四話

「おい、準備はいいか? ……上着のボタンは全部留めろ。警護人でも、ご主人様に恥をかかせるような格好はするな」


 怒鳴るジュリオと一緒に玄関へ歩きながら、私は言われたボタンを慌てて留める。


「……どう? これで大丈夫?」


 ジュリオが厳しい目でこっちを見やる。


「ああ……これからは自分で確認しろよ」


「ええ、気を付けるわ。教えてくれてありがとう」


「礼を言う暇があるなら、身だしなみぐらいちゃんとやれっての……」


 面倒くさそうに言うとジュリオは扉を開けて外へ出た。


 警護人になって一ヶ月が過ぎた。館の環境に馴染みながら周りからの信用を得る努力をした結果、ソウザ隊長から外出警護を任されることになり、これから初めて外での警護をすることになった。と言っても二時間程度の短いものらしく、同じ街に住む伯爵の友人宅へ行って帰るだけの近場の警護だ。新人の私にはおあつらえ向きというわけだ。ただ相棒が何かと突っかかって来るジュリオというのが少し心配だけど、警護中にガミガミ言ってくることはないだろうから、まあどうにか上手くやってみよう。


 館を出ると春のポカポカ陽気に包まれ、すでに芽吹いてる庭の緑の新鮮な香りが漂って来る。ちらほら咲いてる可愛い花達の周囲を鮮やかな蝶が舞い踊るように飛んでる。ここの庭は本当に綺麗に手入れされてるな。いつ見ても見飽きない。


「のんびり歩くな! 早く来い!」


 門の外に止められた馬車の前からジュリオに怒鳴られ、私は駆け足で向かう。


「……何見てたんだよ」


「庭を……すごく綺麗だったから」


「はあ? 庭なんか毎日見てるだろ」


「ようやく春の花が咲き始めたの。見た?」


「花なんか見てる暇あるか。これだから女は……」


「それは関係ないでしょ。警護人なら周りを見て変化に気付いておくべきじゃない?」


「花が咲いたかどうかなんて警護には無関係だ。そんなことより仕事に集中しろよ。これからご主人様をお守りするんだぞ」


 少しぐらい心の余裕を持ったっていいのに。やっぱりジュリオはいつも通りうるさい。黙らせるには大人しく従うしかなさそうだ……。


「近所までの警護だけど、その途中で誰が狙ってるかわからない。目を凝らして怪しいやつを見つけたらしっかり注意しとけよ」


「私達はどうするの? 馬車の横を歩くの?」


「徒歩じゃ馬車に追い付けない。だから俺は御者台に、オリアナはご主人様と一緒に乗れ」


「一緒に? でも、私なんかが一緒に乗ってもいいの?」


「普通はあり得ないけど、ご主人様はそんなこと、お気になさらないお方だ。一番側でお守りできるならそれに越したことはないからな」


「同乗をお許しになるほど、ご主人様ってたくさんの賊に狙われてるの?」


「シーレドラスっていう強い光を創り出したお方だ。光が明るければ明るいほど、影は濃くなるって言うだろ? そしてその影は光を消して真っ暗にしたいんだ。明るい場所に出られない有象無象はこの街の中にも外にも数え切れないほどいるだろうさ。そいつらが全員ご主人様を狙ってたっておかしくない。それだけ危険はそこら中に散らばってるんだよ」


「人の恨みを買うと大変なのね……」


「この場合は恨みとは言わない。逆恨みだ。ご主人様は街のために正しいことをしてるんだからな。悪いのは盗みや殺しをして金を奪ってるやつらのほうだ。犯罪者のくせにご主人様を狙うなんて見当違いもはなはだしい。そこ、間違えるなよ」


