第11話 重戦士とご近所さん

「今日は委員会で遅くなりますね、いってきます」


「うむ、気をつけて」


 平日の朝。一花を学校に送り出すと、リクトは自由時間。


「むむぅ、今日は目ぼしいバイトがないな」


 太い指先で小さなスマートフォンをポチポチやりながら独りごちる。ちなみにリクトが篭手ガントレットの下に着用している革手袋は、異世界産だが何故かタッチパネルに対応している。

 いくつかの求人サイトを巡ってため息をつくと、リクトはスマートフォンを放り出した。運がない時は諦めるに限る。

 気分転換に散歩に行こう、彼はブーツを履く。鉄靴サバトンの金具を留め、外に出る。


(公園の懸垂器具でトレーニングでもするか)


 暇つぶしの予定を立てながら、リクトが鍵を掛けていると――


 「きゃあ!」


 ――ガタン、と大きな音とともに悲鳴が聞こえてきた。

 あれは、階下からの音ではないだろうか。

 リクトは軋む階段を三段抜かしで駆け下りると、101号室のドアを叩いた。


「田中殿、いるのか? なにかあったのか、田中殿!」


 呼びかけてみるが、返事がない。こんな薄いベニヤ板のドアなど、リクトなら簡単に破れる。ドアノブをねじり取って鍵を壊し、侵入を試みようと手を掛けた、瞬間。

 ノブが内側から回り、ドアが開いた。


「あらあら、リクトちゃん。どうしたの?」


 中から顔を出したのは、上品そうな小柄な老婦人だ。驚いた顔で見上げてくる彼女に、重戦士はほっと肩の力を抜いた。


「田中殿……。今、こちらから大きな物音がしたので。無事だったか?」


「そうだったの。騒がしくてごめんなさいね」


 田中と呼ばれた老婦人はコロコロ笑いながら体をずらして部屋の中を見せる。


「蛍光灯を替えたくてテーブルに乗ろうとしたら、テーブルがひっくり返っちゃって」


 篁家と同じ間取りの六畳の部屋の中央には、横倒しになった長方形のテーブルが転がっている。


「して、怪我は?」


「大丈夫よぉ。端っこに足を掛けた途端、テーブルだけ倒れちゃったから、わたしは無事よ」


 笑顔を絶やさない田中は本当に元気のようだ。


「蛍光灯とは、あれのことか?」


 リクトは天井に張り付いた丸形のシーリングライトを指差す。


「ええ、そうよ」


「では、部屋に上がっていいか? 俺なら台がなくても天井に手が届く」


 許可をもらって、今しがた履いたばかりの鉄靴とブーツを脱いで田中家にお邪魔する。一人暮らしの彼女の部屋はよく整頓されていて、篁家より広く見えた。

 天井照明のカバーを外し、中の蛍光灯を付け替える。


「あら、あっという間に終わっちゃった。リクトちゃんは背が高くていいわねぇ」


「なんの、これも近所のよしみ、オスソワケの礼だ。これからも困ったことがあったら俺を呼んでくれ」


「まあ、頼りになるわね」


 老婦人は上品に笑って、それから遠慮がちに続けて、


「じゃあ、もう少しお願いしてもいいかしら?」


「ああ、どうした?」


「これで鴨居や棚の上を拭いてくれるかしら?」


 差し出された巨大猫じゃらしのような物体に、リクトは兜の中の目を見張る。


「なんだ? これは」


「ハンディモップよ。百均に売ってるの」


「ヒャッキンか。知ってるぞ、一花殿の行きつけの店だ」


 リクトは何気なくハンディモップで照明カバーを撫でてみる。


「おお! ホコリが一瞬で取れた!」


 綺麗になるのが嬉しくて、リクトはせっせと掃除する。


「他にはないか? もっと俺にできることは」


「じゃあ、洋服ダンスを動かしてもらえるから。隙間まで掃除機が入らなくて困ってたの。わたしも手伝うわ」


「なんの! このくらい、暴れるミノタウロスを担いだ時に比べたら軽いもの」


 リクトは衣類の詰まったタンスを造作もなく持ち上げ、移動させる。


「まあ、リクトちゃんは力持ちね」


 田中は大げさに喜んで拍手する。


「ありがとう、リクトちゃん。お陰で大掃除できちゃったわ」


 すっかり掃除の済んだ室内。長方形のテーブルの上に、田中は次々と料理を置いていく。


「お礼にお昼食べてってね。苦手な物はないかしら? 常備菜ばかりでごめんね。あ、豚肉の味噌漬けがいい感じに漬かった頃だから焼きましょうか。ご飯もおかわりしてね」


 見たことのない数の小皿が並んで、リクトは目を白黒させてしまう。


「田中殿、どうかお気遣いなく」


「いいのよ、久し振りにお客様をおもてなしできてわたしも嬉しいの。うちに訪ねてくる人なんて、勧誘か押し売りくらいしかいないんだもの」


 にこにこ言われると、リクトも押し切られてしまう。薄味の和食は作り手と同じ様に上品で、異世界人のリクトにもどこか懐かしく感じる。


「リクトちゃんって外国の人なのよね? 日本語がとってもお上手ね」


 急須で煎茶を淹れながら、田中が訊く。


「ガイコクがどこだかは知らんが、遠い国だ。これは異世界の扉を通過した時に発生する『恩恵』という現象で、出口の国の言葉と文字が解るようになるらしい」


 リクトはそう水沢から教わった。ただし、自分が持っている知識の範囲で言語が脳内翻訳されるので、トツエルデに存在しない用語は音として捉えることしかできない。だが、それも誰かに意味を尋ねれば解決する問題だ。


「そう。難しいことは分からないけど、便利なのね」


 田中はしみじみと煎茶を啜る。


「でも、リクトちゃんがこのアパートに来てくれてよかったわ。わたしも助かってるけど、一花ちゃんもとっても明るくなったの」


「一花殿が?」


 聞き返す甲冑に、婦人はゆっくり頷く。


「ここに越してきた頃は、ずっと俯いててね。礼儀正しい子だからいつも挨拶はしてくれてたけど、声が暗くてね。ほら、ここは壁も天井も薄いから、時々……泣いている声も聞こえていたのよ」


 箸を止めて聞いているリクトに、田中は「でも」と微笑む。


「最近の一花ちゃんはすごく元気ね。いつも笑い声がして楽しそう。わたしまで元気をもらえて嬉しくなるのよ。高校生の女の子と鎧の騎士様が一緒に住んでるなんてよっぽどの事情があるのだろうけど、余計な詮索はしないわ。二人とも、仲良くね」


「田中殿……ありがとう」


 リクトは階下の住人に向き直り、丁寧に頭を下げた。それから、生真面目に、


「しかし、俺は騎士ではないぞ。ただの戦士だ」


「あらそうなの。どう違うの?」


 ――この一言で、田中は長々とトツエルデの騎士爵の講釈を聞く羽目になった。


「では、世話になったな」


 鉄靴を履いて、リクトは振り返る。両手に下げたビニール袋の中に入っているタッパーの山は、すべて彼女の手作り惣菜だ。


「こちらこそ。また来てね」


「うむ」


 人助けをすると気分がいい。久し振りにクエストを完遂させたような晴れやかさで、リクトが田中家を後にしようとした……その時。


「それでね、リクトちゃん」


 最後の最後に、田中が言いづらそうに切り出した。


「わたし、夜の八時には寝ちゃうから、それ以降はちょーーーっと鎧の音に気をつけて欲しいんだけど……」


「……善処する」


 ご近所づきあいは大事だと、リクトは痛感したのだった。

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