第13話 この彼氏面の男からは逃れられない



 崎沢隆史・佐々木香苗・日野優子の三人が殺害された事件は犯人の日野陽子が逮捕されたことで解決した。


 ただ泣く陽子を皆が監視するように眺めて一夜が明けた。外は嵐が去ったのか、風一つなく、照らされる朝日に水溜まりが煌めていたのを覚えている。昼を過ぎた辺りに警察官の人たちがやってきて現場を確認し、日野陽子は連行されていった。


 離島から地元に戻ってきても警察の事情聴取などで拘束されて、長いはずの大型連休はあっという間になくなってしまう。心を休める時間など合ってないようなものだ。


 大学内でも三人が殺害され、犯人が同じ大学生だったと事件の話がちらほらと耳に入る。日野健司が大学を辞めていったのは噂が広まって間もない頃だった。自分の妹が殺人犯だったという現実を受け入れたくなかったようで、心はすっかりと壊れてしまっていたと浩也から聞いている。噂に身体的体調も相まって大学を止めざるおえなかったのだ。


 緘口令が出されているのか、琉唯たち四人が傍に居たことはまだ広まってはいない。浩也は日野健司と仲が良かったこともあってか、友人から何か知っているかと聞かれることがあるみたいだが、上手く誤魔化していると言っていた。


 思い出すだけで胸にひやりと這う。彼女の言動が脳内で再生されて背筋が冷えることがたまにある。琉唯は思った以上に自分は恐ろしかったのだなと、この時に実感した。一人で寝るのが怖いなどといった子供のようなことは言わないが。


 もちろん、事件を知った両親にはかなり心配されてしまい、暫くバイト禁止令がだされてしまった。


 なんだかなと琉唯は深い溜息を吐いた、大学内にあるカフェエリアの隅に腰を下ろしながら。周囲は昼を過ぎているからなのか、それほど人はおらず、隅ということもあって誰もいない。自販機で購入したミルクティの蓋を開けて一口、飲んでまた息が零れる。



「緑川くん、溜息が凄い」

「あ、時宮ちゃん。溜息だって出るだろ」



 琉唯と同じように休憩にやってきた千鶴に大型連休中のことを思い出せばと愚痴れば、あーっと彼女は苦く笑う。言いたいことを理解したといったふうに。



「あれはね、私もちょっと……」

「ちょっとな……」



 どんな言葉も傷つけてしまいそうで口に出させず、二人は濁す。忘れてしまえばいいのだろうけれど、とてもじゃないができる経験ではない。「私、夢に出てくる時ある」と千鶴も未だに怖いようだ。


 琉唯もそうなのだから他の人も多少なりともそういった感情を抱いているのかもしれない。と、考えたけれど一人だけ違うなと琉唯は眉を下げた。


 隼は恐怖を感じてはいない、あるのは怒りだ。琉唯を不安にさせ、怖がらせたことが許せいないという。



「あのさ、隼があんな行動したのって……」

「緑川くんのためでしょうね」



 彼が言ってたじゃないと千鶴は隼のあの時の事を思い出してか、ぶるりと震えた。あんな低い唸るような声、初めて聴いたといったふうに。


 琉唯も隼のそんな姿を見たのは初めてだった。彼は琉唯の事になると少しネジが外れるぐらいで、あれほどの怒りを露わにしたことはない。だから、驚いて声も出なかった。


 あの時の彼が怖くなかったかと問われれば、少しと答える。彼の言動に恐ろしさを感じなかったとは言えないけれど、怒りの理由は琉唯に不安と恐怖を与えたからだ。自分が関係していることなので、隼自身に恐怖を抱けないし、嫌いにもなれない。



「愛が重い」

「それね……」

「誰の愛だ」



 愛が重いとぼやいた琉唯にこれまた低い声がする。今まさに話していた自分がやってきて、琉唯は黙ってしまった。振り向けばなんとも不機嫌そうに腕を組んで隼は立っていた。


 千鶴は無言で琉唯の隣を彼に譲り、二人の前の席に座る。それはもう手早く。隣を陣取った隼は頬杖をついてじとっと琉唯を見つめる。



「誰の愛が重いんだ」

「……お前だよ」



 お前以外に誰がいるんだよと琉唯は返す。こうなったらずっと聞いてくるだろうことは目を見れば分かることだ。だから、誤魔化すのを諦めた。愛が重いと言われた本人はいたって冷静に「それがどうした?」と返す。



