三話

 私の一番古い記憶は四歳ぐらいの頃、棒切れを持って父さんとチャンバラごっこをしてた記憶だ。私は遊びのつもりだったけど、父さんはそうじゃなかったんだと後々知った。


 物心が付くと私の興味はチャンバラから離れようとしたけど、それを父さんは許さなかった。棒切れを握らせ、半ば強制的に藁人形と戦わせた。筋肉痛を起こそうと、手の皮が剥けようと、父さんはほぼ毎日そんなことを私にやらせた。なぜ好きでもない、むしろ嫌になりかけてることをやらせるのか、その時の私には疑問しかなかったが、九歳のある日、父さんはその疑問の答えを教えてくれた。


『オリアナ、お前には剣術を覚え、その力で皆を守る役目があるんだ。だから辛くても苦しくても続けろ。俺達の未来のためになることだ』


 その言葉は九歳の私にはいまいち理解できなかった。皆って誰? 守るって何から? どうして未来のためになるの? と詳しく聞きたかったけど、怖い父さんにはなかなか聞けず、理解したふりをして過ごすしかなかった。でも月日が経ち、成長するにつれ、周りの環境が見えてきたことで父さんの言葉の意味をようやく理解することができた。


 暗くジメジメした我が家には時々、見知らぬ男性達がやって来ることがあった。大抵は悪そうな風体で、腰に剣をぶら下げてたり、言葉遣いが荒かったりした。そんな人達と父さんは見知った仲のように会話をしてた。邪魔をすると怒られるから私は部屋の隅に座ってたり庭で素振りをするけど、そこに聞こえてくる会話の内容から、彼らは盗賊ギルドの人間だとわかった。そして父さんもその一員なんだと。私は盗賊の娘なのか――この時初めてそう知った。


 盗賊ギルドの名はトレベラ。古い言葉で手中という意味らしい。狙った獲物はすべて手中に収めるってことだろうか。トレベラは昔からある組織らしくて、この街シーレドラスを縄張りに活動してる。総数はわからないが、聞いたところじゃ三百人前後はいるという。その三百人が街で盗みや恐喝をしてるんだ。当然人々は恐れて治安も悪くなる。でもその状況こそトレベラの理想だ。住民は大人しく、治安を守るはずの衛兵は盗賊達を見つけられず役に立たない。シーレドラスの街は実質トレベラが自由に歩ける庭だった。だからその頃は父さんも仲間達も羽振りがよかった。すべての仕事が上手く行き、皆懐が潤ってたんだろう。もちろん私も恩恵を受けた。月に一度食べられればいい牛肉のステーキを、毎週食べさせてもらった。あとは剣や防具を新調したり、剣術指南の先生を雇ったり……これは私のためというより皆のためだけど。


 正直私は、自分がトレベラの一員という意識がまだなかった。あくまで父さんの娘という立場で、一歩引いたところから眺めてる感覚だった。でも家にやって来る盗賊仲間達に大きくなったなとか、頑張れよと気さくに声をかけられるうちに、だんだん親しみを覚えるようになり、今じゃ仲間として普通に会話を交わしてる。そして父さんの言葉の意味――


『オリアナ、お前には剣術を覚え、その力で皆を守る役目があるんだ。だから辛くても苦しくても続けろ。俺達の未来のためになることだ』


 皆とはトレベラの仲間達、守るのはその仲間と私達の居場所、私が強くなれば皆を守れて、皆の未来も明るくなる――父さんはそう言ってたんだ。理解できてからは嫌々やってた剣術の稽古も前向きにやることができた。自分には大事な役目が与えられてると思うと、もっと強くなりたい欲求が出てきて、剣術だけじゃなく体術も教えてもらうことにした。素手で戦えれば不意を突かれても咄嗟に応戦できると思ったからだ。父さんは喜んで教えてくれたけど、おかげで全身はアザだらけになった。だけど私は充実してた。


 そんな日々に水を差す情報が入ったのは、今から五年前のことだ。この街を治める若き伯爵が治安改善を目指し、対犯罪組織捜査機関を設立したという。寝耳に水だったトレベラはすぐに情報収集を始め、一体どういうものなのか調べた。司法警察シーレドラス――街の名を取ったその組織は、文字通り司法に則って犯罪捜査をする。これまでは窃盗被害に遭っても目撃者頼りだったものが、街の衛兵と協力して現場の足跡や盗品の流れたルートなど、細かな証拠を集めて犯人を割り出し、言い逃れを許さず逮捕する手法を採る。簡単に言えば、衛兵より厄介な存在が現れたということだ。こんな組織ができることをなぜ知らなかったのか、それはどうやら伯爵が妨害を恐れてギリギリまで隠してたかららしい。それはつまり、向こうは盗賊ギルドを標的にするつもりとも言えた。


