第一章 失われた魔力 ⑥

 リゼルカの住む七支国しちしこくにはずっと語り継がれている建国伝説がある。


 その昔、七つに分離していた国家に、すべてを焼き尽くす巨大な黒龍が現れた。現国王の祖先である獅子王と一人の魔法士が、共に黒龍を封印することで国を統一して建てられたというものだ。シャノンはその建国魔法士の末裔で、直系の一族しか名乗ることを許されない『王聖魔法士』だった。シャノンの家系は代々筆頭王聖魔法士を襲名して国王の第一側近を務めており、一人息子である彼もいずれその役目を負うことになるはずだ。


「祖先の建国魔法士が黒龍の鱗を飲んだことで、王聖魔法士には普通の魔法士にはない力がいくつかあります。そのひとつは誰もが知る有名なものとして黒龍の鱗を体内の強い魔力で浄化することにより得た、黒龍を封じる力。それとは別に……あまり表沙汰にされていない体質がひとつあります」

「え? なにそれ」


 シャノンが博士を見た。


「王聖魔法士は聖女と交わるとその力を増幅させる血筋でもあるんです。百八十年前の文献にも呪いによって力を失った聖女が王聖魔法士の一族と契りを交わし、魔力を取り戻した記録が残っています」


 シャノン自身も知らなかったのだろう。目を白黒させている。


「ということは……つまり」


 博士の言葉を聞いたシャノンはリゼルカを見て言う。


「僕と契りを交わせば、リゼルカの失われた魔力は戻る……?」

「有体に言えば、そういうことです。まぁ、人道的にだいぶ問題があるのと、女性好きのシャノン様が悪用するのではないかと……黙っておりましたが……」

「人聞きわっる……」

「ですが、リゼルカ様がそこまでおっしゃるならば……この男なら喜んで協力してくれるかと」

「だから人聞き悪いっての……」

「で、ですが……そんな馬鹿なことが本当に?」


 にわかには信じ難く、リゼルカは訝しむ。


「リゼルカ様、シャノン様の手を握ってみてください」

「え? 手ですか?」

「握手です。お嫌ですか?」


 黙って硬直しているリゼルカを前に、シャノンが溜息をひとつ吐く。

「この人潔癖なんだって……無理なんじゃない?」


 しらっとした顔で言うシャノンをきっと睨みつけ、目の前に行って手をぎゅっと握る。

 シャノンは小さく目を見開いてリゼルカを見たが、すぐに博士を向いて言う。


「で? これで何がわかんの?」


 その質問に答えたのは博士ではなく、リゼルカだった。


「……わかります」

「えっ?」


 シャノンの手を取った瞬間、体の奥深くに不思議な感覚があった。

 火種のようにほんの小さなそれは、お腹の奥のほうでちりちりと遠く燻っている。

 遠く、小さすぎて掴めないそれはもどかしくも懐かしい。今のリゼルカが焦がれてやまない、自らの魔力の気配だった。もう永久に戻らないかもしれないと思っていたその気配は、リゼルカの心を高揚させた。しかし、同時に重たい気持ちにも気づく。


 あっけにとられた顔をしているシャノンの手をぱっと振りほどいて離れた。


「博士の言っていることは……本当だと思います」


 彼と契りを交わせば、失われた魔力は戻るだろう。


「この方法の優れた点として、王聖魔法士との契りで戻った魔力は、呪いで再び抜くことが困難になるんですね。これは聖女の魔力が外部から得て育つものであるのに対して、魔法士の魔力は生まれつき備わったものであることが関係していて……」


 博士は説明を続けていたけれど、リゼルカの耳には途中から入ってこなくなっていた。


 リゼルカは俯き、呆然と床を見つめていた。

 魔力を戻せるのなら、なんでも耐えられると思っていたのに、提示された方法には予想外に強い抵抗感があった。

 恋愛経験がなく、今まで考える機会がなかったが、こうなって急にはっきり気づいてしまった。


 自分は、好きになった人以外と契りは交わしたくない。


 よりによってこんな人とそんなことをするなんて、どうにも受け入れ難かった。


「リゼルカ様……?」


 俯いて黙ってしまっているリゼルカに、博士が気づいた。


「べっつにさあ、そんな悪趣味な方法使ってまで無理に魔力戻す必要ないと思うけど……僕としては、とりあえず保護できれば十分だし」


 シャノンはそっけなく言う。

 その様子を見ていたトーベ博士が妙な顔で言う。


「爺さん、何その顔」

「……いえ、珍しく女性に対してそっけなくしてらっしゃると思いましてねぇ」

「僕は普段から女性相手に態度は変えてないし、普通だよ。ただ、この人は糞真面目な潔癖だし……僕が嫌いだからね。そんなこと絶対したくないだろ」

「それもまた珍しいことですねぇ……」


 リゼルカは、シャノンがその方法に対して消極的であることにいくぶんか安堵していた。

 けれど、はっとする。それでは困るのだ。これは、どんなに抵抗感があったとしても、現状リゼルカが魔力を取り戻せるただひとつの方法なのだ。


 近くの木箱に浅く腰掛け、長い足を投げ出していたシャノンに近寄って言う。


「いえ……私はお願いしたいんですが。あなたは、嫌……ですか?」


 じっと見つめてそう言うと、シャノンは驚いた顔をして、少し黙った。

 ややあって、口を開ける。


「……魔力が戻ると言って連れ出したのは僕だ。君が望むならば断りはしないよ」

「それなら、お願いします……」

「はいりょーかい」


 軽い……やはりこの男とは感性が合わない。そう確信したリゼルカだった。

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