第11話 猛禽類の眼は獲物を捕らえる



 アナタもそう、アナタも裏切り者よ。


 私を裏切った奴は許さない、許さない。きっと自分は大丈夫だとでも思っているのでしょうね。


 そんなわけがないでしょう。


(あぁ、やっと終わった)


 なんと、心が晴れやかなのでしょう。


   ***


「陽子!」



 血を吐いて倒れた陽子に健司が駆け寄ろうとして、優子が彼女に縋りついた。苦しみにもがく眼が虚空を見上げて、人がまた一人、死んだと物語る。悲鳴も上げることができないほどに突然だった。


 フローリングを伝う血が彼女の真っ白なTシャツに沁み込む。健司は陽子を抱きかかえようとして、「動かすな」と隼に止められた。



「彼女はもう死んでいる。動かしてはいけない」

「な、どうして」

「痕跡を隠されては面倒だ」



 痕跡と健司が眉を寄せる。隼は倒れる陽子の傍まで近寄って脈を計り、頬を伝う血を、首筋から肩へと視線を落とし、床に転がったペットボトルを指さした。



「これは陽子さんが自分で開けたものか?」

「え? そ、そうよ……」



 優子は何を言っているのといったふうに睨むが、隼は「他に見た人物は」と健司たちに問う。千鶴も浩也も荒れる健司を落ち着かせるので必死だったようで見ていないようだ。健司も辰則を警戒していたと。


 辰則はそんな健司の視線に耐え切れずにずっと俯いていたようで、周囲に目を向けられていなかった。全員の証言を聞いて隼はすっと目を細める。もう一度、陽子の死体に触れる、それは何かを確かめるように。



「何やってんだ」

「俺は一つ、可能性があると言った」



 何をと皆が顔を見合わせ、琉唯は彼から目が離せない。隼は縋りついている優子を引き剥がすようにして健司の隣に立たせる。



「彼女の死で可能性は確信に変わった」



 猛禽類のような瞳が獲物を捕らえた。



「崎沢隆史の殺害はプレハブ小屋まで呼び出せる人間という数人、絞り込むだけだが、佐々木香苗の殺害に関してはできる人物が決まっている」



 呼び出しても相手が怪しまない人物となると、陽子・優子・健司・香苗・辰則と隆史と親しい人物だと絞り込む程度だ。浩也は健司と面識があるが、彼の妹と後輩に会ったのは初めてで、千鶴も同じだ。隼も琉唯も彼らと会ったのはこのバイトがきっかけである。


 けれど、佐々木香苗の殺害に関してはできる人間が限られていた。陽子と優子、辰則がリビングルームにいなかったのだ。


 隼の「決まっている」という発言に健司が「やっぱりお前か!」と辰則の胸倉を掴む、お前が殺したのかと。



「ち、違う!」

「何が違うだ! お前の私物が落ちてたじゃないか!」

「オレだって今、気づいたんだ!」

「健司先輩、少し落ち着いてほしい」



 殴り掛からんとする健司に隼が冷たく制する。俺はまだ話をしているのだというように。何をと食って掛かろうとして健司は黙った、彼の鋭さが増す眼に睨まれて。猛禽類が獲物を捕らえ、周囲を警戒しているように。


 ひやりと背筋が凍る。目を逸らすことができない、近寄ることも。冷めた声音に含まれる怒りのようなものを琉唯は感じた。彼は何に対して怒っているのだろうか。



「墨田は犯人ではない」

「はぁ! じゃあ、誰が」

「いるだろう、もう二人。いや、もう一人となってしまったか」



 ぎろりと瞳が捕らえたのは、優子だ。皆の視線は彼女に集まり――逃がさない。


 それはまるで自分が殺したと言っているようなものではないか。ぎゅっと胸元で拳を握り、優子は「何を言っているの」と言葉を返す。隼は「そのままの意味だが」と彼女に告げる、君たちが犯人だと。



「日野陽子と日野優子が佐々木香苗を殺害した犯人だ」

「何を言ってるんだ!」



 妹を犯人と決めつけたことが許せないのか、健司が隼に掴みかかろうとして、さらりとかわされた。「俺は今、話をしている」と邪魔をしないでもらいたいと言って、隼は優子に君たちしかいないと断言する。



「〝日野優子〟としてならば、佐々木香苗は扉を開けたのではないか。彼女は日野優子に懐いているようだったからな」


「何を言っているの! 私も陽子も何もしていないわ! それに私はすぐに一度、一階に戻ったじゃない!」



 数分の差をどう説明するのよと優子は主張する。確かに陽子は後から二階に上がり、それから数分として優子が一階に戻ってきていた。けれど、隼は「それはアリバイにはならない」と一蹴する。



「でも、陽子さんが出て行って、優子さんもすぐ下りてきて会話したし……」

「本当に〝優子〟と会話していたのだろうか?」

「え?」



 千鶴の呟きに隼は言う、本当に〝あの二人〟だったのかと。どういう意味だと琉唯が彼から優子へと視線を移して、あっと一つの可能性に気づいた。



「日野陽子と日野優子、どちらかが〝一人二役〟したとしたら、どうだろうか?」



 双子である彼女たちは容姿だけでなく声も似ている。同じ髪形で同じコーデの服は二人を見別けることが難しい。何せ、服も同じTシャツも同じ色なのだから。デニムも、履いているスリッパも、身につけているもの全てが。双子を見破るのは付き合いの長い人間でもできるか怪しいものだ。


