第3話 嵐の前の静けさ


「疲れた」

「そうだろうな」



 ぐでっと琉唯は段ボールの上に座った。リビングルームはまだ散らかっているが、食事ができるようにとダイニングテーブルが綺麗に掃除され、床に置かれた荷物は隅に積まれて軽く片づけられている。壁に寄り掛かりながらペットボトルの飲料水を飲む隼も疲れた様子だ。


 比較的、軽い荷物が多かったが中には重いものもあったので玄関とプレハブ小屋の往復は重労働であった。それに加えて部屋の掃除もしたのだから疲れないわけがない。明日は草刈りがあると聞いているが、琉唯は身体が持つか分からないなと今から心配していた。


 用意された簡易的な夕食を食べた後、明日の予定を聞いていた琉唯は軽く引き受けてしまったことを少しだけ後悔する。体力がないわけではないが、荷物運びや草刈りというのはかなりの体力を消耗するものだ。


 女性よりは体力があるだけで、肉体労働は得意ではなかったのだ、琉唯は。初日でこれなので、明日が憂鬱でならなかった。そんな様子に「琉唯に肉体労働は向いてない」と隼が追い討ちをかける。



「女性より筋肉があるだけで華奢な身体である自覚をもったほうがいい」

「くっそ、細マッチョめ……」



 なんとも羨ましげに琉唯は隼を見遣る。彼は容姿が良いだけでなく、体格も良かった。だから、女性陣に人気があったわけなのだが、体力もあるのだ。荷物運びをしていたというのに息も上がっていなかったのを思い出して、負けた気分になる。



「緑川くんと鳴神くんお疲れー。明日、草刈りだってね、大丈夫?」

「大丈夫ではない」

「うん、知ってた」



 緑川くんは体力なさそうだもんと千鶴にも言われて琉唯はうぐぅとへこむ。本当のことなので言い返すこともできない。くっそうと呟いて不貞腐れていれば、千鶴に「こっちはキッチンとかリビングルームの片づけられる場所なんだよねぇ」と部屋に置かれた荷物たちを指さす。



「段ボールとか邪魔だしさぁ。荷物とかってまた倉庫に運ぶの、ひろくん?」

「オレはそう聞いてるな」



 千鶴に呼ばれて浩也が答えれば、「草刈りよりこっちのほうがまだいいんじゃない?」と提案された。清掃作業のほうが草刈りよりはまだ大丈夫なのではないかと。リビングルームから段ボールの荷物運ぶ役割もほしいしと言われて、それもありだなと琉唯も思う。



「緑川がそっちに行くともれなく鳴神も着いていくからだめだ。この細マッチョは草刈りに参加してもらわないと困る」


「だよねぇ」



 浩也の指摘に千鶴はそうだったわと頷く。そこで納得してもらいたくなかったけれど、自分でもそうなるだろうなと琉唯も否定ができなかった。隼も平然と「そうなるな」と返している。



「陽子ー。オレ、先に部屋に戻るわー」

「あら、早いわね」

「疲れたからかなー。めっちゃ、眠い」

「隆史先輩、あんまり動いてなかったと思うんですけどぉ」



 ふと視線を向けると隆史がダイニングキッチンに立つ陽子に声をかけていた。疲れたからという主張に香苗が指摘すれば、隆史は「オレだって動いてたわ!」と言い返している。けれど、彼女に信じていないように笑われて、陽子からも「ほんとかしらね」と言われているあたり、あまり信用はされていないようだ。



「墨田くん、隆史先輩あんまり動いてなかったでしょぉ」

「いや……それは……」

「濁すあたりたまにサボってたわね、隆史」

「おいこら、辰則! そこは先輩をフォローしろよ!」



 先輩だぞと隆史に言われるも辰則は頭を掻くだけだ。嘘をつけないのはその態度でわかることで、困っている様子に陽子が「後輩を困らせちゃダメでしょ」と注意している。


 香苗に弄られて文句を言っているが、眠いのは本当のようで隆史は欠伸をした。そういえば、何時だろうかとスマートフォンで時間を確認すれば二十時になっている。まだ早い時間ではあるが、疲労で眠たくなる頃合いでもあった。



「お前ら揃いも揃って、オレをなんだと思ってるんだよ!!」

「えー、サボり癖がある先輩?」

「かーなーえーちゃーん」

「きゃー、優子さん助けてー」



 きゃっきゃと香苗が優子の背に隠れる。それを見た陽子が「優子に懐いちゃって」とくすくす口元に手を添える。四人の様子は隆史が揶揄われているのを除けば、仲が悪いようには見えなかった。


 優子に庇われた香苗を見てか、隆史は「オレは寝るぞ!」とリビングルームを出て行ったしまった。香苗が「揶揄い過ぎたかなぁ」と小首を傾げると、「あれぐらい大丈夫よ」と陽子が笑う。



「あ、そうだわ。陽子、キッチンの汚れ確認しなきゃ」

「あぁ、そうだった!」



 思い出したように陽子と優子が慌ててキッチンの奥へと引っ込む。構ってくれる人がいなくなってか、香苗は暇そうにダイニングテーブルの椅子に座った。辰則と何か会話をしているが、あまり盛り上がっている様子はない。



