047 アレクサンドラのかわいい反抗の結末
先日の戦い以降、アレクサンドラは数日ほど教会の捕縛員や騎士などと戦闘を繰り返した。
そのたびに施設が破壊され、無関係の聖女たちが巻き込まれて怪我や命数を消費した。
死人は出なかったが、それでも被害はあり、アレクサンドラを恨む人間は増えていった。
アレクサンドラは周囲からの抗議を何食わぬ顔で聞き流した。
その日も戦いを終えると、夕食を食べ、風呂に入り、歯を磨いて、美容のためにぐっすりと就寝した。
そして朝起きたアレクサンドラの前にあったのは、机に並べられた、聖女見習いの数と同じだけの転属願いと、教会本部より発行された自身の進退に関する指示書だ。
「これは……んん」
アレクサンドラは目を開いてその紙を見る。枚数も確認する。つまり自分付きの聖女見習いがたった数日ですべて消えてしまったということだろうか。
ここ数日のショッキングなガチグロバトルにドン引きしてしまったからだろうということはアレクサンドラにはすぐわかった。
「そう……そういうことなんだ」
失望はあった。
ただし、失望したのは、その転属願いを認めた教会本部にだ。
「私を切るつもりなんだ」
アレクサンドラなしでクリスタルとどう対抗するのか。
とはいえ、アレクサンドラにとってはどちらが被害を負っても楽しいものであった。
(しかし、参ったな)
アレクサンドラは考える。
(私、失敗したのかな)
――聖女が聖女見習いを預かるのにも理由はある。
それは次代の聖女を育てるため。聖女に親しませることで、聖女の魔法刻印をなじませやすくするため。
そして聖女になれなくとも、高位の魔法刻印を与えたあとに聖女の側近にするため。
他にも孤独に生きる聖女の社会性を鍛えるためや、聖女見習いの親族とコネを作るためなどの理由もある。
それらの多くは聖女へのメリットだ。デメリットは人づきあい程度のもの。
また見習いたちの親派閥に染まりやすいというのもあるが、それらはメリットに比べれば些細なものだ。
聖女が正しく教会の外との伝手を作ったり、教会内部での味方を作れるように、教会側が選定した人材が聖女見習いなのである。
――ゆえに、全ての聖女見習いを失った聖女にはペナルティがある。
ペナルティは周知されている。
だからどれだけ聖女見習いをいじめる聖女でも必ず一人か二人は脱落しないように残すのだ。
「ちゃんと生かしてやったのに、恩知らずども」
砂塵結界に巻き込まずに生きて返してやった聖女見習いたちを思い出しながらアレクサンドラは歯を噛み締めた。
(ええと、全部いなくなったら……あー、罰則……この紙か)
転属願いと一緒においてあった、自身への指示書。教会から与えられた位階の低下。
聖女の力の位階たるケテルは変わりないが、教会内の位階が
――自分は、失敗したんだろう。
脅しに失敗した。脅威たる者ではなく、ただの乱暴ものだと思われた。
奇しくもクリスタルと同じ行動をとったアレクサンドラだったが、クリスタルと違ったのは、彼女には正当たる血統はなく、また頭を即時に奪いにいく政治的な嗅覚が不足していたことだ。
生まれながらの貴種と、孤児院育ちの反逆者との違いの表れだった。
(位が下がった……偉くなって、人類を滅ぼす日が遠のいた)
指示書には今使っている部屋から即日退去するようにとの命令も出ていた。
それは構わない。セイメイのことを思えば、野宿だってアレクサンドラは平気だった。
そもそもアレクサンドラは、ここまで教会との関係が悪化したなら、逃げ出してもいいのかもしれなかった。
だが、そうすると自分はセイメイのところへと行くことになるだろう。
そうなったら教会からセイメイへと追手が向かうことになりかねないし、何より、最終学歴が幼稚園卒業だとクリスタルに馬鹿にされてしまう。
セイメイが孤児院時代に高卒ぐらいは、と言ったことがこうして聖女学園にアレクサンドラが頑張る理由の一つにはなっているものの、アレクサンドラが持つ一番強いモチベーションは、学歴でクリスタルの風下に立ちたくない。その一点だった。
――無論、教会内の地位を得ることも目的ではあったが。
しかし、そういったことへのモチベーションは未だ九歳のアレクサンドラにはそこまで強い実感も理解も遠いものだった。
偉くなれば贅沢ができる。偉くなればセイメイのために動ける。偉くなれば、画策ができる。そういう想像はあった。実感はなかったが。
そんなアレクサンドラが連日暴れたのも、教会の強者と戦って自身の強さを知らしめると共に、刻印を鍛えるための熟練度稼ぎができればという欲目からだ。
人類滅亡を我武者羅に望むがゆえの、行動の
(うぅ……戦っちゃったのは、訓練で歯ごたえがないのが悪い)
