第5話 取り残された者たち



 リビングルームでは重苦しい空気が漂っていた。皆が皆、不安げにしながらも喋らない。


 陽子は優子に支えられながらしくしくと泣いていた。恋人である隆史が亡くなった現実を受け入れられないように。


 あらためて生死を確認したが、隆史は息を引き取っていた。冷たくなった身体は硬くなり、半開きの眼から見える濁りに生気はない。


 隆史の死を告げて浩也と辰則は彼の遺体を見たが女性陣では陽子だけだ。千鶴も気になっていたようだが、浩也から止められて見てはいない。香苗は震える肩を抱きながら周囲を見渡している。人が死んだという事実に恐怖で見開かれた眼には涙が溜まっていた。


 空気を裂くようにリビングルームの扉が開く。スマートフォンを片手に健司が入ってきたが顔色が悪い。



「健司、どうだった」

「別荘に続く道が風で薙ぎ倒された木で塞がれているらしい」



 港にある駐在所に連絡を取ったが道が塞がれてしまい、辿り着けないと連絡がきた。この荒れた天候では木を退かす作業もできないらしい。話を聞いた香苗が「ふざけないでよ!」と叫んだ、こんな場所にずっといるなんてできないと。



「人が死んでいるのよ! 犯人がいるかもしれないのに大人しく一緒にいられないわよ!」


「まだ、殺されたとは決まって……」

「頭に殴られたような痕があったな」



 健司が落ち着かせようとする言葉を遮るように隼が言う。えっと流唯が顔を上げれば、彼は落ち着いた様子で「遺体を確認した時に見えた」と答えた。



「ほら!! やっぱり犯人が近くにいるんだわ!」

「鳴神くん、それを言う必要はないだろ!」

「隠す方が余計に不安になるだろう」

「それはそうかもしれないが……」



 言い方というのがあるはずだと主張する健司に隼は「俺は一つの可能性を潰しただけだ」と告げる。殴られた痕があるということは自殺ではない。誰に殴られた可能性があると。



「それで余計に怖がらせてどうするんだ、隼」



 可能性を一つ潰したからといって不安がなくなるわけではない。誰かに殴られたかもしれないという事実に琉唯は「誰だって怖いと感じる」と注意する。


 琉唯の主張に隼は数度、瞬きをしてからふむと顎に手をやった。何かを考えるように。少しの間を置いて「琉唯は怖いのか?」と問う。



「え?」

「琉唯はこの可能性に不安や恐怖を抱いているのか?」

「そりゃあ、怖いさ」



 事故死にしろ、他殺にしろ、人が一人死んでいるのだ。不安に感じるし、もし誰かに殺害されたというのならば、近くに犯人がいるかもしれないという恐怖も抱く。琉唯が「怖いって感じるよ」と答えれば、隼は「そうか」と呟いてゆっくりと目を細めた。


 隼は恐怖を抱いていないのだろうか、不安を感じてもいないのか。彼はいたって冷静でいつもと何ら変わらない態度だ。見た目だけでは判断できなくて、琉唯はこんな時でも落ち着いていられるのかと驚く。


 他殺ならば犯人が近くにいるのだ。動機が分からない以上は被害が及ばないとは限らない。無差別な犯行なら自分が殺されかねないのだ。だから、香苗のように怯えてしまう気持ちが琉唯には理解できた。


 わなわなと震える香苗を落ち着かせようと健司が声をかけているが、彼女は「早く帰りたい!」と泣いている。辰則も会話に入っているが、全く言葉が通じていなかった。


 まだ泣いている陽子の傍に優子はいて、彼女の背を優しく擦っている。千鶴は浩也の腕に抱き着いて彼と話していた。誰かと話すことで気を紛らわせようとしているのだろう、手が震えているようにみえる。



