第4話 荒れる天候に訪れる


 何故って、お前がそれを言うのか。お前がやってきたことを忘れたとは言わせない。


 悪いことだと思っていないのか。頭がおかしい? それはお前のほうだろう。あぁ、憎い、裏切りが憎い。


 だから、そうだから〝罰〟を受けてもらおうか。



「絶対に許すことはない」



 許さない、許さない。何度も何度も呪詛を吐いて、一つ心が軽くなった。


   ***


 ザアザアと激しい雨が窓を打つ。強風ががたがたと窓枠を揺らし、遠くの景色が見えない。目を凝らしてやっと海が荒れている様子が窺えた。


 外の様子を確認しようと玄関を開ければ、あまりの雨脚に地面は大きな水溜りで歩けば足は濡れるだけではすまない。さらには木々をなぎ倒さんとする風に吹き飛ばされそうになる。


 この天候では外の作業などできるはずもなく、船も出すことはできないだろう。いつ治まるのだろうか、そんな不安が少しばかり過る。


 琉唯がリビングルームへと降りるとすでに陽子たちが外の天候について相談していた。先に起きてきた陽子と優子は「七時に下りてきたけど、もうこの状態だったの」と兄に伝える。


 香苗は辰則に「雨、やばくない?」と話しながら外の様子を眺めていた。やばくないではすまない荒れ具合ではあるなと辰則も頷く。それは誰の目から見てもそうなので、健司は困ったふうだ。



「どうするかなぁ……」

「やばい、寝坊した。健司、どうだ?」

「あぁ、浩也。お前また起きれなかったのか」

「そうなんですよ! ぜんっぜん起きなくて!」



 何回、叩き起こしたことかと千鶴が愚痴る。浩也は寝起きが悪いらしく、なかなか目を覚ましてくれなかったのだという。もうっと千鶴は彼を小突いているが、相手は反省しているふうには見えない。これはもう治らないと笑っていた。



「兄さんだって、三十分ぐらい寝坊したじゃない」

「こら、陽子。それは内緒だよ」

「人の事は言えないじゃないか、健司」

「うるせぇ! って、あれ隆史くんは?」



 まだ起きてきてないのかなと健司が聞くと、陽子は「え、隆史も寝坊?」と片眉を下げた。



「兄さんも隆史も、辰則くんや緑川くんたちを見習ってほしいわね」

「うぐぅ、寝坊したから何も言い返せない」

「全く……起こしに行かないと……」

「あ、ならオレが行くよ」



 浩也が「陽子さんは健司たちと作業のことで相談あるだろ」と言って、隆史を起こしにいった。ちょっとした気遣いができる彼に「素敵な恋人ね」と陽子が千鶴に囁く。


 自分の恋人が褒められて嬉しいのか、「こういうところに惚れたんですよぉ」とにこにこしながら千鶴は自慢げだ。



「それで兄さん、どうするの?」

「優子、それだよなぁ。……どうあっても外作業は無理だし、仕方ない……今日は室内の掃除だけだなぁ」



 健司はリビングルームの窓から外を眺めて頭を掻いた。天候が急に悪化するということがあるのは知っていたが、今なのかと。予定が崩れるとその後に影響が出てしまうので頭を悩ませるのも無理はない。


 陽子は「天候が悪くなったなら仕方ないわ」と兄を気遣う。父にもやれるだけでいいと言われていたじゃないと。どうやら、できるところまでていいと指示されていたようだ。


 それでも責任感が強いのか健司は「終わらせたかったなぁ」とぼやいている。そんな兄に優子が「兄さんは気負いしすぎなのよ」と励ましていた。


 琉唯はこれは一日で止むのだろうかと窓越しに空を見上げる。分厚い雲が覆い隠しているのを見るに暫くは停滞しそうだ。



「この様子じゃ当分は雨じゃないか?」

「どうだろうな。一日で止むかもしれないが……今の海の荒れ具合を見るに船は出せない」

「止むといいんだけどなぁ」



 隼の返しに琉唯は帰るのが延びたらどうしようかと考えて、少しばかり憂鬱になった。いくら実りの良いバイトであっても、離島に長居はしたくない。それは琉唯だけではないようで、「これ大丈夫なのー」と千鶴も心配していた。


 香苗に至っては不満げに「来るんじゃなかった」と辰則に愚痴っている。愚痴りたくなるよなと琉唯は小さく息を吐く、自分も少しだけ後悔して。



「なぁ、崎沢知らないか?」



 戻ってきた浩也が健司たちに問うと、陽子が「え、部屋にいなかったの?」と驚いた声を上げる。どうやら隆史は部屋にいなかったらしい。


 扉を叩いても反応がなかったのでドアノブをひねったら鍵がかかっていなかったのだという。中を見れば荷物だけ置かれてあって誰もいなかったと。


 こんな天気の中、外に出るのは考えにくい。健司は「トイレとかか?」と不思議そうだ。浩也も確認できるところはしたようだが、別荘内にいる気配はないのだと言われて陽子も首を傾げる。



「おかしいわね……。外にいるのかしら?」

「こんな天気よ、陽子」

「そうよねぇ。でも、別荘内にいないなら外しか……」



 この室内にいないのであれば考えられるのは外しかなく、どうしてそんなところにと疑問が浮かぶ。朝、隆史を見た人がいるかと聞いて回るも、皆、首を左右に振った。



「外に出て煙草でも吸ってるか? 確か、崎沢くんかなりの喫煙者だっただろ」

「室内で吸うなって言ったからもしかしたらそうかも……。あの人、我慢できないタイプだから」



 庭のある裏手なら屋根もあるから吸えなくはないかもと陽子は「ちょっと見てくるわ」とリビングルームの扉に手をかけた。



「この天気で一人は危ないから僕が見てくるよ」

「兄さん。でも、確かに一人は危ないか……」

「それを言うなら陽子だけでなく、兄さん一人だけでも危ないわよ」



 こんな天気だものと優子に指摘されて健司はそれもそうかとリビングルームを見渡す。浩也が「オレが一緒に行こうか?」と提案するが、「お前は彼女さんの傍にいれやれ」と返されてしまう。



