五話

「お話をお聞きしてきた」


 詰め所に戻って来たソウザ隊長は机を囲む私達の前の席に座った。


「ナイフを持った男に襲撃されたそうだが、それにオリアナがいち早く対処し、ご主人様に危害が加わるのを防いだ――ということだな?」


「……そうだよ」


 聞かれたジュリオはぶっきらぼうな返事をする。


「よくやったね。いい警護をしたよ」


 カミロが微笑みながら褒めてくれた。面と向かって言われると何だか照れる気持ちだ。


「ここに来てまだ日は浅いが、やっとオリアナの実力を示せたようだな。だが欲を言えば賊が襲って来た最初の段階で取り押さえることができれば尚よかった」


「はい。今後はそうできるように努力します」


「俺の言った通りだ。お前はまだ甘いんだよ」


 私の斜め横に座るジュリオが嫌みたらしく言った。


「おい、ジュリオ、甘いのはお前もだろ」


 ソウザ隊長にねめつけられてジュリオは驚いたように聞く。


「俺? 俺はちゃんと警護を――」


「ご主人様が襲われたら、お守りしながらすばやくその場を離れるのが常識だろ。馬車があったのになぜお乗せして逃げなかったんだ?」


「そ、それは、ご主人様が賊を追ったオリアナを待ちたいって仰るから……」


「警護人を待つのがご主人様を守ることになるか? ならないだろ」


「ご主人様のご意思を無視するわけには――」


「身の危険が迫ってる時は無視していい。お前はご主人様の腕を引っ張ってでも馬車に乗せるべきだったんだ。今回の襲撃は単独だったからよかったが、もし潜んでた仲間がいたらどうなってたか」


「だけど、訪問したご友人が保護してくださったから――」


「襲撃現場はいつもご友人宅の前なのか?」


「違うけど……」


「たまたま保護してくださる方と場所があっただけで、普通はそんな状況にはないんだ。甘えた判断をすると咄嗟の時に動けなくなるぞ。ご主人様の安全を確保できる行動を常に頭に刻み込んでおけ」


「わかったよ……気を付ける」


 強めに注意されて、さすがのジュリオもしゅんとなってしまった。私も警護に力は抜けないな。


「それから、オリアナ」


 ソウザ隊長に呼ばれて顔を向ける。やっぱり私にも注意を――


「ご主人様がお話しをされたいそうだ」


「……え? お話し、ですか? 私なんかに何を……」


「お前の警護ぶりに感謝をお伝えしたいそうだぞ」


「でも、感謝のお言葉ならもうすでに……」


「何度いただいたって悪いことじゃないだろ。とにかくお呼びなんだ。私室でお休み中だから行って来い」


「はあ……」


「隊長、俺は? 俺も一緒に警護してたけど」


 ジュリオは立ち上がってソウザ隊長に聞いた。


「お呼びなのはオリアナだけだ」


 これに不満もあらわな表情になったジュリオは何か言いたげにしながらも椅子に座った。


「……ほら、行って来い」


「わかりました……」


 ジュリオのほうは見ないようにして私は詰め所を出て、二階の伯爵の部屋へ向かった。


「ご主人様、警護のオリアナ・ファルカンです」


 扉を叩き、そう声をかけると、中からすぐに返事が来る。


「入って来てくれ」


「失礼いたします……」


 静かに開けると、広く明るい部屋に置かれた大きなソファーに伯爵は座ってた。手には開いた本があったが、私を見るとそれを傍らに置いて立ち上がった。


「すまないね。わざわざ呼んだりして」


「いえ、ご用であればいつでもうかがいます」


「ちょうど入れ立ての紅茶がある。飲んで行ってくれ」


「私は警護人ですので、そのようなものはいただけません」


「酒ではないから仕事に支障はないだろう? 私の気持ちだ。一杯だけでも飲んでくれ」


 微笑みながら懇願するような目で伯爵は見つめてくる。ただの紅茶一杯を頑なに断るのも角が立ちそうだと思い、私は渋々頷いた。


「……では、お言葉に甘えて」


 伯爵に促されて私はソファーに腰を下ろした。その向かいに座った伯爵はティーポットの紅茶をカップに注ぐ。


「さあ、どうぞ」


 いかにも高価そうな白磁のティーカップ。そこに注がれた紅葉を思わせる綺麗な色の紅茶からは温かい湯気と上品な香りが立つ。貴族が飲む紅茶なんて初めて口にする――私は緊張しながら一口飲んだ。


