第25話 息の根を止められて、幕は下りる



 真理恵は表情を引きつらせながら隼を見つめていた。その瞳は動揺と怒りの色をしているけれど、彼には通用しない。冷静に「君が犯人だろう」と告げられてしまう。


 隼はどうして彼女が犯人だといったのだろうかと琉唯は自分が気づいたことを元に考えてみる。ティーセットを用意したのは真理恵自身なので、毒を仕込むタイミングはあるはずだ。けれど、ミルクを入れたタイミングで毒を入れることもできる。誰も輝幸の動きなど注視していなかったのだから。


 二つあったミルクピッチャーは一つは台に、もう一つはテーブルに置かれていた。真理恵が言うには人数が多いからという理由だったが、これも何か関係しているのだろうかと考えて、もしかしてと琉唯は気づく。



「もしかして、渡辺に容疑をかけるためにミルクピッチャーを二つ用意した?」



 琉唯の言葉にえっと周囲が反応する。どういうことだと聞く彼らに琉唯は「いや。真理恵さんが犯人なら」と彼女が犯人であるならばと前置きをしてから自分の気づいたことを話した。



「真理恵さんなら渡辺が手伝ってくれるって分かってたんじゃないかなって……」



 三人は言っていた、伊奈帆がクッキーを持ってきてそれを食べるのは当たり前になっていたと。恒例となっていたお茶会なのだから、誰が準備を手伝ってくれるかも、そのタイミングも把握できているはずだと。琉唯は「最初に今川の紅茶を用意したのにすぐに渡さなかったし」とお茶を準備している時のことを思い出す。


 砂糖を入れなかった琉唯はすぐに渡されたのだが、最初に用意された小百合のティーカップは台に置かれたままだった。真理恵は伊奈帆がクッキーを取り出すタイミングを計っていたのではないか、それがきっかけで輝幸が手伝ってくれるのをよく知っていたから。


 琉唯の話に伊奈帆が「そういえば、渡辺くんが手伝うタイミングってそこだったかも」と頷いた。輝幸はそうだった気がすると否定しない。



「琉唯の言う通り、これは渡辺に容疑を向けるための行動だ。毒物を混入させた物へ目を逸らさせるための」



 小百合のティーカップにミルクを入れる時に毒物を入れたかのように見せかけて、本来の毒が入っていた物へ目を向けさせないようにしていたのだと隼は言って、テーブルに置かれた瓶を指さした。



「毒が入っていたのは砂糖だ」



 様々な形をした砂糖が入った瓶を皆が見る。けれど、真理恵は「無理よ、そんなの!」と反論した。この瓶から砂糖を取り出した人は私以外にもいるじゃないと。



「間違って毒物が入ったらどうするのよ!」

「間違うことはない。何故なら、君が先に毒物を入れてしまえばいいのだから」

「混ざったらどうするの、それに……」

「混ざることはない」



 真理恵の言葉を遮るように隼ははっきりと、否定した。毒の入った砂糖が混ざることはないと。


 毒の入った砂糖を混じらないようにするにはどうしたらいいのだろうか、琉唯は「あっ!」と声を上げる。そうだ、自分が気づいたもう一つのことだ。



「砂糖の形で把握してたのか!」


「琉唯、その通りだ。この瓶に入っている砂糖は星やひし形と様々な形をしている。その形で把握すればいい。琉唯の記憶では今川小百合のティーカップに入れたのはハートの形をした砂糖二個だ」



 ハートの形をした砂糖に毒を仕込んでおき、最初にそれを使ってしまえばいい。あとはさりげなく他の人にも砂糖を入れさせれば、毒が入ったなど思わないだろう。隼は「君は真っ先に砂糖のことを話したな」と指摘する。


 砂糖やミルクを入れる時などにそっと入れることができればいいとは言ったが、〝砂糖に毒を入れた〟とは一言も発していない。隼は「どうして毒が砂糖に入っていると思ったんだ」と目を細める。



「琉唯の話ではその瓶にハートの形をした砂糖は無いらしい。時宮と鈴木は覚えているか?」


「あっ! 確かに無かった!」

「一つもありませんでしたね、そういえば」



 千鶴が「わたし、ハートの形をした砂糖にしようとしたんだけど、探しても無かったんだよね」と証言する。里奈も隣で見ていたこともあってか覚えていたようだ。隼は言う、ハートの形をした砂糖を二つだけ入れておけば確実に間違うことはないと。


 先に小百合のティーカップに毒の入った砂糖を入れ、次に自分のものにも同じように入れてみせる。紅茶の準備をしているふうに見せながら、伊奈帆がクッキーを取り出すタイミングを見計らって、手伝いに立ち上がった輝幸に小百合のティーカップを任せる。そうすれば、小百合の好みを知っている輝幸が紅茶にミルクを入れることになり、毒を入れられる時間を作った。



「だから、前提条件として今川小百合と親しく、彼女の好みを理解している人が必要になるんだ。そうでなければ、この犯行は成立しない」


「そんなの、証拠に……」


「これは恐らくだが……砂糖に沁み込ませた毒が他の砂糖に付着することを君は恐れたはずだ。それを防ぐために毒が入った砂糖の下の砂糖を自分のティーカップに入れたのではないか」



