二話

「――と、今週のご予定はこんな感じだ」


 机に置かれたベルデ伯爵の一週間分の予定表を示しながらソウザ隊長の説明は終わった。伯爵は大体こんな感じで行動してるのかと把握して私は椅子に座り直した。


「今日のご主人様は外出なさらず、夕方まで執務だ。ジュリオ、警護を頼んだぞ」


「おう」


 ジュリオは椅子から勢いよく立ち上がると、さっさと部屋を出て行こうとする。


「ちょっと待て」


 それをソウザ隊長は呼び止めた。


「ん? 何?」


「オリアナを連れて行け」


 そう言われた途端、ジュリオの顔がわかりやすく不機嫌に変わった。


「はあ? 館内の警護で何で? 一人で十分だろ」


「危険が少ない警護だからオリアナに打って付けだ」


「じゃあオリアナ一人にやらせれば――」


「まだ勝手がわからないんだ。一人ではやらせられない。だからジュリオ、教えてやれ」


「俺が? 勘弁してくれよ。教えるなら隊長が――」


「ここの警護は交代制だ。で、今日はお前の番だ」


「だからって教育係を押し付けなくてもいいだろ。また別の日だって――」


「そんなこと言ってたらオリアナがいつまでも学べないままだ。それじゃ困る」


「こっちだって困るよ。足手まといになるようなやつに……」


 聞き捨てならない言葉に、私は立ち上がって言った。


「足手まといにならないために、私はジュリオに警護の仕方を教えてほしいの。いいでしょ?」


 少し驚いた目を向けたジュリオだったが、嫌がる様子は変わらない。


「お、俺じゃなくたっていいんだから、他のやつに――」


「そんなに駄々をこねるなら、私が代わりに警護に行こうか?」


 それまで黙って聞いてたカミロ・シルベイラが呆れた口調で申し出た。


「駄目だ。カミロ、ジュリオを甘やかすな。こいつはただわがままを言ってるだけだ」


 ふうと息を吐き、カミロは肩をすくめてまた黙った。ソウザ隊長の言う通りだと思ったのかもしれない。現にその通りだし。


「とにかく俺は嫌だね。一人で警護に行く」


 頑なに拒否するジュリオに、ソウザ隊長は貫くような視線を向けた。


「これは、隊長命令だ。オリアナを連れて行け。さもなくば……」


「な、何だよ……」


 ソウザ隊長の口の端がわずかに上がる。


「前にお前が俺に相談してきた秘密の悩み事をここで話し――」


「わああああ! やっ、やめろ! それは絶対に駄目だから!」


「秘密の悩み事? 何なんだジュリオ。私にも教えてほしいな」


 カミロがからかうような顔で言った。


「教えるわけないだろ! 誰にも教えるか!」


 この慌て様……相当他人に知られたくないことなんだろう。


「ならジュリオ、命令に従うか?」


「……卑怯だぞ隊長」


 ジュリオは恨むような目で睨む。


「命令に従わないお前が悪いんだ。さあ、行け」


 これ以上抵抗できなくなったジュリオは諦めの溜息を吐くと、不機嫌な視線を私に向けた。


「ふん……さっさと来いよ」


 そう言って一人で部屋を出て行ってしまう。私は小走りにその後を追う。


「初めての警護、頑張れよ」


 カミロはすれ違い様、笑顔で言って見送ってくれた。彼はソウザ隊長より少し年下の、落ち着いた雰囲気をまとった人で、言葉は少なくてもすべて理解してるような、そんな印象を受ける警護人だ。てきぱきと指示を出す隊長と、子供っぽい文句を言うジュリオをつなげる役割をしてるのがカミロなのかもしれない。優しい言葉をかけてくれる彼なら適任だ。


 部屋を出た私は少し先を歩くジュリオを追って階段を上がり、二階にある伯爵の執務室の前へやって来た。


「ご主人様はもう中にいるの?」


「まだ一階で朝食をお召し上がり中だ」


 ジュリオはぶっきらぼうに言う。


「私達はそこへ行かなくていいの?」


「ご主人様は館内で窮屈な思いをされたくないんだ。身支度やお食事の時にまで俺達が側にいたら気分が安まらない。だから警護はお仕事をなさる時だけなんだよ」


 四六時中警護で側にいるわけじゃないのね……。


「館での警護は、主にそれだけ?」


「毎日の敷地内の見回り確認……危険物や怪しいやからが潜んでないか見るんだ。今日はもう隊長がやってくれたはずだ。館での仕事はその二つだな。……隊長に説明されなかったのか?」


