第12話 語られる真実


 視線、視線。向けられる眼に彼女の肩が跳ねる。捕らえられた獲物が逃げ場を失ったように。


 怯える小動物が死を覚悟した、歪んだ顔を〝彼女〟はしていた。



「自分が〝日野優子〟であると主張するのならば、君の右肩を見せてくれないだろうか? 健司先輩は庇う可能性がある、女性である時宮さんが確認してくれ」



 隼の指示に千鶴がえっと小さく声を零すも、「花菱先輩も傍に居てほしい」と言われて、二人は〝彼女〟に近寄って――拒絶された。


 ばっと右肩を押さえて飛び退く、その行動だけで〝彼女〟が優子ではないことを表していた。健司は信じられないと目を見開いて、「どうして」と震える声が口から零れる。



「自白したようなものではないか、その行動は」

「っ……」



 ぎりっと歯を鳴らして〝陽子〟は隼を睨みつける。けれど、彼には通用しない。ただ、冷たく「一人二役をした可能性だが」と推測を立てる。



「あれはアリバイ工作にしては脆く崩れやすい。〝日野陽子に指示された〟という言い訳のためではないだろうか」



 全ての罪を〝日野陽子〟に被せるために。これは彼女が考えたこと、自分は手伝わされたのだと悲劇を偽って言い訳をして



「トリックに穴があれば、逃げられずに自死を選ぶという選択があってもいいだろう。大きな釣り針ほど、人間は引っかかるものだ。あるいは元々、自死するシナリオでもいい」



 もしかしたら、遺書でも残されているのではないだろうか。隼の言葉に陽子はぷるぷると手を震わせる。



「日野陽子自身が書いていれば証拠になる。部屋から回収したペットボトルやタオルもあるかもしれないな」



 どうだろうか。健司は隼の話にリビングルームの扉を勢いよく開いた。どたどたと足音を立てながら二階へと上がり、激しい開閉音が鳴る。それを片耳に隼は「何か言いたいことはあるだろうか?」と問う。



「これはあくまでも俺の推測に過ぎない。素人の推理だ、違う箇所もいくつかあるだろう。けれど、君が日野優子を殺したのは間違いない」



 日野陽子、君が〝日野優子〟に成り代わっていたのだから。双子であり、殺害した人物でなければそんなことをする意味はないはずだ。はっきりと宣告されて、陽子はしゃがみこんだ。わなわなと両手を胸元に当て、これでもかと目を見開いて。



「俺は双子の生活というのに詳しくはない。だが、君たち二人は見分けがつくような服装をしていなかった。例えば、色違いだとか」



 そういった区別をつけるような教育環境ではなかったのかもしれない。だからこそ、成り代わることができると考えたのだろうな。隼は「浅はかな考えだ」と言われて、陽子は顔を上げる。



「本当に、殺したのか……」



 開け放たれたリビングルームの扉から顔を真っ青にさせた健司は入ってくる、その手には紙が握りしめられていた。何が書かれていたのかはそれだけで皆が理解してしまう。



「……そうよ、私が殺したのよ、全員」



 はぁと陽子は大きな溜息を吐いた。それはまるで失敗して面倒なことになったといったふうで。諦めや後悔などといったものは含まれていない。



「どうしてなんだ、陽子っ!」

「何でって? あいつらが全員、私を裏切ったからよ!」



 怒声。咽喉が呻る叫びに空気が凍った。陽子の顔は般若へと変わり、怯えなどもう消え失せる。ただただ、怒りを、憎しみを宿し、睨む。


 あれほど綺麗に整った顔は見る影もなく。ぶるぶると震える拳を握りしめて、彼女は語った。



「隆史は香苗と浮気していたのよ」



 隆史が女子に目移りしやすいタイプの人間であるのを陽子も分かっていた。けれど、自分がしっかりとしていれば大丈夫だと、彼も「そんなことしない」と言っていた言葉を信じて付き合っていた。


 けれど、隆史は後輩の香苗を気に入って関係を持った、裏切られたのだ。浮気をしているというのに何でもないように顔を出して、彼氏面をしてくる。香苗は寝取ったというに平然と後輩として接しきた。陰で「バレてない」と「鈍感」と笑い者にしながら。



「浮気などしない、そう約束しておいて破るなんて……裏切りでしょう?」



 裏切りは許さない、絶対に。影で嘲笑って、馬鹿にして、そんなことが行わていい訳がない。罰を、罰を与えねば。陽子は口角を上げて言う、謝ってすむわけないじゃないと。


 陽子の自白に琉唯は初日の隆史と香苗の会話を思い出した、リビングルームで何かを話していたことを。会話はところどころ朧気ではあるけれど、隆史が誤魔化していたのははっきりと覚えている。



「だから、殺したと?」

「そうだけど?」



 悪びれる様子もなく陽子は答える、罰を与えただけじゃないと笑いながら。ゆっくりと隼の眉間に皺が寄る。


 陽子は立ち上がると「あの人たちが死んで気持ちが楽になったわ」と今度は般若のような顔を嬉しそうに綻ばせた。自分を笑い者していた存在はこの世から消えた。なんと、なんと晴れやかでしょう。にこにこと笑みをたたえて。