「最後に崎沢隆史を見た人物は誰だろうか」



 皆が皆、気を持たせようとしている中、隼が問う。何の脈絡もない質問に健司が「え?」と目を瞬かせ、陽子も「最後に?」と顔を上げる。



「彼を見なくなったのはいつか、それが知りたい」

「な、なんで急に……」

「覚えているうちに纏めておけば、警察に伝える時にスムーズにいくだろう」



 人の記憶というのは当てにならない。突然のショックな出来事に全く覚えていない、時間が経って自分の証言に自信が無くなっていく、おぼろげになってしまうこともある。


 今、まだ記憶が新しいうちに証言を纏めておく必要があると隼は説明した。確かに一理あるなと琉唯は昨日の事を思い出す、最後に隆史を見た時のことを。


 荷物をプレハブ小屋に移動させて、夕食を共にしてから琉唯は会っていなかった。リビングルームから出ていくのを見かけたぐらいだろうか。だから、「夕食の時まではいた」と琉唯は答えた。



「夕食を食べた後に、眠いから先に部屋に戻るって言っていた」

「そうそう! リビングルームから出ていくのを私も見た!」

「あぁ、オレもトイレに行くときに見かけたな」



 千鶴の返しに浩也はトイレに行く時に部屋に戻る後姿を目撃したと話し、隼も「俺もそこまでだ」と証言した。



「オレは崎沢先輩が部屋に戻ってからは健司先輩と荷物確認して、その後に部屋に戻ったけど見ていない」


「うん、墨田くんの言う通り。僕も明日の予定のために荷物確認してから最後にリビングルームを出たけど見てないなぁ。陽子と優子はどうだ?」



 辰則の証言に同意しながら健司が問うと、陽子は思い出すように頬に手を当てながら、「部屋を訪ねたけど……」と答える。



「私は優子に休むように言われて部屋に戻ったの。香苗ちゃんはその時に別れたわ。寝る準備も済ませたから隆史に挨拶しようとして……」



 陽子がなんとも言いにくそうにしていたのを見て隼が「何か気になることでも?」と聞けば、そろりと視線を逸らしてから俯いて「その……」と彼女は口を開く。



「……香苗ちゃんが隆史の部屋を訪ねているのを見て……」

「何! わたしを疑ってるって言うの!」



 その発言に香苗が食って掛かる、犯人だと言いたいのかと。そんなつもりはないと陽子が返すも、彼女は「ふざけんじゃないわよ!」と怒鳴った。



「その言いにくそうな態度が言ってるじゃない!」

「ち、違うのよ。見かけたから……」

「疑ってるんでしょ!」

「香苗ちゃん、落ち着いて! 陽子も言い方があるわ!」



 陽子に掴みかかろうとする香苗を優子が止める。辰則も間に入り、彼女を落ち着かせようと必死だ。優子は「陽子、態度が悪いわ」と指摘したけれど、「だって……」と陽子は俯く。



「だって、見かけたんだから言うじゃない!」

「そうかもしれないけれど、疑うような態度は良くないわ!」



 それだけで犯人だなんて決められないでしょうと諭されて、陽子はむぅっと口を噤んだ。ただ、見かけただけでは犯人と決めつけることはできない。いくら不審に感じたかといってそれを態度に出すのはよくないのだ。


 陽子も理解はしているようだが、思ってしまうのも無理はない。恋人が死んだという事実にショックを抱いているのは、涙がぽろぽろと頬を伝ってくる。



「佐々木さん。一つ聞くが、どうして部屋を訪ねた?」

「そ、それは……聞きたいことがあったからだけど……」

「聞きたいこととは?」



 途端に香苗は黙った。これまた分かりやすい態度だなと琉唯は思ったけれど、口には出さず彼女の発言を待つ。皆の視線に香苗はぐぅっと喉を鳴らしてから「バイトのことよ!」と答えた。



「崎沢先輩から誘われたけど、聞いていた話と違ってたの!」



 崎沢からは簡単な清掃作業と聞いていたというのに、離島のこれまた古臭い別荘で汚い部屋の掃除は簡単ではなかった。だから、「話と違う」と文句を言いに部屋を訪ねたのだと香苗は話した。



