第9話 また一人、消えていく



 眠るように倒れる彼女の首に縄を巻いてぐっと握りしめる。今までにないほどに腕に力を籠めて。


 恨みを憎しみを、怒りをぶつけるように。ぎちぎちと軋む音がまるで心を潤していくようだった、気分が晴れていく。


 あぁ、本当にいなくなってくれた。裏切り者などこの世から消えてくれていい、どうあっても許されないのだから。



「あぁ、あと少し」



 あと少しで全てが終わる。動くことのなくなった彼女の胸に手を当てれば、鼓動は感じられず。そっと口元に触れると呼吸は止まっていた。


 止めにとぎゅっと思いっきり首を締めあげて――放った。


   ***


 響く悲鳴に階段を上れば、香苗の部屋の前で座り込む陽子と優子に健司が駆け寄った。目を開いて震えながらも彼女たちの眼は室内に向けられいて――視線を辿る。


 床に転がるは華奢な身体。すらりとした足は無造作に、白肌の腕は力なく、動く気配はない。倒れるそれが香苗であると理解して、健司が室内へと飛び込んだ。



「香苗ちゃん!」

「息をしていない」



 健司に続くように室内に入った隼が香苗の呼吸を確認し、脈拍を計る。琉唯が生きているのかと問うように彼の傍に近寄ると、「死んでいる」と現実を突きつけられた。


 どうしてと動揺している健司を他所に隼は香苗の死体を観察し始めた。おいと琉唯が突っ込もうとして、彼女の首元に目が留まる。細目の白いロープのような縄が首に巻かれ、締め上げられたような痕がくっきりと残っていた。


 これは首を絞められて殺されている。誰が見ても分かる現状に琉唯は言葉が出ず、指をさせば「絞殺だな」と隼は冷静だ。



「首を絞められた痕跡があるのを見るに、絞殺だろう」



 明らかな他殺死体を目の前にして、人間というのは様々な反応をするのだなと琉唯はこの時、初めて知った。


 健司は「ふさげんなよ!」と誰とも分からない犯人に怒りをぶつけ、陽子と優子は腰を抜かして動けない。千鶴は香苗を見ることができずに浩也の背に隠れ、遅れてやってきた辰則は目をこれでもかと見開いて固まっていた。


 皆が皆、何処かに潜む殺人犯に怯え、怒りを露わにしている。今だに現実味がない感覚に琉唯は襲われ、恐怖とは違った何かが胸を這う。



「陽子さん、優子さん。どういう経緯で佐々木香苗の遺体を発見したのか、聞いてもいいだろうか?」


「え、あぁ……」



 隼の落ち着いた声音に「優子が戻ってきて」と陽子は答える。リビングルームから戻ってきた優子と一緒に声をかけるも全く反応がなく、いくらなんでもここまで無視されるものだろうかという違和感に陽子がドアノブを捻ってみたのだという。


 鍵がかかっていなくてすんなりと開いたことに驚きながらも、「香苗ちゃん大丈夫?」と室内に目を向けて、床に倒れている彼女を発見したということだった。



「驚いて、声上げちゃって……」

「誰かが部屋にいた気配はなかったと」

「なかったと思うわ……」



 私たちはそのまま腰を抜かして座り込んじゃったけれど、誰かが飛び出してきてはいないと二人は証言する。簡易的に掃除されて家具もなくさっぱりとしている室内に誰かが隠れるスペースはない。


 隼がカーテンを引いて窓の鍵を調べているが、どうやら閉められていたようだ。犯人が潜伏し、窓から逃げた形跡というのはないように見える。



「検視をしていないことには断言できないが、佐々木香苗はまだ殺されて間もないと見える」

「死んだばかりってことか?」

「そういうことになる」



 琉唯は隼の返事に混乱する頭で状況を整理していく。香苗はまだ死んでから時間が経っていないということは、この数十分の間で殺害されたといことになる。その間に自分たちは何をしていただろうか、リビングルームにいてと一つ一つ思い出す。


