第7話 不安定な人間たち
人が居るというのに話し声もせず、静か。ごうごうと荒れる風の音だけがリビングルームに響き、環境音だけがする室内は居心地が悪い。皆が皆、不安を、恐怖を抱いているのだから気分が良いわけもなかった。
正午も過ぎて昼食を取るも、誰も喋ることはしない。無言で食べるか、食欲がないと口に付けないかだ。まだ殺人だという確証はないと言うが、少なからず警戒しているのはその態度だけで分かることだった。
部屋に閉じこもっている香苗以外は皆、リビングルームに集まっていた。一人でいるよりかは安心できるからだろう。琉唯も部屋に籠っているよりかはいいと、リビングルームに居座っている。
段ボールを椅子代わりにしながら皆の様子を観察すれば、健司はずっと窓から外を眺め、辰則は何をするでもなく壁に寄り掛かっていた。陽子はダイニングテーブルの椅子に座って手で顔を覆い、優子はトレーの上に昼食を並べている。
千鶴はずっと浩也の傍から離れず、隼も口を開くことはない。ずっと黙っているというのは辛いなと琉唯は小さく息を吐く。
「あの、辰則くん。香苗ちゃんに昼食を持っていってくれないかな?」
トレーを持った優子が申し訳なさげに辰則を呼んだ。自分はもう少し陽子の傍にいてあげたいからと。
「同じ学科で知った顔なの、辰則くんだけだし……」
「わかりました」
辰則がトレーを受け取ると、「ごめんなさいね、ありがとう」と優子はリビングルームの扉を開いた。出ていく彼を見送ってから優子はぎゅっと手を握る、安心させるように。
そんな彼女に千鶴が「大丈夫ですか?」と声をかける。見て分かるほどに優子は震えていたのだ。流石に心配になると千鶴が言えば、「大丈夫よ」と笑えていない顔を彼女は見せた。
「私はいいの……私なんかは……」
「えっと……」
「あ、あぁ、気にしないで。私なんかよりも、陽子のほうが辛いと思うから……」
「恋人ですもんね……」
「えぇ……」
恋人が死んだ、それも殺されたかもしれないのだ。犯人が潜んでいる恐怖だけでなく、大切な人がいなくなったというショックもある。現実を受け入れられなくて、落ち着くこともできず、胸が痛む。それは他人には理解できない苦しさだ。
どんな言葉をかけても意味はなく、気持ちを和らげさせることは難しい。励ましたくても、逆効果となってしまうかもしれない。なんと声をかければ良いのか分からず、何もできないもどかしさに優子は目を伏せた。
「私も怖いの、怖い……。でも、私が……」
「無理しないでください。今は警察が来るのを待ちましょう」
自分たちに何かできるわけではないのだからと千鶴に言われて、優子はそれもそうよねと頷く。警察が来れば隆史が事故死なのな、他殺なのか調べてくれるはずだ。犯人も見つけてくれると。
「優子さん、少し聞きたいことがあるのだが」
何の前触れもなく二人の会話に割って入った隼に琉唯は何をと顔を上げた。隼は相変わらず読めない瞳を優子に向ける。
「……私に、聞きたいこと?」
「あぁ。少し良いだろうか?」
「大丈夫だけど……」
聞きたいこととはと首を傾げる優子を連れて隼がリビングルームから出て行ったので、気になった琉唯も二人に着いていく。二階に上がる階段のところで立ち止まった隼は優子に「崎沢隆史についてだが」と質問を口にした。
「彼は誰かに恨まれるような人物だったのだろうか?」
「それは……」
突然のことに優子は眉を下げて琉唯を見た。いきなりそんな質問をされたらそういった反応になってしまうよなと、琉唯が「どうしたんだ、隼」と質問の意図を聞く。
隼は「死亡した人物の人間関係というのは事件を解決するために必要なものだ」と答えた。これがもし、他殺ならば殺された原因といのがあるはずだ。無差別殺人を除けば、人間関係などから導くことはできると。
「貴女は陽子さんと一番近い存在だ。彼女の恋人である隆史を見ているならば、何か知っていることがあるのでは?」
陽子から何か話を聞いていないか、あるいは隆史と接していて感じたことはないか。隼は「些細なことでいい」と思い出してくれないかと問う。
優子はそうは言われてもと眉を寄せる。琉唯は困らせてしまっているなと「やめておけって」と隼を小突く。
「急に言われても困るだけだろ」
「必要だから質問しているだけだが?」
「お前な、時と場合を考えて……」
「その、ね……隆史くん、同学科の生徒からはあまり良い印象はなかったみたい」
