第8話 聖母の憐憫

 医務室のベッドに寝かされたユウタをユズナは心配そうに見守っていた。下唇を噛みながら見つめる。ライブ中は自身も興奮状態だったが異様な光景を思い出すと寒気がする。

「ユウタ、変だよ」

 ライブ時の彼はいつものユウタではなかった。どんどん別の人間になるのでは、と不安になる。周りもおかしい。いくら推し活と言っても。

(まるで集団催眠に掛かっているかのようだった)

 コンコンとノックがあり、医務スタッフがドアを開けて入ってきた。

「おそらく、貧血だと思います。とても興奮していたみたいですね」

「そうですか」

「しばらく休めば、目を覚ましますよ」

「ありがとうございます」

 ドアが開き、入れ替わりで別の人が入室してきた。ユズナは驚いた顔をした。

「あなたは……」

 水本絵梨香が現れたのだ。

 先ほどのハイパフォーマンスの後だ。ひたいに汗がにじみ前髪が張りつくほど彼女も消耗が見られるが、お構いなしに駆け寄ってきた。

「倒れた人がいたと聞いて。大丈夫ですか」

 そのままユウタの元に向かい、さらに座り込んで彼の手を握りしめた。ユズナは圧倒されて、言葉を失った。水本絵梨香の目は真剣そのものだが、その光景は異様に見える。――聖母が憐憫れんびんの表情で民をでるかのごとく。

「あの、貧血みたいなので。たぶん、大丈夫です。わざわざ、ありがとうございます」

 ユズナは頭を下げた。それでも水本絵梨香は手を離そうとしない。まるでフィアンセを見守る許嫁いいなづけのように愛おしげな眼差しをユウタに向けている。

「大丈夫ですよ」

「そう……」

 やっと、手を離すと笑顔に変わった。

「テスト勉強やバイトは大変だから、あまり無理しないように言ってあげてね」

「はい、わかりました」

 そのまま医務室から出ようとした水本絵梨香を「あの」とユズナは呼びかけた。

「どうして、テスト勉強とバイトのことを知っているんですか?」

 数秒の間が生まれ、水本絵梨香は振り返った。その表情にユズナは戸惑いを隠せない。ニヤリと笑いじわを浮かべて笑っているのだ。

「学生なんて勉強とバイトぐらいしかやることないでしょ? 違う?」

 ユズナは目を見開いた。そのまま両者は見つめ合うがどちらも視線を外さない。

「確かに、そうですね」

「ふふふ、またね」

 その言葉を残して、ドアが閉まる音が響いた。

 ユズナはユウタの寝顔につぶやいた。

「ねえ、ユウタ。……私はあの人を推せないよ」

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