第4章 夜半の邂逅
17. 密談
院長宿舎に招かれての晩餐は、案の定、全く面白くはなかった。まあ、同席相手が、宿舎の主であるアルヴァン院長と、主より主らしい様子で首座を占めているロードリー伯爵だけでは、何一つ面白いことなど起こりようがない。
延々と交わされたうわべだけのやり取りで得られた情報は、この国の大まかな情勢と、結婚式の日取りくらいのものだった。式は半月後を予定しているが、あくまで予定だという。王都からここまで、平時であれば五日もあればたどり着くらしいが、何せ不穏な時世である。警護を固めた王女の一行にとって、道中は易しいものではないだろうし、人数を揃えれば揃えるほど動きは遅くなる。
「何と言っても、王女殿下の身の安全が最優先ですからな。どれほど時間がかかってもやむを得まい。とはいえ、あまりのんびりされても困るが」
「道中、何事もなくご無事でいらっしゃればよろしいですね。どのようなよからぬ輩が待ち受けているとも限りませんし。私もこちらへ来る途中、近くの町で、荒くれ者たちと行き合いましたよ。傭兵隊のようでしたが」
そしてその連中は、まさにこのロードリー伯の紋章の封蝋で閉じられた封書を持っていたのだ。一瞬、伯爵の視線に鋭い光が閃いたように見えたが、ミカがいかにも曖昧な心配顔をしていると、すぐに興味のない相槌を打った。
「ああした連中が揉め事を探してうろつくようになるとは、まったく嫌な世相ですな。どんな飯の種を嗅ぎつけたやら」
――よく言うよ。
一介の傭兵隊が、何の伝手もなく、貴族の紋章入りの品物を携帯しているとは思えない。もちろん、偽造しようと思ってできないものではないが、それならそれで、ロードリー伯には陥れられるだけの理由があるはずだし、もしそうなら、自身の領内を跋扈する傭兵隊の話にこんな平静な態度ではいられないだろう。
――ばっくれるってことは、何かやってんだろうな……まあ、こっちの用事に関係なきゃどうでもいいけど。
どうでもいいが、しかし、この修道院の真の主とも言うべきロードリー伯の動きが、修道院とまったく無関係でいるとも思えない。詳しいことを聞きたいが、率直に尋ねて口を割らせることはできないだろう。特にこんな、お行儀のいい晩餐の席で、彼が『敬虔で善良な司祭』をやっている間は。
――今すぐ椅子ごと縛り上げて、顔に何発かお見舞いすれば……?
しかしそれは最後の手段だ。やってしまえば取り返しがつかないという以上に、そういうきつい労働はしたくない。
さして得るところのない晩餐を、失礼にならない程度に早々に切り上げて――食事自体は美味しかったので、アルヴァン院長は殴らずに済んだ――ミカは一旦、宛がわれた自室へと引き返した。やがてそれほど間を置かずに、鐘の音が響き渡る。一日の終わりである、就床の祈りの時間を告げる鐘だ。
聖堂へ向かい、一般信徒席から祈りを捧げながら、ミカは内陣で式を進めるアルヴァン院長を見やった。これが彼の、本日最後の公の務めだ。あとは院長宿舎の門を固く閉ざしておけば、朝まで誰にも煩わされることはない。
元々、深更の祈りには出てこないアルヴァンだが、今夜は特に重要な用事があるはずだ――宿舎に泊まることになった兄と、ついさっきまで同席していた厄介な客について、話し合わねばならないはずだから。
礼拝が終わり、聖堂を離れる信徒たちに混ざって、ミカも外へ出る。が、部屋へは戻らない。少しばかり広場をぶらぶらして時間を潰すと、別の方向へ足を向けた。すでに修道士たちは引き上げ、誰も残っていない。
院長宿舎は、修道士の宿坊からは独立した建物だ。聖堂や他の棟と、渡り廊下でつながってはいるものの、宿舎の周りは高い石壁で囲まれ、中の様子を窺い知ることはできない。唯一の出入り口には、真鍮の格子扉が取り付けられている。先刻訪れたときはもちろん開放されていたが、今は固く閉ざされている。
その門の前に立って、ミカはまじまじと観察した。天を刺すような装飾のついた厳めしい格子扉には、物々しい、頑丈そうな錠前がかかっている。