「細かいことまでは……。その時になったら詳しく教えるって」


「言葉より現場で覚えろってことか? お前に教えるのが面倒くさいのって、俺より隊長なんじゃないか?」


 ジュリオは呆れたように鼻で笑った。


「ここの警護は危険が少ないってソウザ隊長は言ってたけど、これまでご主人様が危ない目に遭ったことはあるの?」


「館内じゃ一度もないね。使用人達も戸締りや出入りする人間には気を遣ってるし、館に賊が入り込む余地はない」


「じゃあ外では?」


「何度かあるらしいけど、俺が警護人になってからは危ないって言うほどのことは起きてない」


「それに近いことはあったの?」


 ジュリオは茶の頭をポリポリとかく。


「目付きの悪い男が隠れて見張ってたり、柄の悪いやつに尾行されたり……そんな程度だ」


「そういう時の警護はどうするの?」


「基本無視だ。追っ払ったりしない。でも警戒は強めて、ご主人様から離れず、隙を作らないようにする」


「それでも襲われたら?」


「一人が応戦、他はご主人様を守って逃げる」


「警護人が自分しかいなかったら?」


 ジュリオは私をじろりと見た。


「あり得ないね。外出警護は必ず二人以上が付くことになってる。一人で守ることなんてない」


「でも、何か問題が起きて一人になる場合もあるんじゃ……」


「俺達は問題なんて起こしたことない」


「可能性よ。まったくないとは言えないでしょ?」


「まあ……その時は、応援を呼ぶんじゃないか?」


「館の周辺ならいいけど、離れた場所だと時間がかかるわね」


「別に警護人じゃなくたっていい。街を巡回してる衛兵だって、最悪通行人だっていいんだ。とにかくご主人様を守り切れればいい」


「なるほど……」


 複雑な状況になると、小さな穴がいくつかありそうね……。


「……お前、咄嗟の時にその剣、振れるのか?」


 ジュリオは私の腰に下がる剣を見ながら聞いてきた。これは今朝、ソウザ隊長から警護人の武器として受け取った剣だ。まだ磨く必要がないほどピカピカだ。


「剣の扱いには慣れてるわ」


「女の細腕じゃいかにも重そうだ」


「心配しないで。こう見えても腕力はあるの。斧や金槌ならともかく、剣なら問題ないわ」


「じゃあ剣を奪われでもしたら大変だな。斧が落ちてたとしても振れないんだから」


「それも心配いらない。剣術の他に体術も身に付けてるから、たとえ武器を失っても戦うことはできるわ」


 体術は意外だったのか、ジュリオはわずかに目を丸くした。


「へ、へえ……だけど、どうせ実戦経験はないんだろ?」


「それは、ないけど……」


「ふん、練習しかしたことない体術なんて、一体どこまで使えるんだか。咄嗟に殴っても、女の力じゃ大した威力もなさそうだし」


 私はジュリオを見据えて言った。


「それじゃあ、威力を実感してみる?」


「え? な、何だよ……」


「私の拳を受ければ、どの程度の力かわかるわよ」


 拳を握り、私はジュリオにゆっくり向けた。


「女にだって、男を殴り倒す力はあるんだから」


「お、俺を殴る気かよ」


「そんなわけないでしょ。手のひらで受けて――」


 その時、階段の下から人影が上って来るのが見えて、私はすぐに口を閉じた。ジュリオも気が付き、壁際に身を寄せる。


「……おはようございます、ご主人様」


 人影はベルデ伯爵だった。ゆったりした私服姿でやって来ると、私とジュリオを交互に見て笑む。


「おはようジュリオ。と……」


「あ、オリアナ・ファルカンです」


 頭を下げて名乗ると、伯爵はまた笑う。


「そうだった。オリアナだね。今日は若い二人の警護か」


「心配せず、執務をなさってください」


 ジュリオは胸を張って言う。


「そうさせてもらう。だが、喧嘩はよくないぞ。同じ仲間なのだから」


「……はい?」


 ジュリオは聞き返そうとするも、伯爵はそのまま部屋に入ってしまった。


「……もしかして、私達の会話が聞こえてた? それで……」


「拳とか殴るとか言ってたから、ご主人様は喧嘩だと勘違いしたんだ……オリアナ! お前のせいだぞ! 仕事中に喧嘩するやつだと思われただろ!」


「そっちが威力はないとか言うから、ただ証明しようとしただけじゃない。そんなこと言ったジュリオが悪いのよ」


「俺は体術とか拳とかどうだっていいんだよ! お前が勝手に力を見せようと――」


「しっ。声が大きい。ご主人様に聞こえるわよ」


 そう言うとジュリオは執務室の扉をちらと見て声をひそめた。


「……とにかく、評価が下がったらお前のせいだからな」


「この話はまた後でね。今は仕事中でしょ? それに集中しないと」


「チッ……これだから嫌だったんだよ」


 ジュリオは苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。はあ、彼と友好的な関係を築くには時間がかかりそう。


