9. 薔薇の聖女


「我が修道院の守護聖女、聖ルージェナの祭日が近いのです」


 教会や修道院は、もちろんスワドの神を奉じるものではあるが、同時にその力の象徴として、聖書の登場人物や過去の聖女に特に加護を祈ることがある。聖ルージェナは三百年ほど前の聖女で、当時まだスワド神の法を受け入れていなかったベルリアで、数々の奇蹟を起こし、ついにこの地を教化に導いたとされる人物だ。神の教えを受け入れる証として、古の諸部族の王たちは一人ずつ、今では教会の占有となっている薔薇の花を彼女に差し出したことから、『薔薇の聖女』とも呼ばれる。


「我々の執り行う儀式に限った話ではありません。神と聖女の救いを求めて、多くの病める者、苦しむ者が押し寄せてくる。彼らにかてと寝床を与え、秩序を保つのは大変なことで、入念な準備がなされなければならない。今は誰しも手がいっぱいで、おそらく、あなたの調査に即座に協力できるということはないでしょう」


 なんとまあ、つまらない言い訳だ。呆れて、ミカは思わず鼻を鳴らしかけたが、しかし院長の言葉はそこで終わりではなかった。どうでしょう、と身を乗り出すと、声を低めて続ける。


「教皇庁付きの司祭ともなれば、お忙しい身でありましょう。あなたのお時間を、無駄にするのは申し訳ないことだ。一刻も早く、スハイラスにお戻りになりたいとは思いませんか――もちろん、手ぶらでお帰りいただいたりはいたしませんとも」


「…………」


「我々には、信仰の正しさと誠実さを証立てる用意があります。奇蹟は間違いなくこの地で起こり、これからも起こり続けるでしょう。すべて、我々の信仰のあつさを、神がよみされたからに違いありません。それを示すことができるなら――相応の対価を払うことができる」


 さすがに一瞬呆気に取られて、ミカは相手を見返した。確かに、それが彼の目的なのだ。『奇蹟』の認定をダシにして、できるだけ修道院から金を引き出す。これからしなければならなかったはずの、あの手この手の腹の探り合いが一気に必要なくなって、都合がいいと言えなくもない……。


 ――って、いいわけねえだろ! この、馬鹿野郎が!


 何もわかっていないのだ。憤りのあまり、眩暈がしそうになるのを何とかこらえながら、ミカは腹の内で叫んだ。何だって今、それを切り出したのだ。それでは、もう全然、話が変わってしまうではないか。


 修道院が、ミカに強請ゆすられて金を出すのはいい。元々、そのつもりで派遣されてきているのだし、『奇蹟』が本物だろうが何だろうが強請るには違いない。教皇庁の権威の下、修道院が逆らえないのは当然のことだ。教皇庁の書いた筋書き通り、何もおかしな点はない。


 だが、こういう取引を、修道院側から申し出てくるのは何故か。明らかに、教皇庁に知られてはまずいことがあるからだ。そして、明らかにまずいことがあるとわかっていながら、それを見過ごして復命すれば、あとで責任を取らされるのは一体誰なのか。


 ――くそったれ、何てことしてくれやがる。これ、マジで調査しなくちゃいけなくなっただろ……ああああ働きたくねえ!


 ただの集金で済んだはずなのだ。『奇蹟』が本物であろうと、何らかの作為であろうと、個人的にはどうでもいいし、教皇庁も、それが神の栄光と信仰心をき立てている限り、とやかく言いはしないだろう。しかし、万一その作為が露わになるようなら、決して容赦はしない。そして、この程度の算段もできない男が率いている修道院が、ヘマを働かないはずがない。


 だというのに、アルヴァン院長はまだ何か言っている。


「あなたにも、決して悪い話ではない。神の御前に、つまりその現世での代理たる教皇聖下の御前に富を積むのは、聖なる行いです。教皇庁も、それを引き出したあなたを高く評価することでしょう。お望みなら、このような機会を与えてくださったあなたに対しても、心ばかりのお礼を……」


「それは素晴らしい!」


 院長の言葉を、明るい大声で断ち切って、ミカは輝く笑顔を向ける。


「つまり院長は、我らが教会に対して、更なる寄進をお望みということですね!」


「え、ええ、それは、そうですが……」


「修道院が、その創立の定めによって、教会に少なからぬ財産を奉じていることは知っています。修道士たちが生きるために最小限必要なのものしか、手元には残らないはずですが、その上さらに、そこから寄進をなさろうとは! 清貧をむねとする修道院の理想を、実に厳格に体現しておられる。院長の深い信仰と、指導力あっての偉業と申せましょう」


「…………」


「このような修道院に、神が御意思を現したまうのは、むしろ必然だったに違いありません。『奇蹟』の詳しい全貌をこの目で確かめ、院長の崇高なお人柄と合わせて教皇聖下にご報告できることは、一介の神のしもべとして、光栄の至りです。この素晴らしい修道院の『奇蹟』を、正しく世界に広めることこそ、私の使命であると確信いたしました!」


 アルヴァンは、なんとも言えない表情で言葉に詰まっている。彼が次の言葉を思いつくより前に、ミカは素早く話を決めた。


「この使命を果たすために、昼夜を問わず、微力ながら力を尽くす所存です――ですから院長、しばらくの間、この私に、修道院内に滞在する許可をいただけませんか」




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