八話

 深夜、私は父さんにあてがわれた家で一人寝てた。最低限の家具しか置かれてない殺風景なところ。ここが今の私の家だ。ベッドで寝込んでると、暗闇の中にコンコンと扉を叩く音が響き、私はすぐに目を開けた。こんな時間に訪れる客は限られてる。毛布をめくり、ベッドから下りて靴を履くと、一応警戒しながら扉の向こうへ聞いた。


「……誰?」


「すべてを手中に収める者だ」


 男性の声が淀みなく、すぐに答えた。それを聞いて私は鍵を開けて扉を開く。


「使いだ。報告を聞きに来た」


 暗闇にたたずむ痩せた無精ひげの男性は、鋭い目で私を見るなりそう言った。毎回来る人間は違うが、トレベラは定期的に仲間をよこし、私の仕事の進捗状況を聞きに来てた。そして今夜も同じようにやって来たのだ。


「まだ報告するようなことはないわ」


「捜査情報は?」


「まだ……」


 使いの男性はあからさまな溜息を吐く。


「上は首を長くして待ってる。一つぐらい持って来い」


「ごめん……あ、でも近々シーレドラスの関係者が集まる夜会があるわ」


 これに男性の目は興味ありげに開いた。


「本当か? 日時と場所は?」


「開催されるのは来週の十八日、時間は――」


 私は夜会についての情報を仲間に教えた。今週になってソウザ隊長は夜会と、その警護に付いて行く予定を私達に伝えてた。執務室で盗み見たあの招待状の通り行われるようだ。


「当然、伯爵も行くんだろうな」


「ええ。私達警護隊も行くから」


 男性は口角を上げた。


「願ってもない機会じゃねえか」


「私はそこで情報を集められれば集めるつもり。でも警護をしないといけないから、自由に動くのは難しいかもしれないけど」


「そうだな……こっちから夜会に誰かをもぐり込ませられないか、相談してみる。上手く行けば伯爵を狙い撃つことができるかもしれない。その時はお前も協力しろ」


「協力って、どうやって……」


「たとえば、伯爵を人気のないところへ誘導したり、警護に穴を作ったり……仲間に仕留めさせる時間を作るんだ」


「なるほど。わかった」


「次の使いは夜会後だろう。だがもう来る必要のない状況になってればいいけどな……じゃあ頼むぞ」


 私の肩を軽く叩くと、仲間の男性は真っ暗な道へと消えて行った。私は中へ戻り、靴を脱いで再びベッドに横になる。大勢の目がある中で私一人で伯爵を消すことができるのか心配なところもあったから、夜会に仲間が来てくれるのは心強い。となると来週には仕事が終わるのだろうか。ソウザ隊長やカミロ、ジュリオとは仲良くなった矢先なのに、何だかもったいない別れだ。伯爵のあの笑顔も、もう――私はギュッと目を瞑り、そんな思考を振り払った。目標との別れを惜しんでどうする。私は父さんからの命令を果たすだけだ。その先に皆の、トレベラや仲間達の幸せが待ってるんだから。私は皆のために動く。何があろうと動かなきゃいけないんだ……。


 密かな緊張感を抱えながら過ごすこと数日――ついに夜会当日がやって来た。普段ならそろそろ帰り支度を始めるような時間だけど、今日は制服を脱いでも私服には着替えない。


「……これ、似合ってますか?」


 宿直室の衝立の裏から出た私は、着替えたばかりのドレスを見下ろしながら三人に聞いてみた。


「ほお、こりゃすごい」


「見違えたよ。よく似合ってる」


「すげー……い、いや、まあ、悪くないんじゃないか?」


 三人は三人それぞれの反応と言葉で感想を言う。そんな彼らも今日は制服じゃなく、黒いタキシード姿でビシッと決めてる。私達がこんな格好をしてるのは伯爵に言われたからだ。夜会に来る客は皆、格式ある人ばかりだとかで、そういう場の雰囲気を崩さないために、警護人である私達も夜会にふさわしい格好をするよう指示されたのだ。でも着飾ったところで私のすべきことは警護。いざという時は動けないといけない。だから貴婦人が着るような派手で重いドレスじゃなく、黒で足首までの長さの質素なプリーツドレスを選んだ。アクセサリー類は着けず、白の手袋だけ着け、一応雰囲気を壊さない程度の、夜会に馴染んだ姿にはなれたと思う。できることなら普段の靴を履きたかったが、ドレスに合うわけもなく、仕方なく履き慣れてないハイヒールを履くしかなかった。慎重に歩かないと足をくじきそうで怖いから嫌なんだけど……。