「う、うん。確かに、そうね……」


 私達がする犯罪行為は生きる術なんだ。皆貧しくて、食べるのもギリギリで、そのためには金が必要で、だから他人から盗んだり奪ったりして仲間で分ける。同じ境遇で犯罪に手を染めずに暮らしてる人もいるだろうけど、そういう人は栄養失調とかで大体命を落とす。多くの人は命より大事なものはないって言うけど、それなら生きるために金を盗んだっていいはずだ。その金は私を含めた盗賊仲間の血や肉になり、命を救ってるんだから。でもこんなことを言い出したらこの世界は殺伐としたものになるだろう。それじゃ動物世界と変わらない。人間は法を持つ生き物なんだ。他人の命や財産を奪うことは許されない。でも一度過ちを犯した者にこの世界はあまりに冷たい。足を洗った仲間が数日後に戻って来たなんて話はよく聞く。過去を探られ、犯罪者と呼ばれて追い出される。そんな人間がいられるのは影しかない。生きるために犯罪を選んだ者が少なからずいることを私は知ってる。その生きる場を伯爵は壊そうとしてるんだ。他に行き場のない者の居場所を。だから私はそれを止める。伯爵の命を奪うことで仲間と、その居場所を守らなきゃいけない。トレベラは、父さんと私の大事な場所なんだ。


「……お、いらしたぞ」


 ジュリオの視線を追って館を見れば、開いた玄関扉から使用人に見送られて、伯爵がこっちに歩いて来る姿があった。外出ということで服装は上下紺色のきっちりしたものを着てる。


「待たせたかな」


 いつものにこやかな表情で伯爵は私達に聞いた。


「いえ、ぴったりのお時間です」


「そうか。では行こう」


 ジュリオは馬車の扉を開け、伯爵が乗り込んだのを確認してから御者台に向かった。私は初めて貴族の馬車に乗るというわずかな好奇心を覚えつつ、伯爵のいる中へ入った。


「……ん? 今日はジュリオではないんだな」


「ジュリオは御者台にいます。……代わったほうがよろしいですか?」


「いや、そういう意味で言ったのではないんだ。馬車での警護ではいつもジュリオが同乗していたから、てっきり今回もそうかと思ってね」


「落ち着かないのであれば、やはり――」


「そんなことはない。オリアナがいてくれ。君と話せるいい機会だ」


「はあ、このままでいいのであれば、では……」


 私は馬車の扉を閉め、伯爵の向かいに座る。そして前方の小窓をコンコンと叩き、ジュリオに乗り込んだことを伝える。


「それでは出発いたします」


 御者の男性が手綱を振り、二頭の馬は走り始めた。馬の蹄鉄が石畳の道を蹴り、軽快な音を立てて進む。その振動に揺られる私は流れる街並みを眺めながら、標的である伯爵との空間に緊張を感じてた。別に今行動を起こすわけじゃないけど、それでもやっぱり標的と二人きりになると、脳裏に父さんの姿が浮かんで気持ちが焦るような気がしてくる……。


「君は確かこの街の出身だったね」


 不意に伯爵に話しかけられ、私は弾かれるように顔を向けた。


「え、は、はい。そうです」


「剣術もここで覚えたのか? 指南してくれる道場は数えるほどしかまだないと思うが、どこの道場で――」


「私はそういった場所へは通っておりません。父に習いました」


「へえ、そうなのか。父親は剣士を?」


「剣士、ではありませんが、武芸全般を広く浅く知っておりましたので、それで小さい頃から……」


 すべて経験から学んだ我流らしいけど、取っ組み合いの喧嘩にも役立つ武芸だ。


「教え上手なんだな……私も幼い頃、両親に言われて剣術を習っていたんだが、先生の指導が厳し過ぎて途中で音を上げ、結局やめてしまったことがあった。あの時、辛抱して続けていたら、あるいは別の先生であれば、私も剣を扱えただろうかとふと思う時があってね」


「私も子供の頃は練習が嫌で嫌でたまらない時期がありました。なぜこんなことをしなければいけないのかと疑問に思って……。でもある時、父の気持ちを理解できました。剣術は私のためでもあり、皆のためでもあるのだと。強い力を身に付けて大事なものを守るために練習しているのだと知って、それから前向きな気持ちに変わることができたんです」


 これに伯爵は感心したように笑みを浮かべた。


「剣だけでなく、精神も教えられる君の父親は本当に素晴らしい人だ。私もそういう方に教わることができていればよかったのに……そうだオリアナ、君の父親に剣術を教えてもらえるよう頼んでみてくれないか?」


「え? そ、そんな、滅相もないことです。父は剣術の指導者ではありませんし、ご主人様にはもっと優秀な指導者がふさわしいかと――」


 父さんと会うようなことになったら仕事の計画が狂いそうだ。身分隠しの工作もしないといけないし、何より剣術の指導方法を――慌ててあれこれ考え始めるも、ふと見ると伯爵はこっちを見て笑ってた。


