048 アレクサンドラのかわいい要求


 アレクサンドラがセイメイを呼び出すそのときより少し前のこと。

 小聖堂の隠し部屋にて数人の女たちがそのやりとりをこっそりと見ていた。

「大聖女様? 何か面白いことでもあったんですか?」

「大聖女様? 下がってくださいな。見つかってしまいますよ」

 ふふん、とくすんだ銀灰の髪をした美女が小聖堂の隠し部屋に設けられたマジックミラー越しに講堂内を興味深そうに伺っていた。

「ふぅん、あれが聖女アレクサンドラかぁ。教会に楯突く跳ねっ返りがいるっていうから面白そうだから見に来たのに、すっかり悄気しょげちゃってるじゃないのよ」

 そんなものですよ、と銀灰の美女である大聖女アリスに、彼女のお付きたる大盾の聖女であるシルドとバリアの、金属色の髪をした二人の聖女姉妹がなんでもない様子で言った。

「ボコボコにやられたんでしょうなぁ」

「ボコボコにやられちゃったんでしょうねぇ」

 ふぅん、と大聖女アリスは「つまらないわね。もっと派手に暴れてくれれば私がとっちめられるのに」と、唇をつーんと尖らせて隠し部屋のソファに背を預けた。

 その手に水の入ったグラスをもたせ、つまみになりそうなナッツ類を皿に入れて大聖女の前においたシルドとバリアの双子の姉妹は「いいじゃあないですか。勝手に折れてくれたなら」「いいじゃあないですかねー。勝手に折れちゃったんでしょう?」とアリスの期待をばっさりと断ち切ってしまう。

 アリスはそれに頷きながら――おや、とマジックミラーの先で、聖女アレクサンドラが泣きわめきながら逃走するのを見てしまう。

 失望を顔に貼り付けて、アリスはアレクサンドラの採点を終えようとしたとき、ふと、視界の先にありえないものを大聖女アリスは見てしまう。

「……なに、あれ?」

 少年だった。

 そこには何一つ、嘘というものを背負っていない、ただの少年が存在していた。


                ◇◆◇◆◇


 TIPS:0ステータス

 ステータス値は常に最高の出力で出ているわけではない。

 しかし一度得たステータスを0にすることは基本的に不可能である。

 それはステータスが身にまとうものである以上、当然のことで。一度上げてしまったステータスを完全に排除することが難しいからだ。


 ゆえに自らの意思で精神ステータスを0にできる人物がいたならば、すでにしてその人物は正気ではないことになる。

 精神ステータスが司るものは、魔法耐性や状態異常耐性などを始めとして防御的なものが多い。

 その中でも万人の心の特効薬となりうるストレス耐性をも精神ステータスは司っているからである。

 一度でも精神ステータスの恩恵を得たものがいれば、彼らは口を揃えて言うだろう。精神ステータスは最高だと。


 ゆえに彼女には簡単なことだった。

 あの孤児院の裏の、じめじめとした、影になっている場所を思い出すだけでいい。

 彼と過ごした最高の日々。テイムされるためにすべての精神防壁を0にしたあのとき。

 幸福のままに。ただただセイメイのため。それだけを願ったあの瞬間を。


                ◇◆◇◆◇


 ――いじめられたの。


 別に、はじめて聞く言葉ではなかった。

 孤児院時代にはよく聞いた言葉だ。あの男の子にブサイクだっていじめられた。あの女の子が生意気だっていじめた。

 だから俺はそいつらに言って回った。サーシャをいじめるなってな。

 高校生ともなれば俺の見ていない陰でどこまでもいじめることが可能なため、守り切ることはできないだろうが。

 小学生ならそれでよかった。付き合ってんのかよとか好きなのかよとか言われてもうっせー好きだよ悪いかよで済んだからだ。

(ただ、これは無理だな)