「こんな感じで、ご主人様にご迷惑はかからないでしょうか」


「十分だよ。それにしても、オリアナが化粧した顔は初めて見るが、どこかの令嬢かと思えるな」


 ソウザ隊長はニコニコしながら私を見て言う。化粧もほとんどしたことがないから、薄く白粉と口紅を塗っただけの地味な化粧だけど……。


「令嬢なんて言い過ぎですよ。おかしくありませんか?」


「大丈夫だ。ちゃんと綺麗に変身できてるよ」


「本当ですか? よかった……皆もタキシード、よく似合ってるわ」


「毎年の夜会のたびに着てるけど、着慣れてないせいで動きが硬くならないか、やっぱり毎回不安だね」


 カミロは苦笑いを浮かべながら言った。それは私も同感だ。皆は何度か着てるみたいだけど、私はこれが初めてなんだ。いろんな意味での緊張を感じる。


「緊張なんかしないでくれよ? ご主人様をお守りしなきゃならないんだ。咄嗟の時でも動ける心の余裕を作っておけ。特にジュリオ」


 ソウザ隊長に呼ばれ、ジュリオは弾かれたように顔を向ける。


「な、何?」


「お前は去年、一昨年と夜会の雰囲気に呑まれてかなりぎこちない警護をしてた。俺の声も聞き逃してたよな」


「あの時は、周りの話し声がうるさかったから――」


「それは言い訳にはならないぞ。話し声がうるさいのは想定済みだろ。その上で行動しろ。今回はしっかりやってくれると期待してるぞ」


「わかってるよ。同じ失敗はしない」


 そう真面目に言ったジュリオの表情には緊張の色が見える。初めてじゃなくても、いつもと違う格好と環境じゃやっぱり緊張するようだ。


「準備はいいな……それじゃ行こう」


 ソウザ隊長に続いて私達は詰め所を出て、館の門の前に止まる馬車の手前で伯爵が現れるのを待つ。頭上を見上げれば漆黒の夜空。そこにキラキラと輝く満月が浮かんでる。神々しい月の光が降り注ぐ静かな夜……静寂を感じられるのは、この瞬間までだろう。あとは夜会の喧騒の中で伯爵を――


「いらっしゃったぞ」


 ソウザ隊長の声に私は視線を館へ戻す。照明の光が漏れる玄関から使用人に見送られて伯爵が足早にこっちへ向かって来る。肩に羽織ったコートの下は、ソウザ隊長達と同じ黒のタキシードを着てる。でも見るからに質が違うのがわかる。装飾もあれば生地に光沢もあって、貴族が着るにふさわしい高そうなタキシードだ。茶の髪もいつものように後ろへ流してるけど、今日は整髪料を使っていつも以上に整えられ、何だか男らしいかっこよさを感じる。普段は穏やかな優しさしか感じないのに、服装と髪が少し変わっただけで印象は随分と変わるものだ。


「今夜は全員で警護だね」


 私達の前まで来ると、伯爵は全員を見回して言った。


「はい。多くの方がおられる場所ですので。では馬車へ――」


「待て。……驚いた。君はオリアナなのか?」


 ソウザ隊長が促すのをさえぎって、伯爵は私を見て瞠目した。


「そ、そうですが、何か……?」


 この格好じゃ何かまずかっただろうか。あまりに地味過ぎて夜会にはふさわしく――


「普段の姿とまるで違うから、一瞬気付かなかったよ。こんなに美しくなるとは」


 私は胸の中で安堵した。服装に問題はないようだ。


「すべて、このドレスのおかげです」


「そんなことはない」


 そう言うと伯爵は私に顔を近付け、右手で私の頬に触れてきた。


「君自身が綺麗だから美しく見えるんだ。普段からこの美しさを見せてくれればいいのに」


「え……」


 微笑む伯爵の灰色の瞳が、じっと私を見つめる。その強い視線から私は逃れたくても逃れられなかった。不思議な、戸惑うような感覚だ。でもなぜか心地よくて目が離せない。これって何なの……?