「口に合うかな」


「……はい。こんなに美味しいものは初めてです」


 苦味の中にも繊細な甘さが混じってて何とも言い表しにくい美味しさだ。この紅茶もかなり高価に違いない。


「よかった。君には改めて感謝を伝えたくてね。向こうでは短い言葉でしか伝えられなかったから」


「私には十分なお言葉です。改めてなど……」


「君達警護隊は時に命を懸けて私を守ってくれる存在だ。その行動と勇気には敬意を表したい。そしてオリアナ、君は自身の責任に従い、私を凶刃から守ってくれた。正直に言うと、女性である君が賊とやり合えるのか心配だったんだ。襲撃者は大体男で、君より身体が大きい者が多かったからね。だがそんな憂いは必要なかったようだ。ソウザやカミロに引けを取らない動きで賊を止めて見せた。あの光景はしばらく忘れられないくらい感動したよ」


「そんな、大げさです……」


「そんなことはない。おかげで私の中の偏見が消えたよ。女性であろうと男性であろうと、警護人には関係ないとね。賊を制圧する腕さえあればいいのだと。そしてオリアナはその腕をしっかり備えていた。一時でも疑ってしまった私を許してほしい」


「お、おやめください! 私は特に、嫌な思いをしたわけではありませんから、許すも何もございません」


 慌てて言うと、伯爵はにこりと笑った。


「これは私の勝手な謝罪だ。紅茶のように素直に受け取っておいてくれ」


 その言葉に思わず笑いそうになった寸前で私は踏み止まった――この人は本当に貴族なんだろうか。実は庶民の出なんじゃないかと思うぐらい親しみを感じてしまう。でなきゃ警護人の私に謝るなんてこと、しないはずだ。伯爵との会話はどうしてこういつも心が温かくなるんだろう――


「……何か、私の顔に付いているか?」


 気付くと伯爵をじっと見つめてた私は慌てて顔を伏せた。


「すみません。少し、考え事を……」


「警護の仕事のことか? それとも、雇い主とのおしゃべりを早く切り上げる方法を思案していたか?」


「ま、まさか! 違います」


「では何を?」


「その……ご主人様はなぜ、私達に対してこうも、お心安く接してくださるのかと……」


「私は昔からこうなんだ。人とはあまり壁を作りたくないたちでね。相手が誰であろうと、言うべきと思ったことは言ってしまう。だから相手によってはうるさがられたり迷惑に思われることもあるが。……オリアナは真面目なようだから、そういう線引きがあったほうがやりやすいか?」


「い、いえ! 私はそのままのご主人様のほうが好ましいと……」


「そうか。ありがとう。私も警護隊の者には今まで通りに接したいと思っている。……少し話がそれたね。改めてオリアナ、助けてくれたこと、感謝している。そしてこれからも私の側で警護に励んでほしい」


「はい。ご主人様が必要としてくださるのなら、いつ何時でもお側に」


「頼りにしているよ」


 伯爵は笑顔を浮かべながらそう言った。頼りにしている――直に言われると嬉しさが込み上げてきて、私はそれを抑えるために紅茶を飲んだ。役割をこなしたおかげで信用を得始めたようだ。このままもっと信用を高めて、伯爵との距離を縮めないと。それにしても、この紅茶は本当に美味しい。顔が勝手に笑みを作ってしまうぐらいに。


「――それでは、失礼いたします」


 紅茶を飲み終えた私は笑顔の伯爵が見送る部屋を出て一階へ戻った。階段を下りたところで奥の廊下からどこかへ向かうジュリオと会って足を止めた。


「ジュリオ、どこに行くの?」


「まだ休憩時間だ。どこに行ったっていいだろ」


 青い目が鋭くこっちを見てきた。何だかいつも以上に語気が強い。ソウザ隊長に注意を受けて不機嫌なんだろうか。


「……で、そっちは? ご主人様と何話したんだよ」


「話っていうか、紅茶をいただきながら労いのお言葉をいただいて……」


「褒められたのか?」


「ええ。頼りにしているって」


「ふーん……あっそ。そりゃよかったな」


 目を伏せるとジュリオは私の横を通り過ぎようとする。


「ねえジュリオ、警護のやり方を間違えたって落ち込むこと――」


「誰が落ち込んでるって言った? 勝手に決め付けんな」


「あ、ごめ――」


 謝ろうとしたけど、ジュリオはさっさと廊下の先へ行ってしまった。彼とはやっぱり上手く行かないな。仕事の邪魔にならないように穏便な仲にしておきたいのに……。


 それから数日後――晴天の広がる午後、詰め所で待機中だった私は武器の手入れを終えてから館の庭へ向かった。待機中の時間、他の警護人は鍛練に当てることが多く、私も身体がなまらないよう定期的に鍛練をしてた。今日は剣術ではなく、体術のほうを鍛える。