「オレ、トイレ行ってくるわ」

「それ言わなくてもいいんだけどー、ひろくーん」



 琉唯は千鶴に小突かれている浩也に笑いつつ、キッチンのほうへと目線を移す。陽子と優子が「シンクの汚れは落ちそうね」と明日の掃除の事を相談していた。



「あ、緑川くん。そこに置いてある段ボールの中に掃除用のスポンジがあるんだけど、取ってくれない?」



 陽子に言われて琉唯は自分が椅子代わりに座っていた段ボールの隣の箱を開けた。中にはスポンジなどの掃除道具が仕舞われている。目に留まったスポンジを手に取って琉唯はキッチンへと向かった。



「これでいいか?」

「ありがとう。これで落ちそうかし……」

「あっ!」



 キッチンに置かれた荷物に足を取られて陽子がよろめき、咄嗟に琉唯が彼女を支えた。大丈夫だろうかと落としてふと、彼女のTシャツの襟元から僅かに見える肩口に痕があるのが目に留まる。


 近くで見れば小さな火傷痕のようにも見えるが、服で隠れる位置にあるのでまじまじと観察しなければ確認できない。琉唯は変なところに痕があるなと思いながら陽子を抱き起した。



「ありがとう。緑川くん?」

「あ、すみません!」



 じろじろ見てしまったと琉唯が慌てて謝れば、陽子は特に気にしている様子もなく「大丈夫よ」と微笑んだ。



「私を転ばせないように支えてくれていただけじゃない。気にしないから」

「陽子、大丈夫?」

「大丈夫よ、優子」



 陽子は琉唯からスポンジを受け取りながら返事を返すも、優子は「先に休んだらどうかしら?」と心配そうだ。疲れが出て足元が疎かになていたかもしれないという指摘に陽子は「考え過ぎよ」と笑うけれど、彼女は「先に休んで」と引かない。



「あとは私と兄さんでやるから」

「そう? じゃあ、そうするわ。香苗ちゃんはどうする?」

「あ、じゃあわたしも部屋に戻りますぅ」



 此処に居ても暇だしと香苗は陽子に着いていく。残ったのは琉唯たちと、辰則、健司、優子だけだ。健司は辰則に声をかけて一緒にリビングルームの荷物を確認しているので、もう少し居るだろう。


 自分たちも明日の予定は聞いたし、ここに残る必要もないかと琉唯が部屋に戻ろうかと隼に声をかけようとしてやめた。彼がなんとも不機嫌そうに眉を寄せながら見つめてきていたのだ。


 隼を見てから千鶴に目を向ければ、「緑川くんが陽子さんをじろじろ見てたからぁ」とにやにやされる。別に変な目で見ていたわけではないと主張したいけれど、見ていたのは事実であるので否定ができず。



「隼、機嫌直せって」

「俺は君を抱きしめたいが?」

「会話って知ってるか?」



 隼の羨ましげな眼差しに琉唯は溜息が零れる。別に自分から抱きしめたわけではない、支えただけなのだ。とは言っても、彼の瞳は変わらない。



「うーん、ここは緑川くんが抱きしめてあげれば解決するのでは」

「なんでそうなるんだよ。おれ、悪くないんだけどなぁ」



 千鶴の提案しか隼の機嫌を直すことはできないのだろう。どうしてやってあげなければいけないのだと文句が出るも、引いてくれる様子はない。しばし見つめたてから「仕方ないなぁ」と琉唯は彼を抱きしめてやった、よしよしと頭を撫でるおまけをつけて。



「ぶっ、やばいっ、イケメンの顔が崩壊してるっ」

「時宮ちゃん、笑ってないで助けて。めっちゃ力入れて抱きしめてくるんだけど」

「む、むりっ、笑うっ。くふっ……」



 逃がさないとばかりに腰に回る隼の腕を琉唯はばしばしと叩くも、離れる気配がない。千鶴は隼の崩壊しているイケメン顔がおかしくて腹を抱えているので助けてはくれそうになかった。



「お前ら、何やってんだ?」

「先輩、助けてください」



 何があったのかと問わなくても察したようで、浩也は「鳴神が満足するまで頑張れ」と笑う。琉唯は抱きしめてやらなければよかったと口を尖らせた。



「緑川は放っておいて千鶴、俺たちは部屋に戻ろうぜ」

「そうだねー」

「置いていくとか酷くないか?」

「緑川くんがどうにかしないと」



 ねぇと二人は顔を見合わせるので、琉唯は未だに抱き着いて離れない隼の頭をべしりと叩く。部屋に戻るぞと言えば、彼は渋々といったふうに離れた。それでも満足はしたようでなんとも機嫌が良い。


 これだけで機嫌が取れるというのも考えものだなと琉唯は思うが口には出さない。言ったところで「好きなのだから仕方ないだろう」とさらりと返されるだけだ。だから琉唯は突っ込むことをせず、浩也が健司に「先に戻る」と声をかけたのを横目にリビングルームの扉を開いた。



   ***


 離島の夜というのは静かだ。都会と違って走行する車のエンジン音も、騒がしい人の声もない。きらきらと眩しいビルの光も、街灯もなくて寝静まっているように感じる。


 空を見上げれば都会の光で見えづらくなっていた星が煌めくのだろう。けれど、分厚い雲が覆い、今にも雨が降りそうだ。海は荒れたように波打って天候の悪化を知らせる。



 がんっと鈍い音がした。ずるりと地面に崩れながら振り返れば、ぎらりと光る眼と目が合う。



「あ、な、なぜ……」



 問う言葉は二度、三度と響く音にかき消され――動かなかくなった。横たわる〝それ〟からどろりと赤い雫が流れているけれど、降り出すだろう雨が洗い流してくれる。



「何故って、お前が言うのか」



 誰のものともしれない声がする。それは怒りと憎しみが籠められていた、許さないと。



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