038 愛の証明【貴方だけが私のすべてなのだと】


 聖女アレクサンドラが結界を展開した瞬間――クリスタルの腕に絡みつかせていた九体の眷属が消し飛んだ。

「……――ッ!? 何がッッ」

 クリスタルはアレクサンドラから飛び退ろうとして、身体の重さと体力HPの減少に気づく。

 熱せられた鉄板に落ちた水が蒸発するかのように、急速に、クリスタルのHPが削れていく。

 クリスタルは己のHPが減少していることで、眷属が消滅した理由を即座に理解する。

(焼けるような痛さ。それに足が重い。この結界の効果は移動阻害と継続攻撃かッ――!)

 加えて攻撃の種類も即座に看破するクリスタル。火力ダメージ上昇アップのために魔力と知力に極振りしているために体力ステータスは1しか設定していないとはいえ、一秒もかからずに九体の眷属が始末されたならばこの結界の攻撃の種類は魔法ダメージだ。

 ならば、とクリスタルはこの場から一旦逃げるのに加え、この肉体を滅ぼされたときの保険のために眷属を生成しようと魔力を練り――構成は最大HPと速力の確保のために体力。対魔法ダメージ対策に精神。この結界からの逃走用に反射能力を高める速度。その三種ステータスにポイントを振る――、思考途中で行動を停止する。


 ――駄目だ・・・


 聖女アレクサンドラの視線は、クリスタルが不用意に動けばそれだけで意図を捕捉されるぐらいには鋭い。

 というよりも、それなりに頭が回る相手だと偏在用の眷属生成はよく考えて使わなければ意図を把握され、行動を阻止されると考えて良いのか。

 実戦と実践。クリスタルのスキルへの理解が磨かれていく。

(最悪、セイメイのとこにいる本体を使ってもいいんだけど)

 それだとこの場の自分は負けることになると考え、とりあえずその選択肢は排除する。

 アレクサンドラと同じように、クリスタルもアレクサンドラに負けるわけにはいかなかった。

 アレクサンドラにとってのクリスタルがそうであるように、クリスタルにとってもアレクサンドラは知恵と力を振り絞り、限界を超えてでも打倒しなければならない相手だった。

 でなければ、セイメイから、あの女よりも劣る・・と思われる。

 もちろんセイメイは強さをそこまで重要視していないが、普通の感性を持っているので、強さが明らかになればそういう比較はされる。

 愛する少年の価値観の中で、あの女の風下に立たされることにクリスタルは我慢ができない。そうであったならば絶対に暴れる自信があった。

 なお秘密にしてればこの勝負がバレないなどは考えない。自分ならアレクサンドラの上に立ったら、自分がアレクサンドラより強いことをセイメイにバラすからだ。

 そしてそれはアレクサンドラも同様だということは同類のクリスタルにははっきりとわかっていた。

 結界内ダメージによってヒリヒリと皮膚が痛む。それでも思考を一秒もかからずに終えたクリスタルはアレクサンドラに問う。

「何よ、これ」

「結界のこと? 知らないの? セイメイくんに聞いてない?」

「アンタのことも今、初めて知ったんだけど」

 クリスタルの問いに答えながら急速に距離を詰めてくるアレクサンドラ。(先手を取られた!? 反応速度で負けてる!?)距離を詰めると同時に振るわれるアレクサンドラの少女然とした小さな拳をクリスタルも小さな拳で弾き、羽の先から生成した影の矢を連射して距離を取ろうとする。

 日輪の光が明滅し影魔法の威力を弱める。結界がクリスタルを焼き、体力を減らしていく。

 吸血鬼とはいえただの日光程度ならクリスタルは完全な耐性を持つがこの光に込められたものは魔滅の光だ。それが結界に影響しているのか(神聖ダメージ? 痛いわね)体力の減少が止まらない。まずい。早く脱出しなければならない。