何かと馴れ馴れしく、女子に目移りしたりと、その距離感とノリに少なからず嫌悪を抱いていた人間はいたようだ。軽い口調というのは軽薄に感じられるということだろう。
女子に目移りと聞いて琉唯は隆史が千鶴のことを「かわいい」と気になっていたなと話していたのを思い出した。
「私もね、その……陽子に大丈夫なの? って聞いたの。でも、大丈夫だって言うから……」
「なるほど」
優子も隆史の印象を見て心配はしていたようだが、陽子に大丈夫だと言われて安心していたと話してくれた。周囲からの評判は悪いかもしれないが、付き合っている陽子がそう言うならと。
「昨日、佐々木さんが崎沢隆史と話をしていたと陽子さんが証言したが、声などは聞こえていなかっただろうか?」
「え? ……兄さんと話していたから……気づかなかったかな」
声は聞いていなかったが、香苗がバイトに関して不満を抱いていたのを知って、優子は「私からもちゃんと説明してあげればよかったわ」と申し訳なさげだ。
隆史からどう聞いていたかは知らないが、内容と違うことをやらされていたのだ。汚れ作業などしたくなかったのだから、やりたくないことをさせてしまったという罪悪感を抱いている様子だった。
「あの、もういいかしら?」
「あぁ、大丈夫だ。ありがとう」
陽子が心配だからと優子はリビングルームへと戻っていくその背を見送った琉唯はじとりと隼に目を向けた。彼はなんでもないように顎に手を当てる。
「お前さ、時と場合を考えたほうがいい」
「必要な情報だろう?」
「そうかもしれないけれど、優子さんは怖がっていたんだぞ。それにこういうのは警察が来た後でもいいだろ」
事件の捜査は警察に任せるべきだと琉唯が注意すれば、隼は「いつ来るかもわからないというのにか?」と返してきた。
嵐のような天候は治まる気配が見えない。この状況では道を塞ぐ木など退かす作業はできないというのは想像ができる。閉じ込められた状況というのは犯人とて同じだ。
また誰かが殺される可能性だってある現状で大人しく待っていることができる人間がどれほどいるだろうか。隼の指摘に琉唯は言い返そうにもできなかった。皆、口に出さないだけで落ち着いてなどいない。
「でも、相手の気持ちぐらい考えろよ。あと、隼が探偵まがいなことする必要はないだろ」
「別に探偵まがいなことなどしていない。琉唯のために動いているだけだ」
「おれのため?」
どういう意味だろうか、それは。琉唯は急に出てきた自分の名に目を瞬かせる。〝琉唯のために〟とは、何か。全く理解ができなくて、琉唯が「それ、どういう意味だ」と問おうとして――ガシャンと物が落ちる音が響く。
二階から聞こえた音に琉唯が階段を見上げれば、「しつこいのよ!」という怒声に隼が上っていった。慌てて駆け上げれば、廊下にトレーが落ち、昼食として出していたレトルト食品が無残にも散らばっている。
「あんたでしょ、隆史先輩を殺したの!」
「違うっ」
「嘘つくな! わたしに振られたからって自棄でも起こしたんでしょ!」
知ってるんだからねと香苗は興奮したように辰則の胸倉を掴む。わたしのことが諦められなく着いてきたこと、隆史に良い印象を抱いていないことをと、涙を溜めた瞳で睨みながら叫ぶ。
彼女の主張に辰則は「違う」と反論しているが、聞く耳を持ってはくれない。さんざんと罵倒を口に出してから、香苗は床に転がったペットボトルの飲料水だけを掴んで、彼を突き飛ばすと部屋に閉じこもった。
ばたんと強く閉まる扉から拒絶が伝わってくる。辰則はノックをしようとした手を止めて、床に散らばったトレーを片付け始めた。一連の光景に暫し固まっていた琉唯ははっと我に返って、「大丈夫か?」と声をかける。
「あ、先輩」
「片付けるの手伝うよ」
「いいです。先輩たちは優子先輩に伝えてきてください」
それだけ言って辰則は黙ってしまい、琉唯は仕方なく彼に指示された通りに優子に報告しにいくために階段を下りていくと隼がぽつりと呟く。
「彼は佐々木さんに好意があったのか」
なんだと振り返れば、隼はすっと目を細めて思考の海へと落ちている。また何かやるのかと琉唯は「変な事を聞くなよ」と釘をしておく。
通じているのか、いないのか。隼の「あぁ」という適当な返答に琉唯はもういいやと突っ込むのを止めた。
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