046 アレクサンドラのかわいい反抗


 聖女アレクサンドラの朝は早い。

 セイメイと次元魔法による通信が可能になってからはその傾向が顕著になっている。

 それは体ステータスが高い彼女はそもそもの睡眠時間が短いからというのもあるが、魔法刻印内にセイメイが作った目覚ましアプリが入っているため、時間になれば肉体に魔力刺激が発生し、勝手に起床するからでもあった。

「……邪魔な子……」

 ベッドから身を起こしたアレクサンドラは周囲を見て、呆れたように小さく呟いた。

 アレクサンドラの視線の先には、椅子に座ったままこくりこくりと寝ぼけ眼で船を漕いでいる少女がいる。

 少女はアレクサンドラ付きの聖女見習いの少女だ。彼女はアレクサンドラを起こして、朝の支度を手伝いする役目を負っているのだが、アレクサンドラが最近お付きの少女より早く目覚めてしまうために寝ずの番をしていたようだった。

 といっても魔法刻印もない、9歳児の、アレクサンドラと同年代の少女だ。

 厳しくしつけられた名家の子であろうとも幼すぎて眠ってしまっている。

 起こすと面倒くさそうだと感じたアレクサンドラは勝手に起きると隣接するバスルームで寝汗を流し、湯船で血行を整えてから、設置されている洗面台の前で支度をし始める。

 シャワー室に隣接された洗面所に置かれた教会支給の高級乳液などで美貌を保つよう努力するのだ。

 こういった乳液は教会からの支給品だ。自分につく聖女見習いたちと違い、聖女は特権として菓子や服なども頼むことができていた。

 その中で、アレクサンドラが優先するのはこういった美容品の支給だった。

 とはいえ貧乏孤児院育ちで、セイメイ以外の男子から邪な目で見られていたアレクサンドラとしては、美貌の向上は有象無象を引き寄せる為、あまり好きではない行為だ。

 それに高いステータスを持つアレクサンドラはこんなことをしなくても美しくいられるという自覚があった。

 しかし、クリスタルというライバルが存在してしまっている以上はスキンケアは必須。少しでも美貌を向上させる努力は怠るべきではなかった。

 億が一、兆が一、自分の顔にニキビなどができてきたら、消えるまでセイメイと顔をあわせられない。無様な自分など見せたくない。セイメイには常に美しい自分を見せていたい。

 ただ、このような行為も文明社会を潰したらできなくなるだろう。

 この乳液一つにしても高い水準の文明が回っているから手に入るものだったからだ。

(対策は……体ステータスを高めて肉体の劣化を抑えるか、魅ステータスを高めてそもそもの美貌の水準を高くするか、かな)

 可能ならば両方を選ぶべきだが、ステータスポイントは貴重なので、美貌に回せる分はそこまで多くはない。

 確実にクリスタルを殺せる程度の戦力を確保するためにも、アレクサンドラはスキルの研究にも、特性の取得にも余念がなかった。

 頭の中でクリスタルをどうやって倒すか考えながらも、髪、肌、爪、念入りに肉体の様々な場所の手入れを終え、アレクサンドラは立ち上がってベッドルームへと戻ってくる。

「……た、太陽の聖女様!!」

 目覚めたらしいお付きの聖女見習いが声を掛けてくるが、アレクサンドラは「おはよう」とだけ返して、全裸のまま部屋の中を歩いていく。

 修行のため、警戒のため、日輪のバフと砂塵結界の展開を常に自身にうっすらと掛けている彼女にとっては冬に近いこの季節に、全裸であろうとも寒くはないのだ。

 部屋に設置された衣装棚から下着やら聖女のローブやらを取り出して身につけていく。

 ちなみに砂塵結界は身につけた物品に効果は及ばない。

「わ、私がやりますので!!」

「いいわよ。寝てなさいな」

 特に感情も親しみも込めずに言えば、顔を青くした見習いが「わ、私の役目ですので!!」と声を上げている。

 朝から大声をあげられて眉をひそめるアレクサンドラの側に寄ってきた聖女見習いは、必死な声で「やります! やらせてください!」とアレクサンドラに懇願した。

 臭い、と思いながらもアレクサンドラは「じゃあ、任せるわね」と身体から力を抜いた。

「は、はい!!」

 必死に衣服を整えていく聖女見習いの少女を見ながら、アレクサンドラは聖女見習いから漂ってくる嘘の臭いを嗅いで、どうして自分は臭いで嘘を感知するのか、その理由を考えている。