「毎日ドレスを着て警護など、仕事に支障が出ますよ」


 横から呆れた口調でソウザ隊長が言うと、伯爵は視線を切って離れ、私を解放した。


「冗談に決まっているだろう。安全第一だ」


 私をいちべつし、ふふっと笑うと、伯爵は馬車へ乗り込んだ。


「カミロは御者台へ。俺達はご主人様と同乗させていただく。……オリアナ、何ぼーっとしてるんだ? 早く乗れ」


 言われて自分が突っ立ってたことに気付いて、私は慌てて馬車に乗り込んだ。ジュリオ、そしてソウザ隊長が乗り込むと、馬車は一路夜会場へとひた走る。その間、伯爵は他の二人と世間話なんかをして、時々私にも話しかけてきたが、短い返事や相槌を返すだけで精一杯だった。膝を突き合わすように向かいの席に座る伯爵を、なぜか面と向かって見ることができなかった。今までこんなことはなかったのに、どうして今日に限って……。それでも会話に混じろうと頑張って顔を上げてみるけど、伯爵がこっちを向いた瞬間、すぐに顔を伏せてしまう。何を恥ずかしがってるんだろうか。ずっと側で警護をしてきた相手なのに――恥ずかしい? 私は何で恥ずかしいの? いつもと違う格好だから? でもソウザ隊長達に見られても別に何ともない。伯爵だけなんだ。こんな気持ちになるのは。一体なぜだろう……。


 自分のよくわからない気持ちと葛藤してる間に馬車は夜会場に到着した。先に私達が降り、周囲をざっと確認する。見上げるほど大きな石造りの建物。正面で屋根を支えて並ぶ石柱は何かの神殿を思わせるようで立派だ。その奥の入り口からはきらびやかな明かりが漏れ、私達と同じように馬車で到着した格式ある人々がそこへ次々に吸い込まれるように入って行く。これ全員が客なのか。一体何人いるんだろう。


 伯爵が馬車を降りて、私達は囲むように側に付き、会場へと向かう。前後左右、どこを見ても人がいる。三人の警戒する目は真剣そのものだ。私も同じように当たりへ目をやる。トレベラが会場に仲間をもぐり込ませていれば、きっとどこかにその姿があるはず。容姿と居場所を把握しておけば、こっちも協力しやすくなるだろう。


 そうして周りをうかがいながら会場の中へ入った途端、今まで経験したことない空気に襲われて私は驚嘆した。貴族や金持ちが集まる夜会だから、それなりに派手だと想像はしてたけど、目の前に広がる景色はそれをさらに上回ってた。半球型の高い天井には巨大なシャンデリアが眩しいほどに輝き、その存在感を示してる。そしてその光が照らすのは大広間に集まる着飾った老若男女。室内楽団の優雅な音楽を聞きながら、おそらくこの夜会のために用意したであろう豪華絢爛なドレスやタキシードを身にまとい各々談笑してる。そんな者達の傍らには山のように盛られた肉や野菜料理、数種のケーキが並べられてる。それを自由に取りながら皆笑って食べてる。量が少なくなれば白い制服の料理人が現れ、次々に料理を追加していく。輝く光の中、流れる音楽に耳を傾けつつ、綺麗な格好で豪華な料理を好きなだけ食べながら楽しくおしゃべりする――ここは天国なの? こんな世界があるなんて知らなかった。ジュリオが雰囲気に呑まれたっていうのも、これを目の当たりにした今ならわかる気がする。上流階級の夜会は、トレベラのものとはまったく違う、まるで異世界を見てるような感覚だ。


「ベルデ伯爵、お待ちしておりました」


 服装から執事か何かと思われる男性が伯爵に話しかけてきた。


「ああ、ご苦労。今年もいい夜会になりそうだね」


「ありがとうございます。皆様、早くベルデ伯爵にご挨拶したいとお待ちです」


「挨拶のついでに、いい話も聞ければいいけどね」


「左様ですね。……コートをお預かりしましょう」


 伯爵は羽織ってたコートを執事に渡すと、給仕からグラスに入った酒を貰い、歓談する人々のほうへ向かった。私がそれに付いて行こうとすると、カミロが肩をつかんで止めてきた。


「……お側に行かなくていいの?」


「お話の邪魔をするわけにはいかないからね。こういう時は少し距離を開けて警護するんだよ」


「でも、こんなに人がいる中で……」


「招待されてる客はほとんどご主人様のお知り合いやご友人の方ばかりだ。だから過度に警戒することはない。その周りで私達は不審な動きをする者がいないかを注視しておけばいい」


