第一章 失われた魔力 ⑬

 あまり使っていなかった隠れ家というわりには、厨房も浴室も食事室も、こぢんまりと先進的に整えられていた。空腹を感じて貯蔵庫を覗くと、バターやパン、卵に燻製肉、果物など、こんなはずれの屋敷には不似合いなほど食材が贅沢に置かれていた。ただ、シャノンにとっては普通で、贅沢という意識はきっとないのだろう。生まれ育ちの差が顕著に表れている。


 リゼルカはそこから林檎をひとつ取って、ナイフで剥いて食事室へと持っていった。


 焦茶色の簡素なテーブルセットがあるだけでほとんど装飾のない部屋なのに、色とりどりの沢山の乾燥した葉に塗れたへんてこな鐘がひとつ、天井からぶら下がっている。それを見ながら食事をした。

 しゃり、林檎を齧る。食欲は湧かないと思っていたが、みずみずしい林檎は優しい甘さですんなりと喉を通った。


 そうして、片付けてから廊下に出て、外につながる玄関扉に手をかけてみた。

 開かなかった。

 内から鍵はかかっていないのに、びくともしない。


 屋敷は裕福な平民が住むくらいの広さで、歩きまわってみると一階の窓はすべてはめ殺されていた。

 そして、最初に来た地下室、次に入った寝台しかない部屋、リゼルカにあてがわれた部屋以外にはろくに調度品も置かれておらず、空き部屋だった。

 厨房と浴室の間の廊下の奥に、ひとつだけ外に出れる扉を見つけた。


 出ると小さな庭があり、教会にも植えられていた薬効成分のある植物などがいくつか植えられ、近くに井戸がぽつんとある。可愛い中庭だった。

 けれど、そこは壁と高い塀に囲まれ、表とはつながっていないようだった。


 勝手に帰るなと言われたが、言われなくともこれではどこにも行けない。

 リゼルカは溜息を吐いた。


 魔力が戻せると聞いて自分は普通ではなかったのだろう。やはり、冷静に考えてあんな男なんかに軽率についてくるんじゃなかった。

 リゼルカはそこでしゃがみこんで、しばらく頭を抱えた。



   ***



 夕方にシャノンが帰宅した頃にはリゼルカの胸に小さな怒りが渦を巻いていた。

 シャノンは地下からの階段を上がり、リゼルカのいる食事室に入ってきた。


「あれ、そこにいたんだ。夕食、もう食べた?」

「貯蔵室にあった果物をいただきました」

「あ、そう」


 シャノンは気に留めた様子もなく奥の厨房に行き、竈に火を起こしながら言う。


「僕はお茶飲むけど、君は?」

「結構です」

「なんかいつにも増してツンツンしてるけど……」

「いえ……あなたはどんなお仕事をされているんですか?」


 竈にケトルを載せているシャノンの背中に問うと、振り向いた。


「え? 興味ある?」

「そういうわけではありません。毎日何をされているのかと……」

「いろいろだけど……一応魔法士団の長やらされてるから、それが主かなぁ。まぁ、みんな適当にやってくれてるからそっちはそんなでもないよ」


 シャノンは呑気な口調で言う。昼間から酒を飲みにいけるくらいだから、それは本当にそうなのだろう。

 リゼルカは呆れた気持ちでシャノンの目の前まで行った。


「とりあえず……今日も練習をお願いします」


 さっさと帰りたい。そのために少しでも慣れようと、昨日もできた握手をしようと手を伸ばそうとした。


 しかし、そこで彼を見て固まってしまった。

 シャノンの魔法士の衣服は昨日より胸元が少し空いていた。飲酒したせいなのか、かすかに赤く色づいていて、そこにはだらしない色香のようなものが立ち上る。


 リゼルカの心にじわりと嫌悪感が湧いた。

 シャノンはさっきまでどこにいて、何をしていたのだろう。


 リゼルカはやはり潔癖なのだろう。その手でほかの女性に触れてきたあとかもしれないと思うと、抵抗感が増してしまった。

 伸ばそうとしていた手は、動かなかった。


「ごめんなさい……やっぱり今日はやめておきます」

「……悪化してるし」

「いえ、明日にはなんとかできるように調整しておきますので」

「調整って……」

「今日はもう、失礼します」


 リゼルカは早足で部屋に戻って扉を閉め、息を吐いた。


 こんなところ、一刻も早く出ていきたい。シャノンは犯人を調べているといっていたが、雑に閉じ込めておいてあの様子では期待できない。博士の話では契りを交わせばもう狙われることはない。結局、契りを交わすのが一番早いのだ。


 それなのに、シャノンへの苛立ちが募るばかりで、覚悟ができる感じはまるでしなかった。

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