 片方が一人二役をやって時間を稼ぎ、片方はその間に香苗を殺害していればいい。「まぁ、それも意味がないと思うが」と隼は語る。アリバイ工作にしては脆く崩れやすい、そもそもなっていないのではなかろうかと。



「おそらく、夕食を運ぶタイミングから入れ替わっていた可能性がある。あの場でどちらが日野陽子か日野優子かを確信をもって判断できる人間はいるだろうか?」



 隼の問いに皆、答えられなかった。健司ですら、あの時はまともに妹たちを見てなどいなかったのだ、自分のことで精一杯で。



「これは二人だからできることだ」

「で、でも、証拠なんて……」

「佐々木香苗は恐らく眠らされてから殺害されている」



 ペットボトルの飲料水に睡眠薬のようなものを仕込んで飲ませることができれば、無駄な抵抗をされずに殺害することができる。香苗の胸元が濡れていたことを隼は話し、問う。



「俺たちは墨田と口論した後に佐々木香苗がペットボトルだけを持って部屋に入ったのを見ている。だが、部屋にはそのペットボトルが無くなっていた。おそらく転がった際にペットボトル同士が触れてしまったのだろう」



 薬を含んだ水に触れたペットボトルを放置しておくことができず、二本とも回収したのではないか。そこまで言って隼は「日野優子だった片方は夕食のトレーを置きにきたな」とダイニングテーブルを指さす。



「そのトレーにペットボトルが無いが、どうしたのか説明してもらってもいいだろうか?」



 君は確か言っていたはずだ、呼びかけても返事もなくてと。ならば何故、ペットボトルが夕食を乗せたトレーに置かれていないのか。あの時、すぐに君は出て行ったはずだ。全員の視線がダイニングテーブルに向けられる。指摘された通りに置かれたトレーの上にペットボトルは無い。


 隼に「誰かこのトレーに触れただろうか?」と問われて、「私たち陽子さんと一緒に入ったけどいじってるのは見てない」と千鶴が答える。



「でも、その後は見てないし……」

「二人が席を立ったのも見ていないと?」

「うーん。細かい動作は見えてないけど、移動した様子はなかったかも」



 ダイニングテーブルの椅子に座ってからは動いていなかったと千鶴は話す。確か、ペットボトルを渡して椅子に座ったはずだと。



「〝誰が〟渡した?」

「え、それは分らないよ……。陽子さんも優子さんも同じ服装だったし……入れ替わってたとか言われたら自信ないかな」



 あの時点で入れ替わってたいかもしれないならば、誰が誰かなど自信をもって判断できないと言う千鶴に浩也も頷く。



「兄ならば見分けることができるかもしれない。けれど、貴方の今の精神状態で自信を持って言えますか?」



 とても判断できる精神状態には見えないが。隼の指摘に健司は言い返そうとするも、言葉が出ていなかった。自分が周囲を見れていなかったことを自覚したのか、唇を噛んで目を逸らす。



「二人であれば崎沢隆史を殺すことも可能だろう。片方が呼び出し、相手の注意を引き付けておけばいい。隠れて背後から殴り掛かれば」


「そんなの横暴よ! そ、それだけで、証拠にはっ」

「そうだな。状況証拠と言われればそれまでだ。だが、血を吐いた〝彼女〟を殺したのは君だ」



 そこに倒れている〝彼女〟を殺したのは。もう一度、告げられた言葉に場が静まる。しんと耳が痛くなった。



「ど、どうして……」

「君しか考えられないからだ」



 空気を裂くように優子が口を開くも、隼からぴしりと言い返された。それほどに彼は自信があるようだ。そこまで言い切れる確証というのを彼は持っている。



「何をもってそう言い切れるのよ!」



 証拠を出しなさい、証拠をと叫ぶ優子に隼は一度、視線を倒れる〝彼女〟に向けてから琉唯へと向ける。



「琉唯。君は言っていたな」

「えっと……何を?」

「日野陽子の肩に火傷のような痕があると」



 火傷の痕と言われてあっと琉唯は頷く。陽子の肩には痣ではなく、火傷のような痕があった。はっきりと見たのだから間違いはない。琉唯の証言に隼が「肩のどの辺りだったか?」と、しゃがみ込む。



「右肩、首に近い位置だったか。そんなに大きくはなかったと思う」



 ここら辺と首に近いところを指すと隼はTシャツの襟元を捲って見せた。



「何処に火傷の痕がある?」



 えっと、琉唯が近寄ってみれば彼女の右肩、首元に近い位置に痕はなかった。綺麗な白肌をしていて、とてもじゃないがそんな痕があったようには感じられない。



「君は本当に〝優子〟なのだろうか?」




 突き落とすような感覚に襲われる。たった一言で、息の根を止めるように。





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