「ッ、だいたいセイメイが聞いてないことまで説明してくれるわけないじゃない」

「同感。セイメイくんってそういうとこあるよね」

 夜の闇の下では鋭く、固く、頼もしかった影の矢。だが、この光の下ではアレクサンドラにたどり着くも、影の矢は弱々しく消えていく。防御力を無視する吸血魔法の効果で多少のダメージは与えられたようだが、発生したダメージは低い。

(砂塵結界だったっけ? とにかくこの場から出なくちゃ――殺される)

 この空間は夜を切り開いている。結界の外は夜なのに、この場はまるで真夏の昼のように輝いていた。

 加えて、不可解なこともあった。アレクサンドラには先ほどから吸血魔法で傷をつけているのにHPもMPも回復していない。

 吸血魔法の副次効果が働いていないのだ。

(回復の禁止っぽいけど……ッ!)

 回復禁止。セイメイの入れ知恵だろうか。珍しい効果だ。

 回復特性をもつ魔法刻印の数はそう多くはない。

 だから通常、結界系に優先される効果はダメージアップや範囲拡大などだ。

 聖女が多く所属する学園所属がゆえの対聖女の対策特性だと知らずに、セイメイから吸血鬼対策を教わったのか? とクリスタルは眼前のアレクサンドラを睨みつける。

(埒が明かないわね)

 ちぃ、とクリスタルは先程吸血した血液をばら撒いていく。

 ルシフェルの血はセイメイの血ではないので吸収しようとは思わなかったものだ。ただ死ぬまで吸ってみようと思っただけの吸血行為の産物。影魔法の応用で口内の影に仕込んでいたそれを噴射して霧を作る。

(あとで適当に魔物用の撒き餌に使おうと思ってたけど――)

 体内に取り込んでいないルシフェルの血を霧として利用し、逃走を開始――「逃がすわけないでしょ」――聖女の『虚偽感知』が血の霧を中身を看破、クリスタルの逃走を禁止すべく、アレクサンドラが先回りして動いてくる。

 逃走しようとするクリスタルを先回りして移動したアレクサンドラから放たれる拳。

「とりあえず死んで!」

「死ねないわよ!!」

 クリスタルは逃げ回りながら距離を取ろうとするも、アレクサンドラは次々と拳を繰り出し、離れさせてくれない。

 アレクサンドラの刻印深度はさほど高くなさそうなのにアレクサンドラはクリスタルよりも速かった。

(なんでよ!? どうして!?)

 クリスタルは逃げながらも思考する。コイツ、第一スキルか第二スキルに速度を強化するパッシブ効果でもあるのか。

 それともステータスを速度に振っている? 否、第二深度限界までの40までクリスタルは振っている。加えて20のステータス補正もある。

 同等の魔法刻印だとしても――速度にそれ以上振るほどの余裕があるわけが、ない。

(何しろ。この結界スキル、強力すぎるものね!!)

 神聖や魔力、拳の強さからして神聖にも魔力にも力にもポイントを振っているはずだった。

 アレクサンドラの左手薬指で輝く婚約指輪エンゲージリングの効果を知らないクリスタルはアレクサンドラの正体不明を警戒しつつ、自分より先手先手をとって行動するアレクサンドラと戦いながら廃墟の街を移動していく。


                ◇◆◇◆◇


「ひぃ、ひぃいい」

 カオスオーダーの一人、むっちーは廃屋の一つに潜り込み、窓から外を覗いている。

 足元には召喚した契約キャラクターである『東京路地裏アニマルズ』所属の名犬ラッキーがはっは、とむっちーを見上げてくる。

 この犬のレアリティはRで、投入した魔石は少なく、レベルも高くない。しかも原作に未登場。


 ――頼りない。


 とはいえ、周囲に吸血鬼キャラクターがいるかもと考えれば人間型のキャラクターを出せないむっちーとしては、ラッキーは最後の最後に頼れる存在――というわけでもなかった。

