14. 施療所


「施療所で使う薬の材料は、大体そこで育てています。ここで使う分と、川向こうの診療所に送る分です。診療所は教会の管轄なんですけど、ここの薬が評判が良いので、融通ゆうづうしているんだそうです」


 貧者や病者の救済は、神の教えを奉じる者の使命の一つである。教会がその任に当たるのはもちろんだが、修道院も例外ではない。


 リドワース修道院の施療所は、通り沿いの通用門のすぐ側にある。聖堂と同じく、人々に広く開かれていなければならない場所だからだ。二人が訪れたときも、町の住民とおぼしき人々が入れ代わり立ち代わり出入りしていた。杖をついた老人が膝をさすりながら出て行くと思えば、若い小間使いの娘が、女主人の薬を取りにきたと告げる。だが幸運なことに、救いを求める者はそれほど混み合ってはおらず、また重篤な患者を抱えているという様子でもなかった。


「たまたま、今日は平穏なようですな。神に感謝しなければ」


 責任者だというヘルマー修道士が、彼らを迎えてそう言った。歳は四十を過ぎたくらいか、決して太ってはいないが、どこか締まりのない体つきの男である。


「巡礼の季節は、それはもう、大勢が詰めかけてくるんです。神の奇蹟は皆に起こるとは限りませんが、この施療所では、誰もが等しく治療を受けられると」


「評判はお聞きしています。こちらの薬は大変効き目があって、教会の診療所にまで求められているとか。よほど見識の深いお方が管理されているに違いないと思って、お話を伺いたく参ったのです」


 あまりにも見え見えの世辞だったが、相手は気を悪くした様子はなかった。むしろ、わずかに胸を反らす風でさえある。その口元が、得意げな表情を何とかこらえるようにぴくぴくと動くさまを見て、ミカもにっこりと微笑み返した。


 ――こんなもんでいいのかよ。こういう扱いやすい手合いは楽でいいや。


「なに、病める民を救うのは、我々に与えられた神聖なる務めでありますからな。当然のことですよ」


「素晴らしいお心がけです。悩める人々にとっては、これほど心強い言葉はないでしょう。ところで、フィドレス・ヘルマー、その寛容なお心を頼みに、是非にお願いしたいのですが、実際にどういった薬が作られるのか、見せていただくことはできませんか」


 だが、そう切り出した途端、ヘルマーの表情が強張る。一瞬、その視線があらぬ方にさまよったが、すぐに何気ない調子で応える。


「いや、ですが……このような片田舎のことですから、何も珍しいものはありませんよ。聖都の『久遠の塔』には、世界中の調薬法が集まっているとも聞きます。今更、特別なことは何も……」


「優れた調薬を世に知らしめることも、教会の重要な務めです。それにここベルリアは、スハイラスの周辺と気候も違いますから、まだ知られていない薬草があるかもしれません」


「そんなことは……」


「もし、そうした薬草がスハイラスにも紹介されれば、より多くの病者を癒すことができるでしょう。フィドレス・ヘルマーの名声も、より広く知られることになります。彼らの苦しみを救った尊い志の修道士として、長く人々の記憶に残るに違いありません」


 ヘルマーは、なおも口の中でもごもごと何か呟いたようだったが、結局はくすぐられた自尊心に降伏したらしかった。


「本来は、部外者に見せることは絶対にないのですが……しかし、はるばるスハイラスからおいでになられたのですから、少しは珍しいものをお目にかけなければ、いらした甲斐もないというものでしょう。何と言っても、我々は同じ神に仕える兄弟なのですからな」


 そう言って案内されたのは、薬草の保管庫だった。乾いた草独特の、甘いようなつんとするような香りの中に足を踏み入れたミカは、中の様子に目を見張った。さして広くもない薄暗い小部屋でたった一つの窓の下には、古びた机が置かれているが、その他の壁面はすべて棚、上から下までびっしりと、小瓶や壺が収まっている。


 教会や修道院の施療所はどこでも、様々な薬草を常備しているものだが、それにしても、この種類の多さはちょっと驚く。目を凝らして、ミカはざっと表示を確かめた。手近にあるのは、どこでもよく使われるものだ。


 ――タルヴァン、ミロテ、イライの根、ランドリア……ランドリア!?


