第三章:結託
祭りの日から一か月が経っていた。
その日はここ数日続いた雨模様が過ぎ去って、久々の晴れ間がのぞく日だった。
久能元は両親を連れて、車で二十分ほど走らせたところにある大型ショッピングモールを訪れていた。既に六十五を超え現役を引退している両親に、里帰りのついでに何か買ってやろうという思いからであった。
元は、モールに併設されてある、だだっ広い駐車場へと車を停めた。
車から降りると、隣の車に当てないように、両親のために外からドアを開けてやる。
「ありがとう」
車中から母が言う。
官僚という職業柄、しょっちゅう帰省できない元にとっては、こんな動作ひとつとっても心にぐっとくるような親孝行である。
「足元、気をつけて」
昨夜降った雨がつくった水たまりに足をとられないように、元の母はゆっくりと車から降りる。
その動作を、元は優しい目をして見守っている。
今回の帰省は、実に高校卒業して以来だが、見ない間に、両親は二人ともだいぶ小さくなった。
この先、あと何回、両親と朝の挨拶を交わせるのか、同じ食卓を囲めるのか、同じものを見て好きに感想を言い合えるのか、互いに笑い合えるのか――。
元がそんなことに思いを馳せ、いっそう目を細めた時であった。
視界の端に、若い女性の三人連れが、何やら立ち止まってこちらを向いているのが目に入ってきた。
嫌な予感がして、そちらに顔を向ける。
すると、甲高い声がして、彼女たちは小刻みにその場で足踏みをしだした。
なんなんだろう。
見ると、各々、手にスマホを掲げている。
その瞬間、元は合点がいった。
こんなところまでも噂が――。
元の顔に赤みが差す。
体がこわばる。
スマホがこちらを向いている。
パシャリ――。
慌てて、顔をそらす。
「元、どうしたの」
元の様子が突然変わったので、元が手を取って誘導していた母が、小さく声をかけ面を見つめている。
「なんでもないよ」
車のボンネット側から一部始終を見ていた父が、元たち二人にやわらかな声をかける。
元の目が見開かれた。
ああ――。
親孝行をしに、帰ってきたというのに。
再び元が顔をあげると、スマホをこちらに向けていた彼女たちに連れられて、もう何人かの若者が、その場で足を止めて元たちの方に視線を投げているのが目に入った。
第四回目の会議がもたれる。
次の会場も、前回、前々回と会場になった料亭「香旬停」である。
金谷あさみは、正直、香旬停の料理があまり好きではなかった。
薄味好みのあさみにとって、香旬停が出す皿は、どれもこれも味が濃すぎるきらいがあるのである。
とはいえ、会場になっている香旬停の料理に箸をつけないわけにはいかない。
今夜も長丁場になる――。
あさみは出されるであろう料理のために、壁にかけられた時計に目をやり時刻を確認してから、胃薬を水で流し込んだ。
会は予定通り、午後7時から始まった。
予定が合わなかったため一人欠けた九名となっていたが、見渡してみると、三笠市長、北浜登、井口雅之、他数名、いつもの面子がそろっている。
席順は第一回目から踏襲されており、掛け軸のかけてある上座に、三笠市長が陣取っている。
その三笠市長の隣に座っていた秘書の別所から、今日も資料が手渡される。
ざっと目を通すと、今回の資料には、千代田市と同程度かそれ以下の人口を擁した市の情報が並んでいる。
はて、これはどういう趣向だろうか。
あさみが頭をひねった時であった。
「それでは、今日もよろしくお願いいたします」
三笠市長の号令がかかった。
乾杯の音頭がとられる。
今夜も会議兼千代田市重鎮による大宴会の幕が上がった。
四度目ともなると、各人、ある程度この場になじみを覚えてきているらしく、互いに酒を勧めあっては笑みを交わしたりしているのが目に入る。
あさみも、隣の井口雅之と、その向こうの北浜登と、二、三言葉を交わす。
元々口数の多い方ではないため、自然と会話をリードする北浜のしゃべりを聞く形となる。
「しかし、金谷さんも災難ですなぁ。合併ともなれば、この市にはないメガバンクと客の取り合いになる」
口から金歯をのぞかせて酒をあおる北浜は、でっぷりと出たその腹にしろ、およそ上品とはいいがたい。
「はぁ、でも北浜さんのところも、市のコンペなんかもう縁がなくなるんじゃありませんか」
痛いところの付き合いは、あさみの得意とするところである。少々大人げないとは思ったが、初手で調子づかせては後々面倒なことになるというのは、あさみの自論である。二人の間の空気がぴりりと音をたてる。
