第6話 炎と石獣の領域 後編
だがそんな感傷に浸る余裕はない。突如石獣がぐるりと回転すると、3メートルはあろうかという尾で周囲にいる兵士をなぎ倒す。
「しっぽなんて無かったろうがよ!」
完全に予想外の攻撃だ。
負傷は無い、だがその盾にした巨大な剣が死角となり相手を一瞬見失う――
「うわああぁぁぁぁあぁぁ!た、助す……」
その一瞬の間に跳躍した石獣が、倒れた隣の兵士にのしかかる。
「待ってろ! 今――」
だが石獣の腹が口のように縦に裂け、下にいた兵士をバクンと飲み込む。
グシャリ――肉と金属が潰れた嫌な音と共に体は完全に飲み込まれ、入りきらなかった手足が千切られてバシャバシャと血の川に沈んでいく。
そして人間を喰らった石獣の全身が真っ赤に膨れ、喉の辺りがパカリと開く。そこからチロチロろ見える真っ赤な炎。
「来るぞ! 構えろ!」
喉に空いた穴。そこから一直線に炎が噴き出されると、ぐるりと一回転しながら火炎放射器のように周囲を焼き尽くす。
「うわあぁぁぁぁぁっ!」
「ぎゃあああああぁぁぁ!」
血の川に潜る猶予など無かった。盾などの防ぐものを持たない、あるいは既に持てないものは炎に包まれ、もがき、崩れ落ちていく……
「くそっ!」
武器を構えなおして切りかかろうとした途端、石獣の腹が再び開く。
――しまった!
その開いた腹から、先ほど食べた兵士の潰れた鎧が吐き出される。まるで砲弾の様な質量と威力。
ガンッッ!
両手剣の傾斜を利用してギリギリ受け流す。体ごと持っていかれそうな威力だったが、ここで怯むわけにはいかない。
リッツェルネールは猛然と叫び声をあげて突撃していった。
先行していた部隊も同じ様に戦っている。後ろの隊も、隣の溝の隊も、更にその隣も……山中どこもかしこもだ。
人々の絶叫や怒声が溝の岩壁に響き、まるで山全体が一匹の巨大な獣になった様な、そんな唸り声のような音を響かせていた。
「これでもう……大丈夫か?」
不気味なカエルの石像は粉々に砕け、もう血の川に沈み姿は見えない。
――こんなのが後いくつあるのだろう?
ようやく目の前の一体を破壊したとき、すでに彼の周囲で動ける兵士は28人しか残っていない。
――随分と減らされてしまったものだ……。
彼と共に戦っていたのは、かつて幾つもの戦いを共にした戦友達だ。だが、その死に対してあまり感傷が湧かない。人の死に慣れ過ぎている……それは彼自身も感じている。
しかし、それは彼だけで無い。他の兵達も、死に対して大した感慨を持っていない。人の命など、砂粒ほどの価値も無い。誰もがそう思っていたのだった。
「戦えない者は帰還しろ。途中の隊への報告もしっかりな」
指示を出すが、重症者の中には自力では動けない者も多い。だが、ここで彼らを担いで帰還することは出来ない。自分達はまだ、進めるのだから。
――果たして全体では何人生き残っているのだろうか?
尽きることなく流れてくる血の川が、この先の凄惨さを物語っていた。
溝は高い壁に阻まれ、隣の溝の様子は全く分からない。それどころか同じ溝の中すらも曲がりくねり、また蒸気で視界も悪く全貌が把握できない。せめて上空から確認できたのなら……。
「飛甲騎兵が使えればな……」
疲れ切って、油絵の具の空を見上げてぼそりとつぶやく。
「無いものねだりとは珍しいわね、天才軍略家の名が泣くわよ」
そんな彼に、亜麻色の髪の少女――メリオが話しかける。
鎧は彼と同じタイプだが、サイズが合っていないのか少しぶかぶかだ。そして、やはり彼女も革のマスクを着けている。
だが彼女はこの戦場にあっても武器は携帯していない。その代わりに、商国の紋章が描かれた大きなバッグを肩に担いでいた。
「無いものねだりはいつもの事だよ。僕の本分は強欲な商人だからね。それに軍略なんて人間相手にしか通用しないよ」
局地戦の采配のみならず、進軍管理、要地攻略、陣地構築、補給管理から外交まで、軍事に関わるありとあらゆる手段。それを駆使することが彼の持ち味であり、実際に多くの戦争で勝利した。与えられた異名は“軍略の天才”。コンセシールという小さな国が生き残ってきたのは、ひとえに彼という才覚あっての物だ。
だが実際、この戦いに軍略などというものは何もなかった。
先の見えない中をひたすら溝に沿って進み、石獣を倒し、また進む。もし上空から見れば、迷路を進む蟻の行列に見えただろう。
分岐があったら隊を分け、合流可能な部分があったら合流する……他に選択肢などは無くただ前へ進むだけ。
「作戦でどうにかなるのなら幾らでも知恵を絞るけどね。メリオ、他の部隊の状態を確認してくれ」
後続の隊が追い付いてこない。どこかで分断され足止めされているのだろうか?
同じ溝を進んでいるから後ろは安全などという事は無い。現に1万人以上が進んだ道で、まだ自分たちは戦っているではないか。
石獣は壁を自由に行き来する……噂ではあったが案外間違ってはいないのかもしれない。
防毒・防臭のマスクをつけているのに、止まっていると生臭い腐臭で吐きそうになる。
――こっちもそろそろ限界だな……魔力の残量が少ない。
先ほどまで振り回していた巨大な剣を壁に立てかける。
元々、歩兵で振り回すような武器ではないのだ。ある程度使ったら、最初から捨てるつもりであった。
――生きて戻ったら、帰りに回収すればいいさ。
一方、指示された少女は大きなバッグから大きな通信機を取り出した。
鎧を着、剣で戦う世界には到底似つかわしくないが、それを言ったら駐屯地にあったデルタ欲の様な飛行機型の機械もそういえるだろう。
コンセシール商国第3軍副官兼情報通信兵メリオ・フォースノー。
それが彼女の肩書であり名前だった。
半分残っていてくれればいい……そう考えていた。
しかし、帰ってきた返答は全く想像もしていないものであった。
「コンシュール隊が山中への侵入口を発見! 突入に成功したとの報告が入っています!」
メリオの高い、緊張した声が戦場に響いた。
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