「ふっ……ふっ……」


 広い庭の刈り込まれた芝の上、誰もいない静かな中で制服の上着を脱いだ私は見えない敵に拳を突き出し、蹴りを当てる。素早く身を動かし、相手の背後に回り込んで――


「感心だな」


 私の息遣いしか聞こえなかった空間に聞き覚えのある声が響いて振り向く。植木の間から現れたのはこっちをじっと見据えるジュリオだった。今は彼も待機中で、さっきまで詰め所で剣を磨いてたのを見てる。


「ジュリオも一緒に鍛える?」


 聞くとジュリオはゆっくりこっちに歩いて来る。


「ああ。でも俺は実戦形式で鍛えたい」


 そう言うと右手に持ってた剣を私に放り投げてきた。


「……これって、私の剣?」


「詰め所に置いてあったから持って来た。この剣で、一対一の勝負をしようぜ」


 ジュリオはニヤリと笑うと自分の腰の剣を引き抜いた。


「ちょっと待ってよ。何も真剣で勝負しなくても――」


「何だ? 自信なくてびびってんのか?」


「そういうことじゃなくて、もし怪我でもしたら警護に影響が――」


「俺の剣を避ければいいだろ。それともやっぱり、実戦形式じゃ勝ち目ないか?」


 一体どういうつもりなのか。剣を持って来て勝負だなんて。怪我を負ったら鍛えるどころじゃないのに……。


「……悪いけど、私はこの剣を使いたくない。素手の勝負ならいいわ」


「得意の体術ってやつか? そしたら俺が有利になって不平等だ。オリアナも剣を使え」


「無理よ。ジュリオを怪我させたくない」


 これにジュリオの目付きが険しく変わった。


「俺を、怪我させたくないって? 何だ、自信はあるんじゃないか」


「だから自信とかって問題じゃないでしょ? どっちの剣だろうと万が一当たりでもしたら――」


「当たる前に降参すりゃいい。それでどっちが強いかわかる」


 ジュリオは握る剣を構えた。


「待って、ジュリオ――」


「早く剣を抜け。……行くぞ!」


 私の声も聞かずジュリオは切りかかって来た。私は鞘に収まったままの剣で受けようと身構えたが、それをジュリオは剣で切り付け、弾き飛ばした。


「剣を拾え! じゃないと俺の攻撃を防げないぞ!」


 拾えと言われても剣は遠くまで飛ばされて手が届かない。それをジュリオに待つ様子はなく、丸腰の私に容赦なく攻撃をしかけてくる。私は後ずさり、剣をかわして距離を取る。


「ジュリオ、あなたは何がしたいの?」


「実戦形式の鍛練だ。最初に言っただろ」


「鍛練なら真剣じゃなくてもいいじゃない」


「それじゃ実戦にならない。切るか切られるか、その緊張感がなきゃ意味がない」


「鍛錬にそこまでの緊張感はいらないでしょ?」


「いやいるね。緊張感は本当の力を引き出してくれる。それをぶつけ合ってこそさらに鍛えられるんだよ。……ほら、お前の実力を見せてみろ!」


 勝手なことを言ってジュリオはまた切りかかって来る。私には大事な仕事があるのに、こんなことで怪我なんてできない。もう、仕方ない――私は攻撃を避けるのをやめてジュリオに向かった。


「なっ……!」


 切ろうと振り上げた腕をつかむとジュリオが驚いた顔を見せた。一瞬動きが止まったところへ、私は空いた胸へ思い切り体当たりをする。


「うっ――」


 息を詰まらせた声を漏らし、ジュリオの身体から力が抜けた。その隙に私は剣を奪って遠くへ放り投げた。


「剣はもうないわ。私の勝ちで――」


「俺は降参してないぞ……!」


 貫くような視線を向けてきたと思うと、ジュリオは私につかみかかって来た。


「剣がなきゃ、この手で決着つけてやる!」


 どうしても私に勝たなきゃ気が済まないらしい。それならさっさと勝負を決めてやる。


「うぉら!」


 ジュリオは私の服をつかみ、強引に地面に引き倒そうとする。だがそうしてフラフラする足下は無防備だ。私はこらえながらその足に自分の足を引っかけた。


「んわっ!」


 簡単に姿勢を崩したジュリオに今度は私がつかみかかり、そのまま地面に押し倒した。そして両腕を押さえ、何もできないようにする。


「どう? 降参って言って」


 悔しさの溢れる顔がこっちを睨み付けてくる。


「……確かに、体術を覚えてるだけの動きだよ」


「こういう実戦はジュリオが初めて――ぐっ!」


 脇腹に衝撃を受けて、私は痛みに身を縮めた。見るとジュリオの足が動いてる。膝蹴りを入れてきたのか……!


