044 クリスタルの帰還 その2
邸宅へと帰ったクリスタルへ向ける従者たちの視線は三者三様、そして奇怪なものだった。
召喚誘拐されていた無様を嘲る視線を向ける者。
クリスタルが深い闇を纏っているように見え、恐れを抱いてしまう者。
真祖であるがゆえに、変わらず敬意の視線を向ける者。
恐れもある。敬意もある。だがその奥深くは様々な感情が宿っていた。
とはいえ、クリスタルの方も変わらない。
使用人は基本的に家具のようなものだと思っている生粋の貴族である彼女は、使用人の一切に視線や関心を向けたりはしないのだが――。
「クリスタルお嬢様。ご帰還、祝着にございまする」
「あら? ヴィクトールじゃない? 貴方が私に用事とは珍しいわね」
父付きの執事。
ここに九歳の女児の顔をしたクリスタルはいない。セイメイの前で恋する乙女のように振る舞う少女はいない。
真祖という怪物。子供の姿をした化け物がいるだけである。
「ご当主様が、奥にてお待ちです」
「ふぅん。そう、ま、会ってもいいんだけど……」
クリスタルはんー、と考えるように小首を傾げた。
ようやく帰った愛娘に、着替える暇もなく、着替えさせるわけでもなく、顔を見せろ、とは。
旅塵を払うための少しの休息も許さない姿勢に、クリスタルはふぅん、と相手の意図を考えてしまう。
(何があったのかしらね?)
偏在個体に情報収集させてもいいんだけれども、とクリスタルは考える。
現在、都市内で活動中の個体が二体。セイメイの側に一体で、ここにいる自分が一体で偏在は四体顕現している。
眷属は四体が活動中。少女の姿をさせてダンジョン苔の採集をさせているのが三体で、残り一体はセイメイの肉体にこっそりと張り付かせている。何かあったときはそれに意識を偏在させることでいつでもセイメイを脅して契約解除を阻止できるようにしていた。
(戦闘で使える眷属は二体か)
「クリスタルお嬢様?」
「会ってあげてもいいんだけれど……」
クリスタルの不遜な言葉に、ヴィクトールが眉をほんの少し跳ね上げて不快を示――「生意気だわ」――ヴィクトールの脳天に複数の影の矢が同時に突き刺さり、そのまま頭を消し飛ばしていた。
「下僕たる吸血鬼風情が真祖たる私になんて顔してるのよ」
ふん、と小さな胸を張ったクリスタルの前で、思い出したようにして頭のないヴィクトールの身体が床に倒れた。命数は残してやったからどこぞで復活するだろうとクリスタルはどうでもよさそうに歩き出し、その背後で頭のないヴィクトールの死体が消滅した。
突然の暴挙に対するざわめきが邸内に広まっていく。
クリスタルが指を振るえば、使用人の何人かを床から影の槍が突き出して磔にする。「不敬よ」苦鳴、絶叫、悲鳴が屋敷に響く。
電灯や照明魔導具の光でそれなりに屋敷内は明るかったが、影の真髄を掴んでいるクリスタルにとっては、屋敷内のいくらか暗いところから影を集めて、下僕どもを皆殺しにすることなど容易いことだった。息を吐くようにして殺しを行う。
「うるさいわね。囀るな」
絶叫。絶叫。絶叫。逃げたり、騒いだりする使用人を殺し尽くしたところでクリスタルは、んー、と伸びをした。
「せめて着替え――んー、まぁいいか」
父親とはいえ、格下相手に着替える必要をクリスタルは認めなかった。おしゃれするならセイメイのためにしたいわね、と意味不明な呟きをしつつ、楽しげにクリスタルは歩いていく。
使用人の殺害は、基本的には気分だった。自分を侮っている者たちが多かったから力を示したとも言える。
そんなクリスタルの横について一緒に歩いてくる者がいた。
「――あら、貴女」
「はい。クリスタルお嬢様。ご帰還、お祝い申し上げます」
玲瓏な相貌を持った吸血鬼の侍女頭がクリスタルに向かって小さく頭を下げてみせた。
彼女はクリスタル付きの侍女筆頭。本国にいくつかある侯爵家出身の令嬢でもある、高位吸血鬼の一人だ。
「ああ、ええと」
「レイディでございます」
「そうそう、レイディね」
恐怖を振り撒いたクリスタルに対しても、全く恐れを見せない自信満々な姿の侍女。
