012 クリスタル・ブラッドプール
――血影の幼姫クリスタル・ブラッドプールの
――自身よりも格上の相手のテイムに成功しました。刻印深度が成長しました。
――セットスキル『隷属魔法』が新たなスキル特性を取得可能です。
――新たなスキルが取得可能です。
――図書館スキルのスキル特性が未設定です。
ちうちうと俺の首筋から血を吸っている黒髪美少女の傷がみるみるうちに癒えていく。
犬だったのでは? え、なんだ? 狼が人間に変身した? なんかの魔法スキルか?
(しかし……――この子、めっちゃ美少女だな)
あんまりにも美しいと人形みたいだとか人間味がないとか言うが、そういうレベルですごい美少女だ。たぶん、サーシャぐらい美少女かもしれない。
頬にふれる少女の黒髪の感触が、なんだかサラサラとしているし。いい匂いもするし。
ここで暮らしている間にテイムしたスライムに汚れと垢を食わせたりして清潔さは保っていたが、自分の体臭がちょっと気になってしまう。臭う? 臭わない? 自分の体臭相手だと嗅覚は基本的に麻痺するために客観的な体臭が全くわからない。
(しかし、なんでこんなところに美少女が?)
荒野に隣接した山中で美少女に会える確率なんて、広大な砂漠に落ちている宝石を拾うぐらいの確率だろう。
しかも狼の姿だった。変身系の魔法刻印持ちだろうか? 正確にどういう魔法を使うのかを知りたいならステータスを見ればわかるかもしれないが、テイムしてしまったとはいえ、言葉を交わす前にそういうことをするのも常識知らずというものだった。
そう、ステータスを見るというのは、要するに身体情報を覗くという意味だ。許可を取らずに見るのは変態の所業なのである。
見せてくれたサーシャが異常なぐらいだ。
なお、このよくわからない世界の日本において鑑定スキルとは、取得に国に魔法刻印の届けと、精神鑑定を受けた診断書と、鑑定系の国家資格の取得が必須で、それらが必須なのは鑑定スキル所持者による
「ちぅちぅ。ちぅちぅ」
しかしよく吸うな。
俺は体ステータスが高いからなんとかなってるが一般人相手なら失血死させているレベルの吸血行為だ。
吸血行為? 吸血行為かぁ。俺の血って美味いのかな? っていうか、ただの美少女ではないのかなぁ。
(あー、ま、いっか)
こういった子供特有の理不尽行動はサーシャで慣れている。
吸血に勤しむ
そんなことをしていれば刻印から情報が入ってきた。
――グッドコミュニケーション! 血影の幼姫クリスタル・ブラッドプールの好感度ランクが上昇しました。
サーシャでさんざん聞いたアナウンスである。そもそも好感度が上がったところで変化なんぞわからない。
だからなんなんだよ、という気分でいれば少女はお腹がいっぱいになって満足したのか。
黒髪の美少女が俺の膝の上で丸まってくぅくぅと眠り始めてしまう。
「食ったら寝るのか」
自由だな、子供かよ。いや、子供だったな。深い溜息が口から漏れた。
(まぁ、なんだ。あー、いいか)
街で暮らしていたときの精神状態ならさすがにこんなのは許さない。
俺の方に先にテイムした弱みはあるが、俺の方は変身魔法で子狼だと思ってたわけだし、そもそも常人なら失血死するほど血を吸われたからノーカンだし、立ち上がってひっくり返してなんで山中にいるのかとか事情を聞き出したりしただろう。
だが、俺もこんな山中で一人で活動し続けていて、いい加減人恋しさというものがあった。だから許すしかなかった。
テイムは、起きたら解除すればいいかぁ?
