039 愛の証明【そのホットケーキは誰のもの?】


 俺はセーフハウスで寝転びながら眠らずに思考を続けていた。

 ふわふわとした、暖かな影の子狼を胸元に抱きしめながらぽつりと思いついたことを呟く。

「よく考えたら、クーに悪いこと……したかもしれない」

 びっくりしたような顔をして俺を眺めてくる子狼。人間ぐらいの知能はあったかなと思いながら俺はふわふわの子狼を抱きしめる。

「迎えに……いや、それじゃあ本末転倒だしな」

 クーのためにも俺との別れは必定なのだ。

「クーの奴、小卒はまずいだろ。流石に」

 というか、俺だってまずい。幼稚園卒業、小学校中退ですとか履歴書に書けない。せめて高校。最悪中学でもいいから学校を出ておきたい。

「履歴書に書いた内容って調べられるのかなぁ」

 適当に書いた場合、バイトぐらいなら調べられないだろうけど、有名企業とか公務員だったら調査されそうだし。

 そもそも俺は嘘つけないから履歴書に幼卒って書かないといけないわけだし。

「幼卒の浮浪者って肩書はレベル60テイマーで覆せるのか?」

 呟いてみるも、答えはない。子狼がなんだか微妙な顔で俺を見ている。

「学歴関係ないもんなぁ眷属は」

 気楽なもんだよ、と思いながら俺はふわふわのもふもふを堪能する。顔を毛皮に押し付ける。あー、ふわふわしてる。温かい。

「せめて病気になっても気軽に医者にかかれる身分になりたいよな。かかりつけの歯医者が欲しいぜ」

 俺の歯ってこのサバイバル生活でどうなってんだろ。歯磨きはしてるけど虫歯大丈夫か? ホワイトニングできるのか? あと体力値上げてるけど寄生虫とかいないよな?

 こんな環境じゃあインフルエンザにかかっても誰も看病してくれないだろうし、いや、逆に感染症は大丈夫か。誰もいないわけだから。

 とはいえ、変な病気にかかって……今更ながらに一人になると将来が不安になってきた。

 レベル60なら都市に侵入してスラムで暮らしても大丈夫なんだよな? わからんぞ。困った。

 っていうかそもそもの話、犯罪者たちが集まるスラムがあるって噂を聞いた程度で、本当にあるのかも俺は確認していないのだ。

「そろそろ俺も東京に……いや、でもとりあえずやることはやらないと」

 クーもいないし、護衛のモンスターの育成は必須だ。次元精霊のシリウスと絡繰鉄馬バイクのバイクだけじゃあチンピラに絡まれたときに不安である。

「何育てるかなぁ」

 その前に使い捨てスズメバチくん枠を考えるとまず、クーとの契約は解除しないとなんだよな。

 今の俺の隷属枠、サーシャ、クー、シリウス、トロイと使い捨てスズメバチくん枠で全部埋まっちゃってるし。使い捨て枠はせめて2枠はほしいところだ。

 魔法刻印アプリのサーフェイスがあるから、だらだら時間かけてりゃ刻印が深度を上昇させてⅣになってテイム枠増えるかもなんだけど、それだとちょっと効率悪いし。

 人生の効率……いや、まだ俺9歳だからな。そんな歳じゃねーわ。

「まずクーとの契約を解除しないとなぁ」

 呟いたら子狼が腕をガジガジと甘噛み――じゃなくて本気噛みしてくる。ちょっと痛い。とはいえ、クーの眷属がいるときに話すことじゃなかったと、ごめんごめんと「ま、そっちもちゃんとしないとな。離れて冷静に考えたらああいう別れって普通に最悪だと思ったわ」と子狼に謝罪する。

「はー、どうすっかなぁ」

 寝ている気分になれなくて立ち上がる。保存食の中になにかないかと探せばホットケーキミックスを見つける。賞味期限が切れているが、まぁ大丈夫……大丈夫だな。体力値20もあるし。

(20って腐ったもん食っても大丈夫らしい数値だし)

