第8話 嵐は止まない


 人が一人、死んだとて時間が止まることはなく、過ぎていく。暗くなった外はこのままずっと閉じ込められたままなのではと、錯覚してしまうほどに雨が窓を叩いている。


 十九時過ぎた頃、誰も喋らないリビングルームはもう部屋に戻った方がいいのかもしれないと感じるほどに気まずい。千鶴と浩也は戻るタイミングを窺っているように顔を見合わせた。


 琉唯も居心地が悪い場所にこれ以上、居たくはないなと思いつつも、勝手な行動はしたくはない。自分が部屋に移動すれば隼も着いてくるだろうけれど、自分の知らないところで他の人がどんな行動をしているのか、気にならないわけがなかった。


 犯人が潜んでいる。隼は隆史を他殺だと主張しているので、そうであるとするならば、何処かにいるのだ、殺人を犯した人間が。見張るという言い方は悪いが観察できるうちはしておきたい、自分の身を守るために。


 がたんと椅子が引かれて辰則が立ち上がった。何を言うでもなく乱暴にスマートフォンをズボンのポケットに仕舞いえば、クマのキーホルダーが取れそうに揺れる。


 がちゃんと閉まるリビングルームの扉から琉唯が隼へと目を向ければ、彼は何を言うでもなく落ち着た様子だった。彼を見ているとこの状況が怖くないのだろうかと疑問が浮かぶ。琉唯は怖いと感じているし、早くこの場から離れたいと思っている。


 そんな様子を見せない隼が不思議でならなかった。人が死に、それも他殺であると判断しているというのにだ。



「どうして、落ち着いていられるんだ?」

「慌てる必要はないと俺は思うが」

「この状況で不安や恐怖って感じないものか?」



 琉唯が「おれは怖い」と素直に言えば、隼は「ないわけではない」と答えた。不安といった感情がないわけではなく、かといってそれが現状を変えてくれることはないと理解しているだけだと。



「全員が全員、怯えていても何も生まない。怖がるなとは言わないが少し落ち着くのも大事だ」

「そうかも、しれないけど……」

「琉唯は怖がる必要はない」



 何をもってそう言えるのか。琉唯は突っ込みたかったけれど、隼があまりにも真面目な顔を向けてくるものだから黙ってしまう。なんだかなと琉唯が思ってれいば、ダイニングキッチンから夕食とペットボトルが置かれたトレーを優子が手に持ってやってきた。



「香苗ちゃんに夕食を届けに行くわ」

「私に行かせて!」

「でも、陽子。貴女は香苗ちゃんに……」

「私、香苗ちゃんに謝りたいの」



 香苗は陽子の「隆史くんと話しているのを見た」という証言で、自分が犯人だと思われていると受け取っている。陽子たちにそんな意図がなくとも、言われた側としては疑われていると感じなくもない態度と発言だったのだ。


 自分は酷いことをしてしまったと陽子は「謝りたい」と優子を見る。いくら隆史が死んで動揺していたとはいえ、酷いことをしたと。けれど、優子は「恋人を亡くなったのだから今は無理をしなくていいから」と彼女の頭を優しく撫でた。



「香苗ちゃんは私に懐いているから、きっと食事を受け取ってくれるわ」



 だから、任せてと出ていく優子を陽子は見送るしかなく、小さく息を零した。それはなんとも辛そうで千鶴が「大丈夫ですか?」と声をかけた。



「え? あぁ……大丈夫よ」

「でも、辛そうですよ。ゆっくり休んだ方が……」

「そうしたほうがいいのは分かっているんだけどね。なんかいろいろ考えちゃって……」



 愛していた恋人が死んだ。昨日まで話していた彼が、突然いなくなった。今だに現実味がなくて、けれど彼の身体は冷たくなっていて、事実なのだと突きつけられる。楽しかった思い出がぐるぐると頭の中を巡っていく、考えないようにしていても。


 それに香苗に酷い態度をとってしまった、だから、謝りたかったのだが、優子に心配をかけてしまっていたと陽子は笑みを作る。笑えていない顔に千鶴はなんと声をかけていいのか分からず眉を下げた。



「優子だって怖がっているのに私ったら……。やっぱり、優子だけに任せるのは駄目ね。私も香苗ちゃんの様子を見てくるわ」



 心配ばかりかけては駄目よねと陽子が小走りに部屋を出て、それが無理しているようにしか見えず、千鶴は「辛そう」と不安げだ。浩也も同じように「大丈夫か」と心配している。


 そんな妹がいるというのに兄である健司は窓の外を眺めては、うろうろとして落ち着きがない。自分のことで精一杯な気持ちは分らなくもないことだが、それにしったって周囲に気を配ることもしていなかった。


