第一章 失われた魔力 ⑪

 リゼルカはあの時自分の胸にはっきりと湧いた、”好きになった人以外と契りは交わしたくない”という感情に驚いていた。


 そんなことを言える立場でも状況でもないのに。まだ自分の中にそんな贅沢な、少女のような憧れが残っていたなんて思わなかった。


 一方で、ひどく冷めた自分もいる。

 早く魔力を戻したいのに。戻すべきなのに。馬鹿みたいなこだわりで、自らの弱さで、周囲に迷惑さえかけている。


 リゼルカが魔力を戻せなければ救えない教会の患者がいるのに。

 国の存亡に関わる警戒すべき案件だと言われたのに。


 そんな理由で拒んでいる自分の感情が、子どもっぽい我儘のように感じられる。

 そもそも自分のような人間がいつか恋愛をするとも思えないのに。リゼルカは誰かとわかり合ったことだってろくにないのだ。


 リゼルカは育ちから警戒心が強く、なかなか誰かを信用しきることができない。恩人であるパトリックや共に働いていた聖女たちとも、何年経っても距離があり、心から打ち解けることができずにいた。リゼルカは誰からも心を開かれることがなかったし、彼女もまた、誰かに心を開くことがなかった。奥底では他人との深い関わりに飢えていたけれど、ずっと、どうすればいいのかわからずにいた。


 そう考えた時、ルーク・ピアフとの記憶が浮かんだ。

 ルークは十二歳の頃に何度も手紙をくれた、顔も知らない少年だ。


 最初の手紙だけはハドリーから渡された。同年代の子と話す機会があまりないリゼルカに文通相手を用意したというようないきさつだったと思う。読み書きがまだ拙かったリゼルカにとって、文章を書く練習にもなるからと言われてその文通は始まった。

 ルークはリゼルカのことはハドリーの養女ということ以外はよく知らないで書いているようで、リゼルカの年齢や、どんなことが好きなのか、普段どんな生活をしているのか、そんな他愛のない質問からそれは始まった。


 そしてやりとりを交わすうちに、それが心の深い部分の交流に変わるのに、そう時間はかからなかった。

 やがてルークは人に言えない苦悩をリゼルカにだけ吐き出すようになった。

 ルークは家が厳しく、将来を定められていて自由がなく、周りの人との軋轢に苦しんでいた。

 リゼルカのほうも生い立ちで遭った苦しみを彼には話した。リゼルカは誰かに正直な自分の気持ちを伝えることは初めてだったし、彼に伝えるために言葉にすることで、自分の本当の気持ちや願望に気づく機会を得ることができた。


 顔も素性も知れなくても、ルークはリゼルカのたった一人の友達だった。

 手紙のやりとりは一年以上続いたが、交流が途絶えるきっかけはハドリーの死だった。


 リゼルカは聖ヴァイオン教会に入ることになり、閉鎖的な所なので手紙のやり取りはできなくなると、最後の手紙を書いた。

 ハドリーが亡くなると彼の家はすぐに横暴な親戚の手に渡った。そこから物を持ち出すことはひとつも叶わず、彼から受け取っていた沢山の手紙も処分された。だからそれはまるで、幼少期に見ていた夢と言われてもおかしくない、遠い記憶になりつつある。


 そして、その時急に、もうひとつ思い出した。

 リゼルカは一度だけ、手紙の住所を訪ねたことがあったはずだ。ルークに最後の手紙を出した直後に直接別れを言いたくなり、丸一日歩いて彼の家の前まで行った記憶がある。

 その家は、小高い丘の上の森の手前に、草に紛れるようにぽつんとあった。

 けれど、扉には板が打ち付けられていて、明らかに空き家だった。


 そのことを思い出すと、彼との記憶は余計に混乱したものとなる。

 あの頃、リゼルカが心を交わしたはずの、ルークという少年は最初からいなかったんだろうか。


 それとも、この空の下どこかで息をして、今も何かと闘っているんだろうか。

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