 体力値20は銃で撃たれても皮膚を弾丸が貫通しない数値でもある。

「ホットケーキ作るかぁ。卵、あったっけか」

 無精卵は命じゃないからインベントリに収納可能である。あったかなぁ、と俺はインベントリを調べてみることにした。


                ◇◆◇◆◇


 戦闘は続く。真昼のごとき結界内でクリスタル・ブラッドプールが自身に宿る莫大な魔力を消費し、スキルを発動した。

「領域生成ッ!!」

 クリスタルを中心とした、不自然に影が濃い、沼地のような空間が光に砂の結界内に生成された。

 それは影魔法の第四特性、影の領域だ。

 これによってクリスタルは砂塵結界によるダメージを微かに減らすことができた。また、影魔法の弱体化を防ぐこともできている。

 だがそれでも、婚約指輪によってクリスタルよりも優位のステータスを持つアレクサンドラを押し止めることはできない。

「ぐッ――! アナタねぇ!! 鬱陶しいわよ!!」

 クリスタルは影の領域を生成した一瞬の隙に踏み込んできた太陽の聖女アレクサンドラの拳を小さな腕で受け、HPを減らしながらも、影の領域によって以前の威力を取り戻した影の矢を放ち、防御したのとは逆側の拳を振るい、対処しようとする。

 対するアレクサンドラはダメージを受けながらも元気にクリスタルに連撃を放ってくる。

「甘い! 甘い甘い甘い!! こんな実力でセイメイくんを私から奪えると思ったの!?」

「奪う!? 私のものなのよ! セイメイは! 最初から!!」

 アレクサンドラと違い、クリスタルのそれは虚勢に近い叫びだった。

 影の領域を作って影の魔法の火力を底上げしたものの、砂塵結界のダメージが積み重なっており、クリスタルのHPは残りわずかだ。

 それに領域の生成はできても眷属を新しく生成するほどの隙をアレクサンドラは与えてくれない。偏在による延命ができない。

 偏在は知られていないはずだが眷属の生成を警戒されてるのは強力な吸血鬼であるアイオライト・デッドリィを殺した瞬間を見られていたのか、それともその部下の吸血鬼やカオスオーダーを殲滅した手腕を把握されていたのか。

(偏在とは別口の警戒っぽいけど! 厄介ね!!)

 長時間というわけではないが、それでも短くない戦闘時間によって今のクリスタルの肉体にはほとんど力が残っていない。

 強力なスキルである砂塵結界――それに加えて恐るべきはアレクサンドラとの相性の悪さ。

 このままでは何もできずに殺されることになる。

 偏在によって命は保証されていながらも、クリスタルにとってこれは絶対に負けられない戦い。

「ちぃッ――これでも喰らいなさい!!」

 追い詰められたのか。影の羽を加工し、鋭い刃と変えながらクリスタルは悪あがきのようにアレクサンドラに向けて羽をブーメランのように射出する。

「効くわけないよッ!」

 アレクサンドラの拳によって金属音を立てながら明後日の方向へと弾き飛ばされる二枚の羽のブーメラン。

 影魔法の手数がこれで減少する。とはいえ、かなりの力の籠もったそれによってクリスタルはアレクサンドラから距離を取れた。

 この隙になんとか結界から脱出しないといけない。

「い、嫌よッ! アンタなんかに、負けられるわけがッ!!」

「うるさい――負けろ・・・!!」

 クリスタルに対して叫んだアレクサンドラの手に浮遊する巨大な十字架が出現する。アレクサンドラの手の動きに沿ってそれはブンブンと轟音を立てて、大剣のように振り回される。それは今まで見たことがなかった攻撃。新しいアレクサンドラの攻撃。

 それが意味することは――つまり。

「は――何よ、それ」

「えへへ。セイメイくんがおすすめだって」

 本気の戦闘。本気の殺し合い。才に愛された者が死力の果てに掴む力。

 戦う前は第二スキルまでしか取得していなかったアレクサンドラ、その第三スキルの覚醒である。

 加えて、スキル取得も、セイメイによって与えられたSNSアプリによる魔法刻印操作の慣れによって戦闘中にアレクサンドラは行っていた。

「いつの間にスキルなんて!? くッ、この! 規格外がッ!!」

 なんで、とクリスタルは嘆く。なんで! なんでよ! なんで、ようやくセイメイを手に入れられると思ったのに! 血の本質、魂の価値、命の手触り、刻印深度がⅢに到達するほどに捕食者としての力を高めたのに。

 こんな化け物・・・とこんな場所で戦うなんて! ここで覚醒までするなんて!!

