった。

 それはもはや奇跡の存在だった。

 嗚呼、神様。女神様。ありがとうございます。アリスは自然にひざまずいて祈っていた。

「大聖女様?」

「大聖女様?」

 お付きのシルドとバリアの聖女が疑問を頭に浮かべている。

 彼女はセイメイを見ても反応しない。当たり前だ。当たり前だった。これは、長く生きた本物の聖女にしかわからない歓喜だ。

(そう、そうね。それに偽物の聖女に、この喜びはわからない)

 この二人は違うのだ。種族こそ聖女だが、アリスが人類の敵である天界の騎士を加工して作った双子の聖女だった。

 虚偽感知は持っているが、もともとが人類の敵性存在であるため、そもそもそれを気にするような情緒がないのだ。

 双子を無視し、アリスは祈った。感謝する。嗚呼、ありがとうございます。今日まで私が生きて努力して人類を守ってきたのは、あの少年を守るためだったのですね。アリスはただただ祈りを捧げていた。普段の軽薄な仮面は削ぎ落とされていた。その心根に沈めてあった疲れ切った、摩耗した女の顔が覗いていた。

 だけれどアリスはふと思った。


 ――なぜ、お前が、そこにいるの?


 石像ではない少年セイメイに抱きついている少女アレクサンドラがいる。

 四千年以上も人類を破滅から守ってきた私がこうして祈るだけなのに。触れることもできないのに。声をかけてもらうことも褒めてもらうこともしていないのに。

 なんでお前がそこにいるの?


 ――どうして?



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