 むっちーの隣には膝を抱えている少女がいる。

 詳細鑑定スキルを持つ女性カオスオーダーである宮坂アオイだ。むっちーよりも年上の彼女は膝を抱えて――「どうしよう。どうしよう」と呟いている。

 彼女がむっちーの希望であった。

「あ、あのぅ。とりあえず脱出しませんか?」

 この場にはむっちーとアオイ以外にも何人かカオスオーダーが避難している。その彼らもアオイを期待するように見ていた。

 だが、その期待は達成されない。

 詳細鑑定持ちなら脱出用のアイテムぐらい持ってるだろう、というむっちーの言葉に、アオイは爪の先を噛み続けながら「も、戻れ、ない」と言ってくる。

「戻れない?」

 え、というむっちーの言葉にアオイは「この勝負がどうなるか見極めないと……まずいよ」と返してくる。

「まずいって、何が?」

「何がも何も、アレクサンドラがクリスタルの討伐に失敗したら、人類絶滅級のレイドが誕生するんだよ?」

 そのアナウンスはむっちーの魔法刻印にも届いている。クリスタルが洗脳されてから届いたものだ。たぶんルシフェルがクリスタルに何かしたんだろう。洗脳のせいかも。とカオスオーダーたちは考えている。

 ルシフェルめ、死んでからも厄介な置き土産をする、と内心で罵倒するむっちー。

「いや、でも、俺ら何の役にも立たないし、っていうか死ぬかもしれないし」

 とにかく主力が何もできずに殺されている以上、二線級のキャラクターを率いてクリスタルと戦う行為は自殺と同じである。

 うさぎが自らライオンの餌になりにいくようなものだった。

 それでもアオイは首を縦には振ってくれない。

「駄目。情報だけでも持ち帰らないと駄目。私が戦闘を免除されてるのって、鑑定ありきだから、ここで情報を持ち帰らずに帰ったら、もう人として信用されない」

 そのアオイは、アレクサンドラの鑑定は行ったのだろうか? むっちーは鑑定結果の共有をしたかったがアオイは何も言わない。

 とはいえ今は生存が優先だ。鑑定結果を追求するよりも逃げたかったむっちーはアオイの説得に言葉を重ねていく。

「い、いやいやいや。クリスタルの鑑定結果だけで十分でしょ。それに、アレクサンドラだって、味方じゃないっぽいし」

 光輝くアレクサンドラを中心に展開される結界スキル。この建物は結界の範囲外にあるが、その光は窓の外から暗闇に包まれた建物の内側に入ってくる。

 アレクサンドラが近づいてこないように、と祈りながら窓より結界を遠巻きに覗き見つつ、むっちーはアオイに返答する。

 現状、影の矢で周囲の生物をピンポイントに殲滅するクリスタルよりも、結界内の生きているものすべてを問答無用で殲滅するアレクサンドラのほうがカオスオーダーたちには厄介だった。

 何しろ範囲に入れば誰もが殺される。誰だって殺される。なんの意味もなく殺される。

 先程も他のカオスオーダーによって偵察代わりに派遣された隠密スキル持ちのキャラクターが結界内部に入ってすぐ死んでいるし、高速戦闘によって移動するアレクサンドラを中心として展開されている結界によって巻き込まれ死するカオスオーダーも幾人かいた。

