第6話 二人の出会い
ここに入れられて、もうどの位経ったのだろう。
人間は水が無いと3日で死ぬとか聞いたことがあるが、そんな日数はとうに過ぎている気がする。
飢えと
そんな、ギリギリのところで何かに生かされている――そんな奇妙な状態だった。
そもそも自分はなんでここにいるんだっけ……頭が働かない。
遠くで何か、音が聞こえる。
「生存―――違い――い――?」
「僕―――が聞―――るかい?」
「取―――檻――げるか?」
「まだ人間――信でき――――あ――せんよ、気――てー」
なんだろう……誰かが呼んでいるのか?
「どうして――な場所――るんだい? 名前――」
場所……名前……どうして……ああ、そうだ…………。
《 俺は魔王として呼ばれたんだ 》
( 刹那、全身に金属が突き刺さる感覚、激痛! )
( 焼けるような、裂けるような、そんな凄まじい感覚が全身を貫く )
(( 人間じゃ――ったのか ))
(( い――――魔族――係者に――違いな――と ))
( 微かに聞こえる声の中、苦痛と絶望が意識を黒く消してゆく……… )
突如意識が覚醒する――!
なんだこの状態は!? 相変わらず
辺りは最初に覚醒した時と全く変わらない。だが大きな違い……目の前には青い中世的な甲冑を着た兵士達が立っている。それ自体も異常事態だが、その姿に確かな違和感を覚える。
まるで水を張ったように、滑らかで鮮やかな青の鎧。襟や肩から見える装甲は数センチはある。到底、人間が着て歩けるような代物ではない。それに武器も少し大きい気がする。
剣と魔法の世界――そんな奇妙なイメージが頭の中に浮かぶ。
「君は、随分と面白い状況だね」
目の前にいる、薄い栗色の髪に緋色の目をした青年が、微笑みながらそう言った。
年は若い……少年? 16歳から17歳位だろうか。褐色の肌で、線の細い美少年といった外見。しかし少年とは言えない、青年と言って良い風格を纏っている。
だが鎧の下からわずかに見えるシャツ、それにズボンの赤黒いシミは、嫌な予感を湧き立たせるのに十分であった。
「あ、あの……」
無言……だがその迫力は、一瞬こちらの動きを止めるほどだ。
「先に質問させてもらうよ。君の名前と所属国家だ。先ずそこから聞かないとね」
向こうは自由。こちらは檻の中。立場を考えれば、相手に従った方が良いだろう。
「ええと、名前は
「アイワヨシキか……結構。では所属国家は?」
国か……。本能が告げている、ここは自分がいた世界ではない。嗅いだことも無い空気の香り、見た事も無い人間。聞き覚えの無い発音、だが理解する言葉。俺が狂ってしまったのでない限り、これは紛れもない現実だ。自分の国を告げる事に何か意味があるのだろうか……。
とは言え、答えなければいけない空気は変わらない。取り合えず返答しておこう。知らない国だと言われたら、それはそれで良いだろう。
だがしかし――言葉が出ない。形は解る。思い出もある。だが、それを言えない。口から出ない。
溢れ出る焦燥感。急に全身が冷たく感じる。体が震える。大切な、失ってはいけないものを失ってしまった……そんな恐怖が身を包む。
「どうしたんだい? 名前が言えるなら国も言えるだろう? 君はどこの国に所属して、何のためにここに来て、どうしてそんな事になっているんだい?」
畳みかけられる質問。だが答えられない。言葉が出ない……。
「わ、わかり……ません…………」
知らず知らずの内に、涙があふれていた。
リッツェルネールは、そんな彼の様子を見ながら、商人らしく値踏みしていた。
こんな魔族の巣の中に一人残された男。ここに来るまでに、同様の部屋はいくつもあった。だがどれも空、そして檻だけ、それに檻と人骨のセット。何かの実験場か、捕虜を入れる施設だろうか。
檻は鎖で上下させるタイプで、下は空いている。虫取り網を思わせる形状だ。だが肝心の檻を引き上げるウインチのようなものは無い。中に入れた人間を、もはや動かすつもりはないと言う事だろう。
果たして何処の誰で、何のためか。
「君に幾つか質問しよう。答えられる範囲でだけ答えてくれ。その前に、まあ水でも飲んで落ち着くと良い」
そう言うと、腰にある水筒……は無視して腰のポーチから小さな瓶を取り出した。
――あやしい、絶対に中身は怪しいヤツだ。渡された瓶を見て思う。
だが飲まないわけにはいかない。
それにきっと、わざわざここで毒を渡す理由が思いつかない。
今周囲にいる連中は、人を殺すことに
実際に殺されたわけではないが、誤解や勘違いでは無く、絶対にそうと言い切れる!
しかしこちらも
心なしか、周囲の空気が少しだけ和らいだ気がする
周りの空気と同時に、心にも僅かながら平静が戻る。まだ焦りと不安は拭い切れないが、ここは否とは言えない状況だ。どちらかと言えば、さっさとここから出して欲しい。
「もう大丈夫です。全て答えます」
よろしい――そう言うとしばし考え、
「君の家族構成を教えてくれ」
「父と母と……あと、ちこたんがいます。あ、犬の名前です」
「犬が家族なのかい? まあいいや。7つの門の何処から来たかは覚えているかな?」
「門と言われましても……気が付いたらここに居ました」
「君の知っている国の名前を教えてくれ」
「…………」
――だめだ、国名が一つも出ない。あの大きな国は何だった? 隣の国は? 関連付けて答えようとしても、その部分で既に引っかかる。あの像、あの食べ物は何と言う名前だったのか……。
「そうか、ではコンセシール商国は知っているかな?」
「いえ、聞いた事もありません」
「ティランド連合王国、ムーオス自由帝国、ハルタール帝国、ジェルケンブール王国。いずれかに聞き覚えは?」
「一つも分かりません」
少し周囲にざわめきが起こる。
「世界四大国を知らないとか嘘だろ?」
「可哀そうに……きっと何かあったのよ」
どうやら一般常識の様だ。だがそんな国の名前は聞いた事が無い。間違いなく、ここは自分が知らない世界なんだな……。
質問者の青い鎧の青年は暫し考え込んでいたが、
「では、空の色は何色だい?」
やっと自分でも分かる常識問題を出してくれた。それなら簡単だ、答えは――
それを答えようとした瞬間、地面から微かな振動を感じる。
そして同時に、リッツェルネールの全身に悪寒が走った!
