第25話 扉の痕(2)
「一花殿、そろそろ終わりにしよう」
リクトがそう声を掛けたのは、日が傾きかけた頃だった。
気温は益々下がり、スニーカーの中のつま先が冷たくなっている。それでも一花は藪を探る手を止めない。
「もう少し。何かがあるかも。あと少し……」
異世界人よりも必死な日本人に、リクトは苦笑してしまう。
「こんなに探してないなら、ここには手掛かりがないんだ。諦めよう。また次の場所を探せば良い」
軽い口調でガシャリと鎧の肩を竦める。
「一花殿には金銭も学業の時間も無駄に使わせて申し訳ない。これからは“扉”を探しに行く時は俺一人で行くから、一花殿は普段通りの生活をしててくれ」
言われた少女は、黒い目をめいっぱい見開いて、ふるふると首を振る。
「やだ。わたしも一緒に扉を探す。リクトさんが帰るのを見届ける」
「しかし、扉の痕跡が見つかるのはいつも道が閉じた後だ。何度来たって無駄足ばかり、帰れる保証なんてない。それでも自分の世界の痕跡だけでも確認したい俺の我儘に、この世界の一花殿を巻き込むわけにはいかない」
諭すリクトに、一花は「でも!」と叫んだ。
「でも、もし扉が開いていたら……道が通じていたら、リクトさんはそのまま帰っちゃうでしょう? 扉はすぐに閉まるから、迷ってる暇はない。そうなった時、顔も見ないでさよならも言えずにリクトさんと離れるなんて嫌だよ。『行ってきます』って言ったまま帰って来なかったお父さんとお母さんみたいに……!」
ポロポロと大粒の涙が頬を伝う。
リクトは両手で顔を覆って泣きじゃくる少女に手を伸ばし、一瞬躊躇ってから……そっと抱きしめた。
――一花の両親は事故で亡くなっている、リクトは水沢にそう聞かされていた。
今から一年前。物理学者だった篁夫妻は、各地で頻発する時空の歪みを調査するため現象が目撃された太平洋沖に赴き、そのまま消息を絶った。現在まで船も乗組員も見つかっていない。
未成年の一花がショックで呆然としている間に、存在さえ知らなかった母方の従兄という青年が現れ、彼女の代わりに手続きを全部済ませてしまった。
数カ月後、一花の手元に残されたのは、遺産やら保険金やら見舞金で残高が九桁に膨れ上がった自分名義の通帳だけ。
それから従兄に名前だけの後見人になってもらって、あの六畳一間のボロアパートで一人で生活をしていた。
……リクトが来るまでは。
ひっくひっくと嗚咽で飛び跳ねる一花の肩が落ち着くまで、リクトは彼女を抱きしめ続けた。
「……ごめんなさい、取り乱して」
涙で濡れた顔を上げ、一花が無理矢理微笑む。
「鎧の冷たさで心が落ち着きました」
おどける背の低い一花を見下ろしていた全身甲冑は、おもむろに
中から現れたのは、透き通るような空色の髪の青年だった。驚きに呼吸を忘れた一花を置いて、彼は長い睫毛に縁取られたラピスラズリの瞳を伏し目がちに
「え? なんで、よろい……?」
混乱する一花の頬に、革手袋さえ脱いだリクトの指先が触れる。
「一花殿の涙を拭うのは、素手でなければ失礼な気がして」
そっと目尻の涙を払う指に、ボンッと顔中の血液が沸騰する。
「? 一花殿、熱でも? 顔が尋常でなく熱いが……?」
「だっ大丈夫です!」
必要以上に大声で否定してしまう。
(仮面を取ったらイケメンって……!)
ベタ過ぎるシチュエーションだが、自分の身に起こるとインパクトは絶大だ。驚愕に涙さえ引っ込んでしまう。
「不安にさせてすまない、一花殿」
リクトは両手で彼女の手を握る。
「俺は帰る時、必ず一花殿の目を見て別れを告げよう。一花殿がこの先俺を笑顔で思い出せるように」
真剣な眼差しで言われると、まだ頬が熱くなるけど……同時に穏やかな気持ちになる。
「わたしも笑顔でリクトさんをお見送りするね。リクトさんが思い出すわたしがいつも笑顔でいるように」
二人で目を合わせ、笑い合う。
「リクトさーん、篁さーん。そろそろ日が暮れますよー」
遠くから水沢の呼ぶ声に、重戦士は兜を被り直した。
「戻ろう、一花殿」
「うん」
差し出された手甲の手を、一花は躊躇いなく取った。
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