(太陽の聖女だから……なんだろうね)

 臭い。この臭いがなんの臭いなのか、アレクサンドラはわからなかった。だけれど先日、クリスタルを砂塵結界で焼いていたときにアレクサンドラは理解した。


 ――これは、人が焼ける臭いなのだ。


 聖女たちにとって、人の嘘はそれぞれ異なる様相として表現される。

 茨の聖女は人に絡みついた茨であるし、炎の聖女は人を燃やす火だ。水の聖女は汚水で、氷の聖女は鋭い氷。

 触れれば痛みを伴ったり、熱で近づけなかったり、臭かったり汚かったり、嘘は聖女にとって毒になる。

(ああ、嫌だな。本当に……臭くて……ああ、死ねば、死ねばいいのに、本当に)

 側付きの聖女見習いから立ち上る悪臭を嗅ぎながらも、顔を無表情に保ちながらアレクサンドラは朝の支度を終えるのだった。

「聖女様! 身支度終えました!!」

 こういった細かいことすら失敗しないように、他の聖女見習いと共に必死に練習をして覚えたのだろう。満足げな聖女見習いに対し、アレクサンドラは「ありがとう」とだけ言って「朝の礼拝に行くわ」と部屋から出ていく。

(この子もいずれ、殺してやるわ)

 憧れの聖女に礼を言われて嬉しそうに顔を紅潮させる聖女見習いにアレクサンドラはうっすらと笑みを向けた。

 その美しい笑顔に興奮した聖女見習いが「きょ、今日の聖女様の予定はですね!」と言葉を重ねていく。部屋の前に待機していた他の聖女見習いたちも「おはようございます。太陽の聖女様」と歩いていくアレクサンドラの後ろについていく。

 いずれ殺す。必ず殺す。絶対に殺す。この臭い臭い聖女見習いのガキも、聖女どもも、腐れた教会も何もかも。

 聖女アレクサンドラはそんなことを考えていた。

 微笑みの仮面の裏で、ドロドロに煮詰めた殺意の熱を、消えないようにずっとずっと滾らせていた。


                ◇◆◇◆◇


 TIPS:聖女見習い

 教会に所属する高位の信徒の娘。あるいは貢献度の高い信者たちの娘から、美貌、成績や忠誠、献金の量などで選抜された生まれながらのエリート美少女集団。

 ただし実際に聖女になれる子は教会に保存されている魔法刻印の数が少ないために少数になっている。

 とはいえ、聖女になれなくてもしっかりと務めを果たせば高位の魔法刻印の獲得は確実であるためか、よく働き、よく学んでいる。


 聖女見習い本人たちは教育と信仰もあってか、仕える聖女たちに献身的であり、憧れの視線を向けるものの。

 聖女見習いはついている聖女の行状を教会本部に報告するスパイの役割を担っている――本人たちにスパイの自覚はない。ただ提出される複数の聖女見習いの活動日誌から主である聖女の行動は筒抜けになる――ために、聖女たちから信頼されることは稀である。

 加えて、まだ少女であるためか嘘の内容も本当に些細な――誰もがつくようなちょっとした嘘――ものだが、側付きであるために生活空間にまで侵入してくるためか、好意的に接してくれる聖女は極少数である。


 アレクサンドラが聖女見習いにしている対応はかなり上位のもので、聖女学園の在学中、聖女によって意識的、無意識的に肉体と精神を傷つけられる聖女見習いはかなりの数に上っている。