「全員散開!」
叫ぶと同時に、石畳を割って何かが現れる。5……いや、6ヶ所か。
そのうちの一つが兵士を掴む。それは長くしなやかで、いくつもの吸盤が付いている。色は僅かに緑がかった灰色で、表面にはぬめぬめとした粘液がまとわりつく。蛸の足、まさにそういった形状だ。
「ぐああああああ!」
悲鳴、そしてメキメキという金属音に、ボキボキと骨を砕く音が部屋に響く。触手は先端が複数に別れ、それが頭や手足、胴を同時に締め付け、潰していた。
ガシャンという音共に地面に落とされたそれは、もはや人間の形を留めてはいない。
いや、それだけではない。地面から生えた触手は枝分かれしながら増殖し、周囲にいた兵士達を捕らえ、潰す。怒号――悲鳴――噴き出し流れた血が、ゆっくりと
(なんだ……これ。これは現実……?)
これ程の人の死を見たのは初めてだ。それも、見た事の無い怪物による
なのに、どこか遠い。檻にいれられているから? 違う。何かが頭にブレーキをかけている。
「きゃあ!」
「メリオ!」
触手の一本が、小柄な、亜麻色の髪の少女の肩を貫いた。だが幸い砕けたのは鎧だけ。だが金属で出来ているはずのそれはガラスの様に砕け散り、更なる触手が上から彼女と青い鎧の青年に襲い掛かる。
「やめろぉぉぉ!」
「クソ!」
手に持った剣で足に巻き付いた触手を刺すが、それはまるで鋼のようにビクともしない。この硬度にも関わらず、これ程の柔軟性。上位の魔族だ。リッツェルネールは死を覚悟する。
「ドウリャアアァァァァァ!」
だがその瞬間、耳をつんざくような怒声と共に一人の男が飛び込んでくる。
筋肉質の、ゴリラのような巨大な体躯。身長は196センチとかなりの上背だ。
掘りの深い顔は精悍で整っているが、新旧様々な傷跡が走り、どちらかと言えば凶悪な面構えだ。少し癖のある炎の様な真っ赤な長髪に、自信に満ちた青色の瞳。
全身を赤紫の
その巨大な凶器が振り落とされると、青い鎧の青年に巻き付いていた触手が根元から切断される。体液のようなものは出ない。斬られた触手はすぐに動きを止め、白い骨のような質感に変化していった。
「カルター!」
「リッツェルネールか。お前も大概しぶといな」
そう言いながら、大男の斧が一閃。巻き込まれた数本の触手が断たれ、ゴトゴトと墜ちていく。
だが斬られた部分からは新たな触手が生えてくる。状況は何も変わらない。
「おいおい、こいつが魔王じゃないだろうな?」
「魔王が
ようやく青い鎧の青年と亜麻色の髪の少女も立ち上がるが、周りは既に触手で包まれている。絶対絶命だ。だがそこへ、大男と似た赤紫色の鎧を着た兵士達が飛び込んで来た。
「陛下、ご無事ですか!」
「陛下を御守りしろ!」
――陛下?
「廊下も駄目です! 触手がああぁぁ!」
唯一の出入り口から叫び声がすると共に、真っ赤な
新たに来た兵士達も、触手の前に成す術無しだ。唯一陛下と呼ばれた大男だけが何とか奮戦している状況で、このままではそう長くはもたないだろう。
幸い檻の中には攻撃してこないが、それは遅かれ早かれの差だと思われる。おそらく、動くものを優先して攻撃しているのだろう。
来るのが味方とは限らない――そんなことを言われた気がするが、これはもう敵だ味方の状況じゃない。
「
乱戦の中、それが誰に向けられた言葉なのかは分からない。だが一つ、この戦場に一つの変化が現れた。
その人――いや、女性は金属板を張り合わせた、ミノムシの様な鎧を着ていた。手に持つのは、王様の得物と比べても引けを取らない
身長は170センチか少し低い。バストは140センチを越えそうな程に豊満で、ウエストはそれより少し太いだろうか。ヒップもバストと負けず劣らずの超巨漢。ビア樽……そんな言葉が頭に浮かぶ。
丸い顔には、細い切れ長の瞳に団子のような鼻。そして大きな口。だが何より目を惹いたのは、その鮮やかな薄緑の髪だった。
その彼女の手に幾重にも光で作れらた銀の鎖が浮かび、消える。そのたびに彼女の足元から轟々と風が渦を巻き、次第にそれは部屋全体を包み込む。
余りの強風で目を開けていられない――普通ならそれほどの風だ。だがその時、
渦巻く風は意思があるかのように辺りの触手に巻き付くと、それを捻じり切断していく。その様子を一言で現すのなら、『信じられない』という光景だった。
風が過ぎ去った後、捻じ切られた触手の根元は地面へと戻って行く。それらが全て視界から消えた時、部屋にもまた、ようやく静寂が訪れた。
助かった……そう考えて良いのだろうか。だが――
「おい、こいつは何だ」
間髪入れず、王様の青い冷たい瞳がこちらを睨んでいた。
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