第16話 猛禽類は獲物を瞬時に捉え、喰らう


「佐藤先輩……」



 聡の言葉に血に塗れた彼女を認識する。声にならないといったふうに里奈は口を閉口させていた。悟も千鶴も口元を押さえて固まってる。先に動いたのは隼だった。倒れる結の傍に駆け寄って、生死を確認する。



「腹部を刺されて死んでいる」

「うそ、でしょ……」

「おい、死んでるって……」

「遺体に近づくな。警察が来るまで現場を荒らしてはいけない」



 近寄ろうとする悟を隼が制止すると、「警察に連絡を」と指示を出した。はっと我に返った千鶴が「教授たちに知らせてくる!」と部屋から飛び出していく。里奈はその場にへたり込み、彼女を聡が支える。


 じっと遺体を観察する隼に琉唯も倒れる彼女へと目を向けた。ホワイトボードの前で倒れる彼女の腹部からは血が流れており水溜まりを作っている。その傍には鍵とナイフが無造作に落ちていた。


 ナイフは柄の部分に英語で箔押しがされている。「ジュブナール」と書かれていることから店名なのではないかと推測できた。


 手を上げるような形で倒れる結になんとなしに指先へと視線を上げて、首を傾げる。何か見えて、琉唯は周囲を荒らさないように隼の傍まで歩む。彼女の指先、床に何か描かれていた。



「5?」



 数字の5の字が描かれている。震える指で書いたせいか、形が歪なので5のように見えるだけで違うものかもしれない。その隣に線が縦に引かれている形で力尽きているので、もしかしたら苦しみもがいている時についただけの可能性もある。なんだろうかと隼を見遣ればふむと少し考えてから立ち上がった。



「君たちの名前をもう一度、教えてくれ」

「え?」

「漢字も一緒に」

「えっと、りな。お里が知れるの里に、奈良の奈……」

「さとし。聡明なの聡だけど……」

「オレはさとる。悟りの字だ」



 それに何の意味が今、あるんだと言いたいふうな悟からの視線に「一応のために聞いた」と答える。第一発見者であるのだから名前を知っていないと困るだろうと。自分たちは今、知り合ったばかりなのだからとなんでもないように答える。


 それって意味あるのと琉唯は思ったけれど、隼は平然としているものだからこれも重要なことなのかと納得しておく。名前を知らずして状況説明をするのは難しいかもしれないなと。


 その他に遺体に損傷は無く、少しばかり争った形跡はあるが腹部を刺されたのが致命傷のようだ。彼女の唇についていただろう発色の良い赤いリップが擦れたように口元についている。


 周囲を見渡してみるも、部屋は綺麗なもので特に散らかってもいなかった。これといって目ぼしいものがないのを確認してか、隼は「後のことは警察に任せればいい」と興味を無くしたように遺体に向けていた眼を上げる。


 琉唯は描かれていた数字が気になったものの、下手なことはしないほうがいいなと警察が来るまで待つことにした。


   ***


「君たちが来たときにはこうなっていたといことだね?」



 警察が到着し、現場は封鎖される。野次馬の騒がしい声がする中、廊下で刑事に発見当時の状況を説明した琉唯たちは皆、頷いた。



「鍵はかかっていたと」

「オレが鍵を開けたんで」

「鍵は中に落ちていたのと、スペアの二個しかないです」

「なるほど」



 遺体の傍に落ちていたのはこの部屋の鍵で間違いないことを里奈と聡が証言する。密室かと田所と名乗った渋面の刑事は腕を組んだ。腹部を刺されてナイフも落ちているのだから、殺人の線で警察は考えているのだろうことは素人でも理解できる。


 遺体に触れたかという質問に隼が「生死を確認するために脈を計りました」と答える。それ以外では触ってはいないし、現場を荒らしてはいないと。それを聞いてから田所刑事はうーんと頭を掻いた。



