十四話

「行くよ隊長」


「ああ。……じゃあ留守番頼むぞ」


 ソウザ隊長とジュリオが揃って警護へ向かうのを私とカミロは見送る。詰め所の扉が閉まり、静けさが戻った中で私は何をしようか椅子に座って考えてた。


「どうするか、答えは出たのか?」


 驚いて私は顔を上げた。はす向かいに座るカミロがこっちを見てた。向こうからその話を聞いてくるなんて珍しい……。


「……ええ、まあ」


「どんな答えを?」


「私の仕事はご主人様を消すこと……それだけよ」


「つまり、父親に反発すると?」


「父さんは皆を裏切った。だから私も裏切るのよ」


「そうなれば君は捕まるかもしれないよ」


「そこは、上手くやるわ。できるだけ……」


「組織に父親の正体は伝えたのか?」


「まだ……言ったところで証拠もないし、信じてもらえるかわからない。父さんは幹部で、信用もされてるから」


「そうか……その決意は固いのか?」


「ええ。……馬鹿なやつだって思ってる?」


 カミロは苦笑いを浮かべる。


「まあ、少しね。でも君の思いにとやかく言う筋合いはない。決めたならそうすればいいさ。方法は考えてるのか?」


「そこまでは……」


「それなら人気のない場所に君が呼び出すといい」


「警護人の私が呼んで来てくれる? ご主人様はお忙しいんじゃ……」


「お忙しくても喜んで来てくれるはずだ。惚れてる君のためならね」


 胸がズキリと傷んだ。私は伯爵の気持ちも裏切るんだと今さらながら自覚した。でも伯爵を助ければ父さんの意に沿い、仲間達を裏切ることになってしまう――いや、もう迷うな。私は決めたんだ。伯爵を、この手で消すんだと……。


「準備を整えたら、お声をかけてみるわ。ご主人様に……」


「ああ……じゃあ私も、いろいろ予定を立てておくか。いつでも館を出られるようにね」


 そう言うとカミロは椅子から立ち上がった。


「君とこうして話せる時間も、あと少しか……外を見回ってくるよ」


 微笑んだカミロは部屋を出て行った。私も、伯爵の側にいられるのは、あと少しの間だけ……ぶれちゃいけない。覚悟を、するんだ。


 それから数日後、私は伯爵とのおしゃべりの中で、二人だけで会ってほしいと頼んでみた。返答にドキドキしたものの、伯爵は嬉しいと即答してくれた。日時は二日後の夜に決まり、誰にも伝えないようお願いし、約束の日まで待った。こんなに長い二日間は初めてだった。四六時中ソワソワして、寝てても頭が覚めた状態だった。明日の今頃、あと数時間後……そんなことばかりを考え続けて、ついに約束の時がやって来た。


 二人で会う場所は私の住む家にした。公園や空き地でもよかったけど、人通りのなくなる夜とは言え、外はやっぱり人目が気になる。自分の家だと私が犯人だとばれることになるが、手をかけたらすぐに逃げて姿をくらませばどうにかなるだろう。ここに伯爵が来てることは誰も知らない。逃げる時間は十分あるはずだ。計画は単純明快。招いた伯爵と適当に話し、隙を見て手にかけ、ただちに立ち去る……それだけだ。頭の中でそれを何度も繰り返しながら家の前で待ってると、暗い道の奥から見慣れた人影がやって来た。


「やあ、オリアナ」


 気付いて手を振る伯爵に、私も軽く手を振り返す。


「お待ちしておりました」


「こんな遅い時間に君と会うことなんてないから、何だか緊張してしまうね」


 伯爵は戸惑いの混じった笑みを見せる。


「でも、とても嬉しいよ。オリアナから誘ってくれて」


「お受けしていただいて、私もとても嬉しいです。では、中へ」


 扉を開けて伯爵を招き入れる。掃除するほどもない殺風景な部屋を伯爵は興味深げに見渡す。


「さっぱりした部屋なんだね。オリアナはあまり買い物はしないほうなのかい?」


「食料や日用品以外は……衣服にも興味はありませんし」


「無駄遣いするよりはいいが、でも君なら、たまには綺麗に着飾ってみてもいいと思うよ」


「そいうことは、私の性に合わないので……お茶、飲まれますか? すぐにお入れしますが」


「いや、大丈夫だ。それより君と話したい。家に呼んでくれたのは、話したいことがあるからなんだろう?」


 話したいこと……もう心を決めた私に、そんな話は……。


「実は、私もそろそろ聞いておきたいことがある。オリアナの気持ちだ」


 ハッとして伯爵を見た。そう言えばそのことに関しては、まだ何も答えてなかった。


「何度も会話を交わして、お互いをより知られたと思うんだ。君は私の思いを嬉しいと言ってくれたが、それは今も変わらないだろうか。それとも、もう薄れてしまっただろうか」


「ご主人様……」


 この期に及んで、一体何て答えれば――


「気遣いや優しさは無用だよ。君の、ありのままの気持ちを教えてほしい。別に振られたからってどうこうするつもりはない。どんな答えだろうと、これまで通りに接することを約束するよ。だから遠慮なく言ってほしい」