「人数多いから汚い作業も少なくて済むって言ってたのに、埃っぽい部屋を掃き掃除して雑巾がけして、せっかくネイルしてたのに剥がれちゃったし。文句を言いたくなったのよ!」



 それだけよと香苗は自分は殺していないと主張した。誰も疑っているとは言っていないのだが、自分に向けられている視線が気になるのだろう。香苗は「もういいでしょ!」と優子と辰則を押しのける。



「こんなところに居られないわよ! わたしは部屋にいるから!」

「香苗ちゃん!」



 優子の制しなど耳にせずにリビングルームの扉は乱暴に閉じられてしまった。明らかな拒絶に誰も追いかけていくことができない。


 犯人がいるかもしれないという状況で誰も信じられなくなってしまう気持ちも分からなくはなかった。自分自身も疑われてしまったのならば、余計に。香苗の気持ちを察してか、琉唯は彼女のことが心配になる。



「陽子さん。佐々木さんと崎沢隆史が話しているのを見かけたのは何時ごろか覚えているだろうか?」

「えっと……二十一時過ぎかしら……」

「優子さんは?」

「私も兄さんと一緒に出て行ったから……見かけてないわ」



 全員の話を聞いて隼は「なるほど」と頷いて「纏めると」と、証言を合わせる。



「俺たちは陽子さんと佐々木さんが二階に上がった少し後に部屋に戻っている。最後にリビングルームを出た健司先輩と墨田、優子さんは目撃していない。以上を纏めると二十一時過ぎから崎沢隆史は誰にも見られていないということになる」



 証言が正しければ、二十一時までは崎沢隆史は部屋にいたということになる。その時間以降の行動は誰も把握していなかった。夜中に起きた人はいなかったか、物音を聞いてはいないかと問うも、誰も手を上げない。



「最初にリビングルームに下りてきたのは誰だろうか?」

「それなら私と優子よ」



 七時に一緒に起きてリビングルームに下りてきた時にはまだ誰もいなかったと陽子は答える。「その三十分後に兄さんが来たわ」と優子が健司にそうよねと返事を促した。



「あぁ、そうだ。七時に起きてくる予定だったんだけど、寝坊してな……。その後に墨田くんと香苗ちゃんが来たよ」



 それほど間を置かずに二人がリビングルームに来たと健司が話せば、辰則は部屋を出たら丁度、香苗と会ったと証言した。そのまま一緒に来たと。



「その後に俺と琉唯、最後が時宮さんと花菱先輩だったはずだ」

「そうそう。ひろくんがなかなか起きなくて遅くなったの!」

「つまり、二十一時から七時までの間に崎沢隆史は死亡したことになる」



 目撃されていない時間帯に死亡した。隼は「その時間帯に何をしていたかが問題だ」と呟く。それに陽子が「私は優子と一緒に部屋に居てそのまま寝たわ」と返す。



「疲れてたのもあってすぐに寝てしまったけれど、一緒に居たわ」

「えぇ、陽子と一緒にいたわ」

「身内同士の証言は当てにならない」



 アリバイというのは身内同士の証言では成立しない。身内をかばう、あるいは共犯である可能性があるからだ。一人だけの証言でも信憑性というものに欠けていると隼に指摘されて二人は黙る。



「それが成立するならば、俺は琉唯と一緒にいた。時宮さんだって花菱先輩と二人っきりだと主張しても通る」


「それはそうかもしれないが、まだこの中に殺人犯がいるとは決まってないだろ! とにかく、変な詮索はやめよう!」



 誰かを疑い出したらきりがないだろと健司は話を切り上げようとする、証言はこれでまとめられただろうと。



「遺体を見てみないと分からないな」

「え?」



 ぽそりと呟かれた隼の言葉は琉唯にしか聞こえていなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る