79. 神意は測り難きもの

 ミカは立ち上がって、机に向かう。私物を突っ込んだ辺りを探り、目的のものを探し出すと、ミカは再び王子の前に戻ってそれを差し出した。仰々ぎょうぎょうしく封蝋の押された手紙。


「これ、差し上げます。うっかり手に入れてしまったものですが、何かお役に立つかもしれません」


「これは……ロードリー伯爵家の印章か。一体何だろう?」


 シアランは問う眼差しで彼を見たが、ミカは肩をすくめてみせた。実際、彼は何も知らないのだ。イカサマ賭博とばくで相対した傭兵たちからすった後、結局、中をあらためはしなかったから。……まあ、いくらか想像できはするが。


 破られていない封蝋を見て取った王子は、それ以上ミカを問い詰めはせず、自分の手で封を切った。中に入っていた書面に目を走らせる。


「……パトレス・ミカ、あなたはこれをどこで手に入れたんだ?」


「我らが主のはからいにより、彼の被造物の中でもあまり出来のよろしくないものが、私の手に置いて行ったのです。まことに、主の御名みなたたえられてあるものです。何が書かれているんですか?」


「内容は大したことじゃない、おおむね、ただのご機嫌伺いだ。『昨今の世情の混乱を深く憂慮ゆうりょして』いると。そのために、近く話をする機会が欲しいと。宛先はモーブル伯爵」


 誰だっただろうか? ベルリア貴族の名前などほぼ知らないミカだが、しかしその響きには何故か覚えがある。数瞬、記憶をさらって思い出した。立太子されていないシアランが王位にくことに反対している、大貴族の一派ではなかったか。


「まあ、順当だな。エルトワ公爵の方は、自分が王位に就くのでなければ納得しないだろうから。モーブル伯はまだくみしやすい。ロードリー伯爵が、アルを通じて何をしようとしていたにしろ、まずは彼女を王位に就ける必要がある。王女の名で正統性を主張する前に、味方になりそうな者を探ったということだろうな」


 その陰謀にめられる当の本人だったはずのシアランだが、しかしそういった屈託は見せなかった。淡々とした言い方には、むしろ明るい響きさえある。ミカは苦笑した。


「嬉しそうですね」


「もちろんだとも。これで、ロードリー伯爵は私のものだ――彼の富も兵力も影響力も、すべて私の意のままになる。アルを犠牲にしなくても」


 手紙は、正統な王権に対する叛意の証拠だ。もし機が熟し、ロードリー伯爵がアルティラ王女をかついで王位を手中にしていればよかったが、それが叶わない今となっては、伯爵にこの罪を逃れる道はない。これまで通り王家の権威に服するか、はっきりと反逆者の汚名を着るかの二択しかないのだ。そして後者を避けようと思えば、ロードリー伯爵はひたすらを低くして、シアランのやることなすことに従うしかない。今や王子は、彼の生殺与奪を握ったのだ。


 ――……よかった! 開けてみたりしなくて!


 今更ながら、ミカは胸をで下ろす心地だった。ろくなものでないことはわかっていたから、慎重に扱っていて正解だった。リドワース修道院の『奇蹟』を調査するために、いざとなれば、これで地域の領主であるところのロードリー伯爵を脅し……交渉する手札の一つになるかもしれないと思って保管していたのだが、とんだ危険物だったわけだ。もし開けていれば、手紙の真贋しんがんを疑われたかもしれない……どころか、悪くすれば、彼自身の何らかの陰謀への関与を疑われた可能性だってある。


 ――田舎者のロードリー伯爵なんかはどうでもいいが、この王子様に目を付けられるのは厄介そうだもんな。一度疑ったら、煙に巻かれてはくれなそうだし……絶対、面倒くさいことになったって……。


 だがそこでふと、目の前の王子がじっと自分を見つめているのに気付いて、ミカは密かにぎょっとした。本人の前では若干言いがたいような考えを、見抜かれたような気がしたのだ。


 しかし、ありがたいことに、そういうわけではないようだった。恐る恐るミカが尋ねると、シアランは我に返ったように目を瞬いて、軽くかぶりを振った。


「いや、何でもない。ただ……神というものは、本当におられるのかと思っただけだよ」


「……それ、私の前で言いますか。今どき無神論は流行はやらないですよ」


「神が私の味方であったことは一度もないと思っていた。でも、おそらく、敵であったことも一度もないんだ。神意は測りがたきものだ、本当に……でもそれだけが、この世で求めることのできる、ただ一つの道だ」


 シアラン王子は微笑んだ。その端正な顔に、暗い地獄の影はもう映っていない。穏やかで、満ち足りた、何にも揺るぎない強さ――やがてこの国の民すべてが、玉座の上にあおぎ見るもの。


「我らが主によろしくお伝えしてくれ、パトレス・ミカ。そしてもしよければ、祈っていてくれ――彼が与えてくれたのに、私が愚かに拾い損ねたものを、残らず取り戻すことができるように」



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