 伯爵についても調べられた。オリヴェイラ・アルバレス・デ・ベルデ――シーレドラスの街を長年治めるベルデ家の若き伯爵。学生時代は王都で学問を学び、その後、先代の父親が亡くなったのを機に街へ戻り、家督を継いで伯爵となった。私は王都へ行ったことはないけど、想像するにどこもかしこも綺麗で安全な街なんだろう。それに比べてシーレドラスは盗賊がのさばる危険な街。伯爵はその落差を憂いて捜査機関を創ったのかもしれない。そうでなきゃ貴族が遊びでもないのに自ら資金を出したりしないはずだ。自腹を切って創るほど、伯爵は治安改善に真剣に取り組もうとしてるんだ。


 敵の情報が大体揃ったところで、今度はこっちが対策を練る番になり、トレベラの幹部達は毎晩のように話し合ったようだ。しばらく様子を見ようという慎重派、態勢が整う前に潰そうという強硬派、向こうの捜査官を騙して情報を引き出せないかという頭脳派……意見は様々あったようだが、結局まとまらず、方針としてはそれぞれが敵に対して攻撃行動を起こすことになった。主に捜査官を標的に、恫喝や暗殺を仕掛け、一人殺せば幹部から褒賞金が貰えるとあって皆躍起になって敵を狙った。でもそんなことを想定してない伯爵じゃなかった。多くの捜査官は武芸の心得があり、さらに護衛兵を引き連れ、私達を寄せ付ける隙を作らなかった。それどころか現れた盗賊を逆に追い、捕まえることさえあった。伯爵が揃えた捜査官や護衛兵はすべてが私達より上回ってた。腕も、判断も、先を見通す力も。


 トレベラが歯噛みして手をこまねいてるうちに、捜査機関は手柄を挙げながら少しずつ規模を大きくしていった。その頃には街の住民も司法警察シーレドラスの名を知るようになり、それと反比例するように私達の行動は捜査を警戒してどんどん小規模にならざるを得なかった。トレベラは、最大の危機と言える状況に陥ろうとしてた。


 幹部の一人でもあった父さんは、ある日私に仕事を与えた。それは司法警察を創った伯爵の館に潜り込み、暗殺をすることだった。資金を一番多く出してるのは伯爵なわけで、彼を殺せばシーレドラスは弱体化し行き詰まる――父さんはそう考えたようだ。確かにそうで、戦いでは集団を率いる頭を狙うのが定石だ。でも私が狙うのは街を治める貴族。簡単に近付けるとは思えなかった。それは父さんもわかってて、ある情報を手に入れてた。


 伯爵の側に付く警護人が一人辞めたらしく、近々採用試験を行うというものだった。それに合格すれば堂々と伯爵に近付くことができる。小さい頃から父さんに鍛えられたから、試験に合格する自信はあった。でも身元を隠して受けられるのかという心配があった。その辺りは向こうも敏感になってるはずだし、きっちり調べられるはずだ。だけど父さんはそれも考えてた。


 手紙でも証明書でもどんな書類も作れる偽造屋に頼んで、住んだこともない家の住所が書かれた住民票を作り、そしてその住所にある空き家に私を住まわせたのだ。この家は盗賊仲間が連絡を取り合ったり身を隠す時に使われてた家らしく、長年住人はいないからばれることはないと言われた。住民票と居住実態があれば、さすがに向こうもしつこく調べることはないだろうと父さんは言い、実際その通りだった。試験官は私の適当な経歴を聞いても怪しまず、試験に参加させた。偽造屋がいい仕事をしてくれたおかげだ。そして私は晴れて試験に合格し、警護人となって今に至る。


 私の最大の使命は伯爵を消すこと。その方法は任せられてるけど、それは慎重に考えなきゃいけない。理想は誰もいないところで静かに殺せればいいが、そのためにはもう少し伯爵の行動を観察する必要があるだろう。すぐに私が犯人だとばれるような方法じゃ逃げる時間がなくなってしまう。殺す方法は私の命にも関わってくる。だからより確実な方法を選ぶ必要がある。