「真に受けたか? ふふ、冗談だ」


「冗談……」


 私はホッと胸を撫で下ろした。慌てた自分が何だか恥ずかしい。それにしてもこの人は冗談を言うのが本当に好きな人だ。そのたびに私はどぎまぎさせられる。


「今から剣術を覚えたところで大した腕にはならないだろう。そもそもそんな時間もないからね。だがオリアナの父親が素晴らしいというのは本当だ。時がさかのぼれば、私も指導してもらいたかったと正直に思っている」


「嬉しいお言葉です。父に聞かせたらきっと大喜びします」


「父親直伝の腕に期待しているよ。まあ、その腕の実力を披露されないほうが私にとってはいいのかもしれないけどね」


「確かに。その通りですね」


 笑う伯爵につられるように私も笑った。話してるうちにさっきまでの緊張はどこかへ行ってしまってた。貴族なのにこの人は私を一切見下したりせず、同等に会話もしてくれて、何とも不思議な人に思えた。貴族にある横柄で高圧的な印象がどこにもない。私達トレベラの敵なのに――そう、敵なんだ。それを忘れるな。和やかに話して笑うのも、敵との距離を縮めて油断を引き出すためだ。自分の使命を絶対に忘れるな。


 しばらくすると揺れる馬車は速さを落とし、止まった。


「ご主人様、到着いたしました」


 御者台から降りて来たジュリオが扉を開けて言う。その外には二階建ての綺麗な屋敷があった。ここが伯爵の友人宅らしい。


「久しぶりに来たが、あまり変わっていないようだな」


 馬車から降りた伯爵は屋敷を見上げて言うと玄関へと向かう。私とジュリオはその後に付いて行く。


「警戒しとけよ」


 ジュリオが小声で私に言った。


「わかってる」


 そう返して私は警護人としての役目を果たすために周囲をぐるっと見回す。広い道を挟んで数軒の家が立ち並んでる。伯爵の館ほどじゃないけど、どこも大きくて立派な家ばかりだ。そうして警戒の目を動かしてると、視界の隅にあった人影が私の視線を避けるように物影に隠れた……ような気がした。あれ? 人影はあったはず。それとも見間違い? ちょっと確認に行ったほうが――


「オリアナ、遅れるな」


 視線を戻すと伯爵とジュリオは大分前を歩いてた。……仕方ない。伯爵の側にいることを優先しないと。


 玄関扉を伯爵が叩くと、待たされることなく扉はすぐに開いた。


「ベルデ卿、待っていたよ!」


 おそらく伯爵と同年代ぐらいの小奇麗な男性が笑顔で出迎えた。


「そんな堅苦しい呼び方はよせ。前のようにオリヴェイラでいい」


「そうか。こっちのほうが呼ばれ慣れてると思ったんだが、そうでもないのか?」


「お前は学生時代の友人だ。卿なんて呼ばれるほうが違和感がある」


「わかったよ。肩書きが増えても態度が変わらないところは、やっぱりオリヴェイラだな。さあ、入れ。聞かせたい話が山ほどあるんだ」


 友人は伯爵と肩を組むようにして中へ入ると、そのまま部屋へと向かう。その背中にジュリオが言った。


「ご主人様、私達はお部屋の前におります」


「ああ、そうしてくれ」


 ちらと振り返り、伯爵は返す。


「あの二人は警護人か? 毎日危ないやつらに狙われているっていうのは本当なのか」


「毎日じゃない。時々そういう目に遭うだけだ。でも心配するほどじゃないよ」


「オリヴェイラがシーレドラスを創ってくれたおかげで、俺の商売も賊の邪魔が入らなくなったんだ。お前には本当に感謝だよ」


「それはよかった。ジョゼのように商売人達が息を吹き返してくれれば、この街ももっと活気に溢れたいい場所になる」


「半年か一年もすれば儲けにも余裕が出てくると思うんだよ。だからオリヴェイラへ何か礼をしたいと思ってさ。考えたんだが、シーレドラスへ寄付でもしようかと思って」


「本当か? それは助かるよ。でも無理はするなよ――」


 二人は話しながら応接室に入ると扉を閉めた。それを確認して私達はその前に立つ。……随分と仲のよさそうな友人だ。会話が弾めば数時間はここで警護だろう。


 その予想通り、伯爵と友人のおしゃべりは二時間ほど続いた。その間、部屋に出入りしたのはお茶を運んで来た使用人だけで、廊下にも不審な者はおらず、屋内の警護は異常なく済んだ。


