第6話 無くなっているもの
「隼。この雨の中、外に出るのは危ないぞ」
「敷地内から出るわけではない」
開け放たれた玄関扉から激しさが増す雨を眺めながら琉唯が隼を止めれば、「プレハブ小屋に行くだけだ」と彼は何でもないように返した。
はぁっと思わず聞いてしまう。プレハブ小屋には隆史の遺体が置かれているのだから、そんな場所にどうして行くのかと問いたくなる。隼は確認のためとだけ言って傘をさして玄関を出たので、琉唯は慌てて追いかけた。
風は少しばかり勢いを弱めているけれど、それでも酷い天候だ。靴を濡らしながらプレハブ小屋に向かえば、隼は何の躊躇いもなく扉を開けた。
扉の少し奥に隆史の遺体は横たわり、顔には陽子のハンカチが被せられている。あらためて遺体を見て琉唯は気持ち悪さが込み上げてきた。それは恐怖からなのかは分からないけれど、胃液がせり上がってくる感覚に小さくえずく。
隼は恐怖など抱いた様子もみせずにハンカチを取って、隆史の頭を持ち上げた。後頭部が見えるように傾けられて琉唯は「何やってるんだ!」と思わず声を上げてしまう。
「何を? 殴られた痕を確認しているだけだが?」
「なんでそんなこと……」
「この感じは……これは鈍器で殴られたか」
他殺の可能性があるのは理解していたが、隼ははっきりと断言していた。どうして殴られたと決めつけることができるのだろうか、琉唯は首を傾げる。
スマートフォンのライトを照らしてくれと指示されて、琉唯はしぶしぶとポケットから取り出すと点灯させた。光に当たり殴られたような痕が露わになる。血は雨に洗い流されてしまっているが、傷口がなまめいてみえた。
うっと琉唯は口元を押さえる。生々しい傷跡に気持ち悪さがさらに込み上げてくるも、ぐっと堪えた。
「これは何度か殴られているな……。だいぶ酷い」
「何度かって……そんなの分かるもんなのか?」
「傷口の抉れ方をみれば、一度打っただけとは言い難いな。殴られたと思った理由は実物を見たことがあるからだ?」
さらりと告げられて琉唯ははぁっと声が出た。何をそんな簡単に言っているのだ、この男は。どんな生活をすればそんなものを見る状況に陥るのだろうか、琉唯の頭には疑問符が浮かぶ。
「土木作業員の若者が酔った勢いで喧嘩になって殴ったところに居合わせただけだ」
たまたま殴られた瞬間に立ち会ってしまい、介抱して頭を見てしまったのだという。その時の打撲痕によく似ているのだと隼は話す。
「ちなみにそれって事件になった?」
「殴られた若者は死亡し、殺人事件として処理されていたな」
警察に目撃者として何度も話を聞かれたと思い出してか、疲れた表情をみせる。ただ、介抱しただけなのだがと。傷跡というのは意外と記憶に残るようで、「あの生々しい痕というのは脳にこびりつく」と隼は顔を顰めた。
その傷跡に隆史のものが似ているのだという。再度、確認してから隼は持ち上げていた頭を置いて立ち上がった。
これが他殺ならば凶器があるはずだ。犯人が持ち歩いているのか、それとも海に投げ捨てたのか。高台にあるこの別荘ならば海に投げ捨てるのは簡単だ、探すだけ無駄だろう。
凶器かと琉唯は室内を見渡す。昨日、運んだ荷物が奥に詰まれているぐらいで特に変わった様子はない。あるとするなら草刈り鎌と工具ぐらいだろうかと、埃の被った箱に目を向けて琉唯はあれと気付く。
昨日、工具箱の上にあったはずの金槌がないのだ。荷物を運ぶ時に転がったのだろうかと部屋を探してみるが見当たらない。その様子に隼が「どうした」と琉唯を呼んだ。
「いや、ここにあった金槌が無くなってるんだ」
「金槌? あぁ、確かにあったな……」
「あれって移動させたっけ?」
「俺の記憶にはないな」
そもそも、金槌を使うような作業を昨日は行っていないと隼に指摘されて、琉唯も荷物を運んだだけだったと記憶していた。倉庫内を漁ったりもしていなかったので、金槌だけが無くなっているという現状に違和感を覚える。
此処に無いということは誰かが持っていったということになるのだ。いったい何のために、どういった理由で。そこまで考えて琉唯は一つの可能性に行きつく。