 父さんにはもう一つ命令されてることがある。それはトレベラに関する捜査情報を探ることだ。伯爵がどれだけ捜査に関わってるか知らないけど、ある程度の捜査状況ぐらいは報告されてるはずで、トレベラに対する捜査がどこまで進んでるのか、あるいは今後どんな捜査を予定してるのか、そんなことを探るよう言われてる。私は盗賊として〝仕事〟をやったことはまだないけど、家に忍び込む方法や鍵開け技術は教わってる。そしてそのうち伯爵の執務室を探ってみるつもりだ。館内で情報があるとすればこの部屋だろうから。でも今はこの部屋の前で大人しく警護をしないと。いろいろ教わりながら真面目に働けば、警護を独りで任される時が来るはずだ。そうなれば隙を見て動くことができる。そのためには伯爵と警護人達から信用を得ないと。


「――警護の基本は冷静でいることだ。突然現れた暴漢に気持ちが慌てふためいたら本来の力を発揮することなんてできないからね。常に冷静な頭で、目の前の問題に適切に対処することを心がけるんだ。でもまあ、これは経験を積まないと難しいかもしれないけど」


 執務室の前の廊下――椅子に座って警護をするカミロがにこやかな表情で言う。今日の警護はカミロと一緒で、私は扉を挟んだ隣の椅子に座って話を聞いてた。


「カミロは警護人になって長いの?」


「隊長ほどじゃないけどね」


「私、仕事に早く慣れるかな……」


「一つずつ覚えていけば、一年後には警護人としての意識が備わるよ。だから大丈夫」


「そうだといいんだけど」


 私とカミロはお互いを見合って笑う。一年後……その前に私はこの館から去ってると思うけど。


 そんなふうに警護についてカミロと話してると、執務室の扉が開いて伯爵が出て来た。私とカミロはすぐに椅子から立ち上がる。


「ご主人様、どうなさいましたか?」


 カミロが不思議そうに聞いた。部屋に入ってまだ一時間も経ってない。執務を終えたにしては随分と早過ぎる。


「インクが切れてしまってね。手持ちがあると思ったんだが、どうも勘違いしていたらしい」


「そうですか。では私が使用人に聞いて来ましょう」


「いや、買い置きされている物があるはずだ。自分でそれを取って――」


「では私が取って来ます。ご主人様はお部屋でお待ちを」


「警護人に雑用をさせるのは悪いが……そう言うなら頼んだよカミロ」


「お任せください」


 軽く会釈してカミロは階段へ向かった。


「……仕事はどうだ?」


 壁に寄りかかって腕を組みながら伯爵は私に聞いてきた。


「はい。教えてもらいながら順調にやっています」


「そうか。わからないことがあればソウザに全部聞けばいい。彼は頼りになるから」


「はい。私も、ご主人様に頼られるように精進します」


 これに伯爵はフッと笑う。


「警護隊を頼りにしなければならないほど、危険な目には遭いたくないけどね」


「そ、そうですね。頼られる前に、まずご主人様をお守りしないと――」


「冗談だ。そう真面目に受け取らなくていい」


 伯爵は笑ってこっちを見る。……言葉を間違えたかと、少しヒヤッとした。


「館内ではもう少し余裕を持っていい。私の警護だからと頑張り過ぎると気疲れしてしまうぞ」


「そういうわけにはいきません。いかなる場所でもご主人様を狙うやからはいますので」


「深夜ならともかく、昼間に館に入り込んで来る者はいないだろう。仕事とは言え、気を張る時のメリハリも大事だ」


「油断はいけません。強い意思を持った者なら、昼間だろうとお構いなしに侵入してくるかもしれません。賊に隙を見せないように」


「これでは私が警護を怠けるようにそそのかしているみたいだな。……オリアナは真面目な性格なんだな。これからもそうであってくれ。私が頼りにできるようにね」


「はい。ご主人様のために頑張ります」


 気合いを込めて言うと、伯爵は穏やかな微笑みを返し頷いた。もうすでに賊が入り込んでるなど、この人は夢にも思ってないだろう。しかもすぐ目の前に立ってるなんて……。優しく話しかけてくれるのはありがたいけど、私はそれを後悔させる仕事をしなきゃならない。せいぜい使用人思いの伯爵を続けることだ――私は胸の中でほくそ笑んだ。

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