十二話

 翌日の午後、館の外の見回りを終えて詰め所に戻ると、そこにはカミロ一人だけの姿があった。椅子に座って本を読んでたが、私に気付くと顔を向けて笑みを見せた。


「お疲れ様」


 一言いってまた本に目を戻す。まったくなかったわけじゃないけど、こうしてカミロと詰め所で待機するのは珍しいことだ。私は大体ジュリオか、もしくは三人で詰め所にいることが多いから、カミロと二人きりになる時間はまれだ。そして本当の素性を知った今は貴重とも言える。


 昨夜のことがあっても、カミロは普段通りに私に接してた。警護人として、その仲間として、自然な言動を見せてる。ひるがえって私は意識しないのが難しかった。同じ裏社会の人間だと知った動揺を今も引きずってる。だからなるべく見ないように過ごしてたけど、こうして二人きりになれたのだから、私は思い切ってカミロに話しかけることにした。


「ねえ、カミロ」


 呼ぶとカミロはすぐにこっちを見た。


「昨日のことなんだけど――」


 直後、カミロは手を突き出して私の言葉を止めると、おもむろに立ち上がり、詰め所の入り口から左右の廊下を確認し始めた。誰もいないとわかると再び椅子に座って私を見る。


「盗み聞きは困るからね。一応確かめないと。それで、何?」


「う、うん、昨日話してくれた、協力についてなんだけど……」


「私の情報が必要か?」


「今、トレベラに紛れてる捜査官の情報を探してて、もし持ってたら教えてほしいんだけど……」


 自分で探すつもりだった情報をカミロが持ってるなら、それに越したことはない。手間が省けるかもという思いで聞いてみた。するとカミロは笑顔を浮かべて言った。


「ああ、持ってるよ」


 駄目元で聞いたから、思わぬ返事に私は驚いてしまった。


「……ほ、本当なの? だけどそれってカミロの組織には無関係なことじゃ……」


「今はそうだろうね。でも潜入捜査官の存在は把握しておいたほうがいい。いつ自分達の組織に入って来るかわからないだろ? だから取っておいたんだ」


「確かにそうね。無駄な情報じゃないわね……それを、私にも教えて――」


「そっちの情報は?」


「え?」


「情報提供は交換が条件だ。そっちも何か情報を示してくれないと」


「情報は共有するんじゃないの?」


「だからって一方的に教えたんじゃ、こっちには何の得もない。協力と言っても無償でやる気はないよ。お互いが得するように情報を交換しないと。……今はどんな情報を持ってる?」


 気まずさに私は顔を伏せるしかなかった。


「その、今は、何も……」


 これにカミロの小さな溜息が聞こえた。


「それじゃあ教えることはできないよ。でも君が私の興味を引く情報を持ってくれば、いつでも教えるつもりはあるから、頑張って探してみるといい」


 欲しいものが簡単に手に入るわけはない。それが欲しいなら自分も働け、ということか……。でもカミロが情報を持ってることはわかったんだ。彼がどんなものを欲しがってるか知らないけど、とりあえず見つけた情報を片っ端から持ってくれば一つぐらいは気に入ってくれるだろう。


「せいぜい上手く盗み出すんだね」


 そう言うとカミロは再び本を読み始める。


「……ええ、やってみるわ」


 私には伯爵と二人きりになれる時間がある。話しながら聞き出すことができれば――そう考える自分の胸に、わずかな罪悪感がよぎった。楽しいおしゃべりの時に、本当ならこんなことしたくない。だけど仕方ないんだ。トレベラとその仲間達のために、私は命令に従い、仕事をこなすしかない……。


 それから私はいつものように庭で伯爵とのおしゃべりに付き合った。その次も、またその次も。だけど捜査情報を引き出すことができずにいた。楽しい雰囲気を壊したくなかったし、この時間を大事にしたい自分もいた。笑って話す伯爵から情報を引き出すのは胸が痛い――そんな気がしてなかなか一歩が踏み出せないまま、今日も伯爵と会う時間がやって来た。