「まぁまぁ、お二人とも、今夜は作戦会議の第一回目ですから、穏便に行きましょう」
割って入ったのは、二人に挟まれた形の井口雅之である。
日々患者と向き合っているためか、井口は、三人の中で最も物腰が柔らかい。
「ここで喧嘩してもいいことはありませんから、ね」
こちらは病人ではないのだ、と言いたいが、一番年下の井口にそのようになだめられては仕方がない。あさみも北浜も、それではということで、互いに矛を収めた。
それを見てすかさず井口が、北浜に酒をすすめる。
あさみは運ばれてきた料理に箸を伸ばした。
今日も、香旬停の料理は味が濃く感じられる――。
やがてメインの料理がなくなり、皆の腹も膨れた頃である。
「それではみなさん、話し合いを持ちたいと思います。」
上座の三笠市長からの号令がかかった。
「お手元の資料をご覧ください」
言われるがままに、一ページ目をめくる。
「ご覧の通り、図にありますのは千代田市と、千代田市より人口の少ない全国の市であります。」
見ると、一ページを使い、縦に人口、横に市をとり、でかでかと棒グラフが掲載されている。
「五年後の『令和の大合併』の際に、千代田市のように合併されるであろう市の候補を並べてみました」
場内がざわめく。
なるほど、棒グラフの横軸に、千代田市をはじめとして、豊島市、文教市、錦糸市などと、市の名前が並んでいる。
「よく考えた結果、私はこの他の候補の市とも連携を取った方がよいと考えます」
三笠市長の宣言に、場内にどよめきが起こる。
「そんな大事にして大丈夫か」
第一声はやはり北浜である。
「はい、異論もありましょうから、これについては多数決を取りたいと思います。他の市とも連携をとったほうがよいと考える方、私の案に賛成の方は挙手を願います」
まるであらかじめ台本でも用意されているかのように、三笠市長はてきぱきと秘書の別所に声をかけて票をとっていく。
市長という職業柄、票取りはお手の物なのかもしれない。
あさみは左右を確認した後、すっと右手をあげた。
北浜の両手は腹の上で組まれており、井口は左手をあげている。
「ありがとうございます。賛成が七、反対が三で、賛成となりました。ありがとうございます」
選挙で言いなれているのか、三笠市長はしきりにありがとうございますを繰り返す。
「それでは、他の候補の市ですが、紙面にありますように、現在十ございます。このうち、どのように他の候補の市と連携を行うかを話し合いたいと思います。例えば、市の一部の職員を使う、などですね、何か方法がございましたら、挙手の上、発言願います」
これにはあさみが反応して挙手をした。
「はい、金谷さん、どうぞ」
「市の一部の職員を使う、なんてことができるんですか」
場内の他の面子も互いに顔を見合わせたうえで、三笠市長の顔をうかがう。
「できます。選挙の際に手伝っていただいて、今も親身になって職務を全うしてくれている、親衛隊とも言うべき人々が五名ほどいらっしゃいます。その他、選挙の際に私の当選に尽力してくださった後援会の方々も、口の堅いお方が何名かいらっしゃいますので、頼みにできるでしょう」
「それは心強い」
あさみのその言葉に、北浜は面白くなさそうに腕を組みなおしてやりとりを聞いている。
「今ここにいるメンバーと、その人たちの協力でもって、具体的に何ができるか、というお話ですよね」
井口がおだやかに三笠市長に問う。
「はい、おっしゃるとおりでございます。何か妙案がありましたら、どうぞ挙手の上、ご発言をお願いいたします」
場内に沈黙が下りる。
それから五分が経った。
依然として、誰も手をあげない。
皆、手元の資料をぺらぺらとめくってみせたり、料理に手を付けたり酒を口に運んだりするだけである。
それはそうだろう。前回、突如として決まった中央への徹底抗戦に、資料を配られたとはいえ、今すぐ対応しろという方がどだい無理な話である。
ここにいる面子全員が、日頃は何らかの集団のトップで頭を張っている。それをいきなり集められて知恵を出せというのも、プライドが邪魔をして自由な発言など出てくるわけもなく、これまた無理な話である。
こういうのを、「烏合の衆」というのだ。
あさみは、学生時代の学級会を思い出していた。十代の頃に経験したいくつかの学級会でも、ただ時間が過ぎるのを待つだけの会があった。今の雰囲気は、まるきり、ああいった学級会と同じである。