「……ここの警護は部屋の前で立ってればいいの?」


 まだ勝手がわからない私は聞いた。


「立ちたきゃ立ってろ。俺は座るけどな」


 冷たくそう言うとジュリオは壁際に置かれてた椅子にどっかと座った。


「座って警護をしてもいいのね」


「執務中の警護は長いと五時間いるんだ。その間すぐに動ける態勢を取ってれば問題ない」


「五時間……ご主人様も大変なのね」


 私は他に椅子はないかと探し、廊下を曲がった先にあった椅子を持って来て執務室の扉の横に陣取った。ジュリオは扉を挟んだ右隣にいる。


「……ご主人様には休日はあるの?」


 ジュリオはうるさそうな目を私に向ける。


「当たり前だろ。休みなしで働けるやつなんかいるか」


「週に何回?」


「お忙しいお方なんだ。そう頻繁に休まれることはできない。だから月に二、三日程度だ」


「そんなに働かれて、お身体を悪くされないの?」


「ご主人様は自己管理が完璧なんだ。調子の悪さをお感じになれば予定を変えて午後に休まれる時間を作ったりする。お考えも行動も柔軟なお方だ」


 予定通りに働く仕事人間、というわけでもないようね。


「お仕事以外で遠出されることは?」


「一年に一度ご旅行されてたらしいけど、捜査機関を設立されてからはそっちに注力するようになって、ここ数年間はお出かけしてないって。よっぽどこの街を愛してるんだろうな、ご主人様は」


「捜査機関……司法警察のシーレドラスね」


「あれができてから街の治安は大分よくなった。証拠に基づいて隠れてた犯罪者が裁かれるようになったし、本当、ご主人様はすごいよ」


「おかげで住みやすくなったしね」


「お前、ここで生まれ育ったのか?」


「え? あ、うん。そうよ。ジュリオは違うの?」


「俺は田舎の村の出だ。親の都合で十代の時にこの街に来た。その頃はまだゴロツキを多く見かけたけど、今はその姿も少なくなった。毎日平和に暮らせるのはシーレドラスを創ったご主人様のおかげだよ。でも犯罪者を捕まえれば、それを逆恨みするやつもいる。街のためにいいことをしてるのに、命を狙われるなんて……まあ、それで俺達は仕事ができてるんだけどな」


 ジュリオは複雑な感情を込めた笑みを浮かべた。伯爵を恨み、狙う者がいるから私達の仕事はある――ジュリオの抱いてる気持ちはわかるが、仕事にそんな感情はいらない。任されたことを淡々とこなすだけだ。淡々と……。


 その後もジュリオは嫌な顔をしながらも私の質問や話に応じてくれてたが、話題が尽きるとお互い黙って警護を続けた。時折廊下を使用人が通りかかるが、怪しい素振りもなく、異常がないまま時間は刻々と過ぎて行く。


「警護、ご苦労」


 不意に扉が開き、中から伯爵が出て来て、私達は弾かれたように椅子から立ち上がった。


「ご、ご主人様、執務はお済みですか?」


「ああ。昼食を食べに行く」


「もうそんなお時間でしたか……」


 警護とは言え、座ってるだけだと時間の感覚がまるでわからない。昼食ということは、伯爵は四時間ほど執務に没頭してたことになる。


「仲直りはできたか?」


 これにハッとしたようにジュリオは答えた。


「そ、その、喧嘩というのは誤解で、俺達は至って仲良くやってますから、ご心配には及びません。……な?」


 聞かれた私は深く頷いて見せた。


「そうか。ならばよかった。君達も疲れただろう。休憩して腹ごしらえをしてくるといい」


「お心遣い、ありがとうございます」


 私はそう言って会釈した。そして顔を上げると、伯爵はなぜかこっちをじっと見てた。


「……な、何か?」


「オリアナ……君の名前はもう覚えたぞ」


 にこっと笑い、伯爵は廊下を進んで階段を下りて行った。


「何だか、ご機嫌がいいみたいね」


「執務がはかどったんじゃないか? 俺達も休憩だ。行くぞ……はあ、誤解が解けてよかったあ」


 ジュリオは私を置いて階段へ向かう。伯爵の人懐っこい笑顔……あれで多くの人の心をとらえてるんだろう。でも私は騙されない。仲間のため、大事な居場所のために、あの笑顔を消し去る。でもまだその時じゃない。じっくりと探って、確実な時を待つ。今はここの警護人として信用されるのが先だ。それまでは周りの人間に愛想を振りまいてればいい。何も知らないままで……。

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