「辰則くんのキーホルダーが落ちているの見かけて、さらに良くなると思ったの。罪をかぶせることはできなくても、混乱させることはできるでしょう?」



 それがまた自殺した理由にもなるじゃないと悪びれもしない。これはちょっとしたエッセンスなのだと言いたいのだ、陽子は。


 彼女の存在が異質に見える。人間であるのか、これが現実であるのか、脳が処理を拒絶した。自分では理解ができないモノであると判断して、拒否反応を示す。



「陽子、どうして優子まで殺したんだ!」



 健司の声にはっと琉唯は息をする。ぎゅっと縮んだ心臓を握るように胸を押さえて彼から陽子へと視線をずらす。彼女はすっと真顔に戻った。



「あの子、隆史と身体の関係があったのよ」



 優子は隆史と身体の関係にあった。それは隆史に流されるがままにやってしまったのだと泣きながらに告げられたのだという。


 陽子が好きになった男性を優子も好きになることが多かった。けれど、付き合っているのだからと諦めていたところに隆史から持ち掛けられてしまう。悪魔の誘惑だと分かっていながらも、大丈夫だと囁かれて流されてしまった。一つ気になりだしたら止まらなくなり、ずっと考えてしまうタイプの優子は耐え切れなくなったのだ、彼との関係を。


 全てを聞いて、「あぁ、こいつも裏切ったのか」と頭の中で何かが切れる音がした。ぷつんという軽いものではない、引きちぎれるような嫌な音が。



「あの子をね、私は責めて、責めて……。これでもかと責め立てて、落としたの。私の殺人に付き合わせられるまでに。簡単だったわね、双子の姉妹だもの。あの子が弱い部分を突くのは簡単よ。入れ替わって生きていくつもりだったのに……まさか、火傷の痕を見られていたなんて……」



 この火傷の痕はきっと隆史がつけたものだ。彼は所有印代わりに煙草を押し付けたいと常々、言っていた。断っていたというのに、肩口にあったのは自分が寝ている時につけられたものだろうと陽子は眉を寄せて、「残念だわ」と肩を落とす。



「信じていた恋人にも、後輩にも、姉妹にも裏切られて、成り代わるのにも失敗して……。成功すると思っていたからこそ、殺害に使ったもの全てを私が用意したのに。優子あの子に罪を償ってもらいたかったわ。あぁ、なんて……」



 なんて、可哀そうなのかしら、私。口元を押さえながら陽子は涙を流す。悲劇のヒロインを気取って。



「くだらない」

「……はぁ?」



 くだらない。陽子ははぁっと睨むも、固まってしまう。人間というのは表情だけでなく、眼力だけでも怒りを表せるというのを彼、鳴神隼を見て知った。


 深く刻まれる眉間の皺と、猛禽類の鋭い眼、それらが黙らせる。誰も発言ができない、する隙すらも与えずに。



「君にとって裏切りというのは許されざる行為だったのだろう。だが、君の行動に琉唯を巻き込まないでもらいたい」



 人間を殺害するというのは重大な犯罪行為であり、許されることではない。どんな理由があったとしてもやっていいことではないのだ、殺人は。殺したいほど憎い理由だったにしろ、どんな言い訳を述べたところで理解されることはないということを頭に入れたほうがいい。隼は冷たく「君の考えは自己中心的なものだ」と切り捨てる。



「巻き込まれる人のことを考えたことがあるか? あぁ、そんな考えに至ることもできなかったのか。君の行動のせいで琉唯は恐怖を感じた」


「それがなんだっていうのよ!」



 他人が怖がろうが興味なんてないわと怒鳴る陽子に隼は目を細める。



「君は裏切り行為が許せないらしいな。人間には誰にだってそういったものがある。俺にもあるんだ」



 一歩、一歩と隼は陽子に近づいて――低い唸り声を上げた。



「琉唯に不安を恐怖を与える存在自体を俺は許さない」



 浮気をされて、笑い者にされた。信じていた恋人に、後輩に、姉妹に裏切られた。あぁ、可哀そうに辛かっただろう、苦しかっただろう。他人には計りきれない憎しみだ、それは。


 けれど、他人を巻き込むな。お前の勝手な思想に。やりたいことがあるならば、他所で一人でやれ。犯罪行為などに手を染めずに、迷惑をかけるな。


 氷のような言葉の雨が降る、雪が降っているのかと感じるほどに寒く。一つ、また一つと重しを乗せられた感覚に息が吸えない。



「どんな理由であろうとも、お前がやった行為は正当化されることはない。悲劇を気取るのも大概にしろ。お前は哀れな小動物ではない、自己中心的な人間だ」




 現実を見ろ。そう突きつけて隼は視線を持ち上げる。つられるように陽子が見遣れば、様々な〝瞳〟がそこにあった。


 一つは何もかも信じたくないという涙に濡れて。

 一つは恐れるように震えて。

 一つは悲しむように。


 一つ一つと目が合って、陽子は唇を嚙みしめて叫んだ。



「私はっただ、裏切られて、悲しかった、だけ……」



 頬に爪を立て掻きむしりながらぼろぼろと涙を流し、へたり込んだ。


 誰も彼女に声をかけることはない、どんな言葉をかければいいというのだろうか。琉唯は泣き崩れる陽子をただ見つめることしかできなかった。







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