普段多数決をとる側にいるのに、多数決をとられ、しかも少数の側につき負けてしまったことが気に障ったのか、北浜などは腕を組んだまま目をつむり、あからさまに考えるふりをしている。そのまま寝息でも聞こえてきそうな体の丸めようでもある。
学生の頃に、こういう子がいたなぁなどと、関係のない事が思い出される。
「では、どなたからも発言がないので、ここで私の考えた案を、おひとつ披露させていただきます」
学級委員然とした三笠市長の発言である。
これには、目をつむっていた北浜も、おっと小さく声を出して顔をあげた。
場内の視線がいっせいに三笠市長に注がれる。
「まず私が各市長に秘密裏に大合併の話を打ち明けます。それを受けて、各市長にも、各市で同じような会合を持っていただきます。そのうえで、各市の有力者十数名同士が連絡を密に取り合い、結託して町おこしをするのです」
こういった事態を想定していたのであろう、三笠市長の舌は淀みがない。
皆の上に沈黙が降りる。
ややあって、北浜が手をあげた。
「はい、北浜さん」
指名を受けて、北浜が発言する。
「ええと、話は分かった。分かったが、なんで町おこしをするんですか。町おこしをして、何かいいことがあるんですか」
この北浜の発言には、場内からそうだそうだという声があがる。
「お静かに願います。ええと、町おこしの目的ですが、それは、この街が合併する必要のないほど元気な街であると印象づけるためであります。十分に活気のある街だと印象付けることができれば、合併の話も消し飛ぶでしょう」
「そんなもんかいな」
どこかから市長の発言を疑問視する声が飛ぶ。
「何もしないよりはましです。これは一種の賭けですが、私は十分に賭ける余地のある賭けだと思っています。」
この発言を受けて、腕組みをしてうなる者が幾人か。
「しかし、町おこしったって、具体的に何をするんですか」
三笠市長は得心したように一度うなずいた。
「はい、町おこしというのは、お祭り、地域振興券の配布、バスなどの乗り物券の配布などを考えております」
おお、と空気が揺れる。
「誰が金出すの」
北浜の発言が、一気にその場を凍り付かせた。
再び、場内に沈黙がおりる。
「発言の際には挙手をお願いいたします」
三笠市長がひとつの咳払いと共に、誰にともなく宙へ投げて言う。
「お金についてはですね、ここにいらっしゃる皆さまに用立てていただければと思います。市の一大事、どうぞ寄付という形でお力添えをお願いいたします」
そんな。
市長のこの発言には、あさみも思わず声が出た。
ただでさえ不況なこのご時世である。町おこしのための寄付などといった余計なお金などあるはずがない。しかし、今は長期的に物事を考えなければならない。
酒で多少酔いがまわった頭で、あさみはなんとか考える。
五年後の不利益を考えれば、今寄付をすることくらい何でもないのではないか。しかし、町おこし自体が成功しない可能性もある。その時は寄付金は無駄になり、五年後の大合併をむざむざ受け入れる形になってしまうだろう。
市長の言うように、賭けに出た方がいいのか――。
「重ねて申しますが、この街の命運は、みなさんの肩にかかっております。なにとぞ、ご尽力のほどを、よろしくお願いいたします」
三笠市長はそう言って上座から頭を下げている。
あさみは、おそるおそる隣を見た。
するとタイミングが合ったのか、井口と目が合い、お互い微妙な笑みを作り会釈をし視線をそらした。
その向こうの北浜は、再び目をつむりだんまりを決め込んでいる。
場内のざわめきが静まったころを見計らって、三笠市長が片手を軽く挙げた。
「それでは、多数決をとりたいと思います。寄付に賛成の方、挙手を願います。」
ぱら、ぱら、と手が上がる。
それを見て、あさみも仕方なしと手をあげる。
井口も、そして、まさかの北浜までも、手を挙げていた。
ここで協調する姿勢を示さなければ、後々どんな目に合うか分からないといった、この田舎独特の共同体意識がそうさせたのだろう。
「はい、ありがとうございます。それでは、満場一致で寄付を行うということで決定いたしました。ありがとうございます」
こうして、この日の会はとりあえずの決着を見てからおひらきになった。
次の五回目の会は来週の日曜日ということで、それまでに三笠市長は再びあれこれと策を練るに違いない。
私もそれなりに準備をしておかなければ――。
じんわりと汗のにじむ熱帯夜の中、あさみは八分目でおさえた胃を気にしながら、家路に着くのであった。
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