「えっと、緑川くんとか一緒についてきてくれないかな?」

「おれは別に構いませんよ」

「なら、俺も着いていこう」

「鳴神くんも来てくれるなら助かるね」



 人が多いほうが探しやすいだろうと健司は言ってリビングルームを出た。こいつはそういう意味で一緒についていこうとしているわけではないけどなと、琉唯は思ったけれど口には出さない、説明が面倒だからだ。


 玄関を開けると強い風と共に雨が入り込んでくる。おわっと身を引かせれば、健司が玄関の傘立てから傘を取り出した。前の住人の置いていったものだが、この雨量では役に立たないのではと思わなくもない。


 とはいえ、ささないよりはいいだろうと手渡された傘を広げて外へと出た。びじゃびじゃと足が濡れるほどの水たまりを踏みしめながら裏手に回る。風に吹かれて荒れる庭に目を向けるが人の気配はない。


 屋根のある場所を探してみるが隆史の姿は見当たらなかった。おかしいなと健司が周囲を見渡しているので、琉唯も探してみる。草がぐわんぐわんと風に靡く奥、プレハブ小屋が目に留まった。



「倉庫にいるとかって考えれませんかね?」

「うーん、どうだろう。この天気であそこまでいくかなぁ」



 でも、確認していないのはあそこだけだしと健司はレンガの道を歩き出した。その後に続く琉唯だったが、前を歩いていた彼が立ち止まる。不意打ちにぶつかりそうになるも、隼にぐいっと引っ張られて免れた。



「どうしましたか、健司せんぱ……」



 ひょこっと後ろから前を覗き見て、最初に飛び込んできたのは足だった。地面に転がるそれを辿っていって琉唯は言葉を失う。


 人が倒れていた、プレハブ小屋の扉の前で。雨に濡れて泥に汚れた顔を見遣れば、半目が開かれた隆史の濁った瞳と目が合う。何があったのか、脳が理解できず。あれはと口を開こうとして、すっと視界が暗くなった。誰かに目隠しをされたように。



「琉唯、見てはいけない」



 囁かれた言葉に琉唯はやっと現状を理解した。健司の「崎沢くん!」という叫び声を聞いて。



「崎沢くん、崎沢く……し、死んで……」



 慌てる健司の声に隼が「落ち着いてくれ」と声をかけた。



「今、慌ててはいけない」

「そうは言うけれど、死んでるんだぞ! どうしたらいいんだ!」

「警察に連絡するべきだが、この島に駐在所はあるだろうか?」

「確か、港のほうにあったはず……」

「ならば、そこにまず連絡を入れるべきだろうな」



 人が一人、死んでいるのだから死因など関係なく、警察に連絡をいれるべきだという隼の指示に健司はそうだと慌ててスマートフォンを取り出した。辛うじて電波が立っているようで、急いで電話をかける。


 二人の会話に琉唯は自分も現状を理解しないといけないのではと意識をはっきりとさせた。



「隼、手を退けてくれ」

「見ない方がいいと俺は思うが」

「大丈夫だ」



 もう大丈夫だともう一度、告げれば隼は渋々といったふうに手を退ける。ゆっくりと下を向いて、地面に転がっている隆史を視認した。半目を開いている彼の顔に生気はない。



「本当に死んで……」

「兄さん、遅いけどどうしたの……えっ!」



 琉唯の声をかき消すように悲鳴が上がる。振り返れば、勢いよく駆け寄ってくる陽子の姿があった。琉唯を突き飛ばすように横切って隆史に縋りつくように身体を揺する。



「隆史! 隆史! ねえ、どういうことよ!」



 どうして、隆史が死んでいるのよと陽子の動揺している様子に「落ち着いてくれ」と隼は見つけた経緯を話す。俺たちはプレハブ小屋を確認しようとして彼を見つけたのだと。話を聞いた陽子は「どうして」と口元を覆いながら隆史に泣き縋った。



「今、健司先輩が島の駐在所に連絡している」

「隆史……。ねぇ、どうしてそんなに落ち着いていられるの!」

「誰かが落ち着いて判断しなければいけないだろう。ここで全員が慌てて何になる? 場が混乱するだけだ」



 隼の言っていることは分からなくもなかった。皆が皆、慌ててしまってはただ不安を撒くだけで何の解決にもならない。とはいえ、落ち着きすぎているような気がしなくもなかった。


 陽子は不服そうにしていたが、言っている意味は理解したようで涙を拭いながら膝をついて隆史の頬を撫でる。その悲しげな表情を見ていられず、琉唯は目を逸らしてしまった。



「このまま動かさない方がいいのだろうが……雨風の中、放置するというのはどうなんだろうか」

「確かに……」



 現場を荒らしてはいけない、勝手なことをしてはいけないというのは素人でも知っていることだ。とはいえ、死体をこの酷い天候の中で野ざらしにしてしまうのはいけない気がしなくもない。



「このまま、放置なんて私にはできないわ」

「ひとまず、シートをかぶせておくとか?」

「それなら倉庫に安置しましょう!」



 琉唯の提案に陽子は「シートが飛んだら大変よ!」と言って隆史を持ち上げ引きずっていく。勝手に動かしたことに琉唯が驚いて隼を見遣れば、彼は「動かしてしまってはもう駄目だな」とはぁと溜息を零した。






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