 クリスタルの悲嘆。だが当然ながら、覚醒にはクリスタルの存在も関わっている。人類絶滅級の邪悪と世界によって判断されたクリスタルと死闘を繰り広げているからこそ、聖女の魔法刻印はこれほどまでに短期間の成長を果たしたのだ。

 聖女の魔法刻印。そのカテゴリーは『世界救済』。レイドボスに対抗するために人類に与えられた力である。

「私が習得した『十字架』スキル。その第一特性は『神聖力特大増幅』」

 アレクサンドラの呟きが死刑宣告のようにクリスタルに与えられる。

 アレクサンドラの手以外にもその周囲に生成された追加の三本の巨大十字架から力が発せられ、アレクサンドラの神聖ステータスは大幅に強化されている。

「ふふ、はは、ははははは! さぁ! 負けろ! 負けて私の下につけ!! 吸血鬼!!」

 神聖力の高まりによって影の領域によって弱められた砂塵結界のダメージが、抑えられないぐらいに強大化した。

 セイメイの眷属強化スキルによって高められたクリスタルのHPも長時間の戦闘によって限界まで削られきっていた。

 この窮地を脱する手段はない。クリスタルに勝利の目はなにもない。

「ぐ、ぅぅ――!! あああああああああ!!」

 クリスタルの悲鳴。苦し紛れに影の矢を放つもそれらはアレクサンドラが展開した十字架によってすべて防がれる。

「負けて! 負けてたまるか!! 負けて――!!」

 まるで指揮棒を持ったかのようにアレクサンドラの動きに従って、巨大な十字架が天を向いた。

 そして、手刀が振り下ろされ、十字架もまたクリスタルに向かって落下した。

「畜生! 畜生!!」

 クリスタルが展開した影の領域から、クリスタルの死力によって大量の影の槍が生成され、十字架を押し留めようとする。

 だが四本の巨大十字架はクリスタルの抵抗など知ったことかとばかりに影の槍ごとクリスタルを押しつぶした。


                ◇◆◇◆◇


「ふふ、あはは! あははははははははは!! 勝った! 勝ったよ! セイメイくん! 私の方がアレより絶対に優れてるよね!! ははッ! ははははははははッ!!」

 巨大十字架が自動的に浮き上がり、影の領域が消滅していく。眼の前のクリスタルが死んだことでアレクサンドラは笑いながら両手を天に向け、己の力に酔いしれた。

 絶対に殺した。確実に殺した。アレクサンドラはクリスタルを潰したことを、強敵の命を奪った感触をスキル越しに感じている。

 クリスタルを殺したことで目的を達したと判断したアレクサンドラによって砂塵結界が解かれていく。

 敵は殺した。命ステータスは残っているだろうから蘇生地点で復活しているだろうが、それでも勝ったのはアレクサンドラだった。

 ふふ、とアレクサンドラは自分の方が上だと確信し――殺気に振り返った。

「は――? なんで?」

 振り返った先には、クリスタルが立っていた。影の領域を展開し、手には八体の触腕が蠢いている。

 油断も何もない、完全な戦闘態勢。

「ん、あー、蘇生地点を変えたのかな?」

「アンタは知らなくていいことよ」

 クリスタルが苦し紛れに飛ばしたように見えた羽の刃の片方が、眷属化させた羽だったことは言わずに、偏在スキルによって新しく生み出されたクリスタルは影の矢を生成していく。

 羽を眷属にするのは賭けだった。気づかれれば終わっていたからだ。

 だが猛撃を仕掛けてくるアレクサンドラの前で新しく眷属を作り出すのは不可能だった。

 だから、攻撃の手数が減ることを覚悟して、既に形になっている影の羽を眷属へと変えた。

 無論、命の形をしていないものを眷属化するのは普通の吸血鬼には無理だ。

 だがその程度の無理など、セイメイのボタンで練習済みだったクリスタルにとってはどうでも良いものであった。

 乙女の執念が生んだ戦術の勝利である。

「2ラウンド目よ。私がお前に勝って、セイメイにお前より私が優れていることを――」

「いいよ、どういう理屈で蘇ったか知らないけど、お前をぐしゃぐしゃに、何度でも、何度だって踏み潰して、私の方が上だって――」


 ――『証明してやる』


 四本の巨大十字架がアレクサンドラの周りを浮遊し、砂と光の結界が再び展開されようとする。

 新しく生み出された偏在。洗脳は前の個体だけの状態異常。今のクリスタルは正常だ。

 しかし殺意によってクリスタルは狂っている。大量の魔力を注がれた影の領域は洗脳時よりも殺意を増していく。先程よりも明確に、明瞭に相手の殺害をクリスタルは意識していた。