◇◆◇◆◇
TIPS:血影の幼姫クリスタル・ブラッドプール
「いい? カオスオーダー。私の運命を狂わせた全てを踏み潰して蹂躙する。これはそのためだけの契約よ」
ダンジョン×学園RPGを掲げたスマートフォン向けアプリゲーム『カオスオーダー 邪神討滅』のメインシナリオ第六章『魔族戦線』のメインヒロインにして、完結記念で本気状態がプレイアブル実装されたキャラクター。
準人権、Tier表におけるSランク、リセマラの終了候補など実装から五年以上経っても使用キャラクターランキングの最前線にい続けた最強アタッカーの一人である。
もっとも六章完結記念で実装された本気状態以外にも、初期実装キャラクターの一人として、主人公の学園に潜入してきた謎の生徒として低レアリティキャラでも実装されているため、本気状態を持っていないプレイヤーたちからも馴染み深い存在として扱われている。
クリスタルの素性は、学園都市における魔族勢力が通う学園である『
魔族たちの支配者種族である九種族の一つ、吸血鬼たちの長。
幼い頃に邪神に魅入られた悪の召喚士に召喚され、隷属させられた挙げ句、父や姉を殺させられた過去を持つため、召喚士を嫌っている。
ゲーム内では魔法アタッカーの宿命である低HPを吸血魔法による自己再生と種族特性である高い属性耐性、影魔法による高回避力で補った生存力の高さでイベントによっては後衛のくせにタンク採用すらされた万能アタッカーの一人。
また攻撃能力も高く、生物系敵ユニットに対する高い特攻能力や夜の種族のステータスを強化する『夜』環境を発生させる環境変動魔法、高火力の必殺スキルなど、あらゆるイベントで活躍を見せた。
なお苦手キャラは太陽の聖女アレクサンドラ。
アレクサンドラ実装前までは貴重な生物特攻持ちSSRとしてPVPコンテンツにおける採用率では上位五キャラクターに必ず名を連ねていたが、アレクサンドラ実装後はPVPでアレクサンドラにいじめられるファンアートがSNSに氾濫するほど採用率の低下が目立った。
◇◆◇◆◇
それは未だ九歳の少女でしかない幼き吸血鬼の姫たるクリスタル・ブラッドプールが、名もなき山中でセイメイと名乗る不審な少年に
東京23区、それらすべてで構成された学園都市における五大勢力の筆頭、多種多様の魔族たちによって構成された巨大勢力である
その支配者である九種族の一つ、吸血鬼の王族たる真祖吸血鬼の名門であるブラッドプール家の本邸で一人の少女がふてくされていた。
「もう! なんでお父様は私を褒めてくれないのよ」
少女の手に握られているのは学園初等部で受けたテストの結果だ。
100点の文字が記されたそれは、先日クリスタルが所属する学園で行われたテストの答案だった。
教師から満点を貰ったそれ。だというのに、彼女の父親はなんら良い反応を見せることはなかった。
先程、執務室で仕事をしている父親に向けて自慢気にそれを見せたときも、反応は無言で、逆に「それぐらいブラッドプールの血族ならば当然だ。それで、それだけなのか? 自慢げに私の仕事を邪魔してお前は愉快なのか?」と叱責されたぐらいだった。
「一言ぐらい……褒めてくれたって……いいじゃない」
ぐしゃりとクリスタルの手の中で答案用紙が潰された。
そうして、それは赤い絨毯が敷かれた廊下へと力いっぱいに投げつけられる。
強力なステータス補正によって、野球ボールぐらいの速度で紙くずが赤い絨毯にめり込んだ。
「あら? あらあら? クリスタル、ダメよ? そんなことをしては」
「……ルビー」
たおやかな声にクリスタルが振り返れば、そこにいるのはクリスタルの双子の姉のルビーだった。
クリスタルよりも深い、黒色の長い髪。
クリスタルよりも深い、血の如き真紅色の瞳。
ルビーはクリスタルとほとんど同じ容姿を持っている。だが彼女はクリスタルより黒く、紅かった。
加えて、ルビーはクリスタルとは全く性格が違う。クリスタルと同じ歳なのにクリスタルよりも精神は成熟していた。