優秀な自分が罰されるはずはないと思っているのか。それとも罰される危険があってなお、仕える忠誠心があるのか。
高等教育を受け、戦闘能力もそれなりにある、忠誠をクリスタルに捧げる生き物。
クリスタルはそんなレイディを横目で見ながら、とある提案をした。
「お前。セイメイにテイムされなさいよ」
「あの……――それは、どういう?」
鉄面皮とも言われる美貌の侍女の顔に困惑が浮かび、クリスタルはそうよそうよ、と内心で頷き、自分の言葉を自分で絶賛しながらレイディに問う。
「説明、必要?」
「お願い致します」
ふぅん、と生意気そうな笑みを浮かべたクリスタルは、このメイドの忠誠心を図ることにした。
「お前、人間のテイマーにテイムされなさい」
レイディが顔を強張らせた。
それは全ての吸血鬼の上に立つ真祖であろうとも、生涯をブラッドプールのために捧げる覚悟をした高位貴族の令嬢に対し、軽々に命じて良いことではなかった。
「お、お嬢様。それは……ご無体にございま――「いいわ。もういい。お前は、
「お、お嬢様!?」
すたすたと歩き出すクリスタルは、最高の血統を持つ、最高の教育を受けた吸血鬼といっても下僕ではこんなものか、とレイディを見切ってしまった。
せっかく史上最高の栄誉と境遇を与えてやろうと思ったのに。クリスタルの気遣いが台無しであった。
(所詮は九歳児だと思われているのかしらね)
レイディ――確か刻印深度はⅢでレベルも60だったはずだが、クリスタルから見ればそこらの有象無象と変わらない。先程殺したヴィクトールも刻印深度Ⅲレベル60だったがあれも一撃で死んだ。
(雑魚。雑魚。雑魚。当主が滞在する本邸ですら雑魚ばかり)
高位吸血鬼でレベル60。一撃で殺すには難しい相手ばかりをクリスタルがひと当てで殺せたのは、一度の攻撃に見せかけて複数の影の矢を当てているのもある。
また、彼女の称号効果である『疾風迅雷』と『同族狩りⅡ』も働いており、その攻撃の威力は尋常ではない重さだ。
それに加えて、理由はもうひとつあった。
◇◆◇◆◇
――夜が動いている。
ブラッドプール本邸にて姫の一人の世話を任せられている高位吸血鬼レイディは自身に欠片の興味も抱かなくなった主の背を追いながら、内心の恐怖を必死に押し殺していた。
低位の吸血鬼どもは気づいていないが、主であるクリスタルはその表面にうっすらと夜を纏っていた。
影ではない。
主の、青白ささえ感じる真っ白な肌の上を漂う冷えた夜気。
高位吸血鬼の本能で理解できる。
それがどのような御業なのかはわからないが、主は、クリスタルは変わった。その根底から、本質までも。
(失敗した。失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した)
テイム。テイムと言った。糞。畜生。受けるべきだった。反論などすべきではなかった。
主に、真祖に見限られてしまった。あの提案はきっとあの一度だけだ。そうに違いなかった。クリスタルの失望した顔がレイディの脳に刻み込まれている。
――あれは、
人間という下等な餌に隷属しろというアレは。
そして、試された。自分がクリスタルに仕えるに相応しいかどうかを。ゆえに説明から詳細は省かれた。
嗚呼、畜生。畜生。畜生。時間よ戻れ。戻ってください。お願いします。
レイディは、自身に視線も向けなくなった主を追いかける。ずっとずっと。塵になるそのときまで。
先の、5分にも満たないやりとりを、その生涯に渡って後悔することを予感しながら。
◇◆◇◆◇
夜を纏うことで自身の能力を上昇させているクリスタルが、セイメイに隷属する者に、自邸の吸血鬼を追加しようとしたのは、これまでの自身の行いから来ていた。
――クリスタルは、少数派である。
セイメイのテイム枠。その半数を占める二体のモンスターからクリスタルは嫌われている。
それは次元精霊であるシリウスを殺しまくっていた過去があるためであるし、シリウスの忠告まじりの愚痴を聞かされていた絡繰
加えて、同じ人間枠の聖女アレクサンドラはクリスタルの不倶戴天の仇敵だ。