 君は今川小百合の次に自分のティーカップにも同じように砂糖を入れていただろうと隼に指摘されて、真理恵は目を見開かせた。



「君は一口もそれに口をつけていなかった。もしかすれば、君が飲むはずだった紅茶に微量の毒物反応が出るかもしれないな」



 台に置かれたティーカップをゆっくりと真理恵は見てから、隼へと視線を移す。獲物を捕らえた猛禽類の眼に動けない。


 田所刑事は「確認はしているか」と他の捜査員に確認をしている。数分としないうちに結果は届き、彼の目が鋭いものへと変わった。どうやら、ティーカップから微量の毒物反応が出たようだ。



「渡辺が毒物を入れるタイミングは今川小百合のティーカップにミルクを入れる時だけだ。君のティーカップに彼が振れる時間は残されていないし、そもそも微量では殺すまでいかない可能性がある」



 犯人を偽装するためだったにしろ、見つかるリスクを背負ってまで真理恵のティーカップに微量の毒を含ませる意味はない。隼は「これは全て君だからできることだ」と告げる、君が犯人であると。


 三人の行動をよく理解している君ならばと言われて、真理恵は口を開こうとするも言葉が出ずに唇を嚙みしめて隼を睨んだ。それは犯行を認めたも同然だった。



「真理恵さん、どうして……」



 最初に口を開いたのは伊奈帆だった。信じられないといったふうの彼女に真理恵は「どうしてって?」と乾いた笑みを浮かべる。



「あいつが紗江を死に追いやったからに決まってるでしょ!」



 怒声。その見た目から想像もできないような声音が部屋に響いた。真理恵は目をこれでもかと開いて、わなわなと震える手を握り締める。


 紗江は小百合によって自殺に追い込まれた。小百合のなんでもかんでもべらべらと喋る性格で、自分の好きだった相手のことまで周囲に言いふらされた。そこまではよかったけれど、小百合は紗江の行動にいちいち文句をつけた。


 どんくさい、こんなことも分からないの、これだから振られるのよ。と小言でゆっくりと責め続けた。元々、自分に自信のなかった紗江はそれだけで精神を落ち込ませてしまう。



「責めるだけ責めて、あいつは紗江の好きだった男を横から搔っ攫っていったのよ」



 紗江が好きだったと知っていて横から取って、出た言葉が「あんたがどんくさいから悪いのよ」だった。その一言は紗江を自殺に追い込むのには十分だ、じわじわと責められていたのだから、それで十分だ。



「あの子は私にだけは自殺をした理由を残しておいてくれたの……」

「でも、どうしてその……渡辺くんに罪を着せようと……」

「あいつが紗江に酷いことした理由だからよ」



 小百合は元々、輝幸のことが好きだった。だというのに、彼は紗江のことを愛していた。それが気に食わなかった、自分のほうが良い女だと自負していたから。そんな自意識過剰で自信家な小百合は紗江のことが気に入らなかった。


 だから、小言でゆっくりと責め立て追いつめて、止めに紗江の好きだった相手を横から掻っ攫った。紗江が絶望に打ちひしがれている間に取った相手ともさっさと別れてしまう。なんて、なんて酷いのか。



「小百合も輝幸もいなければ、あの子はまだ生きていた。私の可愛い可愛い、愛しの妹は、まだ生きていたのに……」



 あの子を死に追いやった奴らが憎い、殺してもなお、この気持ちは晴れない。真理恵は涙を流しながら吐き出す、憎くて仕方ないと。


 琉唯には彼女にどう言葉をかければいいのか分からなかった。憎くて仕方なかったとしても、殺人を犯してはならない。どんな理由があったにせよ、人を殺していいなどないのだ。だからといって、復讐は何も生まないなどと綺麗事を言う気にはなれなかった。


 例えば、「妹さんはそんなことを望んでいない」などいったよくあるセリフだって、亡くなった彼女本人が主張したわけではない。説得する側が勝手に決めつけているだけだ。そんなありきたりな言葉で犯人が気持ちを落ち着けることなど、できるはずもないと思わなくもない。


 何も言うことはできなかった。琉唯は黙って真理恵を見つめることしかなできない。



「君の行動は妹の前で胸を張って立てるのか」



 隼の問いに真理恵は涙に濡れる顔を上げる。彼はもう一度、「胸を張って立てるのか」と問うた。



「君の愛した可愛い妹の前で、殺人犯になりましたと胸を張って立てるのか」



 君がそこまで愛した妹はそれを喜ぶような人間だったのか。身内が大好きな姉が殺人犯になっても嬉しいと有難うと感謝を伝える人間だったのか。隼の落ち着いた声音に真理恵がくしゃりと顔を顰めた。



「あの子は、そんな、そんな子じゃ……ない……」

「なら、君は愛した人を悲しませた愚か者だ」



 二度、愛した人を悲しませたのだから。隼の一言に真理恵は崩れるように床に座り込んで嗚咽を吐きながら泣いた。



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