自分と違い、優秀だと、流石だと誰からも褒められている
それに……自分と違い、
――私だって、優秀なのに。
学園で努力して、テストで100点だって毎回とっている。魔法刻印だって覚醒して、がんばってがんばって、同い年の皆がまだ深度がⅠなときに、自分は深度をⅡまで上げた。
だけれど誰も自分には期待してくれない。そんな想いからクリスタルは姉を強く睨みつけた。
「く、クリスタル? そ、そんなに睨まないでよ」
「ふん、ビビってるの?」
「び、ビビってないわよ」
クリスタルから視線を逸らし、ルビーはため息を吐いた。
そうしてからルビーはクリスタルが捨てた答案を拾い上げ、くしゃくしゃになったそれを均してから、クリスタルに差し出してくる。
「ほ、ほら、頑張って結果を出したのだから、もっと胸を張って」
屈辱を感じ、クリスタルは思わず歯を食いしばった。
こいつに褒められても嬉しくなんかないのだ。
――むしろ姉によって、自分の魂を汚辱されている気分だった。
「ぐ……うぅ……」
こうして姉を嫌う自分にも優しく接することのできる姉。
自信に満ち、寛容と優しさを持ち合わせた姉。
周囲が称賛するその有様を見てしまい、クリスタルはその手を衝動的に振り払った。
答案が宙を舞い、再び床に落ちた。
「いい子ぶらないでよ! このギゼンシャ!!」
本で呼んで得た知識だ。偽善者。意味は知っていても、実感としてよくわからない言葉を衝動的に姉にぶつけ、クリスタルは自室へと走っていく。逃げだした気分だが、センリャクテキテッタイよと言葉の意味はわかっていても、実感の伴っていない言葉をまた使って彼女は自室へと逃げていく。
「……なんで、なんでなのよ……」
自分も努力しているというのに、どうして姉と違い、お父様は私に期待してくれないのか。微笑んでくれないのか。そんなことを考えながらクリスタルが扉を開けようとして――
「え……あ?」
少女の真下に巨大な召喚陣が現れ、彼女の姿は館から消失するのだった。
◇◆◇◆◇
「でねー! アレクサンドラがでねー!! 転生特典で限定キャラ込み込みの最高レア確定ガチャなんだろこれ! 出ないんですけど!! もう二年もリセマラしてるんですけど!!」
「え? え? なに? なんなの?」
「あー、クリスタル・ブラッドプールかよ。あー、んー、ダクキンの生徒会長ちゃんは人権っちゃー人権だが、今回はパス! いらね!!」
クリスタルが呼び出された場所はどこかの山中だった。目の前には少年がいて、彼はクリスタルには理解できないなにかを言っている。
ただ、自分が初対面の人間にすら否定されたのが理解できて、気分が沈む。
――こんなわけのわからない場所でも私は期待されないのだ。
「おい、
「ほう、リセットするのか?」
「よろしいんだよ! いちいち聞き返すんじゃねーよNPCがよ。つか、チュートリアル短縮しろよ。一回一ヶ月とかストーリー修行期間とリアル時間をあわせんな。30分ぐらいにしろや」
「それが現実化したゆえの規定ゆえにな。では、お主の状態を戻してチュートリアルを開始するぞ」
「うぜー。めんどくせー。座学からかよ」
「安心せよ。リセットするならどうせチュートリアルの記憶は消える。貴様が得られるのは、無為に過ごした時間と自身が召喚をやり直すと決めた決意のみよ」
「ぐあー、めんどくせー。妥協したくねー。アレクサンドラがゲットできてねーとレイドで勝てねーんだよぉ」
少年が傍らに立っていた老人と言い争う間にも、事態は進んでいく。
少年がリセットを決断したために、クリスタルを送還すべく彼女の真下にある召喚陣が光りだしたのだ。
しかしクリスタル自身は、彼らの会話の意味も、召喚陣が光る理由もわからない。クリスタルが怖くなって召喚陣から出ようとするも、召喚陣を覆う光から出ることもできない。
(え、必要ないってことは、わ、私、こ、殺されちゃう、とか……?)