 リビングルームに全員いたが、最初に辰則が出て行った。それから少しして優子が夕食を持っていき、後に続くように陽子が。暫くして優子が一度、戻ってきて――死体を発見。



「でも、みんなそれほど時間は経ってないし……殺すタイミングってあるのか?」

「可能性はいくつかあるだろうな」



 可能性とはと琉唯が隼を見遣れば、彼は扉のほうへと視線を向けていた。怯えたように肩を抱き合っている陽子と優子、一言も発しない辰則を捉えるように。



「ひとまず、陽子さんたちは落ち着くためにリビングルームに移動したほうがいい。ここは俺たちが確認しておこう」


「そ、そうね」



 ここにずっと居ては落ち着いていられるわけもない。隼の提案に「そうさてもらうわ、陽子」と優子は陽子の手を取り、千鶴もその場にいたくなかったようで浩也に連れられて四人は降りていく。


 残った健司は拳を握りしめながら香苗を見つめ、辰則はやっと我に返ったのか一歩、室内に足を踏み入れた。



「佐々木は本当に死んで……」

「死んでいる」

「いったい、誰なんだ! どうして香苗ちゃんを殺した!」



 床を殴る健司に琉唯は声をかけることができない。隆史が死んだことによる不安も香苗の死によって怒りへと変わってしまったようだ。不安定な精神で他殺死体を見つけてしまったのだから、そうなってしまうのも仕方ないことなのだろう。


 隼はといえばそんな健司など気に留めるでもなく、室内を見渡していた。窓の施錠を再度、確認している彼の態度というのは傍目から見れば異様に映るかもしれない。現に健司が「何やってんだよ」と苛立った声を出している。



「何か痕跡がないか探していた」

「あったらなんだっていうんだ! 人が死んでいるんだぞ!」

「死亡したのは彼女だけではない。崎沢隆史もだ」



 彼だって死亡していると冷静に返されて健司は一瞬、押し黙る。けれど、「人が二人、死んでいるのに落ち着きすぎだ!」と食って掛かる。



「お前が殺したのか、まさか!」

「どうしてそういった考えになるか分からないのだが? 俺は佐々木香苗の遺体を発見した時、リビングルームにいたのを先輩も見ているはずだ」



 ずっとリビングルームから出ていないと隼が答えれば、うっと健司は思い出してか言葉を詰まらせる。言いたげに睨む彼を無視して隼は辰則に「君に聞きたいことがある」と声をかけた。



「君は最初に部屋に戻っただろう?」

「そう、だけど……」

「物音は聞いていないのか?」

「いや……聞こえてない」



 微かに優子さんたちの声は聞こえたけれどという発言に、そうだと健司は辰則に掴みかかった。お前が最初に出て行ったんだと。



「お前がやったのか、お前が!」

「や、やってない!」

「先輩、落ち着いて!」



 お前以外に考えられないと荒れる健司に琉唯が止めに入った。今朝の様子とは人が変わった様子に困惑しながらも、殴りかかろうとする腕を掴む。


 人間というのは閉鎖された空間で不安を感じ続けると追いつめられてしまうようだ。人が一人、死んだだけでもショックだというのに、荒れる天候に孤立し、すり減った精神に止めを刺すように他殺死体を見つけたのだから。


 琉唯自身は現実味がない感覚によって救われているのか、困惑はしつつも落ち着いていられている。自分よりも追いつめられている人間が目の前にいるというのもあるのかもしれない。



「健司先輩、陽子さんたちのところに行きましょう! 二人が不安がっていると思いますから!」



 兄である貴方が二人の傍にいてあげてください。琉唯にそう諭されて、健司は「そうだ、陽子と優子」と呟いて辰則を突き飛ばしながら部屋を飛び出す。


 扉に肩をぶつけて痛そうに顔を顰めて辰則は何も言わない。黙って頭を下げて後を追うように出ていった彼の背を琉唯は見送ることしかできなかった。





 

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