「――楽しい話を聞けてよかった。じゃあ、また機会があれば」


「ああ。その時は手紙でも書くよ」


 玄関で見送る友人と笑顔を交わし、伯爵は待ってる馬車へ向かう。私達はその前を歩き、ジュリオは素早く馬車の扉を開ける。


「どうぞ」


 伯爵が乗ろうと片足をかけた時、私の視界の隅にこっちへ駆けて来る人影が見えた。それは真っすぐ伯爵目がけてやって来る。見れば右手に鈍い光を放つ何かを握ってる――


「ジュリオ、ご主人様をお守りして!」


 私は伯爵の前に立ち塞がり、向かって来る男を待ち構えた。


「え? どうした――」


「どけええ!」


 男は右手のナイフを振り上げて私に襲いかかって来た。だが大振りな攻撃は隙だらけだ。簡単に避けた私はその右手を脇に挟んで押さえると、空いてる腕の肘で男の顔面を突いた。


「うぶっ」


 まともに食らった男はその衝撃でナイフを落とすも、反対の手で私を殴ろうとする。それを避けた際に男は私から右手を引き抜き自由になると、一瞬ナイフを拾おうか迷うも、私を睨んで一目散に逃げ出して行った。


「おい! オリヴェイラ、大丈夫か!」


 玄関で襲撃の瞬間を見てた友人が慌てて駆け寄って来る。逃げる男の背中がまだ見える。


「ジュリオ、ご主人様を避難させて。私はあいつを捕まえる」


「わ、わかったけど、深追いは――」


 言葉を全部聞かず私は走り出した。広く長い道だから男の姿を簡単には見失わない。薄汚れた格好の男は走りながらこっちをちらちらと振り返ってる。追って来てると気付いたようだ。すると男は横道に入り、そこで初めて姿を消した。……逃がすものか。伯爵の信用を得る絶好の機会なんだから。


 消えた先の道に入るが、その先もいくつか道が分かれてた。こうなるとどこへ行ったかわからない。仕方ない。一つずつ見て行くしかないか――走りながら分かれ道を順番に見てた時だった。


「おらあっ!」


 突然横から拳が飛んで来て、私は咄嗟に身を引いた。顔面すれすれで拳は空を切る。待ち伏せしてたか……!


 男は休まず襲って来る。だがその手に武器はない。どうやら武器はあのナイフしか持って来なかったようだ。それなら恐れることはない。私は間合いを取りながら腰の剣を引き抜いた。するとこれに明らかに怯み出した男は、殴りかかるのをやめてまた逃げ出した。どうせ逃げるなら待ち伏せなんかしなきゃよかったのに。


 また追いかけっこかと思ったけど、それはすぐに終わった。男の逃げた先は行き止まりだった。高い柵に囲まれ、乗り越えようにもその前に私の剣がその身を切り裂くだろう。それをわかって男は歯を食い縛り、鼻血を出した苦しい表情でこっちを睨む。


「……くそお」


「観念するのね。抵抗せず捕ま――」


 落ち着いて男の顔を見つめた私は、その人相をどこかで見たような気がして思わず言葉を止めた。


「……な、何見てやがる!」


「変なこと聞くけど……私と前に会ったことある?」


「てめえなんかと会ってるわけ――」


 突っぱねようとした男も、私をまじまじと見ると言葉を止めた。


「ん? お前、どっかで……」


 向き合ったままお互いに考え込んだ。確かに会ったはずなんだけど――しばらく記憶を探ってようやく私は閃いた。


「……そうだ。小物屋の店主! そうでしょ? 盗品を売ってた」


 これに男の表情もパッと閃く。


「ああっ! お前は、ロレンソのとこの娘か!」


 襲撃犯は私達の仲間だった――捕まえようと意気込んでた気持ちが一気に緩んでしまった。


「ど、どういうことだ! あいつは俺達の敵だろ! そんなやつを何で守って――」


「これには訳があるの。知らなかったなら教えるけど――」


 私は伯爵の警護人になった経緯を話した。トレベラの盗賊でも、組織の末端であればあるほど私の潜入を知らない人は多いんだろう。盗賊相手に小物を売ってる彼じゃ知る由もなかったのかもしれない。


