第4話 重戦士とカップ麺

 放課後の職員室。

 椅子に座ったジャージ姿の男性教諭の傍らに、項垂れて立つセーラー服の女子生徒が一人。


「だから、それはたかむらが最後まで責任持たなきゃいけないことだったんじゃないのか!?」


「でも……」


 恫喝の声に、生徒──篁一花──は肩を震わせつつ顔を上げた。……だが、


「言い訳するな!」


 反論は言葉になる前に潰される。


「悪いことをしたら、まず謝れ! まったく最近の若いモンは理屈ばっかり並べて頭を下げることを知らん。そんなんじゃ社会に出た時やっていけないぞ。篁がしっかりしないと、親御さんも浮かば──」


「それは……っ!」


 反射的に怒鳴り返そうとしたが、唇を噛んで堪える。

 ……ここでキレたら、もっと言われたくないことを聞かされる。

 冷静に、一刻も早くこの場から離れよう。


「申し訳ありませんでした。以後気をつけます」


 一花は深々と頭を下げて、表情を隠す。


「分かればいい。帰っていいぞ」


 満足げな笑顔を浮かべる教諭と目も合わせず、一花は踵を返して職員室を後にした。


◆ ◇ ◆ ◇


「ただいまぁ……」


 力なく鍵を開けると、部屋の中は真っ暗だった。


「まだリクトさん帰ってないのか」


 通学バッグを玄関に落とし、一花は畳に鎮座しているビーズクッションにダイブした。これはこの家きっての贅沢品で、最強の癒しアイテムだ。


「……」


 目を瞑ると、さっきの出来事が思い出されて、怒りと悔しさと悲しみでジタバタ身をよじってしまう。


「……ご飯、作らないとなぁ……」


 呟いてみるが、起き上がる気力がない。

同居人が帰ってくるまでに何とかしないと、と考えている間にガチャリとドアが開いた。

 三和土で不器用に鉄靴とブーツを脱いだ重戦士は、「ふう……」と大きなため息をついて、硬い甲冑を猫背気味に部屋に入ってきて──


「うぉ!? 一花殿、帰っていたのか!」


 ──暗闇の中、クッションと一体化していた同居人に気づき飛び上がった。


「おかえりなさい、リクトさん」


「ただいま、一花殿。どうしたんだ? 灯りもつけずに」


 リクトは垂れ下がった室内灯の紐を引っ張る。


「ちょっと疲れちゃって」


 昼白色の蛍光灯の下、一花は力なく笑ってみせる。


「ごめんなさい、ご飯作ってないや」


 謝る一花に兜の中で微笑み返し、リクトはその場に腰を下ろした。


「問題ない。俺もあまり腹が減ってない」


 胡座をかいて、またため息をつく。リクトも今日は元気がないようだ。


「バイトのお給料日前だから、外食もデリバリーもしたくない~」


 心の声をそのまま口に出した一花は、「そうだ」と思いついて体を起こした。


「リクトさん、今日はカップ麺にしましょう」


「カップ麺?」


「お湯を注ぐだけでできる食べ物ですよ」


「なんだと、それは魔法か!?」


 途端に色めき立つ異世界人に、


「どっちかっていうと、科学とか企業努力とかですね」


 女子高生は冷静に解説した。


「わたし、一人で暮らしてた時はよく食べてたんですよ。まだ結構残ってたはず……あった!」


 一花は戸棚を漁って、見つけた買い置きのカップ麺を十個ほどちゃぶ台に並べた。


「どれがいいですか? 塩、醤油、豚骨。焼きそばもありますよ」


「どれと言われても、全部味の想像がつかんのだが……」


 リクトはカップ麺の上で右手を彷徨わせてから、一番派手な色の容器を取った。


「これは何味だ?」


「お目が高い! それは濃厚味噌豚骨背脂マシマシこがしニンニク風味です。かなりガツンときますよ!」


「う、うむ」


 早口で一気に捲し立てる一花に、意味をちっとも理解できないままリクトは頷いてしまう。


「わたしは酸辣湯麺にします。酸っぱ辛い味が好き」


 選び終えると、電気ケトルの湯が沸くまでにカップ麺の準備。


「この印まで蓋を剥がして、中の小袋を取り出します。こっちが先入れのかやくで、そっちは後入れの粉末スープと液体スープ」


「袋が多いな」


 カップに書かれた作り方に従って、先入れ小袋を開けていく。


「一花殿、今日は何かあったのか?」


 湯が沸騰するのを待ちながら、リクトが訊いてくる。

 流石に凹んでいるのはバレていた。


「学校でちょっと。でも、リクトさんには関係ないから」


 無理矢理笑う一花に、リクトは諭すように言う。


「関係ないからこそ、話しやすいこともたるだろう」


 そんな風に促されると……、


「うちのクラス、全校合唱コンクールで優勝して、教室の後ろの棚にトロフィーが飾ってあったんですよ」


 一花はポツリポツリと喋り出す。リクトは知らない単語の説明は求めず黙って耳を傾ける。


「そのトロフィーが、今朝壊れて床の上に転がってたんです。原因は開いていた窓から風が吹き込んで、揺れたカーテンがトロフィーに巻きついて床に落ちたからなんですけど……それが、昨日日直だったわたしのせいだって、先生に怒られて……」