 意識が痛みに奪われたわずかな隙に、ジュリオは私の手から逃れて逆につかんでくると、身体を押してぐるりと転がり、今度は私が地面に倒された位置に変わった。


「……勝負の最中はもっと集中したほうがいい」


「話してる途中で、ずるい……」


「お前が勝手に話してたんだろ。ほら、降参しろよ。もう勝ち目はないぞ」


 両手を押さえられ、足も先のほうしか動かせない。ジュリオはがっちり私を押さえ込んでる。これじゃ何もできない……悔しい!


「おい、降参は?」


 私は無駄にもがきながらジュリオを睨む。こんなの、真っ当な勝負じゃない。


「認めない気か? なら――」


 ジュリオは私の両手を押さえたまま、その腕を曲げて首に当てると、体重をかけるように押し込んでくる。


「これなら言う気が起こるか?」


 じわじわと首が圧迫されて、顔が熱を帯びてくる。い、息が――


「ほら、早く言えよ。じゃないと失神して――」


「そこで何してる……ジュリオか?」


 遠くからの声に反応したジュリオは私の首から腕を離した。苦しさから解放されて、私は軽く咳き込みながら空気を吸い込む。助かった……けど、誰だ?


「た、隊長……」


 ジュリオは急いで私の上からどいた。視線を巡らせると、植木の間からソウザ隊長が歩いて来るのが見えた。


「一体……何をしてた」


 ジュリオと私を交互に見てソウザ隊長は聞く。


「これは、鍛練をしてただけで……」


「廊下から見えた限りじゃ、そういうふうには見えなかったが?」


「その、実戦を想定してやってたから……」


「倒れたオリアナに馬乗りになるような鍛練なんかあるのか?」


「それは……」


「ジュリオの言う通り、実戦形式で勝負をしてたんです」


 私は立ち上がりながら言った。


「……本当か? オリアナ、顔と首が赤いが……」


「お互いちょっと向きになってしまって、やり過ぎました。でも大丈夫です。怪我はしてません」


「ソウザ、どうしたんだ。何か問題か?」


 見るとソウザ隊長の後ろから伯爵が心配そうな顔でやって来た。


「あ、ご主人様、心配には及びません。ただ鍛練をしていただけのようです。お部屋へ参りましょう」


「本当か? ……オリアナの首が赤いぞ」


 すると伯爵は私に近付き、首の具合を見ようと手を伸ばしてきた。驚いた私は思わず後ずさった。


「こ、これは怪我ではありませんから。赤みはそのうち引きます、ので、大丈夫です」


「そうか……怪我でないのならよかったが……ジュリオ、気合いを入れて鍛練するのはいいが、オリアナは協力すべき仲間なんだ。怪我に至るような度を越した鍛練はするんじゃないぞ」


「も、もちろんです。手加減はしているつもりです」


 これを聞いて私はジュリオを見た。……首を絞めたのも手加減だって言うの? 伯爵の前だからってよく言う。


「加減しながらやってくれ。では戻ろうか」


 伯爵は私とジュリオをいちべつすると館のほうへ戻って行く。ソウザ隊長も私達に気を付けろと無言の視線を送ると、その後に付いて行った。二人の姿が廊下の先へ消えると、隣のジュリオは大きく息を吐いた。


「はあ……オリアナ、何で本当のこと言わなかったんだよ」


 横目でジロリとジュリオがこっちを見る。


「本当のことって? 私達が実戦形式で鍛練してたのは本当のことでしょ? だから脇腹も蹴ってきた」


 これにジュリオは気まずそうに目をそらした。


「お前、そのこと後で隊長に――」


「言わないわ。ジュリオは私と組み合ってる最中に、勢い余って蹴っちゃっただけ……そうでしょ?」


「…………ああ、そうだ」


 泳ぐ目がこっちをちらちら見ながら言った。それに私は笑みを返す。こんな些細なことで波風は立てたくない。仕事を円滑に進めるためだ。多少のイライラは我慢すればいい。


「隊長に止められはしたけど、でも勝負は俺の勝ちだよな」


「私はまだ降参って言ってないけど」


「言わなきゃお前はあのまま失神で、結局俺の勝ちだろ」


「そんなのわからないわよ。私が腕を振り解いてたかもしれないし」


「あり得ないな。そうできるならとっくにそうしてたはずだ。オリアナは俺に敵わない、そんな程度の力だってことだよ」


「たった一度のことで判断するのは早いんじゃない?」


「一度で十分だ。ご主人様に褒められたからって、調子に乗るなよな」


 吐き捨てるようにそう言うと、ジュリオは自分の剣を拾って館へ戻って行った。やっぱりそれが気に入らないのか。でも私にはどうにもできないことだ。警護の手を抜くわけにもいかないし……厄介な人が側にいるもんだ。

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