「そう、わかったわ」


 伯爵は大勢に囲まれながら、その人達と笑顔で順番に話してる。


「……ところで、この夜会はどういう目的で開かれてるの?」


「客の多くがシーレドラスの関係者なのは知ってるよね」


「ええ。その日頃の労をねぎらうためとか?」


「それもあるけど、招待された客にはお知り合いの貴族や実業家もいる。ご主人様の一番の目的は、シーレドラスへ資金提供をしてもらうためのようだ」


「資金提供? お金が足りないの?」


「活躍ぶりからそんなことはないと思うけど、でも資金が増えれば捜査官の育成や数も増やせるし、よりいい捜査ができるのは間違いない。だからああしてもてなし、資金を出していただけないかとお願いしてるんだよ」


 伯爵に視線を移すと、喧騒の中に混じって会話が聞こえてくる。


「――いかがでしょうか。この街のためにもなることです」


「実は前々から考えてはいましてね。妻の親戚が窃盗被害に遭って、問題の深刻さを身近に感じていたところなのです。生まれ育った街の治安のためにも、ぜひいくらか提供させていただきたい」


「本当ですか! そう仰ってくださりありがたい。では後日に――」


 資金提供の約束が一つ取れたようだ。伯爵はこの夜会を資金集めの場として使ってるんだ。


「目に見えて結果を出してるから、資金を出し渋る人も少ないだろう。そうして集まった金で、また街の治安が改善する……その循環が続けば、いずれ犯罪者は消え、街はより平和になる」


「人々の平和のために……ご主人様の行いには本当に敬服します」


 一般市民を装ってる立場でそうは言ったが、私の居場所は仲間や父さんのいるトレベラだけ……それを壊す資金を伯爵は集めてると言っても間違いじゃない。皆のためにも、資金集めなんかできないようにしないと。


 しばらく客達と話し込んでた伯爵だったが、それが一段落するとさっきの執事に声をかけられ、何やら頷くとグラス片手に二階へ続く階段の中ほどへ向かい、そこで大勢の客に向いて声をかけた。


「お越しの皆様方、本日はシーレドラス恒例の夜会へようこそおいでくださいました。慣れ親しい方から初めての方まで、大勢の方とお会いできたことを嬉しく、そして感謝いたします」


 室内楽団の音楽が止まると、伯爵は招待客へ挨拶とお礼の言葉を述べ始めた。それを客達は一旦手と口を止めて聞き始める。すると隣のカミロが抑えた声で言った。


「客の顔や様子をよく見ておくんだ。全員が何か一つに集中してる時は不審者を見つけやすい」


 そう言われて私は伯爵の言葉に聞き入る客達をまんべんなく見渡した。でも私が捜すのはもぐり込んでるであろう仲間の姿だ。協力を得るのに私のまったく知らない仲間が来てるとは考えにくいから、少なくとも見知った顔ではあるはずだ。着飾った客達の顔を一人ずつ確認していくが、どれもこれも初めて見る顔ばかりだ。それとも化粧でもして顔が変わってたりするのだろうか。そうだとしても少しはピンとくるものがあると思うけど――


「――では、今宵は大いに楽しんでいってください」


 伯爵がグラスを掲げると、客達も同じように掲げて酒を飲む。すると音楽が再び奏でられ、歓談する声も戻ってくる。あちこちへ客が移動する中、私はしつこく仲間の姿を捜し続けたが、見当たらない。もしかして送れずに失敗したんだろうか――などと考え始めた時、私の目はある一人に留まった。


 大広間の隅でたたずむ三人の給仕。その左端に立つ男性の顔を見てハッとする。今まで招待客ばかりを見てたけど、ここにもぐり込むなら客より給仕のほうがまだ簡単だろう。綺麗に撫で付けられた黒い髪に、少し吊り上がった怖い目……彼は確か汚れ仕事を進んで引き受けてる仲間だ。奪った命は数知れないとか。寡黙で、近寄りがたい空気を出してて、だから名前は聞けなかったけど、父さんを訪ねて家に来た時、何度か顔を合わせたことがある。そんな彼が送り込まれたってことは、トレベラは今夜、絶対に伯爵の息の根を止めるつもりなのかもしれない……。


 じっと見てると、向こうが私の視線に気付き、顔をわずかに向けた。そしてわかるかわからないかぐらいに頷いた。仕事に来た仲間だ、と伝えてるようだった。それに応えて私もかすかな頷きを返す。存在は確認した――


「オリアナ、行くよ」


 カミロに呼ばれて私の意識は引き戻された。見れば挨拶をした伯爵は階段からすでにどこかへ移動してた。警護相手を見失うなんてあってはならないことだ。そんなことはおくびにも出さず、私は黙ってカミロの後を付いて行った。気持ちが緊張し始めてると、自分でもよくわかった。

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