040 エピローグ 聖なる少女は人の滅びを夢描いて
大きな白い平皿の上で、ほこほこと湯気を立てるホットケーキのタワー。
その天辺に乗せるのは牛系魔物から採取した牛乳から(クリスタルが)作ったバターだ。
さらにどばっとぶっかけるのは蜂系魔物から入手した蜂蜜。
(魔物素材の中でも食品系は高額で取引されるものになるらしいが……俺は売ってる店に入れたことないからなんも知らないけども)
賞味期限切れのホットケーキミックスで作ったホットケーキがバターと蜂蜜で極上の味に変化する。味見は終えているのでたぶん問題ないだろう。
そんなことをしていればサーシャが「セイメイくん。そういえば――」と何か言い出した。
ちなみに、その直前に二人が小さな声で何か「吸血鬼、貸しにしてあげるよ。せいぜい恩に着てね」「何よ貸しって、っていうかアタシ、アンタのこと認めたわけじゃ――」言っていたような気もするが、ホットケーキの準備をしていた俺には二人の話は聞こえない。仲良さそう。つか美少女同士の絡みとかオタクが見たら喜びそうな絵面である。
とはいえ、俺の注目はほこほこと湯気を立てるホットケーキである。
自信作を見て満足げに、うむと頷いた俺は、初めて会ったにも関わらず十年来の友人のようにも見えるサーシャとクーの前に皿を置いてから、大皿の上のホットケーキを切り分けて、盛り付けてやった。
ついでにサーシャが共有インベントリを通じてプレゼントしてくれた茶葉で紅茶も淹れてやった。
器用ステータスが12程度しかない俺だが、12もあれば十分に美味しい、喫茶店並のホットケーキと紅茶が淹れられたような気がする。
これで、クーへの詫びになると――。
「セイメイくん。あのね。人間をテイムするのって犯罪じゃないみたいなんだよ」
――ホットケーキを前に、サーシャがそんな言葉を言った。
一瞬、理解を拒んだその言葉を、ゆっくりと噛みしめた。そうしてからサーシャに言葉を返す。
「ええと、マジで? 人間へのテイムって犯罪じゃなかったの?」
それは驚きというか、俺が二人のテイムを解除するための理由の半分以上を失わせるものであった。
えええ、と口を半開きにする俺に対してサーシャは言葉を重ねていく。
「うん。調べたけどそんな法律なかったよ。クリスタルさんの勘違いだったんだよ。ね、クリスタルさん」
えぇ……勘違いかよ、と俺はびっくりしたようにクリスタルを見る。
クリスタルは「んん……そう、かも。私も聞いただけだからちゃんと調べたわけじゃないし……んん……あの、犯罪じゃなかったらセイメイは、その、テイムを解除しない?」とおずおずと聞いてくる。
少し、考える。
「ん、あー、まぁ犯罪じゃないなら、別に、解除する理由は……あー? もう一度聞くけど、人間をテイムしてて街に入ったらそのせいで捕まるとかないんだよな?」
「うん、ないよ。絶対にない。
「お、おう? そんな強く言うほどのことか? 俺、未成年だし、捕まるとしても、罰則って罰金ぐらいじゃねーの?」
言ってて、どうなんだろうと思ってしまうが、サーシャがそんな法律ないって言うならそもそも仮定することにすら意味はない……んだよな?