 俺はそう思った。侵入者である俺を無言で見つめてくる少女たちの集団。あの目力めぢからの強さにはどうしようもない。

 それに、そもそもサーシャにはこれから先もずっと一緒にいてやれることはできないのだから、あの少女たちに言うことは何もなかった。

「集団でいじめか。はぁぁぁぁぁ……聖女だとか言ってもそんなもんだよな。くっだらねーわ。つまらん連中」

 とはいえ小声で愚痴る。教会って俺を殺したしサーシャも拉致ったしろくな組織じゃないよな。

 もちろんサーシャを転移魔法で連れ去ることはできる。結構強くなったから『荒野』でサバイバルだってできるだろう。

 ただ、それではサーシャをろくな教養もなしに大人にしてしまうことになる。

 そういうサーシャにしてしまったあと、俺がもし殺されたりしたら、どうやってサーシャは生きていけばいいんだってなるよな。

 だからこそ、俺はサーシャをここから連れ出すことはできなかった。

 最終学歴――というより教育を小学校で終わらせるわけにはいかないので、我慢するしかないのだ。

 洗脳教育とかあったら困るけど。

 サーシャは嘘を看破できるけど、教える側が本当だと思って教えてたら意味ないけれども……あー、ここ以外にサーシャが学校行く手段がないのはほんとなぁ。勘弁してほしいぜ。

 クーに学校世話して貰うのもなぁ。吸血鬼の学校とか、サーシャが血を吸いつくされてミイラにされるのは見たくない。

 仕方なしに俺は俺に抱きついてぐすぐすと泣いているサーシャを昔のようにぎゅーっと抱きしめて、涙を指で拭ってやって、よしよしと頭を撫でてやる。

「ほら、大丈夫か?」

「だいじょうぶじゃない」

 ううう、と泣いているサーシャ。はぁ、めんどくさ、と俺はつぶやきながら「ほら、かわいい顔が台無しだ。で、なんて言われたんだよ?」と聞いてやることにする。

「お、音痴とか。ブサイクとか。孤児だとか」

「俺はサーシャの歌は好きだし、サーシャはめちゃくちゃかわいいし、俺も孤児だし」

 汚い言葉に即答できれいな言葉を返してやる。

 ほら、大丈夫だしおそろいだ、と言えばサーシャはにへらと笑ってくれる。

「あ、ありがとう。セイメイくん」

 いちいちいじめてきた聖女の相手はしない。してやらない。顔も見ない。

 俺がずっと一緒にいてやれるわけでもないからだ。

 だから俺にできることはとにかく褒めてやることだった。そしてそれは全然難しいことではないのだ。

 なぜならサーシャは可愛い。音痴とか言われたらしいが有名声優並に声もいい。頭もいいし、運動もできる。

 できないことと言えば人間関係の構築ぐらいなので、褒めるだけなら何ひとつ嘘など言わなくていいのだ。

 俺は適当に本当の本音でサーシャを一分ぐらい褒め続けてやるとサーシャはにこにこ笑ってぎゅうぎゅうとその薄い胸を俺に押し付けてくる。頭を撫でてやって、サーシャが俺のほっぺたにキスしてくるのに任せる。

「俺はサーシャのこと好きだから。他のヤツに何言われても気にするなよ」

「う、うん……でも、その、セイメイくん」

 おずおずとしたサーシャ。最近は見なかったいじらしい姿にちょっとかわいいなとか思いながら「なんだ?」と聞けばサーシャは「その、いけぼ・・・、で好きって言って。あと褒めて」

 いけぼ――イケメンボイスのことだろう。孤児院時代にサーシャ相手に練習したそれを思い出して俺は内心で頭を抱えた。

 美少女相手に口説き文句を言える良い機会だと遊んでた過去が俺にもあったのである。

「それ、嬉しいか?」

「うん!」

 はぁぁぁぁぁ、と深い溜息が漏れた。こいつ、結構余裕あるよな、なんて思いながら、仕方なしにサーシャに向かって俺はイケボで褒めてやることにしたのだった。

(たぶん声変わりしたあとのほうがイケボの雰囲気でるんだろうけどなぁ)

 まだまだ俺の体はガキであった。


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