教会の実戦部隊がどれだけ強いのか、それを知りたかったのもある。
無茶をしただけの成果ではなかったが、それでも教会の戦力の一端は知れた。
ゆえに失敗したという意識を持ちながらも、反省は薄い。
こうして教会から見限られたアレクサンドラは、聖女クラスから問題児クラス――廃棄予定の聖女クラスへと移動となった。
◇◆◇◆◇
廃棄聖女のクラスへの移動は午後からだったので、聖女クラスの生徒が集う早朝のミサへとアレクサンドラが出席すれば、周囲の聖女たちからクスクスという囁きが聞こえてきて、アレクサンドラは不快げに顔を歪めた。
「どの面下げて来れるのかしら?」「脱落したんでしょう?」「最高位の太陽の聖女だってのに、中身がアレじゃあねぇ」
背後からは自分を蔑む声が聞こえてくる。
殲滅するのは容易だ。だがこれ以上、位階が下がるのはアレクサンドラとしても望むところではない。
そもそも、こいつらを殺したところで聖女の魔法刻印の成長には全く寄与しない。
(ここに来たのは指示書の時間が、このあとなんだからしょうがないじゃん)
サボる理由もなかったのもある。
だが失敗から教訓を得て、少しばかり従順を装ってみたのだ。
それでこれなら、サボればよかったとアレクサンドラは後悔する。
周囲では聖女たちがボソボソとアレクサンドラを蔑む言葉を放っていた。
「恥知らず」「孤児院育ちだから」「教会に逆らうなんて馬鹿なんでしょ」「アホだからそんなことしたんだよ」「ブサイク」「野猿みたいなもの」「糞の臭いがする」「肥溜めに落ちたんじゃない?」「あはは、そんなものないでしょ」「うんこ漏らしたとか?」「ありそう」「ありえる」
様々な悪口雑言が聞こえてきて、アレクサンドラはむっつりと黙り込んだ。
そうしてミサが始まる。神への祈り。聖書の朗読や解説。女神を称える聖歌を聖女や聖女見習いたちが歌う。アレクサンドラも嫌々ながら同じ行動をする。拒否感は高まっていた。我慢する必要があるのだろうか。今すぐ砂塵結界を広げれば、この場にいる全員を皆殺しにできるだろうか。
否だった。否でしかない。死ぬのは刻印を持っていない聖女見習いたちだけで、聖女たちは命数があるから生き残る。
――アレクサンドラがクリスタルに明確に劣っている部分がそれだ。
殺し切ることができない。連日の戦闘でもそうだった。アレクサンドラは命数持ちを相手にすれば、決定打を出すことができない。
アレクサンドラでは教会の人間を殺しきれないのだ。
(そうだ。砂塵結界がもっと広ければ――)
命数に対する攻撃能力を持たないアレクサンドラであっても、砂塵結界で蘇生地点までもを覆うことができれば、そのまま殺し尽くすことができるだろうか。
もしくは死亡した場合、砂塵結界内で蘇生するようにする特性を得るか、だ。
聖歌の歌い方をいちいち指摘され、聖書の記述の読み方で怒られ、周囲に笑われ、悪口を言われながらアレクサンドラは思った。
こんなこと、どうでもいい。
――私は、既に人生で勝利しているのだから。
だから、だからこんな、こんなことは大したことではないのだ。
周囲全員が敵になったとしても、グチグチとつまらない悪口を言われたとしても、罵倒を受けたとしても、殺せる人間を放置していることで舐められているとしても。
――それともここで、暴れればいいのか。
暴れて、殺して――考えて、考えて、意味がないとアレクサンドラは悟った。
命数問題の解決を得なければ、アレクサンドラは侮られたままだ。
殺されても復活できるからこそこいつらはアレクサンドラを侮っているのだから。
(そうか。無駄に戦いすぎたんだ)
アレクサンドラの底が知られてしまっている。
また、聖騎士や司祭、捕獲部隊が全員生きていることが、アレクサンドラの間違いだった。
戦うなら殺すべきだった。クリスタルなら逃さないだろう。確実に殺しただろう。殺意がクリスタルと同等でも、アレクサンドラにはその手段がなかったのだ。
「くすくす。ブサイクよね」「歌い方が下手くそ」「音痴よ音痴」「慣れてないのよ。孤児だって言うし」「ありえないわ。なんでこんなのがここにいるのよ」「すぐに廃棄クラス行きだからね」
うるさい、と思った。
うるさい。うるさい。うるさい。アレクサンドラは、ぐっと歯を噛み締めた。失敗したんだから、甘んじて――「バーカ」「テイムされてるんだって?」「テイムされるとかほんとカスでしょ」「テイムした奴もテイムした奴でしょ」「孤児仲間だっけ?」「アハハ、きっとアホ面してる犯罪者よ」――アレクサンドラは、我慢をやめた。
「犯罪者――だって」
――お前たちがそれを言うのか。お前たちが! お前たちが!!