――ふん、古典的なやつだ。
辺りに人気がないことを確かめて、音を立てず門に近づく。錠前を手に取ると、密かに用意してきた金属片を素早く鍵穴に差し込んだ。月明かりは弱く、ぼんやりとものの形がわかるほどでしかないが、問題はない。感覚だけで十分だ。案の定、奥のくぼみを二、三度引っ掻くと、錠前はいともたやすく降参した。
――ま、こっちの方が、殴り合いより多少は頭脳派だろ。頭脳……では、ないけど。
むしろ、悪習とか手癖と言う方が正しいに違いない。それにしても、アルヴァン院長がそれほど深刻に侵入者の危機を憂慮しているのではなくて、本当によかった。足を洗ってずいぶん経つから、最新型や、少し凝った錠前などかけられていたら、ちょっと手を焼くところだった。
依然、完璧に足音を消したまま、ミカは建物を回り込んだ。これまで二度招かれたおかげで、中の間取りは想像がつく。配置から考えて、贅沢に窓に硝子をはめ込んだ立派な応接室の奥に、小さな続き間があるはずだ。窓を除けば応接室からしか出入りできない、密談にはうってつけの小部屋が。
実際のところ、その部屋の位置はすぐ特定できた。壁に沿って歩くうち、低い話し声が聞こえてきたからだ。昼間、明るいうちであれば、到底拾えないほどの音だが、この夜の死のような静けさの中では、耳をすませば内容を聞き取るのは難しくない。
「……教皇庁が、何だって今、ここに目を付けなきゃならんのだ」
声の大きさは抑えても、苛立ちは抑えきれない口調で、ロードリー伯は憤然と不満を吐いていた。ミカは思わず唇を歪める。これは、まさに目的通りのところへ来合わせたらしい。
「大体、あの男が本物だという証拠はあるのか。あんな若造が教皇お墨付きの特使だなどと、そんなことが本当にあるのか」
それはなかなかいい目の付け所だ、とミカは思った。もちろん、彼はその点で嘘などついていないが、相手がそれを頭から信じなければならない理由はない。司祭の法衣と位階の聖印、教皇の署名入りの任命書だけが、彼の身の証であるが、逆に言えばそれらを入手、あるいは偽造できれば、誰であろうと名乗れるくらいのものだ。
聖職者を詐称することは、重大な涜神の罪とされ、明るみに出れば破門、もはやスワド神の信仰ある地には住めなくなる危険度の高い行為だが、試してできないことでもない。まして、任命書など、実に容易く作り出せる――結局のところ、教皇の真筆など、この世のほとんどの人間が見たことはないのだ。
だが、室内のもう一人は、そんなことは考えてもみなかったらしい。呆気に取られるような間があった後、わずかに狼狽を含む声が応えた。
「それは……そんな嘘は、あり得ない話です。聖職者を偽ることがどれほどの罪かご存知でしょう。教皇庁に照会すれば、すぐにわかるようなことで、我々を欺くとは――」
「それで、お前は照会をしたのか」
「…………」
アルヴァン院長の声は黙り込み、その沈黙に舌打ちの音が続く。
「この、無能が。相変わらず、へらへらするだけが能と見える」
「ですが、あの男にはそんな嘘をつく理由がありません!」
侮辱に憤ったアルヴァンの声が高まる。だが、おそらく相手の表情に窘められたのだろう、次の言葉は再び低く戻った。
「……一体何のために、そんな危険な騙りをする必要がありますか。金ですか? いいや、それはない。もし金を騙し取るのが目当てだったら、あの男はとうにここを離れていますよ――私は申し出たのだから」
「申し出ただと?」
「金なら、相応に払う用意があると告げたのです。教皇庁の特使だなんて、ゼオン、きっとあなたは気に入らないと思いましたからね。でも、彼はまったく察しが悪くて……まあ、典型的な秀才坊やってところです。神学のことは知っていても、世間のことなど何も知らない、純粋培養の神の
――はは、くそったれ。
「教皇庁に
「ええ、そうですとも――ベルリアが、あなたのものになるまでは」
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