 健司の様子は時間が経つにつれて変化している。最初の頃はなんとか気を持たせようとしていたけれど、今はそれすらもできていない。止む気配のない天候が彼の精神を逆立てているようだ。



「健司もあぁだし……せめてオレたちは落ち着いていないとな」

「うん……」

「時宮ちゃんは無理しなくていいんだよ」

「大丈夫だよ、緑川くん。今は落ち着いて判断できる人が多いほうがいいと思うから」



 怖くないわけではない、不安だってあるけれどと千鶴は返す。鳴神くんが言っていたけれどと。全員が全員、慌てていてはいけない。誰かが落ち着いて判断しなければ、場を混乱させるだけで余計に不安を与えかねないのだ。


 強い子だなと琉唯は千鶴の言葉を聞いて思う。自分でも落ち着いていられているかは自信がない、恐怖を抱いているのだから。隼の落ち着き払った態度に疑問が浮かぶほどに。


 自分も少しは冷静に状況を判断しないとと琉唯は気を引き締める。警察に事情を聞かれてもすぐに答えられるように状況を整理することにした。



「えっと、まず二十一時から七時の間に崎沢が亡くなっているってことだよな?」

「証言に嘘がなければそうなるな」



 琉唯の問いに隼は「俺たちが見たのは二十時過ぎだ」と、少なくとも二十時以降に隆史の姿を見かけてはいないと答える。


 証言を思い出すに、朝七時に陽子と優子が最初にリビングルームに来ている。それから健司、香苗と辰則と続く。最後にやってきた千鶴と浩也は下りてくるまでに誰も見かけていないようで、「怪しい人とかいなかったけど」とうーんと首を捻る。



「やっぱり、二十一時から七時の間なのかなぁ?」

「崎沢隆史の部屋は玄関の近くだ。俺たちの部屋からは遠く、物音などは聞こえていないな」


「二階の私たちなんて特に聞こえないよねぇ」



 寝静まった後に死亡したのならば、物音など余程の大きさでなければ耳になど入らない。叫び声の一つでも上がれば別だが、そうではなかった。自発的にプレハブ小屋に行ったのか、呼び出されたのかでも話が変わってくる。


 呼び出されて死亡しているのならば犯人は親しい人間となる、この中にいるということに。疑いたくはないけれどその可能性は否定できず、黙ってしまった。



「兄さん、まだ落ち着きがないのね……」

「あ、陽子さん?」

「優子よ。陽子は香苗ちゃんの部屋の前にいるの」



 リビングルームへと戻ってきた優子に「あ、すみません」と千鶴が謝ると、「大丈夫よ」と笑まれる。間違われるのには慣れているからと。



「香苗ちゃん、返事も無くて……」

「呼びかけても答えないんですか?」

「えぇ……」



 部屋の扉をノックし、名前を呼ぶも返事がなくて、何も食べたくないのではと夕食を戻してきてほしいと陽子に言われたのだと、優子は夕食だけが置かれたトレーをダイニングテーブルに置く。陽子は話ができないか呼びかけているのだが、これほどまでに香苗を追いつめてしまったのかと後悔しているようだと優子は俯く。



「そっとしておいたほうがいいかもしれませんね」

「そうなんだけど、でも一人でいるのは危ないような気がするの」



 追いつめられて苦しむというのは辛いことだ、精神を崩すほどに。この閉ざされた別荘では自殺行為になりかねないのではないか。優子は「もし、何かあったら」と涙を目に溜める。



「もう少し呼びかけてみるわ」

「無理しないでくださいね」



 優子はまた二階に上がっていって琉唯はしつこく呼びかけるのも追いつめる原因ではないだろうかと心配になった。千鶴の言う通り、そっとしておいたほうがいいのではないかと思わなくもないのだ。



「陽子さんと優子さんって見分けがつかないね。申し訳ないことしちゃった」

「仕方ないんじゃないか、それは」

「そうかなぁ……」



 見分けるコツとかあるのかなぁと頬を掻く千鶴に琉唯はふと、陽子の肩に火傷のような痕があることを思い出した。あれは生まれ持った痕には見えなかったので、優子にはないかもしれない。



「陽子さんの肩に火傷みたいな痕があったんだけど、優子さんにはあるのかな」

「え、なんで知ってるの緑川くん」

「いや、陽子さんが転びそうになった時に支えたらちらっと見えて……」



 何それと千鶴にじろーっと見つめられて、「いや、他意はなかったから!」と琉唯は慌ててたまたま見えただけと返す。じろじろと観察してしまった自覚はあるけれど、あれはたまたまだったと。



「まぁ、ひとまずは信じようじゃないか」

「なんだよ、その言い方……」

「香苗ちゃんっ!!」



 むすっと琉唯が言い返した言葉の続きは叫び声でかき消えた。



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