「げ、原作じゃあ、あんなに積極的に戦わなかったのに……」

 むっちーは疑問を無意味に口から吐く。聖女というキャラクターであるため、アレクサンドラは人の命を尊いと思っているタイプのキャラクターだったはずだ。

 なのにこの被害。ただあるだけで周囲のすべてを殺して回る最悪の存在。

 この異常な事態にはカオスオーダーたちも冷静ではいられなかった。

「あ、あんなのアレクサンドラじゃないぃぃいいいい!! セイメイ! 畜生!! セイメイ!! あのボケが! 生き残ったら絶対に殺す!! ころッぶぎゃ――」

 発狂してそう叫んだカオスオーダーだったが、突如その真下から影の槍が出現して、その肉体をぶち抜いていた。

 ルシフェルを殺した継続ダメージによる効果だろうか。そのカオスオーダーの傍には身代わり用のキャラクターもいたはずなのに、その肉体から命が失われていく。

「は? は? え?」

 死んだカオスオーダーの傍にいたカオスオーダーが慌てて惨劇を生み出した死体から距離を取る。え? 何? 影? クリスタルか? あんなに距離があるのに。


 ――夜の支配の下、影はどこまでも繋がっていた。


 だがなんという範囲の広さだろうか。クリスタルは真昼の結界内にいるというのに、こうして遠く離れた自分たちを殺すだけの力を持っていた。

 見ているぞ、と言う声が聞こえた気がして、むっちーたちが外を見れば、クリスタルが立ち止まってむっちーたちに視線を向けていた。アレクサンドラですらクリスタルとの争いを止めてむっちーたちをそのガラス玉のような、感情の籠もっていない目で見ている。嘘だろ。嫌だ。なんでこんなことに。死にたくない。むっちーがはくはくと口を開け閉めして黙っていれば二人はこれ以上の興味を失ったのか、戦闘を再開しはじめる。

 カオスオーダーたちは、何も言えなかった。

 アレクサンドラが負けたら、あれと戦うことになるのか。自分たちが。

 カオスオーダーの魔法刻印は、邪神を含めた人類の敵と戦うためのものである。

 キャラクターとの契約もそれを前提とした世界救済のためのものだった。

 だからカオスオーダーとしての権利を行使したり、キャラクターたちとの契約を維持するためには、力が不足して主体となれずとも、後方支援などで世界を滅ぼす敵相手に力を発揮しなければならない。

 だが、クリスタルと関わるのは……――吐いたらこの建物から追い出されると思ったむっちーは、気合で嘔吐を押し留めた。


                ◇◆◇◆◇


 ――別に、セイメイはいい男というわけじゃない。


 アレクサンドラも、クリスタルでさえ同じ意見を持っている。

 セイメイはいい男じゃない。

 嘘はつかないが口から出る言葉は適当だし、服は脱ぎっぱなしだし、食事の味にうるさい。

 変なこだわりだってあるくせに飽き性だし、面倒くさがりなのか何事にも取り組むのが遅い。

 でも優しくて、愛おしくて、ただ、抱きしめるだけでも幸福になれる。二人にとってセイメイとはそれだった。幸せの証。そういうものだった。


 アレクサンドラにとっては、セイメイだけが臭くない、唯一の人間だった。

 アレクサンドラにとって他はニンゲンモドキでしかない。

 セイメイはアレクサンドラは成長すれば他の男と恋愛をすると言ったが、セイメイを知っている以上、アレクサンドラに他の選択肢はなかった。他は臭くて駄目だ。生理的に受け付けない。それだったら一人身で生涯を終えたい。いや、人類を殲滅する。ああ、そうだ。殺してしまおう。無理だ。ニンゲンモドキが生きていることが耐え難い。殺したい。セイメイ以外の人類はすべて、すべて滅ぼしてやる。

 この世にはセイメイと自分だけがいればいい。

 百年後に、ただ『荒野』と、そこに生きるモンスターだけがこの世界を支配しようとも、それでいい。

 アレクサンドラは、あの日、孤児院から連れ去られてセイメイと別れさせられたときにそう決めている。


 クリスタルもアレクサンドラと似たようなものだった。

 セイメイの血を味わっている。セイメイという命の感触を知っている。あの暖かさを知っている。撫でられた感触を、抱きしめた感触を。その手触りを、クリスタルの魂が覚えている。

 クリスタルはセイメイがいれば他の命はいらないし、セイメイがいないなら他の命に意味はない。真祖の魔法刻印は自分を頂点捕食者だと、この世界は自分のための血袋だと教えてくれている。

 セイメイがいなくなり、世界に興味がなくなったら、ただ飲み干してしまえばいいのだ。


 拳をあわせながら、奇しくも二人は同じ思いだった。


 ――世界など、どうでもいい。


 ただセイメイさえあれば、それでいい。


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