第二章 フィンレイ診療所 ④
アガサは石鹸をゴシゴシと布に擦り付け、染みが落ちないことに口を尖らせている。
「え? ああ、シャノン様のことだったね……七支国は七つの国が統合されてできたものだから、元の国も都市としてはまだ残っているだろ。だから今の獅子王も筆頭王聖魔法士も、常に内乱を警戒していて、都市間が連携した恒常的な統治に力を割いている。シャノン様は上にいると手がまわらない細かい土地土地の医療や治安……国民の平和や安全に関わるものついて、不満や火種の元があれば対応してるんだよ」
話している二人のところに新しく洗濯物を集めて持ってきたマチルダが割って入って口を挟む。
「すごいわよねえ。シャノン様は実際に足で行って目で見てみないと話にならないって言うけど……それにしたって普通はあんな立場の人がわざわざ実際に地方に行って話を聞くまではしないわよ」
マチルダは洗い物を置くとそこにしゃがみこんで、洗濯を手伝い始めた。
アガサは洗い上げた洗濯物をぎゅっと絞ると、それをぱん、と広げて言う。
「巷の人間はどうだか知らないけどね、ここの人間には、シャノン様が遊び歩いているなんて、噂通りの人と思っている者はいないよ」
「そう……なんですか」
「あの方は素直じゃないっていうか、あんまりちゃんと働いてることを言わない性格だろ? 格好つけようとしないっていうか……」
「そうかしらねぇ……あれ、逆に格好つけてるんじゃないかしら?」
マチルダの声にアガサが考え込む。
「……どっちかねぇ」
「どっちにしろ格好はいいけどねぇ。ウチの娘なんてもうすぐ嫁に出るってのに、一度見ただけでもう夢中よ! まったく……シャノン様がああいう方だから許されてるけど、本来あたしらなんかは口をきくことすらないような雲の上の方だってのに……」
リゼルカはシャノンのことを知らない。
それなのになぜ、噂話だけ聞いて知った気になっていたんだろう。
「で、どんな関係なの?」
「え?」
「シャノン様だよう! やっぱりその……恋仲なのかい?」
「ち、違います。彼は仕事の一環で……」
「いやいや、仕事の一環って顔してないよシャノン様は」
「そうよう! ただならぬ感じがするわ!」
「それは深読みです。私たちは幼い頃からあまり仲がよくなくて……」
「幼馴染みなのかい? それはいよいよ……」
「たぎるわ!」
「違いますって……その……」
リゼルカは口ごもる。シャノンとの関係を濁すのは聖女であることを隠しているためだったが、アガサもマチルダもそこで込み入った事情を聞いてはならないと察したようで、口を噤んだ。
「あっ、恋仲といえば、ルディのとこ、結婚したじゃない? あれ……すっごい大変だったらしいわよ!」
「なになに? なんだい?」
すんなりと話を逸らしてもらい、ほっと息を吐く。
そこから会話は完全に井戸端会議と化していった。マチルダは噂話が好きな情報通で、最近流行りの結婚式のやり方や、隣国の有名な仕立屋の作るドレスの予約が数年先まで埋まっているだとか、色々と教えてくれる。そんなことを微塵も知らないリゼルカは目を白黒させながら話を聞いた。
聖ヴァイオン教会は閉鎖的だ。聖女になってからは外部との接触は極端に少なかった。リゼルカはここにきて自分が思った以上に世間知らずになっていたことに気づいた。
そうして話していられたのも陽がまだ高くないうちだけで、しばらくすると患者がひっきりなしに訪れるようになり、その対応に追われた。
この辺りはほかに医療機関がないため、突発的な怪我や持病で薬をもらいにくる人間はあとを絶たない。
また、診療所には患者だけでなく、付近の住民もよく遊びにくる。グスタフのように以前世話になっただとか、身内が世話になったとかで、自分のところで採れた薬草や余った布だとか、治療に使えそうなものをお裾分けにくる人間もいて、手が足りなければそのまま手伝ったりもしていた。
出入りしているシャノンが国の王聖魔法士であることは、診療所で働く人間以外には伏せられていたが、働き手が流動的なのもあって、どこからか噂を聞きつけて見にくる女性もいた。そうして、本人がいなくても診療所の人や近所の人と話だけして帰っていくのだ。
「ふふふ……ここは地域の玄関口みたいになってるから、面白い情報が集まるのよ……だから私は暇になるとここに手伝いにきてるの」
方々の噂に精通しているマチルダが眼鏡の縁をくいっと上げて言う。
リゼルカは診療所に訪れる人たちを見て、ときに話して、さまざまな人たちの生活の片鱗に触れながら、夢中で仕事をしていった。
そうして、夕方にシャノンが迎えにきた時、リゼルカはアガサによって腕に包帯を巻かれている最中だった。
シャノンは目を剥いて駆け寄ってきた。
「リゼルカ! 何があった?」
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