                ◇◆◇◆◇


 クリスタル・ブラッドプールによる惨劇の影響は教会にも出ている。

 教会騎士や、政治力の高い聖職者の一部から死者が出たためだ。

 ちなみに聖女には死者は出ていない。聖女は洗脳を見破ることが可能だからルシファーなるカオスオーダー――というより七星――は接触を避けたのだと思われた。

「それで、どういったご要件ですか?」

 聖女学園の学舎内の廊下、聖女見習いたちを引き連れた太陽の聖女アレクサンドラの前に、教会騎士を連れた幾人かの聖職者が立っていた。

 中には、アレクサンドラを最初に捕獲した女もいる。獰猛な殺意をアレクサンドラは抑えていた。

「聖女アレクサンドラ、貴女がテイムされていると我々は情報を手に入れた」

 アレクサンドラは目を閉じ、うっすらとした笑みで口角を歪めた。政府広報にあった、あの惨劇の場に残されたカメラから情報を抜かれたのだろう。

「テイムですか?」

「それは、本当、なのですか?」

「本当ですよ」

 その言葉遣いはセイメイの前で使う幼さの籠もった、親しみ溢れる口調ではない。

 聖女学園で習得した硬い、親しみのない口調でアレクサンドラは質問に肯定を返した。

 質問を放った高位聖職者――おそらくはドミニオン以上の階級を持った――であろう男性が嘆かわしいと嘆息と共にアレクサンドラを見下す目をした。

 高位聖職者なれば刻印深度はⅡ以上は確実、魔石も十分に収穫しているならレベルは40以上か。

「あの、魅了ステータスだけは高そうな、あの貧相な少年に誑かされましたか。太陽の聖女なれど、所詮は――ぐッ」

「セイメイくんを、馬鹿にした?」

 殺して、指名手配するだけに飽き足らず、この私の前でセイメイくんを馬鹿にするのか。奪われている! 奪われ続けている私の前で!!

 如何に高い知力と精神ステータスを持とうとも、アレクサンドラは九歳の女児。しかもその心も頭も常に人類の抹殺を企てている異常者である。激昂に至る言葉一つで、戦闘が開始されるのは当然のことだった。

 アレクサンドラは、侮辱の言葉を聞いた瞬間に、常に展開している砂塵結界を全力で自身の前にいる高位司祭と自身を捕縛にきた集団に向けて展開した。

「お前がッ、お前程度の愚物がッ、セイメイくんをッ、馬鹿にしたのかッ!!」

「拘束部隊!! 動け!!」

「遅いッ!!」

 踏み込みと共に、服の内部に召喚している四本の十字架を手元に再召喚する。巨大な十字架を莫大な力ステータスで振り回すアレクサンドラ。

 自身を拘束しようとした教会騎士が吹き飛ばされ、以前に自分を拘束した女が巨大十字架に籠められた神聖力によって潰されてミンチになる。

「くッ――ははッ――はははははッッ!! 死ね! 死ね死ね死ね!! お前は特にッ! 死ね!!」

 ミンチを執拗に叩き潰していれば、蘇生効果で死体が消える。あのときこの力があれば! 私はセイメイくんを失わなかったのにッ!!

「あああああああいらいらするッ! 結界を広げてやるッ!!」

「せ、聖女様!?」

「あ、あの――ひ、ひぅ」

「ひゃあああああああ」

 展開した砂塵結界が腰が抜けて立てなくなった聖女見習いたちを巻き込もうとする。怯え、何が起きているかもわからないままの少女たちを見て、アレクサンドラは見捨てようかと迷い――まだ、いいか――と日輪の加護を与え、砂塵結界によるダメージ発生を無効化してやった。

 いつでも殺せるが、今は殺さない。

 アレクサンドラには、まだ教会での立場は必要だ。

(幼卒だと、セイメイくんが何を言うか……)

