第一章 失われた魔力 ⑩

   ***



 シャノンはそこから半日もせずに部屋の準備を整えた。


「じゃあ、この部屋を使って」

「はい」


 通されたのは二階の広い部屋だった。


「衣料品は、女官に用意してもらったのがそこの棚に置いてあるから。あと生活用品で足りない物があったら言って」


 そう言ってシャノンが出ていって、リゼルカは棚を確認する。衣料品はどれも上質で品がよく、華美さはない。ほっと息を吐いた。

 その部屋はリゼルカが暮らしていた教会の宿舎の部屋の倍以上の広さがあった。置かれた調度品は簡素ながら洗練されていて、寝台は清潔に整えられている。


 唐突に緊張の糸がふつんと切れて、リゼルカは寝台に倒れこんだ。


 二日前まではこんなことになるなんて、想像もしていなかった。リゼルカはこれからもずっと、何も変わらず教会で聖女として暮らしていくと思っていたのに。

 一刻も早く魔力を戻したい。戻したいのに。


 そうして、両手で顔を覆って苦悩した。

 閨事の知識は人並みにはあったが、ずっと自分とは無関係のものとして生きてきた。もしかしたら一生そんなことはしないとさえ思っていた。というか、そんなことを考える間もなかった。ただ、誰かの役に立って自分に価値を持ちたい、そう思って必死に生きてきたのだ。


 リゼルカは五歳の時に両親を亡くし、それから親戚の家にいたが、最初の家では常に「役立たず」とののしられ、聞こえよがしに「こんなお荷物を押し付けられて迷惑している」と言われていた。実際に当時のリゼルカは労働力となるにはまだあまりに幼く、突然独りぼっちになってしまった失意から立ち直れずにいた。きちんとした食事を与えられず、教養もろくに与えられずにいたリゼルカはその次に行った家でも存在をもてあまされ、一人だけ納屋で寝かされて、放置されていた。

 リゼルカはずっと子ども心に、周囲の大人が言う通り、自分はお荷物で役に立たない、無価値な人間だと思っていた。


 ただ、八歳の時に叔父のハドリーに引き取られてからは状況が好転した。ハドリーは庭師をしながら諸国を漫遊していたが、リゼルカの劣悪な現状を知って旅を止め、救い上げてくれたのだ。

 ハドリーはリゼルカに役立たずなんて一度も言わなかった。彼は普段は無口でぶっきらぼうな人だったけれど、リゼルカの食事は必ず用意してくれて、ときには自分の分を犠牲にしてもきちんと食べさせてくれた。心身共に死にかかっていたリゼルカは、彼に引き取られてから健康を取り戻し、読み書きの教養を与えられ、庭師の仕事の手伝いをさせてもらえるようになった。


 幼心に刷り込まれた役立たずの烙印は容易に消えなかったけれど、あの頃のリゼルカはハドリーに救われて、まだ明確な役割はないものの未来には自分が価値ある存在になれるかもしれないという前向きな希望が生まれていた。

 けれど、ハドリーは病気をして、リゼルカがきちんとした看病をできなかったので死んだ。


 自分はやっぱり、役立たずだったのだと思った。


 その頃からリゼルカは誰かの役に立たなければ価値がない。価値がなければ存在してはならないという考え方に、強く固執するようになった。

 そんなリゼルカにとって、パトリックが導いてくれた聖女の仕事は合っていた。リゼルカは自らを追い詰めるかのように”役立たず”である自分の身を削って仕事をして、自身の価値を高めていったのだ。


 だから魔力を戻せるならば契りを交わすくらい、聖女の治癒をするときのように、心を眠らせてすませられると思っていたのに。なんでもできると思っていたのに。

 それなのに。

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