第5話 領域の内
外の熱風と蒸気、それに喧騒や悪臭に対して、山の中は異常なほどに静かな空気を漂わせている。
円形に
上下幅は狭かったり広かったりと一定ではない。何かの巣穴……まさか石獣の? そんな不気味な雰囲気が漂う。
もし狭い部分で石獣に会ったら、武器を振る事さえできずに全滅するだろう。
とは言え、壁には少し湿り気があり気温も低い。外よりはだいぶマシな環境だ。
山肌に面した部分には外に繋がる小さな穴が開いており、そこから僅かに外の風が吹き込んで来る。
こういった外と面した部分では通信は可能らしい。だがあくまで『らしい』だ。何度か試してみたが、司令部や味方部隊との連絡は途絶えたまま。この戦場の生存者は、もはや自分達だけ……そんな嫌な考えが頭をよぎる。
出来れば連絡を取ってから行動したい。そうは言っても山肌に面した部分は稀だ。坑道の殆どは地中奥深くに掘られており、長く留まれない以上は、連絡を諦め移動するしかない。
先に入った部隊はどうしたのだろうか?
だが呼んでも叫んでも返事は無く、彼らの痕跡すら見つけることは出来ない。
「ねえ、魔王ってどんな姿だと思う?」
そんな不安の中、ふいにメリオから質問が飛んだ。少し、周囲の気分を和らげようとしたのだろう。
「竜みたいのじゃないか? ずっと人類を苦しめて来たんだ。きっと巨大な奴だな」
「案外、古代人の作った機械かもな。あの雲を作り続けているんだろ?」
「実態を持たない……幽霊みたいな奴だったらどう対処しましょうかね。聖水足りるかな……」
皆はそれぞれ魔王の姿を想像し、どうやって倒そうか考える。だが相手は人類最大の敵だ。それこそ仇敵と言って良いだろう。その強さを想像するたびに絶望が湧いてくる。
しかし同時に、心に踊るものがあるのも確かだ。今まで人類を苦しめてきた敵の姿。死ぬ前にそれを見ることが出来るのなら、これまでの人生だって悪いものでは無いだろう。
◇ ◇ ◇
あれからどのくらいが経過したのだろう。
湿り気を帯びた円形の坑道の移動は困難であった。だが不思議と石獣との戦闘にはならず、途中交代でわずかな休憩を取りつつ黙々と移動するだけだ。
(地下には石獣は居ないのだろうか……)
体内時間が正しければ、もう夜は明けている頃だろう。
不要になったマスクは外していたが、疲労もあり坑道はやけに息苦しい。
先にいたはずのコンシュール隊も、同じように中を彷徨っているのだろうか?
そんな事を考えていると、不意に足から伝わってくる感触が変化する。
なんだ!? ――確認すると、急に地面の構造が変わっていた。今まで円形だった足元は水平の石畳となり、壁もよく見ると石造りになっている。道幅は狭く、鎧を着た人間が二人並べば詰まってしまう程だ。
「構造が変わったな……ここからは間違いない、人工物だ」
メリオをはじめとした兵士達の空気が一変する。
今までも油断などしてはいない。だが意識が違う――警戒から戦闘へ、歴戦の兵士達は素早く体勢を切り替えた。
「メリオ、何処まで照らせる?」
「待って……」
通信機を持つメリオの左手に幾重にも銀の鎖が巻かれると、通信機から眩い光が一点に収束して放たれる。それは暗い闇だった通路を白く照らし、ずっと先にある扉を浮かび上がらせた。
「敵は居ないな……途中に穴も無しか。では行くぞ」
静かに、だが素早くリッツェルネールらは動く。金属の鎧を纏っているにもかかわらず、その動きは俊敏で音も殆ど立てていない。まるで特殊部隊の様だが、百年以上も戦っていれば嫌でも身につく技術だった。
扉は石で出来ており、向こうから光は指してこない。闇の世界……魔族の
部下の一人が無言で動き、鎧を手入れするための油を取り出すと、石の扉周辺に塗り付ける。
「よし……開けるぞ」
無音で開く石扉。各員が無言で武器を握りしめ、戦闘態勢を取る。何が出てきてもいいように……。
だが、その穴からは出てきたのは少し暖かな空気のみ……風だ。