後悔させてやる。泣かせてやる。
「いいよ。そんなにお前たちが私と戦いたいなら――」
ミサのための小聖堂、百人ほどの聖女たちとそのお付きの聖女見習い、ミサを進行していた司祭たちが
暴れるとは思っていた。だが、本当に暴れるとは思わなかった。
否、そうではない。
だが間違いだった。
アレクサンドラは折れてなどいなかった。折れたように見せていた。そうした方がきっと自分が反省していると見せかけることができると、そういう擬態をすべきだと、今後を考えて、社会性を維持するべきだと判断したから。
――そういうのは、やめだ。
アレクサンドラは思った。
こいつらに地獄を見せてやる。
命数を削りきれないのはわかった。
じゃあ、心だ。心を壊してやる。
後悔しろ!! 後悔しろ!! 後悔しろ!!
だからアレクサンドラは、自分の精神ステータスを一時的に0にした。すべての自身へと悪罵を、悪口雑言を、
ステータスの加護を失い、未だ十にも満たぬ少女へと鋭い言葉の刃が降り注ぐ。アレクサンドラの心を切り裂いていく。
泣き虫サーシャ。セイメイの後ろをついてきていたあのときへとアレクサンドラの心が戻る。
「あ、あぁああああ。うわああああ!」
急にアレクサンドラが走り出し、小聖堂の床にうずくまった。
聖女たちは戸惑った。戦意を見せたのに何? 何が起きている? 急に弱ったふりをして――泣き真似?
そんなことじゃあ許されない。今日までの暴挙を反省して。
「う、うあぁ、た、助けて!
孤児院時代に、少年の背後をおずおずと歩いていたサーシャに戻ったアレクサンドラが大声で叫んだ。
失笑する聖女たち。叫んで誰が来るというのか。聖女学園は隔離された施設だ。転移阻害の魔道具もある。
しかしアレクサンドラの魔法刻印内のサーフェイスアプリケーションが、救援を求めて大量の文字を流していた。
「あのねぇ、アンタ、うずくまったって――」
聖女の一人が馬鹿にしたようにしてアレクサンドラへと向かって歩こうとして――瞬間、小聖堂に設置された転移封じの魔道具が音を立てて損壊した。
――次元を越えて、侵入者が現れたのだ。
泣きじゃくっていたサーシャの側に、次元が歪んで亀裂を作る。
亀裂から手が伸びる。小さな、子供の手だった。
よいしょ、と亀裂から少年が現れた。そうして足もとでぐすぐすと泣いている金髪の少女を見下ろした。
「なんだよ、サーシャ。お前、泣いてるのか?」
落ち着いた声だった。少年の声。人間の声。ミサを取り仕切っていた司祭の耳にはそう聞こえた。精神ステータスを向上させている彼は魅力値に対して多少の耐性があった。長い動揺と共に声が出せなくなる程度の、そういう声だった。
しかし聖女たちには違って聞こえた。
聖女たちの魂を震わすような、そんな響きの声だった。耳が溶ける。そんな幸福感の伴った声だった。うっとりと聖女たちは少年の声に耳を傾けた。
「ほら、うずくまってないで」
その少年は火に覆われてもなく、汚水にまみれてもなく、茨に覆われてもなく、雷を纏ってもなく、異臭がするわけでもなく、害威を放つわけでもなく、汚物にまみれているわけでもなく。
――ただ、
聖女たちが見る。初めての人間だった。
少年は、アレクサンドラに手を差し伸べ、立ち上がらせ、涙をハンカチで拭って、わんわんと泣くアレクサンドラに抱きつかれていた。
抱きつかれて――そう、何のためらいもなく、アレクサンドラは少年に抱きついたのだ。
――聖女が、人間に。
聖女たちは困惑した。アレクサンドラは聖女だ。あり得なかった。
痛かったり、臭かったり、そういう反応があるべきだった。聖女たちはそうだった。彼女たちは他人と触れ合うことができない。我慢しても、苦しくて嫌になって、もはや聖女同士の触れ合いすら拒否するぐらいには、彼女たちは人間に対して拒絶感を抱いていた。
だけれど、アレクサンドラは少年に抱きついていた。
「どういうことなの?」「わ、わからない」「あの素敵な方は一体……?」「聖者、さま?」「誰なの?」「あ、アレクサンドラ程度のブスが近づいていいわけが」「わ、私も……」「お名前を知りたいわ」
少年はぽんぽんとアレクサンドラの背中を叩いていた。どうしたんだ? と耳元で囁くように聞いていた。
少年に抱きつくアレクサンドラの口角だけが、うっすらと冷酷に釣り上がる。
「いじめられたの」
アレクサンドラは、背後の聖女たちを指さして「あいつらに」
――復讐。それは虫を潰すような残酷を伴って。
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