 一花は大きく息を吐き出す。


「日直っていうのは、プリントを配ったり黒板を消したりと、色々な仕事をするんですけど。授業が終わったら窓を閉めて帰るのも役目の内です。だからわたし、昨日はちゃんと放課後窓の鍵が掛かっているのを確認してから帰ったんです。わたしが帰った後、誰かが窓を開けて、閉めなかったんです」


 ――結果的に、窓は開いたままで、トロフィーは壊れた。


「ならば、そのトロフィーとやらが壊れた責任は一花殿にはないのでは?」


「そうです! だから反論したら、『言い訳するな』って怒鳴られて……」


 悔しさにスカートを握る一花に、リクトはすっくと立ち上がった。そして、裸足のまま玄関に走り出した!


「ちょ、リクトさん。どうしたんですか!?」


 驚いて篭手を掴んで引き止める一花に、重戦士は鎧から憤怒の湯気を上げる。


「一花殿を不当に傷つけるなど許せん。抗議しに行く!」


 この異世界人、冷たい鎧に覆われているくせに、中身は熱い。


「いいんです、リクトさん。もう終わったことですから」


 高校に完全武装の重戦士が突撃したら、まごう事なき警察案件だ。一花は必死でリクトを止める。


「しかし、このままでは一花殿の名誉が……」


「わたしは大丈夫」


 自分のことのように悔しがるリクトに、自然と笑みが零れる。

 こんな理不尽、生きていれば良くあること。高校生の一花の悔しさなんて、大人から見れば可愛い笑い話だ。でも、


「リクトさんがわたしの話をちゃんと聞いて、信じてくれたから大丈夫。頭ごなしに否定してくる人なんかに心を折られたりしません」


 一花が深く傷ついたのは本当で、寄り添ってくれる誰かがいなければ、くらい気持ちを抱えたまま浮き上がれなかったかもしれない。

 ここにリクトがいてくれて良かったと、心から思う。


「しかし……」


 リクトが逡巡している側で、電気ケトルのスイッチが鳴る。


「あ、お湯が沸きましたよ! 早速カップに注ぎましょう」


 待ってましたとばかりに一花が話を逸らす。有耶無耶にされたリクトは渋々ちゃぶ台に着いた。

 湯を注いでスマホのタイマーをセットする。


「それで、今日は何があったんですか?」


 待ち時間に、今度は一花から切り出す。


「リクトさんも元気なかったですよね?」


 訊かれた重戦士は「むう」と唸る。


「実は、今日はアルバイトの面接に行ったのだが……先方にすっぽかされた」


 戸籍もパスポートもない異世界人のリクトは、生活費を稼ぐためにネットで履歴書の要らない当日払いの仕事を探しては、出掛けていく。しかし、全身甲冑の見た目から雇い主に敬遠されることも多い。

 今日もきっと、待ち合わせ場所に来たリクトを遠目で確認した雇い主が逃げたのだろう。リクトは何時間も待ちぼうけを食らうはめになったのだ。


「それは残念でしたね。でも、リクトさんの誠実さは一回一緒に働けば伝わりますから」


「うむ。この前仕事したイベント警備会社からは、もう一度来てくれと言われた」


「でしょう!」


 分かる人には分かるのだと、一花は嬉しくなる。


「だから、面接をすっぽかす相手なんか忘れちゃいましょう。因みに、どんな業種に応募したんですか?」


 好奇心で尋ねてみると、リクトは思い出しながら、


「募集に書かれていた仕事内容からすると、どうやらどこかの個人宅から荷物を受け取り、駅で待機している人員に渡す仕事だったようだ」


 ……。


「そのバイト、闇が深そうだから受けなくて正解です」


 ある意味、すっぽかされて幸運だった。

 タイマーがなって、いよいよ仕上げ。


「さあ、後入れスープを入れますよ」


 湯気の立つカップにスープを入れて、底から麺を返すように混ぜる一花の前で、リクトが何やら格闘している。


「? どうしたんですか、リクトさん」


「この小袋、『どこからでもあけられます』と書いてあるのに、どこからも開かないぞ!」


「ああ……それ、罠です」


「罠!? 極小のミミックか!?」


「ミミックみたいに噛みませんけど、ちょっとだけ精神的ダメージを受けますね」


 ……結局、鋏で開けることにした。


「「いただきます」」


 今日も二人で手を合わせる。


「ふぁ! すっぱ! からっ! うまっ!!」


 久し振りのカップ麺に舌鼓を打ちながら、一花は上機嫌でリクトを見る。


「初めてのカップ麺はどうですか? リクトさん」


 重戦士は辿々しく箸で麺を掬い、面頬の隙間から口に運び──


「うおっ!」


 ──驚いたように仰け反った。


「どうしたんですか!?」


 慌てる一花にリクトは一言、


「兜の中が曇った」


 一花は遠慮無く大笑いした。

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