「俺が君に抱く感情が軽いわけがないだろう」

「そうだな。実感した」



 お前を怒らせたくはないと思ったと琉唯はミルクティを飲む。何を言っているのだといったふうに隼は「君には怒らないが」と目を瞬かせた。



「どうして琉唯に怒る必要がある」

「え、いや……。もしかしたらなんかあるかもしれないだろ」

「君がしでかしたことを俺は許せるが?」



 君がしでかしたこと全てを俺は許そうと真顔で言う姿に琉唯は言葉を返せない。嘘偽りなのない眼に、こいつは本気だなと嫌でも理解して。



「あのさ。一応、聞くけど推理みたいことしたのって」

「琉唯のためだ」



 君は言っただろう、怖いと。隼はどうすればその不安と恐怖を無くせるかを考えて、犯人を見つければいいのではないかという結論を出した。犯人が見つかれば、動機などを知ることができる。無差別殺人でないということが分かれば、安心できるのではないかと。


 斜め上すぎる理由に琉唯は突っ込む言葉も出ない。安心させたいから「じゃあ、犯人を探すか」とはならないだろう。犯人が見つかれば確かに安堵できるかもしれないけれど、勝手な捜査の過程で返り討ちに合うかもしれないのだ。安易に行うべき行為ではないので反応に困る。



「あれ、一歩間違えれば危なかったとおれは思う」



 犯人を突き止めたまではいい。けれど、相手が抵抗してこないとは限らなかった。もしかしたら、怪我をしていたかもしれないのだから、やはりやるべきではないと琉唯は注意する。


 けれど、隼は平然と言う。



「俺は君のためならば面倒なことでも解決しよう。それが例え、殺人事件であろうとも」



 あれは君のためにやったことだ。さらりとなんでもないように言ってのけたこの猛禽類のような眼を持つイケメンを、琉唯は眺めるしかない。


 なんと自信満々なのか、どこから湧いてくるのか、その愛は。ひしひしと伝わってくる。あぁ、とんでもない男に好かれてしまったな。琉唯は無言で千鶴のほうを向けば、彼女は手でバツ印を作った。



「緑川くん、無理。大人しく捕まって」



 逃げられるわけがないと断言する千鶴に琉唯は自分でもそう思うと頷いた。



「そもそも、俺は琉唯以外に興味がない。持つつもりもないんだ。誰が死のうとね。これの何処に問題でもあっただろうか?」


「お前はないだろうな、お前は。はぁ……もういい、好きにしてくれ。でも、危ないことはするなよ」



 自分のために誰かが傷つくなど嫌なことだ。琉唯は「お前の安心させる方法は斜め上なんだよ」と咎めるけれど、隼には通じていないのか首を傾げられてしまった。これにはもう千鶴も首を左右に振っている。



「犯人の神経を逆撫でするようなこと言うな」

「確かにあれは逆撫でする行為だっただろうな。けれど、彼女にははっきりと現実を突きつけなけばならない」



 どんな理由があっても殺人を犯していい理由にはならない。どんなに許せなくとも、どんなに恨んでいようとも。君は悲劇のヒロインではない、ただの自己中心的な人間であると、現実を突きつけなければ。


 隼は言う、同情してはならないと。あれは全て彼女が自分の意思で行った行為、浮気されて裏切られたからといった理由は通らない。そこに同情する余地などないのだ。



「三人も殺害した犯人を哀れんではいけない」



 許されざる行為をしたことを哀れに思っては。冷たく、けれど優しく言い聞かせるように隼は言葉を紡ぐ。


 琉唯は黙って頷いた、その通りだと思って。



「それはそれとして、琉唯が足りない」

「ごめん。真面目な話してたくせに何、言ってんだ」



 急に変わった話に琉唯が突っ込む。けれど、「大型連休中は警察に拘束されていたようなものだ、琉唯に会うこともままならなかった」と、眉を下げる隼に少しでもしんみりとした気持ちを返してほしいと思ってしまった。


 凝視してくる相手に琉唯が彼を指させば、千鶴は「褒めてあげたら?」と名案が浮かんだと手を鳴らす。



「頭よしよしするとか、褒めて」

「おれは危ないって注意してるんだけど、あの時の事」



 どこに褒められる要素があるのだ。琉唯は「褒めたらまたやりかねないだろう」と言うが、駄目なのかと隼はじっと見つめてくる。何が足りないだ、このやろうと琉唯は愚痴りながらも彼の頭を撫でてやった。



「ぶふっぅ、やばい、イケメンの顔が崩壊してるっ」

「時宮ちゃん、笑わないの。てか、ほんとに危ないことはやめろよ?」



 あれは陽子さんだから大丈夫だっただけだと琉唯はもう一度、注意するが隼の崩れ切った顔に「あ、こいつ聞いてないな」と諦めた。



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