 せめて高卒ぐらいは学歴を持っておけというのは孤児院にいたときのセイメイの言葉だった。

 だから命ステータスを持たず、蘇生が行えない彼女たちは殺さない。前科がついて都市圏から追われることになると、流石にセイメイが怒るだろうからだ。

 『荒野』での死が自己責任であった、あの惨劇の夜のように。

 あるいはクリスタルに殺害を押し付けて、自分がやったのではないと有耶無耶にできたあの惨劇の夜のように。

 そんなことを考えるアレクサンドラが砂塵結界の領域を広げていけば、暗闇に紛れていた対アレクサンドラに用意された実働部隊の人間たちが次々と蒸発・・していく。

 スキルを使って隠れていようが聖女の虚偽感知は見逃さないし、砂塵結界の新しい特性『お天道様』は結界から逃れる効果をすべて無効化することができる。

 スキル『十字架』によって威力が上昇した砂塵結界は、弱者の生存を許さないのだ。

「ぐ、ぐぅぅ……HP回復は、やはりできないのか」

 高位の聖職者である男が自身の治療を行おうとしていたが、それらはすべて砂塵結界内では無効化される。

 そんな男の足首を十字架でへし折って地面に引きずり倒してからアレクサンドラは見下して、鼻で笑ってやった。

「私はセイメイくんにテイムされていますが? それが何か?」

「な、何かだとッ! 聖なる力を持った聖女が人にテイムされるなど! それに貴様ッ、そもそも教会内で暴れるなど、正気なのか!?」

 聖女学園は東京都最大の大聖堂内に設置された施設でもある。争いはご法度。破門される危険すらあった。

「貴方たちは命の予備が、命数があるからいくら殺そうとも復活する。死人が出ていないのならば試合の名目でも、ちょっとした喧嘩でも、ここでのことはなんとでもなるでしょう?」

 どうでもよさそうにアレクサンドラは言う。それに対して高位聖職者は「――な――は――」と目を見開いた。

 瞬間、高位聖職者の背後にいた聖職者の頭が破裂して死んだ。意味不明な死に様に高位聖職者は背後を振り返って言葉を失う。

「私を鑑定しましたね?」

 好き勝手に鑑定を仕掛けてくるカオスオーダー対策だった対鑑定能力――『御簾覗く無礼者には誅罰を』。

 それはアレクサンドラが聖女の魔法刻印の深度Ⅲに達したときに追加したスキル『太陽の聖女』の力だ。

 自身に鑑定を仕掛けたものに『神聖ステータス×20』の絶対値ダメージを与えることができる攻性防御スキル。

 スキル『十字架』の特性で強化されたアレクサンドラの神聖ステータスは強力無比である。

 並の聖職者、それも砂塵結界の中にいることでHPを相応に削られている者では耐えられない威力だろう。

「さて、そちらの要件を聞く前に皆様死にましたし。そうですね」

 ふふ、とアレクサンドラは笑みを見せた。

 それは聖女見習いを褒めるときと同じ笑みだ。内心の殺意を完全に隠した者がする、偽りの笑み。

「また明日来てください。同じように歓迎して上げます」

 十字架を振り上げ、アレクサンドラはそれを勢いよく敵対者へと振り下ろすのだった。

 十字架を持ち上げたとき残るのは、骨と内臓、そして肉塊。

 背後では聖女見習いたちが濃密な血の臭いとグロい光景で口から吐瀉物を吐き出している。


 ――これは、取り返しのつかない行為だろうか?


 アレクサンドラの行為は上層部への反抗とみなされ、捕縛からの殺害、そして聖女の魔法刻印の回収が行われるだろうか?

 否、とアレクサンドラは考えていた。

(人類の仮想敵としてクリスタル・ブラッドプールが存在する限り、教会上層部は私を排除できない)

 アレが使う影の魔法、アレに対抗できるのはアレクサンドラしかいない。

 日輪の状態付与があれば、その者の影から影魔法を展開するクリスタルの対抗策になる。自身が光放つ存在になれば、影魔法の発生を潰すことができるか、弱めることができるからだ。

 とはいえ、クリスタルを殺してこいなどとは、けして言われないこともわかっている。

 教会がアレクサンドラに求めるのは、大聖堂の防衛だ。アレクサンドラが吸血鬼を殺している間にクリスタルが大聖堂で暴れてしまえば元も子もない。

(ふふ……クリスタルさん。存分に利用してあげるね)

 自分が権力を握ったら、クリスタルにお礼はたっぷりとしてあげよう。そんなことを考えながらアレクサンドラは次の授業へと向かうのだった。

 その背後に、血と肉と骨の残骸、そして腰が抜けてへたりこんだ聖女見習いたちを放置しつつ。


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