第2服に身体を合わせて

「はい、それでは試験を始めます。順番にボタンを押してください」

 事務室のような、装飾のない小さな部屋で、壁に取り付けてあるスピーカーから試験開始を告げられた。

 私の指は緊張で震えていた。

 これを逃せば、次のチャンスはいつになるか分からない。

 そうなれば、頭を下げて頼み込んだ働き口を失うことになる。

 失敗できないという状況は、ボタンを押すという単純な作業ですら、私の心臓を激しく鼓動させていた。

(大丈夫だ、教本を思い出して落ち着いてやれば)

 深呼吸をして、壁掛け時計を見る。

 まだ少し時間に余裕はあるようだ。

 少し落ち着いた私は、教本に書かれた手順でボタンを押すことが出来た。


「はい、結構です。それでは次の問題に移ります」

 続いては、ボタンの作用やその意味を問われる、口頭試験である。

 これは最初の問題を突破できたことで、落ち着いてすらすらと答えることが出来た。

 そしてまた、いくつかのボタンを教本に書かれたとおりに押し、試験官のいくつかの質問に答える。

 この繰り返しを何回か行って、やっと試験が終わった。

「最初の方に心拍の乱れなどがありましたが、その後は特に大きな乱れもなく落ち着いた様子でしたので問題はないと思われます。自動車のハンドルを触る資格の試験を受けることを許可いたしますので、受付で手続きをしてください」


 やっと一つ目の、運転席の内部のボタン操作資格を手に入れて、私はホッとした。

 しかし三日がかりであと九つの資格を取り、その後は病院で半年に一度の健康診断や精神鑑定などを受けて合格しなければ、公道を人間の私が運転することは出来ない。


 AIによる自動運転が広く普及して、公道における運転の形は大きく変わった。

 大半の国民はAIが制御する公共交通機関を使い、一部の富裕層がAI制御による自家用車を持ち、さらに少ない数の超富裕層だけが、人間の運転手をステータスとして高給で雇っている。


 二千六十年現在、自動車の完全運転免許証をこの国では保有しているのは百人に満たない。

 試験の開催も数年に一度となり、合格倍率は最難関大学を合格するより高くなっている。

 人間が公道を運転するには、AI自動車と事故を起こさないように、最低でもAI並みの運転技術が必要とされるからだ。

 その為、倍率の高さや必要性の有無から、受験する者もほとんどいなくなっていた。

 

 昔は社会の中で使う機械は、人間の生活に合わせて設計されていた。

 しかし現在では、オートメーション化された工場のように、人間のほうが機械に最適化された社会に合わせなければいけなくなっている。

 事故や渋滞など、運転技術による社会問題のいくつかは確かに解決された。

 その他にもAIによって解決された社会問題はいくつもある。

 だが元々AIに仕事を奪われて以前に職を失った私は、素直に歓迎できなかった。

 

 運転手などという前時代の職業にあえて挑戦しようと思ったのも、その悔しさと、AIの指示に従うだけの仕事より、人間に仕える方がまだ人間として誇りを持てると思ったからだ。

(まだ一つ目の資格を手に入れただけだ)

 私は緩みそうだった気を引きしめ直して、受付に向かった。


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