「……雨か」


 伯爵は庭に面した廊下で頭上を見上げながら呟く。今朝から灰色の雲が広がってはいたが、この時間になってとうとう降り出してしまった。分厚い雨雲が消える気配はまったくなく、この雨は当分降り続きそうだ。


「どうしましょうか。今日はおやめしますか?」


 傘を差してまで話す気はないだろうと思って聞いたが、これに伯爵は笑みを浮かべた。


「せっかくオリアナが来てくれたんだ。話せる場所は別に庭のベンチだけじゃない」


 そう言うと伯爵は廊下を歩き出す。


「あの、どちらへ?」


 後を追いながら私は聞いた。


「雨の降りかからないところだ」


 廊下を突き進み、階段を上がって二階へ行くと、伯爵はよく見慣れた扉の前で止まる。


「……ここは、執務室ですけど」


「ここなら邪魔をされずに君と話せるだろ?」


「で、ですが、お仕事の場に私なんかが入っては――」


「構わないよ。話すだけなんだから。それとも、何か悪だくみでもしているのかい?」


「まっ、まさか! ご主人様に対してそんなこと……」


 思わず声が大きくなった私に、伯爵はいたずらな笑みを見せた。


「それなら問題ない。さあ、入って」


 扉を開けて入った伯爵が私を招き入れる。この部屋に入るのは二度目。前回は忍び込んだものの、捜査情報を見つけることはできなかった。その時と部屋の様子はまったく変わってない。壁には戸棚や本が並び、中央には執務のための大きな机が置かれてる。相変わらず紙とインクの匂いが漂ってる部屋だ。


「これに座って」


 伯爵は執務用の高そうな椅子を机の前に持って来た。


「す、座れません。ご主人様がお座りください」


「ここには椅子が一脚しかなくてね。気にしなくていいよ。私は机に座るから」


 そう言って伯爵は机に寄りかかるように軽く腰かけた。主を差し置いて私だけ椅子に座るなんてできない――ためらって突っ立ってると、微笑む目が座ってと無言で促してくる。その目に見続けられると、何だか気まずい気分になってくる。


「……では、お言葉に、甘えて……」


 耐え切れず。私は椅子に座った。高そうな見た目通り、座り心地も高級だ。


「爽やかな日差しを浴びながら話すのもいいが、たまには雨音を聞きながらというのも、おもむきがあっていいものだね」


 窓の外の雨空を見ながら伯爵は静かに言った。私も雨粒の付いた窓の景色を見て、そして薄暗い部屋の中を見渡す。伯爵とのおしゃべりを楽しみたいけど、頭の隅では常に本来の仕事が声を上げて主張してる。早く情報を引き出せと。でないとカミロから情報が貰えない。やりたくないけど、やらなきゃ……幸いここは執務室だ。捜査関係の話へ持って行っても不自然にはなりにくいだろう。意を決して私は口を開いた。


「……ご主人様は執務時間も長く、毎日お忙しそうですね」


「いろいろとやることが多いからね。でも休みはしっかり取っているつもりだ」


「傍から見ているとそうは見えません。あちこちへ出向かれて……今一番お忙しいことは、やはりシーレドラスのことですか?」


「そうかもしれないな。週の半分ほどはその関係だろうか」


「シーレドラスはもう立派な捜査機関だと思うのですけど、ご主人様はどのようなことに関わられているのですか? やはり資金面のことでしょうか?」


「それもあるが、人員の確保や、頼まれれば備品の調達なんかもしている」


 創設者だけあって、今も伯爵は大きな後ろ盾となって動いてるようだ。


「捜査などには、関わることはあるのですか?」


「私は捜査官や情報官ではないからね。そういうことには一切関わっていない。だが気になった事件の捜査結果なんかは時々報告してもらったりしているよ」


「気になった事件とは……?」


「この街の治安を悪化させた犯罪組織による事件だ。市民を守れるかは、その組織への捜査状況次第だからね。結果がどうだったかは気になるんだ」


「たとえば、以前お話しされた、潜入捜査官の成果、とかですか?」


 これに伯爵は少し目を丸くして私を見たが、すぐに微笑んだ。


「はは、君にそんなこと話したかな」


「夜会でお聞きしましたけど……」


 ……はぐらかそうとしてる?