人間が三人集まれば派閥ができる。
セイメイのテイム枠は5。活用されている4枠のうち、3名の隷属者たちがクリスタルの敵対者だ。なにか意見を隷属者たちでセイメイにあげる場合、自分の提案は他の三者によってすり潰される危険がある。
それは偏在によって数を増やせようが意味がない。セイメイからすればクリスタルは何人いようが一人のクリスタルでしかない。
ゆえにレイディをセイメイに与えようと思っていたのに。
背後にどうでもよくなった美貌の侍女頭がいることを全く意識しないクリスタルは、ときおり見かける吸血鬼どもを見るも、どいつもこいつもクリスタルからすれば有象無象の雑魚だらけである。
正直、自分に忠実であれば誰でも良いのだが、その誰でもが見つからない。
なお、姉を紹介する気はない。姉にセイメイはもったいなさすぎる。
同様にアイオライトたちのような吸血鬼どももセイメイには推薦しない。あれらの小賢しい生き物は忠誠とはまた別の、複雑な忠義を真祖に向けているからだ。
セイメイにテイムさせたならば最悪、あいつらは謀略のためにクリスタルを切って、アレクサンドラと手を結ぼうとするかもしれない。
欲するのは味方だ。敵を増やしたいわけではないため、そういう計算できない部分をクリスタルは好まなかった。
「お、お嬢様……は、はわわわわわわ」
そんなことを考えていれば、どべしゃ、とメイド服を来た下女がクリスタルを見て、廊下ですっ転んでいた。スカートがめくれて、真っ白なパンツとそれに包まれた尻がクリスタルの目に入ってくる。
「お、お前! お嬢様に向かって!! 無礼な!!」
失態を取り返したいのか、レイディが声を上げてメイドを怒鳴りつけようとするのをクリスタルは片手を上げて制した。
「この際、道化でもいいか……」
「お、お嬢様!?」
レイディの声は無視をする。
そうだ。クリスタルが考えることはアレクサンドラも考えるだろう。
下手にセイメイのテイム枠を残すと、アレクサンドラが自分の知り合いをねじ込んで来かねないのだ。
目の前の少女の能力に不安は残るが、アレクサンドラ派閥が増えるのを抑えたいクリスタルとしては自分に忠実ならもはや誰でも良い。
もちろんテイムされればセイメイに傾倒するだろうが、それでもクリスタルとの上下関係は残る。
自分に逆らったり、セイメイを独り占めしたがるようなら最悪、殺してしまえばよかった。
目の前の駄メイドより、クリスタルは強いのだから。
「お、お嬢様、も、申し訳ありませぇん」
ふにゃふにゃの謝罪を聞くクリスタルは、あまり賢くなさそうだが、下手に考える脳がない方が自派閥の一票として使えるかもしれないと決断した。
「ねぇ、お前」
「は、はいぃぃ。お嬢様」
誘うように、歌うようにして、クリスタルは言葉を投げかけた。
「お前、人間にテイムされなさい」
威圧感はない。恐怖もない。ただの命令だ。
それでも、その言葉には逆らえない気配が添えてある。
「う、あ……」
「何? 文句ある?」
「よ、喜んでぇぇえええええ!!」
パンツ丸出しで転んだままの少女は、何も考えずにクリスタルの言葉を快諾した。
下女とはいえ、本邸で働く吸血鬼だ。本国の貴族の娘であることは確定している。それが
快諾するしかなかったのだ。怖かったから。恐ろしかったから。逆らえなかったから。
本邸の侍女頭の一人であるレイディほどの高位貴族であれば、真祖というものがどういうものか教育を受ける。受けられる。
だがこの少女ぐらいの下位貴族ならば、真祖というものは、仰ぎ見る巨大な山脈であり、底の見えない海であり、霧深い山に座する神の気配のようなものだった。正体不明。自分たちを踏みつける巨大な力。血の支配者。
ゆえにどんな命令でも、喜んで服従することしかできない。逆らうという選択肢がない。
自分ができなかったことをやってのけた下女を呆然と見ている、完璧な侍女頭に向けて、クリスタルは嘲笑だけを与えてやった。
レイディ。思い上がった馬鹿な小娘。ねぇ、
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