「田所刑事」

「なんだ」



 若い刑事がやってきて耳打ちをする。うんっと片眉を上げて田所刑事は琉唯を見遣った。



「君の名前って緑川琉唯くんだったよね?」

「そう……ですけど……」

「君が昼に佐藤結とカフェスペースで口論していたという目撃情報があるのだが、本当だろうか?」



 琉唯はその質問に確かに自分は彼女とカフェスペースで話をしていたことを認める。傍から見れば口論に見えなくもないので、そう答えたのだが田所刑事は「確認なのだが」と再度、質問してきた。



「口論していたんだね?」

「口論ってほどではないですよ。佐藤先輩がちょっと強引だったので、強く言い返しただけで……」

「なるほど。少し君に聞きたいことがあるのだが……」



 個別にと言われて琉唯ははぁっと声を上げた。まさか、これだけで疑われるのかと。佐藤結と出逢ったのはあの時が初めてであったことを琉唯は伝えて、自分はこの事件とは関係ないと主張した。


 それでも、田所刑事は「これも確認のためだから」と言って聞いてはくれない。



「ちょっとこっちに」

「警察というのは単純なことも分からないのか」

「……なんだね、君は」



 琉唯を連れて行こうとする田所刑事に隼がはぁと露骨に溜息を吐いて見せた。彼の態度に田所刑事は眉を寄せながら「何が言いたいんだね」と顔を向ける。


 琉唯はそんな二人に挟まれる形になってしまい、彼らを交互に見遣るしかない。千鶴たちも何がと疑問符を浮かべていた。



「琉唯は犯人ではないし、そもそも彼は講義を受けていた。調べればすぐに分かることだ」

「それでも話は一応のために聞かなきゃならないんだよ」

「犯人ならもう分かっている」

「……は?」



 隼の発言に田所刑事だけでなく、その場にいた全員が呆けた声を出していた。彼は何を言っているのだろうかと言うように。そんな反応を気にも留めずに隼は開かれたドアから中を指さした。



「佐藤結の上げられた腕の指先に文字が書かれていただろう」

「あぁ、あの歪なやつ」

「あれは犯人を告げるものだ」



 佐藤結は犯人が部屋を出て行ってからなんとか伝えようとしたのだろう。ただ、力は残されていなかった。死ぬ間際にできることといったら限られている。犯人に痕跡を消されてしまう可能性もあるのだ。


 けれど、彼女は書き残した。隼は「琉唯も見ただろう」と問う。確かに床に血で描かれていたのを目にしているので頷いた。



「歪ではあるが数字の5が書かれている」

「そう見えるかもしれないが、もがいた時についた可能性も……」

「5の数字の隣に線が引かれていただろう。あれも含めて一つの文字だ」

「は?」



 どういう意味だと田所刑事は首を傾げた。それは千鶴たちも同じで顔を見合わせているのだが、琉唯は何が言いたいのだろうかと考えてみる。


 5という数字の隣に縦に線が引かれていた。これを一つの文字と捉えると考えて、あっと琉唯は気づいた。



「5って漢数字の五か!」

「そういことになる。漢数字の五の文字とその隣に一本の線がある漢字を名前に持つ人物は一人しかいない」



 あっと一人、また一人と気付いて視線を向ける。その先に立つ〝彼〟は何を言っているんだと笑った。



「なんだよ、オレが犯人だって言いたいのかよ。言いがかりも大概にしろよ」

「現状でいうならば、君が一番、殺害可能だ」

「何を証拠に……」

「君が最初に現場にいたというのがまず挙げられる」



 隼は発見に至るまでの経緯を順序良く話し始めた。まず、最初に現場にいたのは悟で、その次に琉唯たち三人が到着した。少ししてから里奈と聡の二人がやってきている。そこで話をしてから悟が里奈から鍵を受け取って開けた。


 此処まではいいだろうかと問われて、皆が頷く。それに悟が「鍵はかかってたじゃないか」とそうだろうと同意を求めた。それに里奈がそうだよねと頷くが、隼は「そうだろうか?」と問い返した。