「まあ、そうだな。彼らは命懸けで働いている。安否も含めて成果は気になるね」


「いろいろな組織に潜入させているんですか?」


「さあ、どうだろうね……私はそこまで把握していないから」


「そんな危険な捜査、やめさせようとお考えになったことはありますか?」


「悪い報告を聞くと、その都度思うよ。だが彼らの存在は犯罪者を追い詰めるためには絶対必要だ。逃げ回り、隠れひそむ賊を表に引っ張り出し、法の裁きを受けさせる。そうしないとこの街の平和は保たれない」


 伯爵の真剣な眼差しと熱っぽい口調に、私は感じてたことを聞いてみた。


「ご主人様は、なぜそこまで犯罪撲滅のために働かれるのですか? もちろんこの街のためだとはわかっていますけど……」


「私は学生時代、この街にはいなかったんだ。外からここを見た時、初めてその荒れようを知った。犯罪者やその組織がのさばる街が自分の故郷だと思うと、本当に悲しくて腹が立ったんだ。思い出の場所を汚されたり、友人を傷付けられたりするかもしれないと思うと、何かしなければという思いに駆られてね。だから亡き父から家督を継いだ後、私は考えていた方法を実現した。……オリアナ、街とは何だと思う?」


 急に聞かれて私は戸惑った。


「え、その……多くの人が住んでいるところ、でしょうか?」


「付け加えて言えば、多くの人や家が集まっているところを街と呼ぶ。つまり住民がいなければ街ではなくなってしまうわけだ。犯罪組織はここの住民を怖がらせ、好き放題やっていた。そんな賊から身を守るために一部の住民はこの街を去って行った。危険と恐怖がある限り、そういう住民は増えていったことだろう。犯罪組織がしていること、それは窃盗や殺人だけじゃない。この街の破壊だ。誰も住めない、住みたくない場所に変え、平和な暮らしを破壊している。これを放っておけば、いずれ私の故郷は賊に乗っ取られるだろう。そして多くの者が帰る場所を失ってしまう。この街は、街ではなくなってしまうかもしれない……大げさに聞こえるだろうが、しかし犯罪者の多さを考えればあり得ないことではない。私は、大事な故郷を守りたいだけだ。いつでも帰れる、温かい居場所をね」


 居場所を、守る――私と同じ理由だ。私も、トレベラという居場所と父さん、仲間達を守るためにここにいる。それがお互いの正義……譲ることのできない思い……だけど、私は……。


「ご主人様のお気持ちはとても素晴らしいものだと思います。けれど、その思いを実行されたせいで、今はお命を狙われる危険な状況に……後悔など、ありませんか?」


 これに伯爵は小さく笑う。


「自分が望み、やったことだ。後悔などあるわけがない」


「でも、お命を奪われたら、元も子もありません」


「そうであっても、誰かが危険を冒さなければ状況は変わらない。そして私には、その術があった。それを実行せずに傍観などできないよ」


「何も、ご主人様が出られなくても……他の方にお頼みすることだってできるはずです」


「私が考えたことなのに、すべて任せて自分だけ安全な場所にいろと? そんなことでは誰も動いてくれないよ。私には大きな責任があるからね」


「だからって、賊に殺されてもいいと言うのですか?」


 伯爵は小首をかしげて私を見た。


「……オリアナは、私に後悔してもらいたいのかい?」


「そ、そういうわけでは……ただ、ご主人様があまりに危険な状況を受け入れているようなので……」


 この人は怖くないのだろうか。誰かが不意に殺しに来ることを。何の覚悟もない時に殺されるかもしれないことを。私は今、初めて感じてる。伯爵を手にかけることが、すごく怖い……。