 展開された影の矢に込められた魔力はそのオーラが可視化できるほどに漲り、発射のときを今か今かと待っていた。

 聖なる少女と影の少女による本気の殺し合いが――瞬間、ぱっと砂塵結界の展開が止まる。影の矢が消滅し、殺意を増していた影の領域が沈静化する。

 少女二人が同じ場所を見ていた。

 空間に亀裂が走っていた。そして小さな少年の手がその亀裂にかかっていた。

 亀裂が広がり、少年の顔が出てくる。恐る恐る彼は周囲を見渡して、モンスターや殺意に満ちた吸血鬼などがいないことを確認してほっとした顔をした。

 少年はセイメイだった。

 セイメイはアレクサンドラを見て「ん? サーシャ? あれ? ああ、そういや召喚してたよな」と呟き、そうしてから周囲への警戒をしつつも――瞬時に影の魔法を展開したクリスタルが、セイメイが視線を向ける前に自身が生み出した大量の死体を影のミキサーで塵にした。証拠隠滅完了である――、亀裂から身を乗り出し、出てくる。

 そうしてクリスタルの正面に向かって歩いてきて、正面に立ち、気まずそうな顔をしつつも口を開いた。

「あー、えっとな。クー」

「うん? 何?」

 ツン、とすねたようなクリスタルにセイメイは「あれ? 迎えの人たちは?」と思い出したように聞こうとするもクリスタルが「あいつらは先に帰らせた。それで、何よ」と不機嫌そうに見せかけた上機嫌で問いかける。

 クリスタルはついでに足もとの石ころを蹴って、不機嫌ですという仕草をしてもみせた。

 セイメイはそれを見て、流石に気まずいのか、少し躊躇しながらも正直な気持ちを語る。

「あー、さっきはなんか、悪かったな。その、お詫びっていうか、ホットケーキを焼いたから……」

 呟いて、空を見上げて「夜だけど……あー」と気まずそうに「食べる、か?」とおずおずと問いかけてくる。

 クリスタルはそれを聞いて、にんまりと笑ってみせた。

 本人は不機嫌そうに見せていると思っているものの、表情はまるっきり別のものだった。年相応の少女の顔だった。

「ふーん、セイメイのくせに悪かったと思ってるんだ」

 偏在が聞いていたセイメイの独り言で既にだいたいのセイメイの事情を察しているクリスタルがにやにやと笑いながら聞く。

「あー、いや、ちゃんと話そうと思ってさ」

「ちゃんと、ねぇ」

「あの! セイメイくん!! 私には? ほっとけーき!」

「え、あ、うん。たくさん焼いてあるから」

 アレクサンドラのことを完全に忘れていたセイメイがそんなような言葉を返せばアレクサンドラはにっこり笑いながらセイメイへと近づいていく。

 明らかにクリスタルに先んじようとしている動きである。

「ちょ! 私のためにセイメイが焼いたんでしょ!」

 クリスタルがそんなアレクサンドラに対抗しながらセイメイへと近づき、その手を取ろうとする。

 キャーキャーワーワーと叫びながら少年少女たちが次元魔法が作り出した亀裂の中に入り、消えていく直前。

「ん、鑑定された、か? なんだ? モンスターでもいるのか?」

 まあいいかとセイメイは自身の鑑定を無視した。隠すようなことは何もないという、自身を過小評価した呟きだった。

 だが亀裂を消滅させる直前、ぎゃん、と誰かが影の槍に貫かれて死亡した。吸血鬼の逆鱗にその誰かは触れたのだ。

 そんな勇気はあったが迂闊なカオスオーダーの宮坂アオイを最後の犠牲者として、この世界の重要人物が大量に死んだ最悪の夜は幕を閉じる。




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