「いや、悪い。罰則とか存在しないなら、全然大丈夫だよな」
ホットケーキをナイフで切り分けながら、うーむ、と唸る。
なんか、今まで悩んでたことがほとんどなくなった感じではあるんだが……拍子抜けたような感覚だ。
あ、いや、でも。
「あー、解除はしてもいいんじゃないか? 俺、テイム枠空けたいんだよ」
◇◆◇◆◇
「解除はしてもいいんじゃないか? 俺、テイム枠空けたいんだよ」
その言葉に、サーシャことアレクサンドラはセイメイに向け、にっこりと――しかし真実笑っていない――笑みを向けた。
「どうしてそんなこと言うの? セイメイくんは、私のことが嫌いなの?」
「え、い、いや、別に契約しててもしてなくても、友達は友達だろ?」
「でも、セイメイくんがテイムしてくれなかったら、私、三回殺されただけで死んじゃうじゃん」
セイメイに隷属する特典としては現在、共有インベントリやサーフェイスといった便利アプリの存在が先に出るが、一番強力なものは、生命強化という隷属対象の命そのものを強化する特性だ。
それはHPを100%上昇し、命ステータスを+1する強力な特性。
取得にステータス調整が必要だったぐらいの、テイムの第三特性に相応しい特性である。
テイムされていれば、サーシャはHPの増加によって攻撃されても死ににくなるし、もう一度だけ死ねるようにもなる。
「いや、誰がアンタを殺せるのよ」
クリスタルがぼそりと呟くも、アレクサンドラは即座にクリスタルの足に――セイメイから見えない位置である――小さな十字架を生成して突き刺した。
「ッ――」
「え? クー? どうした?」
HPの過半を消し飛ばされかけ、クリスタルが慌てて表情から苦痛を消してなんでもないように振る舞った。
「む、虫がいただけだから」
「虫? クーが虫を怖がる?」
「ちょっと! アタシだって女の子なんですけど!!」
「す、すまん。そ、そうだよな」
怒鳴られてセイメイがクリスタルに謝罪する。
嘘つき血吸い蛭とサーシャが音を出さないように呟いた。
実際、クリスタルは虫程度ならなんの興味も嫌悪も持たずにスルーするだろう。
そんなアレクサンドラをクリスタルは睨みつけ、小声で罵倒を呟く。「誰のせいだと……」ふとセイメイにアレクサンドラの所業を暴露してやろうと思うも、口ごもる。
それはクリスタルの脳内に不安が生じたせいだ。
クリスタルはアレクサンドラと信用勝負をして、勝てるかわからなかった。
常ならば自分が一番だと思えた。
だが先程の戦いを思い出せば――死んではいないが、実質敗北した戦いを――セイメイに対して、自分の優位を主張できなかったのだ。
それに、今ここで争ったら確実に殺される。
逃走不可の狭い空間でアレクサンドラと接敵した場合、現在のクリスタルでは抗えない。
ぐぬぬ、とクリスタルは歯噛みした。
「それでね。セイメイくん」
「ん、あ、ああ、それで?」
隣でセイメイとアレクサンドラがテイムに関する話をしている。テイムの解除をさせないための説得を重ねていくのだろう。
(セイメイの前じゃ媚びた顔しやがって)
内心の不満を押し隠したクリスタルはコウモリを作り出して、部屋の外に解き放つ。
偏在スキルを用いて、部屋の外に本体を一つ作るためだった。
これで殺されても、いつでも復帰できるだろう。もちろんむかつくから殺されたくはない。
クリスタルが内心に不満を積み重ねつつもいつでも戦えるように準備を整える中、アレクサンドラはセイメイに言葉を重ねていく。
教会で一人でいると不安。セイメイといつでも連絡がとれる隷属が必要。シリウスとも友達になったし。セイメイは嫌なの? などなど。
その会話にクリスタルは疑問を抱く。
「ちょ、ちょっと! いつでも連絡がとれるって何? っていうか、思ったんだけど、なんか、変よね?」
「変って?」
「なんで、コイツ。こんな都合よく出てきたの?」
「人を指ささないでよ。クリスタルさん」
「ああ? そういうアンタだって人に向けて」
「お、おい! 喧嘩するな! 埃が立つだろ! 俺のホットケーキが汚れる!!」
セイメイが慌てて仲裁に入り、こうしてクリスタルもセイメイが作ったサーフェイスアプリや、インベントリの共有などを知ることになる。
いちいち驚き、セイメイを褒めつつも、その中でテイムの継続に関しての約束をセイメイは二人の少女によって結ばされてしまうことになる。
(なんとか、なったね……)
クリスタルが興奮しながらサーフェイスを使用し、セイメイと会話をするのを横目にアレクサンドラはうっすらと笑う。
綱渡りの連続――というわけではなかった。
クリスタルとの戦いは困難であったものの、勝てる勝算はあった。
あれほどの邪悪と死力を尽くせば、自らの刻印が深度を上げるのは明白だったからだ。
ゆえに最初に砂塵結界で眷属を消し飛ばしたあとは、眷属の再召喚をできないように戦うだけでよかった。