「誰だって賊に襲われるのは怖い。まして命を狙われれば尚更だ。だが私はそれを受け入れざるを得ない。シーレドラスを創り、犯罪者達に堂々と喧嘩を売ってしまったからね。賊の脅しに屈するほど、私の思いは浅くない」


「犯罪者と張り合うことに何の意味があるのですか? 逃げて生き続ければ、他にできることも――」


「言ったように私には大きな責任があるんだ。命を狙われたくなければ初めからこんなことはしていないよ。けれど早死にするつもりもない。そのために君達、警護隊がいる。どうか私を暴力から守ってほしい」


「もちろんです。全力で役目は果たします……ですが、ご主人様を不安にさせるつもりはないのですけど、必ずしも賊から守り切れるとは言い切れません。束になって襲って来たり、私達の隙を上手く突かれれば、ご主人様もたちまち危険に陥ります。それを防ぐにはやはり、シーレドラスから離れ、他の方に任せるしかないと思うのです」


 伯爵がシーレドラス創設者であっても、関係を断ち、影響力を一切なくせば、トレベラは狙う理由をなくして、私への命令も取り消してくれるかもしれない。殺さずに済めば――


「他に任せるとしても、それは私が歳を重ねたもっと先でのことだ。動き回れる今は真摯に力を注ぎたい。この街の将来のためにね」


 微笑んだ表情に私はもどかしい気持ちで言った。


「なぜ恐怖を受け入れるのですか? ひどいと命を失ってしまうのですよ? そうなってしまったら、こうしてお話しすることもできなくなってしまいます」


「私は警護隊を、オリアナ達の腕を信じている。皆ならしっかり守ってくれると。でも確かに、必ず守られる確証などない。万能な人間などいないからね。時には危険を見逃し、大怪我を負わされるかもしれない。だがそんなことがあったとしても、私は皆を恨んだりしないから安心してくれ。賊に襲われるのは自分が選んだ道だからだ。誰も悪くはない。……まあ、たとえ襲われて死んだとしても、シーレドラスを創り、街の治安を改善させた者として小さく歴史に名を刻む――」


「冗談はおやめください!」


 耐え切れず私は大声を張り上げ、椅子から立ち上がった。私は真剣に言ってるのに、どうしてそんな冗談が言えるのか――


「ご主人様をお守りしたい私にとっては、ご主人様が傷付くことが怖いのです。それ以上に、死んだらだなんて……そんなこと、冗談でも聞きたくありません」


 なぜなら、伯爵の死は、私の仕業だから。


「これからも、ご主人様と言葉を交わしたいのです。だから、どうか安全な道を選んでは――」


 おもむろに机を離れた伯爵は、真顔で歩み寄って来たと思うと、腕を伸ばし、私の身体を包むように抱き締めてきた。驚いた私は、瞬間的に溢れた感情が治まって我に返った。心臓が、まるで太鼓の音のように全身に響いてる。


「……し、失礼しました。大声など出して……」


 真っ白な頭でとりあえず謝った私に、伯爵は耳元で優しく言う。


「私の身を案じてくれるのはとても嬉しいよ。オリアナと同じように、私も長く君と言葉を交わしたい。でも今シーレドラスから離れることはできないんだ。まだまだ私にしかできないことはあるし、責任も果たし終えていない。危険でも、やらなければいけないんだ……」


 伯爵は身を離すと、正面から真剣な顔で見つめてくる。


「どうか、わかってほしい。そして、君に守ってほしい」


 淀みのない灰色の瞳が力強く私をとらえる。


「どんなことがあろうとも、オリアナを信じているから」


 笑みを浮かべた伯爵に、私の心は震えた。手をかけたくない。でもシーレドラスの仕事を続けられては、私も引き続き命令に従うしかなくなる。言うことを聞いてほしかった。私に仕事をさせないでほしかった。伯爵の意志が消えない限り、私の命令が取り消されることもないだろう……もう迷ってられない。早く殺さないと。時間が経てば経つほど、この手で殺せなくなってしまう。

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