「俺たちは誰も鍵がかかっている確認をしていない」

「……あ、そうだ」



 そう。琉唯たちだけでなく、里奈も聡も誰もドアに触れて鍵がかかっている確認などしていなかった。鍵を開けた悟だけなのだ、そう証言するのは。


 そこで琉唯は悟のドアを開けている様子を思い出した。確かドアに寄り掛かって手元を見せないようにしながら開けていたことを。



「確か手元が見えないようにドアに寄り掛かりながら鍵を開けてたよな」

「そういえば、そうだった。隠すみたいだったよね、あれ」



 そうそうと千鶴が思い出したように頷く。里奈も聡もそういえばといったふうに悟を見遣る。彼はなんだよと声を震わせていた、オレじゃないというように。


 けれど、彼以外は鍵がかかっていたかの確認をしていない以上は密室は成立しない。田所刑事は「それは確認しないといけないな」と頷いた。



「そんなもの、証拠になるか!」

「あとは凶器のナイフだ。ナイフの柄に英語の箔押しがされていた。おそらくは店名だろう。そこから入手経路を割り出せる可能性がある」


「それがどうだって……」

「なるほど。では、直接的に言わせてもらう。佐藤結は恐らく口を押さえられて殺害されている」



 彼女の唇についていただろう赤いリップが擦れて口元についていたことから、口を押さえられた可能性があると隼は指摘した。ハンカチなどで押さえたのであればそれも証拠になりえるが、処分方法を考えなければならない。


 前提条件として密室に見せかけるために鍵を開けるのは犯人でなければならない。そうなると捨てる時間というのも惜しいはずだ。窓から捨てたなど警察が調べればすぐに分かってしまうし、持っていては怪しまれる。その場から動けない状況でじゃあどうやって口を塞いだのか。



「その手で口を押さえたのならば、彼女の口紅がついていたはずだ。手を拭っているのならば、君の衣類を調べれば痕跡が出る。そうしていないのならば……スペアの鍵についているんじゃないか?」



 発色の良い赤いリップだからなと隼はぎろりと猛禽類の眼を向けた。悟はその目から逃れるように俯く、それは負けを認めたかのようだった。


 何の言い訳もしないという状況は彼が犯人である証言しているかのようだ。里奈はどうしてと信じられないといったふうに見つめている。少しの間だった、田所刑事が一歩、踏み込んだ時に悟は「あいつが悪いんだ!」と叫んだ。



「あいつがオレ以外を選んだのが悪い! なんで、オレじゃ駄目なんだよ! ふざけんなよ!」



 どうやら彼は佐藤結に好意を寄せていたらしい。ずっと好きだったと喚き散らし始めて田所刑事が止めに入ろうとすれば、隼がはぁと苛立ったように息を吐いた。



「君は愚かだ」

「黙れ!」

「そんな理由で殺人を犯していいわけもないし、誰かに罪を着せていいなどない」

「そんなの……」

「煩い」



 唸るような声だった。思わずびくりと肩が跳ねて、琉唯は隼を見遣る。彼の眼光は鋭く、怒りの色をしていた。あ、これは見たことある。日野陽子の時と同じだと気づいて琉唯が「隼」と呼ぶよりも先に彼は口を開いた。



「君の妄言などに興味はない。好きだのなんだと勝手にしてしろ。ただし、琉唯を巻き込むな」



 それは冷淡に、けれど低く。発せられた言葉に籠められた圧に悟は言い返そうにも返せない。隼の眼が許さない、猛禽類のそれが。


 なんとくだらないことかと隼は「トリックを使うならもう少しよく考えろ」と呻れば、悟は唇を噛んで項垂れた。それが止めになったのか、黙りこくってしまった彼に田所刑事が近づいて手錠をかけて、この事件は幕を下ろした。






 

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