だからか、マウント合戦の勝率は九割を想定し、アレクサンドラは戦っていたのだ。
問題は、そのあとのセイメイの説得だ。
この少年の適当さ加減をアレクサンドラは知っている。
最悪、二人まとめて契約を解除される危険性があった。
クリスタルと違い、アレクサンドラには婚約指輪というセーフティーはあったものの、それとて絶対ではない。
セイメイがアレクサンドラの予想もつかない手段を使って指輪を奪ったり、クリスタルを使ってアレクサンドラの指輪を外させるなどの強引な手法を用いる可能性はあった。
しかし、説得はなんとかなった。
人間へのテイムは法に触れないという言葉一つを言えばなんとかなるという確信はあったものの、それでもこうして成功したことでアレクサンドラはほうっと安堵の息を吐いてから、まだ少し温かみの残っているホットケーキに手をつける。
(ああ、やっぱり、美味しい。本当に)
セイメイが前にいるというだけで、教会の食事の億倍は美味しかった。久しぶりにものを食べているという実感をアレクサンドラは得ていた。
(嗚呼、やっぱりセイメイくんじゃなきゃ……)
孤児院時代の百倍の値段がするだろう食事が教会では出る。だがどんな美食を並べられようとも、汚臭と無臭の入り混じったあの教会での食事は最悪の一言しか感想が出ない。
セイメイの匂いを堪能しつつ、ホットケーキを口にし、蜂蜜の甘さを紅茶で喉に流しながらクリスタルを横目で見るアレクサンドラ。
(この子、邪魔なんだけど……むぅ……しょうがない、か)
アレクサンドラがクリスタルの契約を継続させたのは、保険のためだ。
アレクサンドラに婚約指輪がある以上、セイメイが少女たちとの契約を切るならクリスタルが先に切られることになる。
だからアレクサンドラはクリスタルを残すことにした。
クリスタルが切られたことが事前にわかれば、アレクサンドラは自分の契約を守るためのアクションがとれるようになる。
そう、隷属契約の
アレクサンドラは、セイメイのことが大好きで、全ての行動原理はセイメイのためで、何をするにもセイメイのことを考えるぐらいにはセイメイに夢中だったが、それはそれとしてセイメイという少年の人格に関してはほとんど信用していない。
知識と精神のステータスが上がったからわかることもある。
セイメイは嘘をつかない。
そしてアレクサンドラも先程、セイメイに対して嘘をつかなかった。
セイメイに嘘をつきたくなかったから。
あの言葉。テイムに関する法律が見つからなかったという言葉。
あれは嘘じゃない。
――あれはただ、真面目に探さなかっただけのことだ。
だから嘘はついてない。ちゃんと法律を探せば、テイムに関する法律は見つかるだろう。だからアレクサンドラはわざと見つけなかったのだ。
セイメイに嘘をつかないためだけに。
そして己が嘘をつかないために、嘘に対して鈍感になっているセイメイはまんまと騙されてくれたのだ。
このやり方は、セイメイは教えてくれたものだ。
(セイメイくん。園長先生の追求をかわすとき、こうやってたもんね)
人間は人間に囲まれると、どうしても嘘か、嘘に準ずることをしなければ自分の利益を守れないことがある。
孤児院で暮らしていたときにはたびたびそういうこともあった。
だけれどセイメイはその全てを嘘をつかずに乗り切った。
(前はこういうやり方をやってるとか、理解できなかったけれど……)
アレクサンドラはほっと息を吐きながら、紅茶に口をつけ、懐かしい記憶を思い出す。
セイメイは嘘をつかないために、やらなくていい努力をやっている。
それを今のアレクサンドラは理解している。
セイメイは正直者ではない。
ただ嘘をつかないだけの人なのだと。
加えてアレクサンドラはセイメイのどうしようもない駄目な部分も知っている。だらしなくて、どうしようもない、駄目な男の子だとも。
セイメイのことは昔のようには思えない。思っていない。
ただただ素敵な男の子だった、あの頃のセイメイのようには思っていない。
セイメイは言った。自分が外に出たら、他に好きな男ができるだろうと。
そうだ。アレクサンドラは外を知った。
それでも……――それでも。
(それでも好きなままなんだから、しょうがないよね)
――運命の相手なんだ。この男の子がわたしの最愛。
百年後の未来をアレクサンドラは夢見る。
そう、この星のすべてのニンゲンモドキどもの命を殲滅したあとに、セイメイと二人きりで、小さな家で暮らしているのは、自分だけでいい。
柔らかで、暖かで、良い匂いのする未来。
そんな揺蕩いの白昼夢を、夜の廃墟でアレクサンドラは見る。
◇◆◇◆◇
一部終了。これにて更新は終了です。
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