第15話 それは何の前触れもなく



 はぁと琉唯は溜息を零した。それも隣を歩く隼のせいである。彼はサークル勧誘をしてきた部長に苛立っているようなのだ。琉唯に何を言って誘惑しようとしたのかと。


 別に誘惑されたわけではない。と、いうか部長の狙いはお前だよと言ってやりたいのだがやめておく。余計に面倒なことになるからだ。自分に近づくために琉唯を利用したとして。


 これまた隣を歩く千鶴にいたってはもう駄目と無言でバツ印を作っている。これは絶対に言えないなと琉唯は黙って廊下を歩く。東棟の二階は人が少なかった。講義が行われていないというのもあるだろうが、此処はあまり使われていない。


 コの字に曲がっている形をしている建物であるので、奥となると先は見えなかった。こんなところに人がいるのだろうかと思うほどに人気がない。



「私、東棟の二階の奥って行ったことないかも」

「奥まではおれもないかも。東棟ってコの字型になってるから変な造りなんだよなぁ」



 迷子になることはないけれど奥の教室が何処なのか把握できない。第何講義室など細かく教えてほしかったと琉唯は愚痴る。それに隼が「不親切すぎる」と眉を寄せた。



「そのサークル勧誘をした女子は何がしたいんだ。サークル勧誘をしたいというならば、正確な場所を伝えるべきだろう」


「まぁ、そうなんだけど……」

「不愉快だ」

「隼、とりあえず落ち着いて。おれは大丈夫だから」



 ますます不機嫌になっていく隼に琉唯はどうどうと落ち着かせる。この状態で結に会わせたくはなかった。容赦なく切り捨てるどころか二倍三倍と言われてしまうことになる。


 あの性格ならば耐えきれる可能性はあるけれど、聞いているこっちの胃が持たないのでやめてもらいたい。言い争いなど聞きたくも見たくもないのだ。だから、琉唯は「おれは大丈夫だって」と笑って見せる。


 そうすると隼はむぅっと眉を下げる。納得はしていないけれど、琉唯に言われては仕方ないといったふうに怒りを抑えてくれた。


 奥まで歩いて角を曲がるとさらに奥に人が立っていた。少し大柄な男子が苛立ったように扉の前を陣取っている。もしかしてあそこがミステリー研究会の部室だろうかと琉唯は彼に話しかけた。



「あの」

「なんだよ」

「その、佐藤さんに呼ばれて……」

「あぁ、勧誘されたのか」



 男子は「あいつに捕まって大変だな」と憐れむような目を向けられた。それは隣に立つ隼を見てからなのだが、彼はなんとなく察したのだろう。「あいつは面食いだからな」と跳ねた短い黒髪をがしがしと掻く。



「えっと、その……」

「崎野悟。好きに呼べ」

「あ、おれ……」

「知ってる。鳴神に懐かれてる緑川って有名だから」



 有名なのか、自分はと頬を引きつらせれば、「目立つからな」と隼を指さした。隼が女子に人気があり、噂になっているのを耳にしたことがあるようだ。他の学科でもそうなのだから、そんな男といつも一緒にいる琉唯も目立つというわけだった。


 それはそうかと納得したように頷けば、千鶴に「どんまい」と励まされる。なら、助けてくれと思うのだが、無理と即答されてしまった。



「俺の傍に琉唯がいて何の問題があると?」

「……大変だな、緑川」

「まぁ、うん」



 隼の理解できないといった表情に悟は同情するように琉唯に言う。もう慣れてしまったからいいんだと笑えば、「崎野くん」と声をかけられた。振り向けば三つ編みおさげにした女子と眼鏡をかけた男子が駆け寄ってくる。


 二人はミステリー研究会のメンバーらしく、琉唯たちを不思議そうに見つめていた。悟が「部長の犠牲者」と隼を指差して喋れば、あぁと納得したように頷いている。それほどに佐藤結は面倒事を持ち込んでいるようだ。


 女子は鈴木里奈、男子は田中聡と自己紹介してくれた。二人は「大変だね」と悟と同じように同情してきたのだが、どれだけ結は面倒なことをサークルに持ち込んでいるのだろうか。不安になって「なんか、佐藤さんって問題起こしたりしてるのか?」と聞いてみる。



「まぁ……」

「あの人は諦めが悪いから……」



 男関係でいろいろあったのだろうなということはその会話だけで察せてしまう。あぁと琉唯が頷けば、隼が「琉唯」と呼んだ。



「佐藤と言ったか。彼女の本当の目的は俺だな?」

「…………」

「琉唯。それの沈黙は肯定にしかならない」



 眉を寄せている隼の眼が怖い。琉唯はもう誤魔化すこともできずに黙るしかなかった。それがまた彼を苛立たせているのは分かっているけれど、言い訳やフォローが思いつかないのだから口を閉ざすしかない。


 琉唯が喋らないと察してか隼は千鶴へと目を向けた。ぎろりと睨むように向けられた眼に「すみませんでした」と彼女は謝る。



「近くにわたしもいたけど、無理だったんです! あの勢いは会話に入るのすら無理だったの! 佐藤先輩、めちゃくちゃ言ってたし!」


「ほう」

「時宮ちゃん! ストップ!」

「無理だって、諦めて!」



 私は悪くないんですと千鶴がぼろぼろと話すものだから全てを知った隼は小さく舌打ちした。あ、これは駄目かもしれない。琉唯は「隼、落ち着てくれ」と彼の手を握る。



「お前が悪く言われるのはおれは嫌だから。お願い」

「……琉唯。君は俺がそれに弱いことを知っていてやっているだろう」



 はぁと琉唯のお願いに隼は溜息を零す。彼は琉唯からのお願いに弱いので、そう頼まれてしまうと無碍にはできない。分かっているからこそなのだが、琉唯だってこんなことは早々しない。


 隼が悪く言われたくないのは本当なのだ。嘘ではないからそう頼んでいるというのを彼も理解している。だから、仕方ないと怒りを治めてくれた。



「話が終わったんならさっさと部屋入るぞ。鈴木、鍵貸してくれ」

「あ、はい。でも、佐藤先輩もう来てるんじゃないの? スペアしか残ってなかったけど」

「来てないから言ってんだろうが」



 里奈から鍵を受け取った悟は鍵を開けようとして身体をドアにくっつけた。彼の身体で手元は見えないががちゃという鍵の音が鳴っている。不思議な開け方をするなと琉唯が思っていれば、扉が開いた。


 開いたぞと悟が中に入り、続いた琉唯たちは固まった。ホワイトボードの前でそれは倒れていた。


 赤い液体が床を濡らす。辿るように目を向けていれば、すらっとした足が見えて――腹部から血を流した身体を捉える。



「佐藤、先輩……」



 聡の言葉にそれが佐藤結であることを皆が理解した。







 



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