 伯爵の真っすぐな目が私を見つめてくる――駄目だ。見てると心がぶれそうになる。この恋に先なんてないんだ。今日で……ここで終わるんだから……。


「……やっぱり私は、そういう対象には見られないかな」


 切ない表情を浮かべる伯爵に、私は思わず言ってしまった。


「そういうわけでは、なくて……」


 本当の気持ちを伝えたい。好きだと……でも、言えば隠し持ってるナイフを握れなくなってしまう。


「わかったよ……いいんだ。君がはっきり答えられるまで、私は待つよ」


「お、おやめください。待つだなんて……」


「待っていても君が振り向くことはないと?」


「私は……私は……」


 出かかる言葉を懸命に押し止める。何も言えない。答えられない……。そんな私を伯爵は怪訝そうな目で見てた。当然の反応だ。


「オリアナ、君がはっきり答えられないのは、何か悩みがあるからじゃないのか?」


「え……?」


「最近の君の表情は以前と比べて暗くなっていた。胸に重苦しいものを抱えているように見えたんだ。答えられないのは、それが原因ではないのか?」


 伯爵は気付いてるんだろうか。私の正体に――


「勘違いならすまない。だが本当に悩みがあるのなら打ち明けてみてほしい。私に手伝えることがあるかもしれない」


 この言葉の真意を確かめるために、私は試しに言ってみた。


「……大事な、身近な人に、裏切られていると知ってしまって……だから暗い顔をしていたのでしょうね」


「そんなことが……それはさぞ辛かっただろう。身近な者なら尚更だ」


「ご主人様は、どなたかに裏切られたことはありますか?」


「幸い、まだ一度もない。だがオリアナの心の痛みは想像できる。気を許していた身内にそんなことをされるなど、なかなか癒える痛みではないだろうから」


 親身な言葉を聞いて、私はゆっくり目を閉じた――伯爵は、すべて知ってるんだ。私は身近な人と言っただけで、身内とは言ってない。そう言ってしまったのは、裏切り者が父さんだと知ってるから。


「……オリアナ? 辛いのなら無理をすることはない」


「はい……けれど、私にはやらなければならないことがあるのです」


「私が手伝えることかい?」


 これに首を横に振る。


「いいえ。ご主人様では……ですが、一つお頼みしたいことがあります」


「できることなら何でも言ってみてくれ。何だ?」


 仕事を果たし、もう終わりにするんだ――私は小さな深呼吸をしてから言った。


「私を見て、嫌いだと言ってください」


 伯爵は口を開け、唖然とした表情を浮かべる。


「……それは、どんな冗談だ?」


「真面目なお願いです。どうか、私を嫌いだと――」


「悪いが断る」


 険しく変わった目が私を見据えた。


「ご主人様、一言仰っていただきたいだけです。なぜ――」


「なぜ? それはこちらのセリフだ。慕っている君に対して、なぜ心にもない言葉を言わなければならない。私にとって一番耐えられないことは、オリアナ、君の心が離れて行くことだ。それを加速させるような真似など、たとえ君の頼みでも私は絶対にできない。……それとも、こんなことを言われても平然としていられるほど、君の心の中に私はいないということか?」


 詰め寄られ、私は語気を強めて言った。


「嫌いだと言ってくれるだけでいいんです。私はそれで助かるんです」


「そんな言葉で君を助けたくない。もうはっきり言ってくれ。私が退屈で迷惑というのなら、隠さずに教えてくれ!」


「退屈や迷惑なわけがありません」


「では本当の気持ちは何だというんだ」


「好きに決まっています! どうしようもなく、ご主人様を、愛しているんです……」


 感情に任せて言ってしまった――私はすぐに顔を伏せた。ここまでだ。これ以上、伯爵への気持ちが抑えられなくなる前に……。


 伸びた両手が背中を引き寄せ、私は伯爵の腕の中に抱き締められた。力強く、温かな感触……。


「やっと、本心を教えてくれた……嘘ではないのだろう?」


「……はい……」


 私は伯爵の胸に顔を埋めて答えた。これは、嘘じゃない。本当の気持ち――


「それならなぜ私に嫌いだと言わせようとする。気持ちと真逆の言葉じゃないか」


「それは……」


 私は腰に忍ばせたナイフをそっと抜き、右手で強く握り締めた。そして――


「!」


 嫌な感触が手に伝わるのと同時に、私を抱き締める伯爵の腕が強張った。


「こうできなくなると、困ると思ったからで……」


 私は腹に突き刺したナイフを引き抜く。痛みと驚きの表情を見せる伯爵は私から身を離すと、刺された自分の腹を見下ろす。そこにはじわじわと広がる赤い染みがある。伯爵はふらふらと後ずさると、床に膝を付き、今にも倒れそうになりながら私に視線を向けた。


「な、ぜ……」


 絞ったような声と苦痛に耐える灰色の瞳が強い疑問を問いかけてくる。でも私はもう何も答えられなかった。だんだんと血の気を失ってく伯爵をぼーっと見つめ、ナイフを握った手が小刻みに震えるのをただ感じてた。その震えは次第に全身に回り、心の中まで冷たく震わせ始めた。


 力尽きたのか、伯爵の身体はぐらりと傾くと、そのまま床に倒れ込んだ。腹を押さえてる手の間から鮮血が流れる。私は、やったんだ――そんな実感を覚えた。

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