貴種吸血鬼たる父が家で戯れに反抗した配下を殺したことを思い出して、クリスタルは顔を青くした。魔法刻印に覚醒しているクリスタルは命数を持っている。殺されても大丈夫だという感情はある。
(だけど、蘇生地点変えられてたら……殺されても、戻れないかもしれない)
召喚陣にはそういう効果があるものもある。蘇生地点の強制変更を齎すもの。死んでも強制的に蘇生させるもの。召喚した瞬間に敵対する心を奪うものなど。
当然だ。召喚し、拘束し、隷属させる。召喚とはそういうものだからだ。自殺されて逃げられては召喚した手間が無駄になる。
本来、強制的な召喚に抗えるぐらいには精神ステータスの高い、貴種吸血鬼たるクリスタルを召喚するほどの召喚陣ならば、そんな仕掛けが施してあってもおかしくはなかった。
最悪の未来を想像したクリスタルが怯えながら少年を見れば、彼はクリスタルに、父と同じような冷たい視線を――まるで道具に向けるような――向けてくるだけだ。そして彼はクリスタルに告げる。
「あばよ。アレクサンドラ確保して石溜まったら
(え、何? またここに? え? なんで?)
わけがわからなかった。だが嫌だな、と思った。ここに二度と来たくないと。
真下にある召喚陣が再び光り、クリスタルは反射的にその場から逃げようとするも、召喚陣は彼女の脱出を許さない。
老人の姿をしたNPCとやらが彼女に告げる。
「その場から抜け出ること能わず。転移阻害もかかっておるゆえに」
そう言った瞬間、上空に雲がかかり、影があたりを覆い、薄暗くなる。なんの脅威もない、ただの自然現象だ。
それでも少年は瞼を反射で閉じ、薄目になる。老人に変化はない。
この場所を覆うのは巨大な雲によって作られ、しかし太陽に照らされているため薄い影。
――クリスタルにとってはそれだけで十分だった。
「安心せよ、元の場所に戻れば、この場の記憶も消去されるゆえ」
何か老人が言っている気がしたが、クリスタルは聞いていなかった。
(召喚した人間とかを保管する牢屋みたいなとこに送られたら――
クリスタルは慌てて生まれたその影に
そして召喚陣が強く光り、クリスタルが潜った影がかき消される。雲も移動してしまって影が再び発生することもない。
影の中に潜ったために外の様子がわからないクリスタルは頭上の出入り口が消失したことに困惑したものの、その場から出るのは危険と判断して出入り口のない影の中に籠もり続けた。
また雲がこの場所を覆ったのか。クリスタルの頭上に影の出入り口が再び生まれ、外の会話が影の中にも入ってくる。
「――退去の魔法の発動を確認。ではプレイヤーの記憶を消去してチュートリアルを開始する」
「チュートリアルを開始って……あ、あー!! 俺ってまたリセマラしてんのかよ。いい加減妥協しろや! もう二年も無駄にしてんだぞ。さっさとスタートダッシュ決めてぇんだが!!」
「それは儂の知ったことではない。だがカオスオーダーの使命をこなしてほしいのも事実。ふむ、誰が来ても次で最後にするか?」
「するよ! しなきゃまずいだろうが! 他のメンツはどうなってんだよ。俺、遅れてるんじゃないのか? なぁ、おい!」
「他のプレイヤーの事情は禁則事項ゆえ伝えること能わず」
「ポンコツNPCが!!」
クリスタルは恐怖にブルブルと震えるしかなかった。わけがわからなかった。
だけれどあのNPCと呼ばれていた老人を見ればわかった。
あれには勝てない。勝てるビジョンが湧かない。
ここは真祖吸血鬼の姫たるクリスタルよりも強い魔法使いの根城なのだ。
「でも、ここって、どこなのよ?」
クリスタルは影の中で膝を抱えることしかできなかった。
そうして外の人間たちが消えてから、彼女は恐る恐る影から外に出て、ふらふらと歩き始める。
自殺は怖くてできなかった。死ぬこともだが、蘇生地点を変えられている可能性を考えると軽々に試せなかった。
死に戻ったときにあの人間たちに鉢合わせしたらと思えば当然だった。
そうして山中から『荒野』に出て、自分では絶対に勝てないモンスターに襲われ、命からがら山中へと逃げてきたのだ。
人間の姿でいれば再び捕らえられるかもしれないと、狼の姿に変化しながら。
――そこで、クリスタルの人生を決定的に変える、運命の相手に出会うことなど考えもせず。
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