扉の先は少し広い部屋。だがそこには、入ってきた扉以外に扉はない。
しかし天井には、ぽっかりと開く大きな穴が開いている。そして天頂から差し込む光は金属製の梯子を怪しく照らしていた。
光の小ささを考えると、かなりの高さがあると思われるが……。
「罠でしょうか?」
兵士の一人が
「いや……ここで
そう言って登ろうとするリッツェルネールを、部下の一人が静かに止める。
「私が……」
「分かった、任せる」
先ずは一人の兵士が登り始める。さすがに静かに上るが、それでも鉄梯子は一歩毎にカツンカツンと音を立てる。
だが不意に、その音が消えた。だが兵士は止まってはいない。今までと同じように、罠や見慣れぬものが無いか、また
(妙だな……)
それは、移動中にも感じていた違和感だった。坑道のような場所には戦場で幾度も
手だけで他の兵士に合図をする。それを受け、2人の兵士が坑道へと戻って行った。一人は人工的な通路、もう一人はその先までだ。
配置に着くと同時に、腰の剣を抜き
だが上の兵士はそれに気が付いた様子が無い。
再び手で合図して兵を呼び戻して報告を受けるが――
「聞こえませんでした」
「こちらもです。離れると、全ての音が聞こえなくなります」
リッツェルネールは軽く溜息をつく。
なんとまぁ……悪質だ。ここは魔族領、それも魔王がいると推察される地だ。どんな仕掛けや、また超常現象が起きてもおかしくはない。それにしても、随分と意地が悪いではないかと思う。
これではどれほどの兵が入っても、連携はおろか互いの確認すらできない。人間を孤立させ分断する……悪意に満ちた仕掛けだ。
「気味は悪いが、仕掛けが判ればそれで良い。今後は音が通らないことを念頭に行動しよう」
上へと登り切った兵士も気が付いているのだろう。身振り手振りで安全を知らせてくる。
目で合図し、今度は全員が登る。別に口頭でも良かったのだが、この辺りは長年染みついた習性というものだろう。
登り切った先は、完全に人口建築物だった。きちんと整備された石畳の廊下、石作の壁。それに正面にはいかにもと言った扉だ。
それは石造りで、読めない文字で何かが描かれている。造りも頑丈で、下とは違って何らかの意味を持つのだろう。
天井は剥き出しの岩肌と言った風で、何か所かの穴が開いている。光は漏れているが、そこから出られそうな雰囲気ではなかった。
「ここは
屋根の形状と通信機のデーターを垂らし合わせ、メリオが位置の予測を立てる。同時に周辺の記録撮影も怠らない。
おそらく、場所はそれで合っているだろう。どのくらいの標高かは分からないが、少なくとも岩肌一枚挟んで外の地点までは来たわけだ。
静かに扉を開けると、その先は十字に切った格子状の廊下が並ぶ通路だった。
天井には数か所に穴が開いており、油絵の具の空から届く鈍い光が差し込んでくる。明かりに不安が無いのはありがたいが、照らされた景色は気を引き締めるのに十分だ。
本当に、いかにもといった場所に来た。いや、来てしまったと言うべきだろうか。
部下達は
魔王――未知の存在。それがここに居るかもしれないと言った期待と不安。
だが同時に一つの事を思う。もしここに魔王がいるのであれば、その姿はもしや……と。
いつの間にか、メリオが袖を掴んでいる。
不安に満ちた緋色の瞳、硬く結ばれた唇。彼女も……いや、兵士達も全員分かっている。だが、ここで止まる選択肢などもう無いのだ。
「僕たちだけで魔王を倒す。これは人類の使命とか、未来への希望とかじゃない。この時、この場所に僕等がいた。その証を残すためだ。さぁ、行こう」
……それは微妙に嘘を含んだ言葉。リッツェルネールに証を残すといった考えはない。自分の名など、この世に残す必要はない。彼の異名、軍略の天才――それは
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