「あのさ。此処にあった金槌が凶器って可能性はないか?」
金槌ならば人の頭を殴って殺せなくはないのではないか、琉唯の推測に隼は「可能性はある」と答える。この場にあったものであれば、持ち運ぶ必要もないと。
「倉庫の隅で埃をかぶっていたものなのだから、無くなっていても気づかれないと考えることもできる。使った金槌は海に投げ捨てればいい」
此処ならばそれが可能だと淡々と話す隼の口調は何処か推理めいていた。顎に手をやって工具箱と隆史の遺体を交互に見遣りながら。
凶器の可能性があるだけで決まったわけではない。とはいうが、あったはずのものが無くなっているというのは不可思議だ。誰かが持ち去らないかぎりは此処に残っているはずで、無いということは――
「何をやってるんだ、君たちは!」
「あ、健司先輩」
開いたプレハブ小屋の扉から訝しげに健司が顔を覗かせた。何をしていたのかと問われると、隆史の後頭部の傷を確認していたのだが、それを素直に言っていいのか悩ましい。
不用心だ、勝手な行動をするな、不謹慎だなどと指摘されては何も言い返せないのだ。どうしようかと琉唯が隼を見ると彼は「場所を確認していただけですよ」と答えていた。
「崎沢隆史が倒れていた場所が何処だったか、彼の遺体に他に外傷がなかったかを確認していただけです。現状を再度、確認して警察が来た時に伝えられるために」
事件を迅速に解決してもらうには状況を正確に伝える必要があるでしょうと隼に言われて、健司は確かにと納得したようにプレハブ小屋の地面を指さした。
「ここらへんだったよな、確か」
「えぇ、プレハブ小屋の前でした」
「で、地面は水浸しで、隆史くんは濡れてて……周囲には」
「何もなかった」
見渡してみるけれど頭をぶつけて負傷するほどの障害物はない。草が生えてはいるけれど、庭ほどに伸び放題ではなかった。草の根をわけて確認するが小石はあれど、それ以外に何もない。
プレハブ小屋の扉の前は水溜りで土がぬかるんでいるだけだ。打ちどころが悪くてというのは少々、苦しいかもしれない。
「隆史くんは……」
「あの、健司先輩。倉庫から何か持ち出しましたか?」
「え? 僕は持ち出してないけど」
琉唯の問いに倉庫に荷物を詰めこんだけれど持ち出していないと健司ははっきりと答える。彼が嘘をついていないのであれば、他の誰かが持ち出したのかもしれない。
「何か無くなってたのかい?」
「あー、金槌がないなぁと……」
「他に誰か立ち入った人に覚えはないだろうか?」
「うーん、僕はないかな」
誰かが此処に入っても裏手だから気づかないかもしれないと言われて、琉唯も夜なら尚更、分からないだろうなと思う。寝静まった後ならば特に。
現状を再度、確認してみて琉唯はこれは殺人事件なのではないだろうかと感じた。確信があるわけではないけれど、事故死にはどうも見えない。あったものが無くなっているという状況も気持ちが悪くて。
「ひとまず、現状は再確認できたし戻ろうか」
これ以上は出てこないだろと健司に言われ、彼に連れられるようにしてプレハブ小屋から出た。外はまだ雨が降っていて、弱まる気配が感じられない。風もまだまだ勢いがあって、傘などあってないようなものだ。
濡れてしまったと傘をたたみながら琉唯が玄関にたてかけて隼を見遣れば、彼は何か思案するように遠くを眺めていた。
「隼?」
「……なんだろうか、琉唯」
「いや、こっちが聞きたいんだが?」
なんか考えてたみたいだったからと琉唯が聞けば、隼は少し間を置いてから「なんでもない」と答えた。
「確証もない状態で発言するのは不安を煽るだけなのだろう?」
「え? まぁ、そうだけど……」
「琉唯を怖がらせたくはない」
それはなんでもないということではないのではないだろうか。と、琉唯は突っ込みたかったけれど、隼がリビングルームへと歩いていってしまった。
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