「……そんなことしてんのか。大変な仕事任されてんな」


「だから伯爵を狙う必要はないわ。消すのは私の役目だから。それにしても、店をやってるあなたが何でこんなことを? 武器の扱いが得意そうには見えないけど」


「あいつらのせいで流れてくる盗品の数が少なくなっちまってさ。食って行くための蓄えも減って……伯爵を消せば褒賞金がたんまり貰えるって聞いたからよ、いっちょやってやろうと思ったんだ……」


 小物屋の店主は垂れた鼻血を袖口で雑に拭う。


「そういうことだったの……その、ごめんなさい。顔……」


「へへっ、肘鉄は効いたぜ。でも仲間でよかったよ。じゃなきゃ俺はしょっぴかれてただろうさ。やっぱ、自分に向かねえことはするもんじゃないな」


「治療代、なかったら父さんにこのことを説明して出してもらって――」


「ロレンソにそんな当たり屋みたいな真似できるか。知らなかったとは言え、俺はお前の邪魔をしたようなもんなんだ。大丈夫だよ。鼻が折れてたってそのうち治るさ」


「そう……じゃあ衛兵に怪しまれないよう気を付けて帰って。あなたのことは逃げられたことにしておくから。本当に、ごめんなさい」


「こっちこそ悪かったな。余計なことして。……仕事、頑張れよ」


 私の肩を励ますようにポンと叩くと、店主は辺りをうかがいながら道の先へ消えて行った。姿が見えなくなるのを見届けて、私は大きく息を吐いた。思わぬ出来事に見舞われてどっと疲れを感じた。顔見知りだったからよかったけど、面識のない仲間だったら危うく捕まえるところだった。私一人の状況になったのも運がよかった。ジュリオや伯爵の前なら仲間とわかっても手を緩めることはできないから。それで疑われたら仕事が失敗しかねない。上手い具合に済んでよかった――一安心しながら私は報告のため、伯爵の元へ戻った。


 安全確保のため、私を置いて一足先に馬車で館へ帰ってるかもと思ったが、友人宅の前には変わらず伯爵の馬車が止まってた。そしてその前でそわそわした様子で待ってたジュリオは、私を見つけるとすぐさま駆け寄って来た。


「オリアナ! 賊は?」


 私は残念そうな表情を作って力なく首を横に振って見せた。


「駄目だった。しつこく追ったんだけど、見失って……」


「逃げられたのか……お前は大丈夫だったか?」


「ええ。相手は大した腕の持ち主じゃなかったから」


「あ、ああ、確かに、素人っぽい動きのやつだったけど……お前もあんなやつ相手なら、襲って来た直後に取り押さえるぐらいできなかったのか? 逃がしたらご主人様がまた狙われるかもしれないんだぞ」


「それは、私が油断してたわ。次は気を付けるから」


「ご主人様の命に次はないんだからな。常に気を付けろよ」


 私を労ってくれるのかと思ったら説教……本当にジュリオは私にだけはうるさい。


「ところで、ご主人様はどちらに?」


「ご友人が中で保護してくださってる」


「ジュリオと二人、馬車で館へ戻っててもよかったのに」


「お前が賊を追って行った後、俺はそう申し上げたんだけど、ご主人様が警護人を見捨てては行けないって仰るからさ」


「警護人の心配より、主の安全でしょ?」


「そんなことわかってるよ。でもご主人様はそういうお方なんだよ。お前もそのうちわかってくる」


 自分が狙われてるのに、警護人の身を案じて逃げないなんて……やっぱり伯爵は普通の貴族とはどこか違った人だ。


「お前の無事な姿見れば、ご主人様もご安心されるはずだ。お迎えに行くぞ」


 ジュリオと一緒に再び友人宅の玄関をくぐると、伯爵は安堵しながら感謝の言葉をかけてくれた。こんなに素直に感謝なんてされたことないから、正直嬉しくて胸が温かくなった。これで私に対する信用が少しは増えたならいいんだけど――そう馬車の中で願いながら私は伯爵とジュリオと共に館への帰路についた。

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