第6話 生活
ソフィアの学習教室が村に馴染み始めた頃、
「あの、クソ行商人の野郎が何も知らずやってきたぜ!」
とハロルドが息巻いて、村の入口の方へと走っていった。授業の準備をしていたソフィアだったが、例の行商人に一言物申したい人は多いらしく、村役場はがらんとしていた。仕方なくソフィアもハロルドについていくことにする。
村の入口には大勢の村人が集結していた。
「やあやあ、これは熱烈に歓迎いただいて。今回も
意気揚々と語る行商人の一方で、村人たちは殺気立っている。ハロルドが群衆から一歩踏み出て、行商人と
「よくも、俺を騙してくれたなぁ」
「だ、騙したなんてとんでもない……」
「銀貨一枚は、銅貨10枚だ! 馬鹿が!」
「ば……」
行商人は一瞬呆気にとられた直後
「誰が馬鹿だ! それはお前らだろうが!」
と声を荒げた。
「クソっ、誰だ教えたやつは? お前だな!」
矛先が突然こちらへ向けられる。行商人は血管を浮かせてソフィアの元へずんずんと歩み寄ってくる。
「え、ええと」
身の危険を感じて、思わず後ずさる。
「土人どもに学をつけて、満足か? 偽善者が!」
唾を飛ばしてまくし立てる。ひどい言いぐさだと思いつつ、ソフィアも少し前に同じくらい失礼なことを口走ったのだ。そんな気持ちもあってか、ソフィアは言い返すことなく黙って、男の罵りを聞いていた。
「先生を馬鹿にするな!」
そこへ、男の子が割って入ってくる。いつかに、ソフィアのもとを訪れた鼻たれ小僧だ。
「うるせえ、ガキが」
水を差された行商人は勢いを弱めると、男の子を足で小突いた。すると、男の子は尻もちをついて倒れる。
「てめえ!」
ハロルドを含めた村人たちの怒りが頂点に達したところで、行商人も危険を感じたのか足早に馬車へ戻ると、あっという間に去ってしまった。
「ありがとうね。怪我はない?」
ソフィアはかがんで男の子と目線を合わせると、ハンカチで鼻水を拭いてやった。
「うん」
こっくりと頷くが、手をついた時にできた小さな擦り傷が見えた。ソフィアはそこに手をかざして詠唱を呟く。
「ソフィアさん、それって?」
一部始終を見ていたハロルドが目を丸くして尋ねてきた。
「回復魔法です。でも、初級なのでちょっとした傷にしか使えませんが」
「どうして、もっと早く教えてくれないの! この村は病院もないの、知ってるでしょ?」
「病院って…… 初級の回復魔法なんて意味ないですよ」
「意味あるよ!」
なぜか少し怒っている様子のハロルドは早速村長のエリックに話をつけにいった。
「困ったなぁ……」
*
その日の授業を終えて、自宅へ帰宅するとエリックの奥さんがキッチンで食事の用意をしてくれていた。
「本当にありがとうございます」
「いいのよ。むしろこれくらいしか出来なくて申し訳ないわ」
この村の住人にしては珍しくぽっちゃりとした体形の彼女は温和な表情を見せる。
「なんだか、私、お医者さんもすることになりそうです」
ソフィアが回復魔法を使えることを知ったエリックはまたもや、少年のように飛び跳ねて喜んだ。病院の設立も長年の夢だったらしい。
「うふふ、忙しくなるわね。ごはんは私に任せてちょうだい!」
そう言って、ふくよかな胸をぽんと叩く。
ソフィアは彼女が用意してくれた、麦を砕いて柔らかく煮た離乳食をスプーンですくうと十分に冷ましてからアルデンの口へ運ぶ。乳白色のそれはアルデンのよだれとまざって、べちゃべちゃと口回りを汚す。
アルデンはソフィアの目を見てぎゅっと笑うと
「まぁま」
と聞こえるような気がしなくもない声を口にした。
ソフィアは大切な人はみんないなくなったと思い込んでいた。なんて馬鹿な考えだろう。一番大切な存在が一番近くにいるというのに。
「今、しゃべりましたよね! ママって!」
「ええ、そうね」
エリックの奥さんが柔らかく笑う。
ソフィアはアルデンの頬を撫でて思った。この村で生きていくんだ。
異なる世界の同じ命 秋田健次郎 @akitakenzirou
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