第一章 失われた魔力 ⑯

 シャノンは軋む音にびくりと揺れたリゼルカを見て、気づいたように言う。


「ああ、この寝台……たまにだけど、昔から使ってるからちょっとボロいんだよね。君の部屋のは新品だよ」


 そんなことを聞いてもまるで頭に入ってこない。気配が近い。ちらりと横を見るとシャノンの白い首筋が目に入り、それにも緊張が高まっていく。


 頭がぼうっとしてきて、呼吸が浅く、息が荒くなっていく。

 緊張が極限まで達した時、意識がふわりと現実と乖離するような感覚があって、突然我に返った。


 自分は、一体何をしようとしていたんだろうか。

 ふいにシャノンがこちらを向いて、それにびくっと反応した。


「あ、あのっ、やっぱり……少し待ってくだ……」


 とっさにそう言って立ち上がろうとしたリゼルカは、足をもつれさせてシャノンの膝の上にぼすんと倒れこんだ。強引に膝枕をしたような状態だ。


「きゃ……えっ……すみ……っ」


 リゼルカは満足に言葉さえ出せずに恐慌状態に陥った。起き上がろうとしているのに体がうまく動かせず、もがく。


「……っあの……っ、そのっ……」

「ちょっと落ち着きなって……」


 頭上から呆れた声がして、リゼルカの頭に何かがふわりとかぶさった。

 シャノンの手が優しく髪に触れていた。なだめるように、ぽん、ぽん、と優しく動く。


「あ、勝手に触った。ごめん」


 すぐにその手が離される。リゼルカはようやく少し落ち着いて、上体を起こした。


「いえ、もう少し……」

「え?」

「今のは大丈夫だったので、もう少し触れてみてください」

「…………何その迫力……わかったよ」


 シャノンが再び手を伸ばして、今度は隣に座っているリゼルカの頭に触れる。

 普段は粗雑さを感じる男だが、その手はとても優しかった。居心地が悪いくらいに。


 シャノンの指が髪を撫でていく。優しく撫でられるその感触は心地いいのに、心はどんどん落ち着かなくなっていく。なぜだか息が苦しくなる。頬も熱くなっていく。

 リゼルカは目をぎゅっと瞑ったまま、耐えていた。


 シャノンの指が耳の辺りにかすかに触れ、リゼルカはぴくんと震えた。


「……んっ」


 シャノンの手がすっといなくなった。


「ご、ごめんなさい……」

「謝ることないけど……あまり大丈夫には見えないし、今日はもういいんじゃない?」

「はい……そうですね」


 リゼルカはどこかを全力で走ってきたあとのようにぐったりとしていた。

 シャノンは呆れたように自分の手を見つめながら言う。


「これさぁ、本当に練習になってるの? 悪化したりしてない?」

「いえ、ありがとうございます。いい練習になりました。明日こそは……本懐を」

「口だけは威勢がいいけど……明日になっても何も変わらないと思うよ」

「できます」


 シャノンは呆れた顔で言う。


「もうさ、この方法は諦めなよ。そこまで無理して急いで魔力を戻すことはないんじゃない?」

「でも、あなただってここに拘束されることになるし……困るんじゃないですか?」

「僕はべつに。現状君を保護できてるし……どの道君を狙った犯人は見つけないといけないしね」


 シャノンにとってはあくまで自分の仕事を遂行できればいいということなんだろう。

 けれど、リゼルカにとって魔力がない自分というものはどうしても受け入れ難かった。


「私は……諦めることはできません」


 シャノンは小さく息を吐いて、少しの間黙って何かを考えていたようだったけれど、リゼルカに聞く。


「なんでそこまで魔力にこだわるの?」

「魔力がなかったら、私にはなんの価値もないからです」


 きっぱりと言うとシャノンは少しきょとんとした顔をした。


「うーん。君って意外と卑屈だよね……まぁ、意外でもないのか……」


 シャノンは腕組みをして、またしばらく考えていた。


「……あのさ、僕が個人的に後援してる診療所があって、明日そこに行くんだけど、君も見にこない?」

「診療所……ですか?」

「うん。もし興味が湧いたら短期間でいいからさ、手伝ってよ。人手が足りてないんだ」

「それは……私でできるなら、もちろんですが……魔力が……」

「大丈夫。そこには魔力を持たない人しかいない。ていうか、君んとこの教会以外は大体みんなそう」


 シャノンはそう言って、にっと笑って見せた。

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