 視界のすみに引っかかった小さな小瓶を、まじまじと見つめる。薄暗い中で何度見返しても、ふだには確かにそう書かれている。


 ランドリアは南国の植物だ。その花は咳止め、根は全身の慢性的な痛みを和らげるのに非常な薬効があって珍重されるが、暑いところでないと育たない。スハイラスの近辺でも、花をつけるまでも行かず枯れてしまう。手に入れるには南方の国々と取引するしかないが、貴重なだけにかなりの高値になる。


 ましてベルリアのような北の果てまで運ぶとなると、大変な距離だ。盗賊、難破、あらゆる道中の危険も考え合わせると、行き来する商人がどれほどいるか。


「フィドレス・ヘルマー、このランドリアは、どのように入手なさったのですか」


 いくら金を積んだのか、と訊かなかっただけ、まだ奥ゆかしかったと自負している。しかし、ヘルマーの答えは、ミカの予想だにしないものだった。多少自慢げに、彼は言ったのだ。


「ここにあるものは、ほとんど我が薬草園で育ったものです」


「は!? このランドリアもですか?」


 瓶を手にして突き付けても、ヘルマーの様子は変わらなかった。一体それがどうしたのか、という風に、片眉を上げる。


「そうですとも。よく手入れしておりますからな。勘所かんどころさえ心得ておれば、どんな草でも、よく育つものです」


「…………」


 そういう問題ではない、と言おうとして、しかしミカは言葉を呑み込んだ。ヘルマーの表情は、空惚そらとぼけているというようには見えなかったからだ。もしそうなら大した役者だが……つまり、この男は知らないのだ。それが、どれだけありえないことなのか。


 一方で、黙り込んだミカの様子に、ヘルマーはにわかに落ち着かなくなったらしい。得意げな表情は、次第に警戒に変わってくる。探るようにミカを見やると、一つ咳ばらいをした。


「教皇庁の司祭様には、何事かご不満がおありですかな」


「いいえ、不満などとんでもない。ただ、このように貴重な薬草がこれほど揃っているとは想像していなかったので、驚いているのです。これだけのものが一つ所で栽培されているとは、とても信じられません」


「この地は土がいいのです。貧しすぎても、肥えすぎてもいない、こうした植物にはうってつけなのです」


「それだけではないでしょう。何か、特別な方策がおありのはずです。もし、それを知ることができるなら、教皇庁はどんなことでもしますよ。リドワース修道院とフィドレス・ヘルマーに、最大の感謝を捧げ、どのようにも報いるでしょう」


 ここぞとばかりに押してみたが、今回は、ヘルマーの反応はかんばしくなかった。多少は気をそそられるかと思いきや、意外にも目をそらし、答えを渋る風である。これは、もう少し具体的なエサを振ってみなければだめだろうか、と考えかけたミカに、そのとき天の助けが入った。


「フィドレス・ヘルマー、薬草園をじかに見ていただいてはどうでしょう」


 ここでも先輩修道士に敬意を表してか、黙って控えていたユールが、そっと口をはさんだ。


「パトレス・ミカは薬草学にもお詳しいでしょうから、実際に見ていただければすぐに、フィドレス・ヘルマーの申し上げたことをわかっていただけると思うんです。とにかく、素晴らしい薬草園であることは確かなんですから」


「それはぜひ! 修道院の叡智の源に直に触れることができるとは、これほどの名誉はありません」


 ヘルマーは、鋭くユールを睨みつける。新入り風情が生意気な、とでも言いたげな風情だったが、ミカがすかさず、いかにも無邪気そうに言葉をかぶせると、無下に断れなくなったらしい。それでもさらに数瞬のためらいを経た後、逆に肩をそびやかして言った。


「――ええ、いいでしょう! お好きなだけ見て行かれるがよろしい」




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