第103話 恋心は突然に[王城 side]

 魔物騒動が一段落して第三騎士団が休養日を堪能していたある日、エルネストは父親である王の執務室にいた。



「ではそなたの気持ちは変わらぬと言うのだな。余としてはこれからいくらでも挽回できると思うのだが……」



「いえ、私のように目の前の事すら正確に把握できない者では、今後国外との外交で不利になる事が多いでしょう。幸い第二王子であるランスロットは同腹の弟ですし、性格が良い……とは言い難いですが、多少腹黒いところがある分頼もしいと言えますから」



「うぅむ……、確かにそなたは先頭に立って周りを引っ張っていくタイプだが、ランスロットは周りを誘導して動かすタイプの王として素質があると言える……。では時期を見て正式にエルネスト、そなたの王位継承権返上を受け入れ第一騎士団に所属としよう。よいか? セザール、レオナールよ」



「「ハッ!」」



 執務室に控えていた騎士団総長のセザール・ド・ノアイユと、第一騎士団の団長であるレオナール・ド・ガンズビュールは同時に騎士の敬礼をした。

 先日エルネストが第三騎士団に入りたいと発言してから、この四人で話し合ってきた事だ。



 ジュスタンが第三騎士団に入った時同様、まずは一年は騎士として生活し、問題がなければ副団長に就任後、ガンズビュール騎士団長の引退と同時に団長職を引き継ぐという話が検討されていた。

 騎士団長よりも少し総長の方が年上ではあるが、総長ともなると戦闘に出る事は基本的にないのでその任に長く就いていられるので後継者はじっくり探せる。



 王の執務室を出ると、エルネストは固い表情のまま婚約者のディアーヌを訪ねた。

 ディアーヌがエルネストの婚約者になったのは、未来の王妃という立場になる者として相応しいからという理由であり、その前提が崩れるとあっては婚約を白紙に戻す事もあり得る。



 一時は聖女の愛らしさに心惹かれ、さもしい考えが脳裏を過った事もあったエルネストだが、ずっと親元を離れて王妃教育を受け、頑張り続けてくれた護るべき相手である事は確かな事実だった。

 先導の侍従がエルネストの来訪を告げると、しばらくの後ドアが開かれた。



「エルネスト様、いらっしゃいませ。本日は来訪のご予定ではなかったと思いますが、どうなされました?」



「突然すまない……、少し話したいのだが……二人きりで」



 ディアーヌが侍女に目配せして頷くと、お茶の準備が終わると全員が部屋の外に出る。

 久々に訪れたディアーヌの部屋は相変わらず飾られた花の香りが優しく匂い、ディアーヌの細やかな心配りが感じられた。



 お互い紅茶をひと口飲み、ディアーヌは静かにエルネストが話し始めるのを待った。

 明らかに緊張しているのがわかる表情で、エルネストは大きく深呼吸してから口を開く。



「…………ディアーヌ、私は父上に王位継承権の返上を願い出た。そして第一騎士団所属となり、将来的に騎士団長の任に就く予定だ。勝手に決めてしまってすまない、王妃となるべく努力してくれたディアーヌを裏切る行為だが、自分の行動をかえりみて王に相応しくないと痛感したのだ。私はここまで自分が情けない人間だとは思わなかった、こんな……、情けない姿をディアーヌに見せたくはなかった……」



 その時、これまでディアーヌが一度も見た事のないエルネストの涙が、膝の上で握りしめられた拳にポツポツと落ちた。

 ずっと自分を護り、強い姿しか見た事がなかったエルネストの涙を見た瞬間、ディアーヌの胸に知らない感情が湧き出る。



(あら? 何かしら、この気持ち……。エルネスト様の涙を見ていたら……)



 無意識にディアーヌは立ち上がり、気付くと向かいの席にいたエルネストをその胸に抱き締めていた。

 これまで護られてばかりで、その逞しい背中を見てきた婚約者の弱い姿に、ディアーヌは母性本能という名の庇護欲に火がついたのだ。



「エルネスト様、わたくしがついております」



 自然とそんな言葉がディアーヌの口から出た。

 一方その柔らかな胸に顔を埋めるように抱き締められたエルネストは、幼少期以来の柔らかな抱擁に涙が止まらなくなっていた。



(こんなに情けない私を抱き締めてくれるのはディアーヌしかいないだろう、貴族令嬢であれば家の事を考えてスッパリと切り捨てられても仕方ないというのに)



「ディアーヌ……、ありがとう。もし、私の我儘を聞いてくれるというのなら、これからも……私の婚約者でいてくれないか? 王太子ではなくなるが、ディアーヌを幸せにできるよう努力を続けると約束するから」



 ズッキュン!



 涙で潤んだすがるような瞳で見つめられ、ディアーヌの心臓はこれまでにない音を立てた。



(あ、あらあら? わたくしとした事がエルネスト様を可愛らしいと思うだなんて、不敬よね。けれど……、今のエルネスト様はなんというか……甘やかしてみたい……)



「エルネスト様? 結婚は一方的に幸せを与えるものではありませんわ。わたくしもエルネスト様を幸せにしてさしあげます。元々は二人目が生まれたら跡取りにする約束でしたが、いっそタレーラン辺境伯領に婿にいらっしゃいませ」



「ディアーヌ……! ありがとう」



 エルネストの額にディアーヌの柔らかな唇が触れる。

 これまで護る者と護られる者だった二人の立場が変わり、お互いの性癖……いや、幸せへの道が開けた瞬間だった。

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